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27:捜索と事件記録と推測


「洪煙があったということは、ここ数日風が強く、方角も定まっていた様子だな」


 スモッグがわずかに晴れた隙に外へ出たジョンは、辺りを取り巻くいやな臭気にわずか顔をしかめながら空を見た。

 風は東――向かう先である大断崖をこの下等区画から見据えた場合、右手にあたる方へ流れている。


「そうなのですか?」つづいて出てきたロコが、口許を手套嵌める掌で隠して言う。

「まあ、な。風がなくスモッグが滞留しやすい時期はさすがに、産業区画も大規模な排出はしないように計算が成される」

「計算というと、あの巨大な階差機関の」

「プロジット二号機だ」


 行く先の大断崖の上からこちらを見下ろすガラスの尖塔。

 内部に隙間なく詰め込まれたギアとカラムとクランクシャフトが回転による計算をつづける大機械は、このドルナクの産業をどのように制御するかすべての指針を出している。

 この計算の際、パンチカードによる人間の出退勤や移動などのデータだけではなく、周囲の環境情報も入力され総合的に判断を出力するのだ。


「この街にとって、大事なものなのですね。あれがあるから発展した、と」

「それはどうだろうな。プロジットも三十年前の開山当初から試作機がここに存在したゆえに、ドルナクがあったから発展したのかあれがあったからドルナクが発展したのか、前後は不明だ」

「相互に必要としあったのではないです?」

「かもしれん」


 スモッグが流れ、渦を巻き、東へと流れていく。



 下等区画に立ち込める薄いスモッグの中を抜け、二人は滝の如く上層五十メートルから降り注ぐプルトン川の下にたどり着き。

 通行証のパンチカードを昇降機脇の警備員に渡してチェックを済ませ、ジョンとロコは鉄の大台の上にのぼった。

 今日も、上等区画へ運ばれる積み荷と人でごった返しており、ちょっとした蚤の市か引っ越しを思わせる眺めが広がっている。

 荷のないジョンたちは端へ寄り、鉄柵の横で身を落ち着けた。

 すると横に、ぬらりと影が立ち上がる。


「ジョン・スミス。貴様か」

「なんだ。……おい無能、その手を止めろ。ここをどこだと思っている」


 ちきりと腰の剣の柄に手を伸ばしかけた男――黄土色の髪を中央分けにして猜疑心の強そうな上目遣いに顔をうつむけるベルデュ・ラベラルが、ジョンの言葉にはっとして動きを止める。


「おっといけない、いけないな。いつもの癖でね……つい手が出そうになってしまうよ」

「このような狭いところでやめろ。しかも昇降機だ、周囲に貴族層もいるかもわからんだろう。抜剣などしたら騎士団にお咎めがくるぞ」

「そうだな、その通りだ。助かったよジョン・スミス。手合わせはまた後日とさせてもらおう」

「わかればいい」


 ふんと互いに鼻を鳴らし、顔を背ける。

 ロコはげんなりした顔でその様を見て、「斬り合いをすることについて異存はないのですね……」とつぶやいていた。挑んでくる理由がわかっているいまとなっては忌避する理由も特にないな、とジョンが言えばますますげんなりしていた。


「ジョンさまがいいのでしたら、いいのですけれど」

「まあ面倒ではあるが、斬り合えば技の研ぎ直し程度にはなるからな」

「おい狂犬。私はお前の腕の錆び落としか?」


 ロコとの会話に割り込むように、ベルデュはじろりと横目でこちらを見やる。ジョンはため息をつきつつインバネスの下で腕をがちゃりと鳴らした。


「この腕はお前の剣と同じく複層錬金術式合金クワレウィタイトだ。錆びなど寄せつけん」

「……また笑えないジョークを言ってくれる」

「ところでお前、先日の賭博で少しは儲けたのだろう。勝手にひとを賭けの対象にしたのだから少しはこちらに還元してもらおうか」

「え、お金くださるのですかベルデュ様」


 ジョンの脇からひょこりと顔を出したロコは少し期待しているような声の弾ませ方だった。

 ベルデュは一瞬気まずそうに眉をしなだれさせ、次いでぐぐっと下唇を突き出し、最終的には不機嫌そうに肩を二、三度揺すった。


「ない。悪いがシスター、私には渡せるお金など、ないよ」

「ええっ、あれだけギャラリーいたのにですか?」

「思ったよりお嬢に賭けた奴が多かったのか?」

「いや、たったの三名だったが……そのうち第三騎士隊長(ロイ=ブレーベン)が一人で三十ルコルも賭けてくれてね……」


 率をもっと下げておけば、と後悔しきりな顔で口をもごもごさせる。

 ロコは反応に困ったようで、やがて、なんとなくそうしておくべきと思ったのかベルデュの頭に手を伸ばして撫でていた。余計に屈辱ではなかろうかとジョンは思った。

 しかしベルデュ的にはそこまで悪い気分にはならなかったらしく、相変わらず重苦しい表情のままだったがわずかに顔を上げてゆっくりこくこくうなずいた。


「シスター、ありがとう」

「いえいえ」

「次はもう少し、きみのオッズを下げることにするよ」

「またやる気なのですか……」


 ちょっと引いたロコはこわごわと手をどけてジョンの影まで下がった。ジョンは、騎士団において模擬戦賭博が常態化していることを教えるべきかどうか少し思案した。

 さてくだらない言い合いが終わったところ、ごごんと低く音が響き昇降機は上層を目指してせり上がりはじめる。台の下部で噴き上がる白い蒸気が、立ち込めるスモッグとまじりあってきな臭さを少し薄めた。

 ベルデュは詰襟上衣の懐から取り出した手帳を開き、ぱらぱらと次の仕事について確認などしはじめた。


「ところで昨日の上等区画での吸血鬼だが、一般人が始末したということで申請が来ている。貴様もそこに居たと聞いたが、間違いはないかい」

「ああ、俺は現場に居合わせただけだ」

「ほぉ。縫合回復型とはいえ一般人がよく倒せたものだね……。だがしかし、騎士団員が倒してくれていた方が私としてはありがたかったかな」

「なにか面倒があるのか」

「面倒だ、上等区画での事件はとくに面倒だ。貴族様のご納得をいただけるような正式な書面をしつらえねばならないし、今回の場合は一般人による正当防衛の結果だと証明する書面を、官憲と共同で作らねばならないのでね」


 騎士団員以外による吸血鬼戦だと、法の整備が追い付かない都合上かなりややこしくなるようだ。

 取り調べがあるなら少しはジルコニアの滞在期間も延びるだろうか、とジョンは考える。横からはベルデュがページをめくる音が風に乗って届いていた。


「それにしてもこの頃は妙だよ、なぜあのような下等区画の吸血鬼が上層に現れているのかな」

第七うちの隊の者が倒していた奴といい、昨日の奴といい。素性はわかっているのか」

「どちらも工夫こうふだ、炭鉱の工夫だったよ。レオナルド・ハーシン、コール・ストーンカッター。数日前に下等区画で吸血事件を起こし、その後行方をくらましていたのさ」

昇降機ここの通過記録は」

「あると思うのかい」


 小ばかにした笑みでハッ、とベルデュは息を吐く。

 ……上等区画に出入りする運搬業者。

 貴族層。

 騎士団。

 そのほかに通行証パンチカードを持つ者はいないので、無意味な質問といえばそうである。

 といって偽造通行証もまず作成は不可能。

 パンチカードは錬成された合金で出来ており、読み取りの際はミリ単位の穴の位置だけでなく、吸い込みローラー内でのしなり(・・・)といった形状変化や、一定部位から熱を加えた際の伝導性などを数値化することで本物かどうかを確かめている。

 当然錬成金属の配合比率は秘匿された機密事項のため、これが流出しているとしたらそれはこの街の終わりを意味する。


「荷の検めをする警備員を買収して潜り込むのも難しかろうな」

「そんなことができるほどの金があるなら工夫などやってはいないだろうしね。そうなるとどうやって忍び込んだのやら」


 ついと顎を上向けて振り返り、ベルデュは街並みではなく背後にそびえ立つ大断崖を見つめた。

 かぶりを振って姿勢を戻したが、まさか素手でよじ登ったとでも考えたのだろうか。そんなことをするのなら、遠回りして大断崖の彼方から徒歩で行く方がましだ。数時間はかかるだろうが。


「ではお前、いまから先の事件の被害者――ジルコニア・アルマニヤのところへ行くのか」

「いいや。そちらは官憲が調書を作成するのでね、私は教会へ再銑礼してもらった遺体の引き取り役だよ」

「即座に川に流すかと思っていたがちがうのだな」

「普段はそうだが今回は遺族がいた。教会に運んだ私と入れ違いになったが、おそらく遺体と一夜を明かしたのだろうさ」

「……ご遺族がいたのですか」

「ご両親がね。来ていた。――睨まれたよ」


 ロコのつぶやきに、色々な思いを込めてだろうベルデュの言葉がつづく。

 しかし吸血鬼化による襲撃は、感染による周囲への被害増大を防ぐ名目もあり一般人の防衛による殺害もやむなしとされている部分がある。

 特別、ジルコニアが裁かれることはまずない。

 事故のようなものとして扱われ。

 遺族の感情は《夜風の団》のほかどこへも行き場なく、このドルナクに埋もれていくのだ。


「よく訪問するパブの店主夫妻だったが、もう顔を出せないね。いい店だったんだが……本当に居心地のいい店だったんだが。しばらくは、詰所の保養所で飲むとするかな」

「あそこは、こういうときのための場でもあったのですね……」

「そうだとも。騎士などと言っても我々は日陰者なのさ、シスター」


 手帳を閉じてポケットに手を入れ、背を丸める。


「務めであり、誉れであり、必要なことだと思ってはいるがね。日々のささやかな幸福のたねすらこうして失くしてしまうのだから我々は損な役回りだよなぁ、ジョン・スミス」


 めずらしくも同意を求めるようにベルデュは言った。

 ジョンは。

 一拍置いてから「わからん」と返した。


「なにを失くしたか。なにが損か。結果が出るまでは、わからん」

「結果、結果ね。貴様の言う結果とは、人生が閉じるときに感じるそれではないのかい」

「そうだ」


 そういう考えが、あまり理解されないであろうこともジョンはよくわかっている。

 けれど口にする。


「幸福は最後に訪れる結果だ。状態ではなく」

「否定はしないが賛同はできないね」


 それはただひとつの目的だけを追うジョンとのちがいなのだろう。

 ジョンもベルデュを否定せず、そうなるともう二人は黙るしかなかった。


        +


 上層に着いて彼と別れ、ジョンはロコと共に大通りを歩んだ。

 迎賓館の目と鼻の先にある高級ホテルは、昼間に来ると夜のような柔らかな威厳はない。

 けれど石造りの壁面は堅牢さで以て宿泊客に安心感を与え、その内にひとを招き入れる。

 シャンデリアより暖色の光が注ぐロビーを抜け、ラウンジの中でソファに腰かけ待っていたジルコニアを見つけた。


「来たわね」

「刻限にはちょうどといったところか」


 ぼーん、と隅に小ぢんまりと置かれていた柱時計が鳴る。

 ジルコニアは「そのようね」と返してライトブラウンの髪と、胸元のカメオを揺らした。

 室内ゆえに毛皮のコートもハットも外しており、着用するのは襟元と袖口にレースをあしらったブラウスとハイウエストのショートパンツ。裾からはネコ科を思わせるデザインの脚部駆動鎧装が伸びる。

 組んでいた長い美しい脚をほどいてステッキを支えに立ち上がり、ジョンと同じ程度の上背をしゃんと伸ばして近づく。

 視線はちらちらと《銀の腕(アガートラーム)》に向いていたが、表情は硬い。人探しの結果を求めている、とジョンは察した。

 だがあえて焦らし、別方面の会話を振った。


「官憲は来たか」

「官憲? ああ昨夜の吸血鬼の件ね。彼ら朝方来て、書類作成に付き合わされたわ。滞在期間中はちょくちょく来るとも言ってたかしらね……社へ戻って以降は、必要に応じてそちらから訪問下さるそうだけど」


 すでにベルデュの言っていたあれこれは終わっているらしい。ふむとひとつ息を吐き、ジョンはならばいいと返した。


「調べているかもしれんが、官憲にはガルデン・ヒューイットの行方について質してみたか?」

「来て初日に済ませているわ。さっきも、進展がないか尋ねてみたけどさっぱりみたい……して、そちらではガルデンについてなにかつかめたかしら」

「それなりに、な」


 気を引くような発言をしたジョンに思うところあったか、ロコはぐいぐいとインバネスの裾を引っ張ってきた。うっとうしいので腰を切って払い、ジルコニアとの話をつづける。


「その前に、まず約束通り腕を見せてやる」

「いいの?」

「契約は守る。見ながらでも話はできるだろう」

「そうね……そうねぇ。ではお二人とも、部屋まで案内するわ」

「あ、はい。すみません、お邪魔します」


 ぺこりと頭を下げたロコと共に、ジョンはきびすを返したジルコニアについていく。

 ラウンジから数段あがった先にあるホールに入ると、昇降機の前に立っていたボーイが丁寧に会釈し、這いまわる茨のような意匠の柵をがらがらと開いた。

 小部屋に三人で入るとまたがらがらと閉じられ、次いで金属の軋みと共に昇っていく。

 ちんとベルが鳴り、三階のホールへ。


「……で、ジョンさま。『それなりに』だなんて気を引くこと言ってよかったのですか?」


 ぼそぼそと、ジルコニアには聞こえない程度の声でロコが問うてくる。ジョンはざっくりと答えた。


「駆け引きをするなら情報は小出しにするのが定石だ」

「そこはわかりますが。しかし我々がつかんだのは、『なにもつかめなかった』という事実くらいではありませんか。がっかりさせてしまいますよ」

「……お前まだ、わかっていなかったのか」


 先導するジルコニアの後ろを歩き、ふわふわとした絨毯を踏みしめつつジョンは後ろを顧みる。

 ロコはいまいちといった顔つきで首をかしげていた。


「だって、情報は手に入れていないでしょう?」

「だから、それが真相だろう」

「うわぁ……まさかジョンさま、見つからなかった無理でしたとご報告して終わりですか?」

「いくら俺が金に汚いと言っても、そんな内容の仕事ぶりで依頼料を取るつもりはない」


 そも。


 依頼料以前(・・・・・)の問題かもしれないのだ。


「さて」


 どのような結果になるかは、わからないが。

 ジョンは先を行くジルコニアに、声をかけることにする。


「ジルコニア、ひとつ訊きたいことがあったんだが」

「あらなにかしら?」

「ガルデンと共に来ていた秘書と護衛。今回、お前には同行していないのか」

「ああ……彼が行方不明になったことで探し回ってもらって、ずいぶんドルナク滞在を伸ばしちゃったから。いまは長めの休暇を取ってもらってるのよ」

「なるほど」

「それに私自身はある程度戦えるし、護衛は必要ないから」

「護衛が、か……――頭数・・が、の間違いではないのか」


 切り返す問いかけに、ジルコニアはかつ、と足を止めた。ロコも息を呑んだのが聞こえる。


「頭数?」

「最初から少し気になっていたのだ。ひとを探すのなら人海戦術だ、頭数は多い方がいいだろう。なぜ一人で来た」

「なぜって。ここの地理に疎いひとを多数呼んでも、仕方がないでしょう。ひとを動かすのだってタダではないし」

「費用を気にするのか。社長補佐などというあまり数のいない人材に金をかけないと?」

「……なにが言いたいの」


 振り返ってぎんとこちらを睨む彼女に、

 ジョンは肩をすくめて見せる。


「ガルデン・ヒューイットという人間は、すでにこの世にいないんじゃないのか?」



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