26:情報料と蒸気都市と人間蒸発
「しかしひさびさに会ったな名無しの少年。腕は快調そうだということはお前の重ねる吸血鬼討伐数でなんとなく察しているが古傷に問題があればいつでも呼べよ」
「気遣いには感謝する。本題だがイブンズ、少々《夜風の団》の力を借りたい。尋ね人の情報を探している」
「尋ね人だぁ?」
「そうだ」
インバネスの砂ぼこりと汚れを払いながら立ち上がり、ジョンはイブンズと向かい合った。
彼女は多数のレンズを備えた真鍮製の眼鏡の奥で、こちらを値踏みするような視線を送ってきている。意図を察し、ジョンはロコに声をかけた
「おい、お嬢」
「あ、はい! あれですね!」
ロコが懐に手を入れると、イブンズは「ん」と言って手を出してきた。話が早いとばかりにロコはそっと――ガルデンの写真を置いた。
ジョンは彼女の対応に、自分が白けた目つきになるのを感じた。
「なにをやっているんだお前は……」
「え、だって探してもらうんでしたら」
「なんだいこれはこんなものを受け取るために私は手を差し出したのではないよ!」
イブンズは途端に顔をしかめ、ぺいっと写真を払いのけるように落とした。
「な、なにをするのですか!」
「そっちにこそなにをすると言いたいところだこの間抜け。頼み事をするというのならまずは相手にいくらか握らせるのが常識だろうこのお馬鹿はやくお金を出せほらすぐに出せぐずぐずしない!」
「えええ……なんだかこの状況、ジョンさまと最初に出会ったときみたい……」
「俺はこれほど無遠慮ではなかったはずだ。ともあれ、払ってやれ」
「わたくし今日そんなに持ち合わせないです……」
「……仕方がない、貸してやる」
襟元のジッパーを噛んで開き、中にあった財布をロコに向かって口で投げる。彼女はわたわたしながらその中身を数えていた。
「二でいいか」ジョンが問うとイブンズは首を横に振った。
「五」
「高い。三でどうだ」
「四だ。まからないよこれ以上は」
「三と五で勘弁してくれ」
「……しょうがないねえまけといてあげるよ」
「助かる」
「はい毎度ありがとう三ルコルと五十スードいただきあとブドウ糖は別だから追加で四スード!」
「ちっ」
ジョンは顎でしゃくるようにしてロコに示し、イブンズへ情報量とブドウ糖代を支払わせた。ロコも自身の手套をひっくり返して、ちゃりちゃりと四スードの銅貨を出している。
イブンズはたしかにいただいた、と言いながらも再度金額を確認し、うんとうなずいて硬貨を白衣のポケットへ流し込んだ。
「だいぶお金かかりましたね……」
「調査に経費はつきものだ。連中も慈善団体ではないのだしな」
週に三十件ちかく起きる吸血鬼による事件は、当然ながらその背後に幾多の血と涙を流させる。
吸血鬼に襲われた者。吸血鬼に家族を奪われた者。家族が吸血鬼と化してしまった者。
こうした人々を救うべく《銀霊騎士団》があるとはいえ、あまねくすべての人々に手が届くわけではない。
実際的に被害に遭う者たちを救うことができても、彼らの心についた傷や慟哭する感情は戦闘力ではどうにもできない。ましてや騎士団は、ときに吸血鬼と化した彼らの家族、同胞を――被害拡大を防ぐため――処分することすらある。
被害者の中にはこの一件で騎士団を恨み、「人殺し」と罵る者も少なくない。完全でない救い手は、むしろなにもしなかった者よりも恨まれるのだ。
故にこそ《夜風の団》は存在する。
彼らは吸血鬼被害関係者の会であり、互いに痛みを分かち合いながら吸血鬼を憎む。
自分たちのような悲しみを増やさないため。吸血鬼を滅ぼすため。情報網を共有しこのドルナクの各所で常に異変に目を配っているのだ。
「当然、奴らの活動にはさまざまな経費がかかる。有力な貴族筋のパトロンが三人ついているがそれでも賄いきれない部分はあるのだ」
「まさか、こちらの方がこうもお金にこだわるのも?」
「当然経費に使うためだよいやしかしまったく世知辛いね人助けで得た金でひとを助けるのだから連鎖は止まらず延々とつづく! となるのが理想だがなかなかそう巧くことが運ばず苦労するよしかし苦境を乗り越えてこそ人生は輝くと彼の詩人も謳っている。我が人生は栄光の輝きに満ちているさお嬢ちゃん」
ひ、ひ、ひ、と息を小分けに飲み込むような笑い声をあげながら、イブンズは硬貨を入れたのと逆のポケットを探る。
取り出した銀の懐中時計で時刻を十一時過ぎと確認して、「補給の時間だ!」と叫ぶと背に負うていたバックパックを落として肩掛けカバンも滑り落とした。いったいなにが入っているのか、凄まじい勢いでドザドザドザっと音がした。
イブンズは眼鏡を額の上へ押し上げるとバックパックの上に腰かけ、懐に手を入れると油紙包みの圧搾固形食糧を取り出しばりぼりと齧り始めた。
「んぐんぐんぐふふはは経口補給はひさびさだ」
「いまなにか恐ろしいことを仰ったような」
「あまりそこには触れるな。して、イブンズ。この男を見かけてはいないか。名前は」
「アルマニヤ重工のガルデン・ヒューイット社長補佐だろう? 私のことを新聞も読んでいない世間知らずと思っているのならそのまま説明をつづけてもらって結構だがどうだね名無しの少年」
「……いや、わかっているならいい」
「よろしいでは教えよう。さてさてガルデン氏は骨相学的になかなか愉快そうな造形をしている男だったな……ああ気にするな少年! 私は優生学者どもに名を連ねるつもりはさらさらないからあくまでも人相を思い出すためのアプローチとして骨相を例に出しただけだぞ」
圧搾固形食糧を食べる手を止め、焦げ茶色の瞳がぱちぱちとしばたき。白髪交じりの茶髪をかりかりと細い指で掻きながら彼女は思案している。
やがてひとつ思い至るところがあったか、ああとうなずいてまた食べるのを再開した。
「んぐんふそうだ情報は入っていた。確かあれは先月の中頃に上等区画へブラウン・レフト公に活動経費の申請にうかがっていたときであったかな? アルマニヤの重役がドルナクに来訪しているらしいとのうわさは上層の貴族や関係者筋ではそれなりに話題になっていると聞いた」
「それ以外の目撃情報は」
「物事には順序というものがあるのだからあまり急かすでないよ名無しの少年! だいたいだねこの蒸気都市で年間何人が行方知れずの蒸発をカマしていると思っているなんと年間九〇人だ四日に一人は消えている計算だぞ!」
「つまりありふれすぎていて証言がないのです?」
「急くな急かすな慌てるないお嬢ちゃん!」
片手を突き出してロコの追及を制したイブンズはバックパックを探って取り出したスキットルの蓋をくるくる回して開け、中身を勢いよくあおった。なんの匂いもしない。ただの水のようだ。
「ぐふう。では語ろう。ガルデン氏は十日前に消息を絶ったと聞いているがその以前もさほど目撃された様子はないとのことだった。よほどこのドルナクを警戒していたのかはたまた用事が詰まっていて人前を歩いていなかったのか」
「ふむ」もう合いの手しか入れないことにするジョンである。
「目撃されたのは彼の周囲を守っていた秘書と護衛の二名の方が多いくらいでね基本的にガルデン氏は自身単独でのドルナク査察はなかったようだ。回った形跡があるのは産業区画のアルマニヤ重工プラントと上等区画の鉄鉱石精錬所とジェイムソンインダストリアルの開発研究部署くらいでそれも関係者の重鎮数名に会う程度のきわめて少数お忍びの訪問であったそうだよ。故に重鎮が夜会などで遭遇を語るまでは目撃証言がおもてに出てこなかったというわけ」
指折り情報を数える。よくもまあそうまで細かい情報を、メモなどの頼りもなくすらすら言えるものだとジョンは思う。
「しかし形跡がそこにしかないとは、教会にはやはり訪れていなかったのですね」
ぼそりとロコが言えば、イブンズは目をしばたいて「教会か教会ね」と繰り返した。
「信仰心は確かな男だとの話は私も聞いていたがここでは一度も礼拝に訪れていないようだね。ここへ来た初日に場所を確かめてはいたようだけど忙しかったのか体調でも崩していたのか」
「ん、つまりガルデンは教会を訪れようとの意思は示していたということか?」
「教会を焼くために場所を問うていたとの可能性を排除するならそういうことだと私は思うけれど実情は果たしてどうなんだか。彼の者は熱心な信徒とのことだったがもしかしてひょっとしたらラクア派でなくアークエ派だったかもわからないからねぇまあ人の内面なんてだれにもわからんさ!」
ひっひと笑ってイブンズはまた水を飲んだ。
ラクア派とアークエ派はヴィタ教の内部に存在する二つの宗派だが、アークエ派は教義への考えのちがいから二百年以上前に分かたれ、以降対立派に徹底抗戦を仕掛けている過激派だ。
そんな連中をおちょくるというあまり笑えないジョークだが、じつはイブンズもまたジョンと同じく無宗教者である。不謹慎ネタはわりと彼女の持ちネタなのだった。
ロコは、なんとも言えない顔で眉根をひそめていた。
「……場所が場所なら血を見るジョークですね」
「お前の眼前は『場所』ではないのか」
「わたくし信仰にあたって宗派うんぬんには興味がありませんので」
軽い調子で彼女の宗派について質してみたジョンだったが、さらりと返されて閉口する。
イブンズはスキットルをしまいミクスドブロックの最後の一片を飲み込むと、ふうと息を吐いて懐中時計を取り出し、眼鏡を額からずり下ろした。
「とまれそこで情報は途絶のおしまい残念ながら足跡をたどることはできそうにない。もちろんネタが入ればまたお教えするけどひとまずいまのところはここまでだよ名無しの少年」
「そうか。まあ、いい」
「では私はそろそろ往診の時間なのでおいとまさせてもらうよなにか情報をつかんだら騎士団の送空管にメモ書きでも走らせておくから!」
「助かる。……いや助かった。おそらくは、な」
謝意を述べておくジョンの前でわずかに三分ほどの補給を終えた彼女は、いそいそとカバンとバックパックを装備しなおして立ち上がった。
よくもあの重そうなものを背負って、と思うほどにしゃきしゃきした歩みで遠ざかる背に、ふっとジョンは思いついて問うた。
「ところで、このあとはどこへ行く」
「貧民どもの阿片窟だ売人の連中ときたらいくら潰しても潰しても傷口の蛆虫がごとく限りなしにぞろぞろわいてくるものだからな! 鉄枷付きがいなくなったいまが好機だよ残党の逃げ場は部下に押さえさせからあとは大元を私が叩くのみ!」
「そうか。気を付けろよ」
「おやおやその身を大事にしろだなどとはお前にだけは言われたくないよ名無しの少年!」
ひひひひと笑って去っていく。
看護師に言われるとなにも返せない。ジョンは黙って見送った。
あとにはスモッグが吹く。遠くからじじ、じ、とスピーカーのノイズがわずかに耳に届いた。洪煙が産業区画からくるのだろうと察し、ジョンは早めに貧民窟をあとにすることにした。
「昇降機の昼の部に間に合うよう、移動するぞ」
「はあ。しかしジョンさま、なんというかあんまり参考になる情報はありませんでしたね」
「そうでもない」
ジョンはロコへ返し、上層を目指すべく大通りへ出る道を探した。
「ガルデンの動向は夜風の団でもほとんどつかめていない。奴は教会へ行く意思は見せていた。しかし訪れることはなかった」
イブンズから得た三点を確認させ、ジョンは視線で「考えろ」と告げた。
ロコは上を見たり下を見たり、視線をあっちこっちやっているがとっかかりがないと感じているのかあまり考えることができていない様子である。
ジョンは地を這う振動で煙の接近を察し、ロコの肩に己の肩をぶつけて指示した。
近場の建物に二人並んで入り、扉を閉じる。
轟く低音が彼方から近づいて来て、きな臭さが次第強まる。
ごどごごどごとごととッ、と。
扉を軋ませて過ぎ去っていく洪煙。
ドアの隙間から浸み込んだ煙が外からの光に照り、空気に馴染んで消えていく。
「――さて俺たちはいまこうして他人様の家に不法侵入しているわけだが」
「う、なんですか急に。ひとの罪悪感を掻き立てるようなことを」
「その様子を見ていた者がいたとしよう」
「あれ、わたくしの反応無視ですか?」
「そいつがなんらかの思惑があって、黙っていた場合。どうなると思う」
「……?」
首をかしげるロコ。
ジョンは嘆息し、ドアを開いた。
「たとえ話だ」