25:勤務と行き倒れと竜の息吹
「んだよジョン。イブンズに会いたいって?」
下等区画に戻ってきて翌日。
地下の騎士団詰所を訪れたジョンは、勤務記録のパンチカードを解析機関に通しているラキアンとルーに声をかけた。
「ああ。少し尋ね人があってな……《夜風の団》の情報網を借りたいのだ。お前たち、先日会ったのだろう」
「まあちょこっとだけな。アレ、あんま長話できるようなお人じゃねぇし」
言いながらラキアンは詰所入り口の脇にある、ガラスの障壁にぽつんとあいた長方形の隙間へパンチカードを飲み込ませる。
カードは奥にあるオルゴールのような回転機構に吸い込まれ、ぱちぱちぱつぱち、と音を立てて個人情報を照合、終わると逆回転して排出される。
カードの表面を通すと『出勤』の記録が騎士団中枢に安置された人員整理機構に送られる。裏返して通せば『退勤』の記録だ。
集積された情報は下等区画や産業区画におけるその他人間の移動や行動のデータと共に上等区画のプロジット二号機に送信され、翌日の街の生産・廃棄などの基準値設定のために使用されるらしい。
「あの女傑、どこに行くとか、そういうことは話していたか?」
「いや全然。大体あの女、常にほうぼうぶらついてんだから居場所なんてそうそうつかめやしねぇよ。なあルーよ」
「私も行方についてはさほど思いつくところはないね。ただあの看護師のことだから行く先は病人や怪我人のいるところだろう。貧民窟や阿片窟を探すのが手っ取り早いのではないのかな」
「なるほど阿片窟か」
近頃は万国大戦時に併呑した辺境地域産の質悪いものが逆輸入されていると聞いたのをジョンは思い出す。
いつの世も、手軽な娯楽というのは次第に堕していくものである。新しい流れが生まれるまで。
「で、さいきんはどの辺りで営業している?」
「さあどうかなわからないよ。なぜなら私はあまり薬を嗜む方ではないからね」
「ふむ。では露店喫煙所に行ってみるか。あそこならばイブンズもいるだろう、前に屋台ごとヤク中どもを叩き潰しているのを見た」
「ダメだぜジョン、あすこァ先月官憲に踏み込み捜査食らって閉鎖されっちまったよ」
「あれ以来ほかの店も自粛ムードになってしまったので定期営業する場所は見当もつかないね」
「なに、では背後にいたフィクサーもなりを潜めているのか?」
「鉄枷付きのことか? あいつなら部下を皆殺しにしたあと霧に紛れてドロンしたよ」
「結局最後まで当局に影も踏ませないような奴であったね。その逃亡術に関しては大した腕前だと言わざるを得ない」
肩をすくめて第七騎士隊の部屋のドアノッカーを鳴らすルー。ドアの内部で歯車が回転するじりじりという音のあと、開いた薄闇に慣れた様子で入っていった。ジョンもつづく。
「となると、なんのあてもないわけか」
「ゴブレットさんに訊いてみてはどうかな? 意外な人脈で意外なところに繋がる手管を持っている怪傑こそ我らが第七騎士隊隊長だ」
「その評には同意するが、いま八時だぞ。この時間に奴が起きていると思うか」
「出勤してるかどうかすら怪しい時間帯だぁな……」
ぼやくラキアンと共にひとつ大きくうなずいて、ジョンは書類が雪崩を起こしそうな部屋を歩いた。
奥からは、ひとの気配がしない。いやまあ、飲み過ぎてつぶれているときのゴブレットは死人かと思うほど気配を感じさせないのでまだいないとも限らないのだが。
しかし、今日に限っては本当にいないようだった。机をくぐって隊長席を見てみたが、がらんとしていて空の酒瓶だけが照明の光をやわらかく返している。
「……本当にあてもなく探すことになるか……」
「なぁにそう悲観することはないよジョン。あてはなくとも」
もそもそと机の下を這って出てきたジョンへ、腰をしならせて屈んだルーが静かに片目を閉じて笑いかけた。
「方法ならばまったくの絶無というわけでもないだろう?」
「おい……アレをやれと言うのか」
彼の意図するところを察したジョンは、半目になって口をとがらせた。
入り口近くにある自分用のデスクの上を片付けながら、一拍遅れで会話に追いついたらしいラキアンもあぁ、とぼやいて嫌らしい笑みを向けて来た。
「まぁ確実だよなァアレやると。やったあとが怖いけど」
「怖いねたしかに。私もよほどの覚悟と必要がなければおすすめはしないね」
「む……だが、今回は日数が限られている……依頼人があと三日しか滞在しない」
「じゃあやるしかないな」
「じつに」
やれやれといった風に、二人してため息をついてくれた。
自分のモーションを先取りされたようでいたたまれず、ジョンはただただ眉間に寄せる皺を深めていった。
「……やるしかないか」
肚をくくって、ジョンは貧民窟を目指すことにした。
+
「で、ジョンさま。なにをしているのです」
貧民窟で落ち合った(所属は騎士団だが本職は向こうのため、朝は教会へ礼拝に行き勤怠記録の義務がない)ロコは、開口一番そう言った。
「行き倒れている」
ジョンは短く返した。
砂塵舞う貧民窟で横になるのはいたく不快なのだが、仕方がない。
ジョンは地面に倒れ臥せっていた。
さすがに直接インバネスを地に付けるのは嫌だったので、ぼろを引いた上に、だが。
「あの、申し上げにくいのですが……驚くほど間抜けですよジョンさま」
近くに積まれた木箱の陰に身を潜めたロコは割とまじめに悲惨なものを見たような声だった。
いっそ笑えと思わなくもない。
「言うな。というか話しかけるな。行き倒れの擬態だとバレるだろうが」
「行き倒れの擬態って野盗の囮役みたいですよね。というかそれで本当に来るんですか、その、例の御方」
「成功率は高い。だが擬態がばれれば率が下がる。話しかけるな」
「いいではないですか。距離空いてますし、口許の動き見えませんからバレませんよ」
暇をしているのか、会話を続行するロコであった。
はぁとため息をついて、目の前で踊る埃を見つつジョンは話を振る。
「ガルデンは十日前に消息不明になったとのことだが。教会関係ではなにかつかめたか?」
「行方はつかめておりませんね。まず上下どちらの教会でも死者としてガルデン・ヒューイット氏の葬送は行われてませんでした」
「ふむ」
「しかし、一点気になることが」
「なんだ」
「伝聞の話ですが、ガルデン氏は熱心なヴィタ教徒だったようです。それなのに、上下どちらの教会でも礼拝に来たという記録がなかったのです」
「……ガルデンがドルナクへ来たのは先月、三週間ほど前だったな」
「つまり、安息日は消息不明になるまでに……ええと、曜日を計算すると、二度もあったわけですね。朝の礼拝は自室で図像に向かって行うにしても」
「熱心な教徒が安息日に礼拝をしないのは不可解、か」
「ですね」
きちりと毎朝教会へ足を運んで礼拝をしている、しかし熱心なのかどうか怪しいところのある女は首肯した。
まあそこはいまは関係のないことだ。
「となると来ることのできない理由があったのだろうな」
「理由はなんですかね?」
「わからん。改宗を迫られでもしたか」
冗談のつもりで言うと、ロコは真面目な顔で「生き方を変えろというのは死を迫るに等しいですね」などと言った。
ジョンは返答に困って「まあ、そうかもしれん」と濁しておいた。
「しかし改宗ではないにしても、脅しというのはあり得そうですねぇ。……『脅されていたから』『教会には来れなかった』というのは筋が通るではありませんか」
「なにが言いたい?」
「ほら。教会は、非武装地帯ですから」
両手を肩の高さまで上げてロコは言う。
ようやくジョンも得心いって、ああと声をあげた。
ロコの腰ではいつも慈悲の短剣が鞘に吊られて揺れているが、あれは刃のついていない葬送具。
そう、元よりヴィタ教の聖職者は非武装であることを定められている。単なる教徒ならば問題ないのだが、家を出て神殿や教会で職を授かった者は、食事のために扱うナイフより大きい刃物は持ち歩いてはならない。
故に抵抗の術をもたない聖職者を悪漢から守るべく、教会の入り口ですべての武装は取り上げられる決まりとなっている。
「来れなかった、というよりもガルデンを脅す連中が来たがらなかった、と?」
「脅されていたとするのなら、ですが。ひとまずこちら、行方探しの推理のひとつとして挙げておきます」
「ふむ。ひとつの推論として考えてみよう……いや、外れだなこれは」
「ええ、速っ」
「考えてみろお前。脅しは、なにかを相手から引き出すための交渉手段だぞ」
嘆息しながら、ジョンはじろんと木箱の陰にいるロコをにらむ。
「交渉相手がガルデンならば本人が消えたというのでは意味がわからない。交渉相手がアルマニヤ重工や社長であるならガルデンという重役を人質にしてすでに交渉を始めていなければおかしい。行方不明になって十日だぞ」
「うっ、たしかに」
「そもそも常に脅しをかけられるような距離の人間など、秘書だの護衛だのに限られる。ガルデンが蒸発したあと、近くにいた人間に聞き込みをしないほど連中も馬鹿ではないはずだ。そしてドルナクの官憲は誘導尋問と追及に関しては一級だ。徹底して鍛えられた産業スパイでもなければ三日で自白に追い込まれる」
「ううぅん……そうやって理路を正していくと、はずれですねこれは」
「まあ、だが思考に幅をもたせておくのは悪くない。なにか思いついたらまた言え。なにせ依頼料がかかっている」
「……その『依頼料』って言うのやめませんか? どうしても若干の罪悪感がわくので」
「依頼料は依頼料だから仕方がないだろう。ほかになんと言えばいい」
「修理用積み立て貯金とか」
「長い」
「じゃあわたくしだけでもそう呼んでおきます……心の中で」
ジョンががめつく稼ぐお金、その用途は駆動鎧装の修理に際しての通行資格のためである。
これがわかったことでロコは依頼料だのお助け料だのといった『稼ぐ手段』についてはなにも言わなくなった。
だが騎士団所属という公的な立場がある以上、副業で依頼人に色を付けさせることで良心になにか、くるものがあるらしい。
「人助けで金をもらうことのなにが悪いか俺にはわからん」
「悪いとは言いませんが、形式とか流れとかが重要だと思うのですよ」
「流れなど知らん。結果がすべてだろう。お嬢、世の中にはな、怪我人を勝手に治療して代金を請求する奴もいるのだ」
「どんなお人ですかそれ」
「《竜の息吹》とあだ名されている」
「……《竜の一撃》? まさか、その治療する怪我を負わせたのもそのひとというわけではないですよね?」
「さすがにそこまでの悪道に染まってはいない。ただまあ……間接的には。怪我の遠因程度には、なっているかもしれん」
「え? それって――」
なにか返そうとした。
そんなロコの声が、途切れる。
いや途切れるというより、
蹂躙だ。
「ああああああああああああああああああああああああ行き倒れ!!」
大音声が、降ってきた。
徐々にボルテージを上げるのでなく、最初から全力の発声。
近くで窓が割れたと言われても信じざるを得ないような、咆哮。
ロコは声と同時に動きが止まる。ジョンもそれは、同じだった。
つづけて。
だだだだだ、と凄まじい勢いで、砂ぼこりを巻き上げながら走ってくる。
次いで。
ずざざざざ、と滑り込む勢いでジョンの横にひざまずく。
彼女は頸動脈に触れるとその流れで口許の呼吸を確認し、寝たふりしていたジョンのまぶたを無理やりこじ開けるといつの間にか点灯させていた黄燐ライトでジョンの眼球をのぞきこみ、
「はい! 息はある脈拍正常いや少し早いかなんかビビってるなそんで眼球運動も正常つーか起きてるつまりは寝たふり起きろ行き倒れ! 血圧下がってるなら精製ブドウ糖でもあげようホラ口開けろ舌を出せ舌苔はないな胃腸も健康つまり糖分取ってよしだそら食べたか食べたな毎度お値段四スードぉ!」
すべては十秒足らずで行われた。
この至近距離になっても大声は変わらず、ジョンは耳がきんきんして頭がくらくらしていた。
《竜の息吹》。名の由来は、このばかでかい声である。
「こ、この方は……」
「ん! 嬢ちゃんはなんだね怪我人か病人かいや健康そのものだな強いて言うなら少々痩せぎすちゃんと食ってるか食わせてもらってるかひとまず糖分だなきみも食べなねブドウ糖! 四スード!」
「えええあっちょっもご」
ごりごりとブドウ糖を噛みながら、ジョンは自分同様に口へ白いブドウ糖を詰め込まれているロコを見やった。
彼女の前に翻る、ぼろぼろの白衣。
背中にはキャンバス地の巨大なバックパックを背負っており、左右の肩からもそれぞれ大きな肩掛けカバン。
振り返ると前髪をすべて掻き上げて後ろでひとつに束ねており、広く出した額の下、様々な距離に対応するためであろう多数のレンズを備えた真鍮製の眼鏡が存在を主張していた。
眼鏡の奥で、拡大された焦げ茶の瞳がぎょろんとうごめく。かつては白かったのだろう古びたボトムスに包まれた脚を折り曲げ、彼女は屈んでジョンを見た。
「ん? んん! よくよく見れば少年きみは名無しの少年か。私が暇でないのはわかっているだろうこの悪漢め何故行き倒れの真似などした」
「それは……」
「答えろ!」
「答えるから襟首をつかむ手を離せ」
せっかちすぎる。
変わらない態度と性質に、辟易しながらジョンは立ち上がることにした。
……どんな悪漢だろうと暴漢だろうと。それがたとえ殺人鬼だろうと薬に溺れて頭が空を飛んでる奴だろうと。
彼女の前には変わらない。彼女は構わず治す。
故に彼女の周りに、争いと喧嘩は絶えない。
イブンズ・ドラブロ。
かつて万国大戦の折は前線で衛生兵の役を担い褒章を授かるに値する功績を立てていたそうだが、戦後はすべての経歴を投げ捨てここへ居を移したという変わり者の医者。
夜風の団の首魁は、ふんと鼻を鳴らしてジョンの襟から手を離した。
立とうとしていたのでジョンは転倒した。