23:跳妖精と蹴り技と重工
獣の関節を思わせる、爪先からかかとまでが長い駆動鎧装。
黒く艶やかなそれは、高所からの落下ダメージさえ凌ぎ切って使い手をいまなお直立させている。
なめらかにしなやかに女の重心を操るそれは、一歩彼女が踏み出すとチキキキ……と内部からカムと歯車が連なる音を奏でる。
加重に伴う発条の巻き直しだ。
ジョンはその特徴的な稼働音から、とある駆動鎧装の名を思い起こした。
「……《跳妖精》。アルマニヤ重工の製品か」
「あら。よく知っているじゃない。褒めて遣わすわ」
掌で口許を押さえ、くすくすと笑いながら女はさらに一歩を進める。
「すぷりんがん?」ロコは素直に疑問符を声に載せた。ジョンは応じる。
「四、五年前、一部で有名だった駆動鎧装のシリーズだ。特徴はあのフォルムと、歩行時に生じる発条の巻き直し、それに伴う独特の稼働音」
「バネを使っているのですか」
「むしろ発条が機構のメインに据えられている」
あの猫を思わせるスリムな脚部は、ジョンの腕におけるディアの技術のような特殊な事情はなく、単に重く大きな蒸気機関を極力削いだことで成立しているフォルムなのだ。
主な動力はぜんまい時計を思わせる低速開放。蒸気機関は大きな動きをしたときにカウンターウェイトとしての噴射のみをおこなう、バランス制御として用いる。
そしてこれがもっとも大きな特徴だが、歩行時の『踏み込み』――すなわち数十キロある人体が放つ力積――を、随時足裏のスイッチで吸収することでギアを回し、発条を巻き直しつづける長時間連続稼働機構を備えている。
この省エネ稼働と、好む者にはとことん好まれるオリジナリティの強い外見。
これらで一時期の脚部用駆動鎧装のシェアに食い込もうとした傑作のひとつだ……と、以前ディアから教えてもらった。
「まああまり大きく売れなかったそうだがな」
「なぜです?」
「『移動する』という用途が目的ならば、複雑な動きを要求されて製作が面倒になるこんな脚よりもっと楽に作れるものがあったからだ」
正直言って、二足歩行を実現するための自動姿勢制御は開発にコストがかかりすぎるのだそうだ。
安定性のある多脚、移動速度に長ける車脚といった機構の方が、よほど実用度が高く製作は安く済む。
つまり《跳妖精》シリーズとはどこまでも趣味的な代物なのだ。
「でもそれは性能が低いということを意味するわけではないのよ。ハイコストな趣味仕様でも……傑作中の傑作!」
ジョンの言葉に付け足すように女は言うと、す、と身構え。
薄くルージュを引いた口をにいっとひん曲げると、
素早く間合いをまたいで右脚を横薙ぎに振るう。
「くっ……!」
とっさに後ろのロコをかばうべく肩で突き押し、バックステップで回避するジョン。猛獣の爪を思わせる足先が眼前を通り過ぎた。あとには姿勢制御のための蒸気噴射が残る。
いい動きだった。
動作速度はかなりのものだ。
瞬間的な破壊力こそ他の駆動鎧装に劣るが、それ以外において《跳妖精》はかなり高水準なスペックを有する。
それこそ爪を備えた蹴り足でなら、先ほど落ちてきた死体のように急所を斬り裂き殺すことすら可能だろう。
「その蹴りで……今度は俺の口を、封じるつもりか」
ジョンは蹴りを繰り出すべく体勢を整え、三歩先に位置する女に問うた。
「口を? ああ、たしかにそうね」
ステッキを後方へついて姿勢を左半身に戻した女は、ハットのふちを片手で上げ直しながらジョンを見やった。
そしてなぜか。
後ろにいるロコの方に視線をやると、ぱちんと片目を閉じる。
「というわけで、お行きなさい。シスターのお嬢さん」
「え? わたくし?」
「そうあなたよ」
彼女はなぜかロコへ逃げるようにうながす。
と、またジョンへ視線を戻した。
「こいつは私が、止めるから」
「……はい?」
「危ないところだったのでしょう。皆まで言わずともわかるわ……まったく、ずいぶんと気を抜けない街じゃないのこのドルナクってとこは。路地にいたいけなシスターを連れ込んで毒牙にかけようとしてるやつがいるだなんて」
女は呆れ切った物言いでふふうとため息をついた。
ジョンとロコはぽかんとした。
「……なんのことだ」
「とぼけても無駄よ」
「とぼけてるのではない。戸惑っているだけだ。俺はその女になんらかの手出しをしようとは毛の先ほども考えてはいない」
「しらを切っても無駄よ。だってあなた、明らかに浮いてるもの。怪しいもの」
「なにがだ……?」
「ここは上等区画でしょう」
仕立てのよさそうな毛皮のコートの表面を撫で払うようにしながら、女は言う。ああ、と一応ジョンは相槌を打つ。
「なぜそんなところに、そうもみすぼらしい身なりの男がいるの? 清貧を旨とするシスターならともかくもその貧乏くさい服装は怪しいことこの上ないわ。間違いなくよからぬ輩」
「…………、」
「ふ。図星を突かれて言葉もないようね」
呆れ疲れて言葉にならないだけだ。
と、口にしてやってもよかったが。本当に面倒くさかったのでやめておくジョンだった。
ひとまず、彼女の後方に見えている男について訊ねておく。
「お前、そんな言いがかりで向こうの男も殺したのか」
「言いがかりではないし向こうの男は正当防衛よ。襲われそうになったから蹴り殺したの」
襲われそうに、というところを妙に思ってよく見ると、男もたしかに身なりは貧しそうだった。物盗りでもやろうとしたのだろうか。
などと考えて見るうち、ジョンは気づく。
「……ああなるほど」
頸部の傷口。
その中に、真っ赤な糸がうごめいたような痕跡があった。そして胸元、心臓部を抉られたことが不死身を破った致命傷。
男は縫合回復型の吸血鬼であった。
つまりこの女、ジョンも吸血鬼だと思っているらしい。
「さあ、御託はもういいでしょう。噛まれたくないし……その口、封じさせてもらうわ!」
他言を防ぐためではなく、とても物理的な意味での『口封じ』を意図していた。
女はたんっと勢いよく前進し、ステッキで上段から襲い来る。
先を読んで右斜め前に踏み込みこれをかわしたジョンは、重心が移動すると同時に左足で回し蹴りを叩き込んだ。
狙いは中段。胸の下あたりを広く押し込むように。
しかし女はステッキで打つと同時に右膝を上げており、蹴り足は防がれる。がつん、と金属の膝に向こうずねをぶつけるかたちになってしまった。
「ちぃ」
「あら、骨折とはいかないのね」
当然だ。なにせジョンは基本的に足技に頼るしかないので、脚部は硬いものを蹴りつづけて相当に鍛え上げている。
とはいえ、さすがにまったく痛くないわけではない。反撃を食らわぬよう一旦距離をあけ、女の様子をうかがった。
右半身、肩幅程度に開いた足のスタンス。
右手で構えたステッキを中段に突き出すようにしながら軽快なリズムを刻んで、両脚はステップを踏みつづける。
この居つかない足捌き、および視線から察する距離感――おそらく剣術ではなく、ステッキ術だとジョンはあたりを付けた。
それは戦後、国内治安が悪化したときに富裕層に流行した護身用の技。
相手もステッキなどの長物を持っていることを想定した動きがあるため、攻めの際カウンターで自身の足を狙われないよう、ああして膝を上げるモーションがあると聞き及んでいた。
「厄介な」
左半身で対峙し、ジョンは嘆息した。
唐突にはじまった戦いに呆気に取られていたロコはここで我に返ったのか、二人の間に割り込んで止めようとする。
「ちょ、ちょっと待ってくださいお姉さん! このひとは人相こそ良くはありませんが悪いひとではなくてですね、」
「可哀そうに騙されているのね」
「お嬢、俺の人相に文句があったのか」
「あれぇ両側から同時に邪魔をするなと言わんばかり!」
事実邪魔なのである。
思い込みが激しいこの手の連中相手に、話し合いを提案するのは愚行でさえあるとジョンは思っていた。
「おいお嬢、あまり向こうに手傷を負わせず止めたいなら協力しろ。ステッキを《裁き手》で落とせ」
「えええ……わたくし、刃物向けてこない方相手に慈悲の短剣を抜くわけにはまいりませんよ。悪人というわけでも、吸血鬼というわけでもなさそうですし」
「なら素手で止められるか?」
「ちょっと厳しそうです」
「ではどいていろ」
「え、ちょっと!」
ロコの脇をすり抜ける。
即座に反応した女は、ステッキの先端で突いてきた。
当たる寸前で横にスライドしてかわすジョンは、駆ける勢いのまま右の前蹴りを繰り出す。女はステッキを引きながら後ろへ飛びのき、左半身になった。
同時に反撃の左足底横蹴りが下方から突きあがり、ジョンの腹部へ突き刺さろうとする。
そこであえて、前に出た。
足が伸びて力を最大限に発揮する前に接して出鼻をくじき、向こうの体勢を崩すためだ。
他の駆動鎧装とちがい、蒸気稼働を主としていない《跳妖精》は高速機動の分パワーは弱い。故に生身で競り合っても支障はない――
はず、だったのだが。
「ぐ……!」
左足を腹筋で受け止めたジョンは、
直後に襲い来た重い『押し込み』で弾かれた。
なぜ? 疑問はすぐに氷解。
ステッキである。
左足で蹴ると同時、後方に振り回したステッキを地面に突き立て支えとし、この反作用を腕から足へと通じさせたのだ。
「踏み込みが甘いわ」
崩れるジョンの足に向けて振るわれるステッキの横薙ぎ。
倒れる力を利用したジョンは後方へ宙返りを成し、これを飛び越えた。
ざざりと靴底を削りながら着地し、見れば女は襲いかかってくる瞬間。
……蹴り技だけでは少々厳しい。そうジョンは思った。
ステッキのリーチと体術を組み合わせた動きは、かなり柔軟に間合いを蹂躙する。かといってロコも非協力的なので数の利もいかせず、これではらちが明かない。
仕方なく腕を使おうと上衣であるインバネスの隙間から駆動鎧装を出し、肘内のストラップを噛みしめる。
そこでまたもステッキが斜め掛けの軌道で振り下ろされたので、かわすべく左半身を引く。
この腰のひねりで左腕を振り抜くようにして、チェーンを引ききり起動させた。
稼働速度が上がった銀の腕。
跳ね上がるようにインバネスを脱ぎ払い、拳闘の構えを取る。
「……っ、駆動鎧装! そんな小型のものを?!」
女が目を見開く。無視してジョンは飛び込む。
「行くぞ」
宣言し、右半身から小さく弧を描くように右掌底を打つ。ステッキの先端を左へ弾き、そのまま踏み込む構え。
しかし女は姿勢制御の蒸気噴射によって弾かれた方向へ自身の身体をも揺らし、ジョンの間合いから抜け出た。
次いで勢いのまま地面にステッキの先端を突き立て、
腋を締め肘を脇腹につけるようにして上体を支えると、下半身を浮かせて右左と連続で蹴りを叩き込んできた。
「軽業師か」
爪を食らうわけにはいかないのでなんとか腕を掲げてガードしたが、想像以上に蹴りは重くまた体勢を崩すところであった。
仕切り直して、また三歩の間合い。
向こうは一歩でステッキのリーチに捉えられる、有利を奪われた間合い。
女はまた右片手中段に構えた。先端がうっとうしい。
「とにかく、あのステッキが障害だな……」
ジョンは舌打ちする。
リーチを生かして打ち据えるのはもちろんのこと、後方の地面へ斜めに突き立て重心を安定させる技が厄介だった。
あの技を使われるとその瞬間から彼女の動きは手すりをつかんで蹴りを放っているかのように、変幻自在かつ重みを増したものとなる。
つまり倒すのなら――まずあのステッキを奪うべき。
こきこきと指の関節を曲げ伸ばしし、肘から薄く蒸気を吐く。
左半身のいつもの構えで、ほんのわずか拳の位置を下げた。
「……掴もうってわけ? その腕で。私のステッキ術をかいくぐって」
なにやらじいっと腕を注視していた女は、いぶかしげにそう言う。
「ああ」
「その腕、そこまで高精度な動きをできるというの」
「可能だ」
「ふぅん……腕……その腕。小型すぎる……腕……その、デザイン……」
ぶつぶつ言いながら、女はステッキの先端越しになにやら集中した視線を向けてくる。
いや。
集中、しすぎている。
戦闘中だというのに相手の一部に注目しすぎている。いまや拳の位置をちょっとずらすだけで、視線を引っ張っているかのように彼女の眼球が動く動く。
これではフェイントなどにも容易くひっかかりそうである。
先ほどまでとまるでちがうこの様子に、ジョンは違和感を覚えた。
「……おい、どうした」
「いえ……そっちこそその腕、どうしたの」
「失くしたからもらったのだ」
「だれから」
「だれと言われてもな。《蒸姫》オブシディアン・ケイト・エドワーズだ」
「《蒸姫》!」
答えた途端、女は飛び上がった。
ステッキを落とす。ずかずかずかずかとまったくの無防備で進んできて、両手を震わせながら食い入るように駆動鎧装を見つめる。
あまりにも隙だらけすぎて、反応できなかった。なおも女は、両手をがくがくさせながら様々な角度より腕を見る。見つめる。正直気味が悪い。
「おい、お前。本当にどうしたのだ」
「《蒸姫》の作品……騎士甲冑を模したフォルム、手首の関節可動部のカバーボードの造りからして、初期型……写真でしか見たことなかったけど、《銀の腕》シリーズ! こ、こんな現代技術の美の頂点みたいな超高級品をどうしてあなたみたいな貧しそうな男が?!」
「だから、もらったと言っている」
「うそ……! ああ、でも蒸姫の作品をほかの人間が装備させられるはずはないし……つまりやはり本物ということ……? あ、ああ! そういえば私、さっきこんな美術品に、蹴りを!」
ああー、と言いながら震える手を頭に添え、崩れ落ちる。神よおお神よとうめき声も漏れている。
わけが、わからなかった。
だがとりあえずステッキも取り落としているし、これ以上襲ってくる様子はない。ジョンは蒸気稼働を止めて、崩れ落ちた女の脇を抜けてインバネスを拾いに行った。
「こ、これは一体」
横合いからひょこっと出てきたロコが、うめきつづけて天に懺悔を捧げている女を見て言った。ジョンは蹴り上げたインバネスの襟を噛んでキャッチし、首をひねって肩回りにかぶせながら返す。
「知らん。ひとまずお嬢、ステッキを拾っておけ。それがなければこの女の戦闘能力は半減だ」
「了解です。しかし強い御方でしたね」
「お前が手を貸してくれればすぐに片が付いたのだろうがな」
「うっ。そう仰らないでくださいよ……だって勘違いなのが明々白々だったではありませんか、戦う必要はなかったではないですか」
「その明々白々がわからん輩だっているのだ。話を聞く気がない奴はまずは話ができるよう弱らせてやるべきだ」
「ううん……次からはもう少し臨機応変にいきます……」
悩みながらもロコは微妙な反応をした。
――さて。
それはともかくこの女だ。
「縫合回復型とはいえ、吸血鬼を単独で制圧するとはな」
騎士団所属でもないというのに大した腕、もとい脚である。
ジョンはつかつかと歩み寄り、まだ天に懺悔をつづけていた女に問うた。
「お前、何者だ?」
「うう……ジルコニア・アルマニヤ……」
「……アルマニヤ?」
思わずジョンは、脚を崩してへたりこむ彼女の駆動鎧装に目をやった。
《跳妖精》シリーズ、それを製作していたところこそ『アルマニヤ』重工だ。
するとその名を持つこの女は。
「来月の式典の下見に来たのよ……多忙な社長に代わって、ね」
しょげた面持ちのまま、そうのたまったものである。