21:お茶と施術と式典の噂
「とりあえず、かけても構わないか。連れて来た仲間もいる」
ジョンが声をかけると、ディアはうん? と口に出してこちらを見上げ、次いでジョンの後ろを見やった。
振り返るとそこにいたロコが、ちょっと硬い面持ちで「どうも」と会釈している。ディアは本当にいまはじめてその存在に気づいたようで、わずかに目が見開かれた。
「おっと、ひさびさにきみに会えたのがうれしくってまったく目に入ってなかったよ。にしても、きみがひとを伴ってここにくるなんてめずらしい」
「ジョンさまが腕を使えないとのことなので、護衛として同行させていただいたのです」
「ああなるほど。でもそういうの許可するのも、めずらしいね?」
「……ふん」
答える言葉もないので、ジョンは流した。
ディアはひじ掛けに頬杖ついて、じろりとロコを眺める。ふふん、と鼻を鳴らして、笑顔で話しかける。
「こんにちはお嬢さん」
「こ、こんにちは。ロコ・トァンと申します」
「どうも。オブシディアン・ケイト・エドワーズ……ディアでいい。話は聞いてるよシスターのお嬢さん。騎士団が教会と組んだことで連れてこられたんだって? 大変だね」
「いえいえ。お仕事ですから」
「ほほう。まだ若そうなのにしっかりしてるね」
どう見ても童女としか思えない容姿のディアにそう言われて、ロコは複雑そうな顔をする。一応あれでも俺と同じ年の十九だ、と耳打ちすると、こちらも驚いたようでわずかに目を見開いていた。
「ともあれ、立ちっぱなしも辛いでしょう」
「お前に言われると含みがあるように聞こえるな」
「えへへ。姫は座りっぱなしだからね……上着脱いでそこにかけといてよ。いま美味しいお茶を淹れるから。やー、クッキー焼けたタイミングで来てくれてよかったよかった」
きいきいと車輪を回してディアは席を離れていく。言われるがまま、ジョンはインバネスを脱いで近くにあった外套掛けに吊るし、ソファにかけた。ロコもついてきて横にちょこんと腰を下ろす。
「……ひょっとしてジョンさまのいつも言うジョークって、この方から」
「そうだな。うつったのかもしれん」
なにしろディアはジョンのように人生の途上で肢を喪ったのではなく、生まれつきああなのだ。
抱えるものとしては相当重たかっただろう。
それをなんとかやり過ごすために、あの手のジョークを口にするようになったのかもしれない。
「そして生まれつきだから、駆動鎧装を付けるわけにもいかない。皮肉だねぇ、この国最高の技師なんて呼ばれてても自分を歩かせることはできないなんて」
くすくす笑いながらチェストの上に置いてあった茶器に排熱暖房で沸かしていた湯を注ぎ、ディアは戻ってくる。
「駆動鎧装、付けられないのですか?」
ロコはティーカップを受け取りながら訊ねた。ディアはそうだよー、と返しながら菓子盆を差し出し、乗せられていたバタークッキーの甘い香りを漂わせる。
「姫の身体には『歩いていた記憶』がないからね。そいつの腕もそうだけど、基本的に駆動鎧装はその部位の動作記憶による信号の疑似神経回路を通じた送受信で動いてるから。いかに高度な階差機関でも、パンチカードに記載されてない動きはできないってことなの」
「はあ……?」
「伝わっていないぞ」
「んん? まあとにかく姫は車椅子があれば十分ってことでいいよ」
車椅子に腰かけたままジョンの横に来て、ディアはバタークッキーをさくりと口に運ぶ。
いかにも甘みを味わっている顔で眉をしなだれさせ、それからもう一枚手に取る。
「はい、口開けて」
「……いらん」
「そんなこと言って。好きでしょう? クッキー」
「取り皿に寄こせ。自分で食う」
「強情だね相変わらず」
仕方がないと言いたげな顔で、ディアは小さな皿を取り出すと机に置き、クッキーを数枚置いた。ジョンは無言で上体を屈め、ローテーブルにかぶさるようにそれを食べた。
ふわりとバターの風味が広がり、塩気と甘みが混ざりあって溶ける。くちどけの良い、さくりとした歯触りの記憶だけ残る。
「うまいな」
「でしょ? さっき焼いたばかりだからね。どんどんお食べー。でもお皿のぶんがなくなったら、姫の手から食べてね」
「断る」
「つれなーい」
残念そうに言いつつも本気ではなかったようで、表情は真顔のままディアはポットを手に取り、身を乗り出してテーブルのカップに注ごうとした。ロコは慌ててカップを手に取り差し出す。
「ありがとね。あとは、こっち」
ジョンの前に置いていた、赤銅色の小さなマグ。そこにポットから紅茶を注ぎ入れる。
途端にブシュウと音がして、ロコがびくついた。ディアはこの様子を予期していたのか、にやっと笑ってマグをつかむ。
「えっへへびっくりした? これね、吸熱効果が高くなるよう特別に錬成した金属で出来てて。いまのいままでぐらぐら煮えてたお茶でも、この通り」
まるで湯気が出ていない。へええ、と感心した声をあげるロコの横、ジョンは目の前に置かれたマグに目を落とす。
がじり、と縁を噛みしめてお茶を流し入れる。程よくぬるくなったお茶は、香りが立っていて温まる味だった。
「と言っても、吸熱量は面積に比例するから恒常的に熱を放出するものに対しては吸熱が追いつかないんだよね。いまは表面積をなるべく増やせるように凹凸や皺を多くするため、粘菌とか生物の腸内構造モデルを参考にする案が出てるんだけど。根本的な解決策はまだないなぁ」
ぼやきながらディアが見つめる先にはジョンの腕がある。
そう、この吸熱金属は駆動鎧装にも使われている先進技術のひとつだ。蒸気過動を起こさずなるべく長く稼働できるよう、この腕も内部にはコレが多く使用されている。
それだけではない。ジョンが知る限りでも、幾多の錬金・冶金技術がこの駆動鎧装には惜しげもなく投入されている。
この腕ひとつが、ディアの生涯で成した功績の結晶とさえ言えるのだ。
「……すまんな」
「うん? なにが?」
「いや。また故障させたから……な」
ジョンが苦い思いを抱きつつ言うと、ディアはにぱっと笑って「もっと壊してくれたほうが、もっと頻繁に会えるんだけどな」と冗談にもならないことを返してきた。そんな金はないと、弱弱しく口にするほかない。
そこで、お茶を飲んでいたディアはカップをテーブルに置き。
「じゃ、そろそろはじめよっか」
つぶやいて、手を打ち鳴らした。
彼女はごそごそと車椅子のひじ掛けのあたりを探って、収納スペースになっている内部からさまざまな工具・パーツを取り出してはローテーブルへ広げていく。
ジョンはああ、と了解して身体をソファに深く横たえる。
目を閉じて、あとはディアにすべてをゆだねた。
「頼む」
「はーい。任せてよね」
まず右腕が持ち上げられ、ソファの肘置きにごとんと降ろされた。
かちゃ、こちゃ、と外装をまず分解する工程がはじまり、次に露出した内部の防水カバーや漏電防止被膜を取り外していく。
実際に見たことはほとんどないが、そのような工程であるとジョンは記憶していた。
「あちゃ、蒸気管にひび入っちゃってる……交換かな。七十ルコルで足りるかな……」
「費用は、足りなければ出すが」
「あーいい、要らないよ。手持ちでなんとでもなるから。姫、足は出さないって」
出す足ないし、と付け足してくすくす笑い、彼女の声が近くなった。駆動鎧装に顔を押し付けるようにして、内部を詳しく見ているのだ。
「でも壊れたとはいえ、運が良かったよね」
作業を進めながらディアは軽い口調で話しかけてきた。
ジョンは彼女の意図した言葉の意味を推測して、帰す。
「模擬戦闘のさなかで、実際の戦闘中ではなかったからな。そこだけは運が良かった」
「や、そういう意味じゃなく」
「ちがうのか」
「うん。単純に、パーツがちょうど入り始めたところだったから。もしこれが先週とか先々週だと、せっかくお金払って来てもらったのにまた来てもらう必要が出るところだったの」
「部品の納期に遅れが出ているのか?」
「そうそう。一か月ちょっと前、蒸気路線事故があったでしょ?」
それはジョンも記憶している。
なぜならその騒ぎのために、ジョンがかねてよりチケットを取っていた楽団の興行が延期になってしまったのだ。それでなにくそと思ってこれを売り払ったところ、ちょうど路線が復旧したとかで結局延期はなくなり、ひどく悲しんだ。
「あれで積み荷の部品に破損が出てね。加えて、乗車してた仲介業者も大けが。おかげさまでこの、蒸気管に用いるパーツが複数入荷漏れしてちょこっと仕事に遅れが出ちゃった」
「顧客の方は大丈夫だったか」
「だいじょぶだいじょぶ。というか、こんなところの蒸気管故障させるような使い方するのはきみくらいだから。上等区画のお得意様は吸血鬼と戦闘なんてしないし」
「それもそうだな」
「しっかしまたずいぶん痛めつけてくれたよね。作り手としてはべつにいいんだけどさ……ふむ、この蒸気管の消耗具合……きみ最近、一日に二発以上《杭打ち》使ったでしょう」
「…………、」
「あ、黙っても無駄だよ。お連れのお嬢さんがいま目を逸らしたからなんとなーく察した」
「……お嬢」
「あっ、いやそのっ。それ、わたくしのせいで、ではなくですねっ……!」
あたふたとしているロコ。ぱたぱた音が聞こえるのは、たぶん掌を振って「ちがうんです」とアピールしているのだろう。
「ふぅん、なに? 彼女を守るのに無理した感じ?」
「ちがう」
むしろ一度は守られた。
などと言うのはさすがにはばかられたので、また黙るジョン。
ディアはこの後ろめたさをなにかしら感じ取ったのか、それ以上は突っ込んでこなかった。
代わりに、いたわるように一度、やわらかく腕を撫でた。感覚はないが、肩への振動がそれを伝えてきた。
「気を付けなよ。駆動鎧装はいくら痛めつけても作り替えることができるけど、蒸気過動で腕の根元の方が痛めつけられると再起不能になることだってありえるんだから」
「気を付ける」
「よろしい。でも《杭打ち》をひとつの腕で二発以上要したってことは、相当な使い手が相手……だったんだね」
ちきり、と。
一瞬ディアの手の動きに乱れが生じたのを、ジョンの耳は聞き取った。
だがこれを察したのをおくびにも出さず、ジョンは「ああ」といつもの間で返した。
「《急速分裂型》だった。……奴では、ないが」
「そっか」
「なにか情報は入っていないか?」
「さあ……存在するとしたら、《血盟》の深いところにまで潜っちゃったのかもね。でも情報は、入り次第伝えるよ」
「色々手をかけてすまんな。頼む」
「いまさらなに言ってるんだか。姫は――きみにすべてを捧げるって。そう決めてるんだから」
てへへ、と照れたような声音が、まぶたを閉じていてもジョンの脳裏に彼女の笑顔を描く。
すべて。
すべてだ。
その言葉の重さに、ジョンは深く息を吐くことを強いられる。ディアには気づかれないように、細く長く肺腑の中身を押し出し、やり場のない思いを吐露しないよう気を付ける。
努めて明るく。といっても、ジョンには明るい声など出せないのだが。
ひとまず暗くならないように気をつけながら、少しずらした話題を振った。
「ああ、そういえば……上等区画でなにか吸血鬼の動きはないか。末端の情報でもいいんだが」
「下でなにかあったの?」
「ラキアンとルーが追っていた吸血鬼の件だ。なぜ下等区画の吸血鬼が、必死になって上等区画まで逃げたのか。ひょっとすると、《血盟》のような組織の尻尾に繋がるなにかではないかと思ってな」
「うーん。特別に目立ったことはないかな。吸血鬼の出現が少し増えてはいるけど、誤差の範囲だもの。最近変わったことと言えば、式典のことくらい」
「式典?」
「ドルナク成立三十周年式典だよ。市長と姫たち技師が代表としてセレモニーに出席して、外部からはタリスカおばさんとかグレア姉とか《果学研究学会》の重鎮が査察に来訪予定。ヴィタ教会の大主教も招くんだって」
どうやらそれも先の蒸気路線事故で延期されていた催しであるらしい。
「期間は来月の中旬から終盤にかけてね。上等区画の方はかなり活性化すると思うよ……って、どうしたのお嬢さん。ずいぶん変な顔してるけど」
「あ、いや」
さっきのあたふた、とはまたちがった印象の声音で、しかし焦りを孕み。
なんだか妙な様子のロコは小声で「べつに、なんでもないんです」と言った。
ディアは初対面ということでそこまで突っ込む気もなく、そのまま施術に戻る。
ジョンは少し気にはなったが、目を開けて様子をうかがうこともできないのでやはりそのまま。
ただ、めずらしく暗さを感じたロコの声だけ、なにも映さないまぶたの裏で反響していた。