19:雑談と通行証とヴィタ教
「いやぁでもロコちゃんみたいなのがうちに入ってくれて僕ぁ嬉しいよ」
「本当ですか?」
「もちろん。期待の新人だと思ってんだよ」
にこにこしてロコのテーブルの向かいに腰かけ、頬杖ついて身を乗り出すラキアン。
一杯酒が入ればこの通り、途端にご機嫌だ。
こういう性質だから博打の失敗を覚えておけないのだろうとジョンは思う。だがロコはラキアンの単純さ加減にまだ気づけていないらしい。仲良さげだ。
……あるいはこの単純さに自分と近しいものを感じているのだろうか? 少し失礼なことを考えるジョンだった。
「わたくしのような経験浅いシスターにご期待くださって、恐縮です」
「経験なんてこれからどうとでもなる! んなことよりきみがいてくれりゃ僕らぁ日々の活力を得られるってもんさ。なあルーよ」
「それはその通りだね。花のある生活と形容するのが相応しいと私は思うよ」
「うんうん。なんてーのかな、……いや誤解はしないでほしいんだけどよ。僕ぁシスターってもんにあこがれがあってな」
「シスターに、ですか」
こてんと首をかしげ怪訝な顔をするロコ。ぶんぶんと手を振り、ラキアンは弁明した。
「ああちがうんだよ変な意味じゃないんだ! ただなんだろうな、こういうえげつない仕事してるとよ。なにか形のないものを信じるとか、そういう行為について単純に、尊いなぁと思うことがあってよ……」
「お前常に形のない運だの流れだの妄信しているだろうが」
「うるっせぇよジョン! わかれよ! 救いがほしいんだよ僕ぁ!」
「神に祈ってもシスターに祈ってもラキアンさんの引きの悪さはどうにもならないのではないかな。カードプレイングの手腕そのものもあまり良くはないし」
「おめーらなんなの⁈ せっかく酒飲んでいい気分なのになんで話題蒸し返しやがんのよ!」
「まるで懲りていないからだ。というか、今日の博打の支払いもちゃんとできているのだろうな」
「んだよ取り立て屋みたいなこと言ってんなよ。三十八ルコルと九十三スード、ちゃんと払ったっつの」
「偽金じゃないだろうな」
「おー前なぁ。いっくら僕でもよぉーぉ、コイン偽造なんざやんねぇよ。当局こえぇもん」
無駄に間延びさせて台詞の時間を稼いだ感がちょっと怪しく思えたが、ジトっとした目でにらみつけてやれば、彼はしょぼくれて肩を縮こまらせた。その目に、さすがに嘘はない。と、信じたい。
ラキアンは次いでくいっとひと口酒をあおり、ぷふうと息を吐いて懐を探る。煙草を取り出し、一服した。
「ぱはぁ……でも運が悪いので言やぁ、ジョンこそ僕に匹敵する運の悪さなんだがな。どうよ、さいきんはなんか面白い不運に見舞われてねぇの?」
「その話題はさっき終わった」
「あまり蒸し返さないでください……」
「え? え? なんでロコちゃんが落ち込んでんの」
「空気を読みたまえよラキアンさん。ジョンがロコ嬢に負けた話を聞いていないのかい」
「あまり負けた事実を繰り返してくれるなルー。俺も落ち込む」
場にいる人間のテンションが著しく下がる。これはよくない。
ともかくも、腕のことだ。いま必要な話はそれだけ。
「まあ、なんだ。じつはな」
と切り出してラキアンに駆動鎧装が故障している旨を手短に説明したジョンは、ふむふむ言いながら酒をすすってばかりの彼の胸元を見た。
通行証は、この革製ジャケットの内ポケットに隠しているのだろうか。
「……なんだよ。あんまじろじろ見んなよ」
ぼりぼりと赤髪を掻き、ラキアンはそっぽを向く。その視界に回り込むようにして、ジョンは頼んだ。
「ともかくも通行証が必要なのだ。持っているなら貸してくれ」
「まあ貸してほしいってんなら貸すけどよ。ちょい待て。どこにしまったやら自分でもよくわかんねぇんだ」
ラキアンは立ち上がると部屋の隅に行ってジョンたちに背を向け、ごそごそとジャケットの内側をあらためる。やれやれどこに隠しているんだ、とジョンは半目で見やった。
ややあって。
「あったあった」と高らかに言い、ラキアンは通行証を手渡してきた。とはいえジョンだと噛んで受け取るしかなくなるので、目で合図してロコに受け取らせた。
四角く厚みのある銅板のパンチカードには、上等区画で保管された焼き印で割り印を捺され、偽造防止の加工が施されている。
その手のひら大のカードをつまみ、ロコはぼやいた。
「ありがとうございま、ってなんかあったかいですねコレ」
「あー大事なもんだからな。ちょっと肌身に近いとこにしまってたんだよ」
「どこかは聞かずにおこう」
「変なこと言ってんなよジョン! 肌着の内側だったのは認めるけどよ!」
ロコは困った顔をしながら「では頂戴しておきます」と自身のローブのポケットにこわごわとしまいこんだ。
この反応がいちばん堪えたのか、ラキアンは苦い顔つきで「今度からは財布にでもしまっとくわ」とぼやいた。お前のぺらい財布に信頼感はないと言いそうになるジョンだった。
「しっかしその腕の調整に上へ行ってるのは何度かあったけどよ。故障すんのは初めてなんじゃないか? おめーも大概運が良いな」
「故障したのに運が良いのか」
「戦闘中に壊れなかったんだろ? ずいぶんツイてるじゃねぇか」
「まあ、それは俺も思ったが」
「やっぱそうだろ。おめーみたいのにも、かみさまの加護はあったのかもな」
椅子の上で膝を抱え、紫煙を吐きつつシシシと笑う。
神の名を話題にのぼらせるラキアンはしっかりしたヴィタ教徒である。
『名を持つ者は守られる』という教えと、長い創世神話を誇る一神教の信徒。ゆえに、彼がシスターに敬いの気持ちを持っているのは嘘ではないのだ。
しかしジョンは無宗教者である。
「俺は神など信じていない。すべてはなるべくしてなったのだ」
「ふーん。ま、そういう考えもありだとは思うけど。僕ぁそういうんだと息苦しくなりそうだし、きっと僕をそういう風にさせないためにかみさまはいるんだ」
「利己的だな」
「そうかぁ? でもたとえばおめー、僕が苦しいの見て楽しいわけでもねぇだろ。ならそういうことだよ」
よくわからないし、ジョンはラキアンが苦しそうなのを見たら楽しくはないが自業自得だいい気味だと思う気はした。
そこでふむふむうなって、ひとつゆっくりと首肯したロコが口を開く。
「ラキアン様は信心深いのですね」
「いやなに、こんくらいふつーだよフツー」
にっこり微笑んで言うロコへ、照れた風に頬を掻いてあさってを向くラキアン。
……だがジョンは、ロコの表情に含みがないかと確認をしてしまう。
どうしても、先日目にした白紙の聖書――非ざる道の書が、頭をちらつく。
ひょっとしたら見間違いだったのではないか? 何度となくそう思い、いまもまだジョンは疑念と困惑を捨てきれないでいる。
ぱちり、と目が合う。なんとなく、ジョンはロコから目を逸らした。
「そういえば、その追っていたという吸血鬼はどうなった」
視線を悟られたことをごまかすように言う。ラキアンは話を振られて「ああそれな」とつづきを受ける。
「上等区画でなんとか追い詰めてな。ルーと二人がかりでなんとか潰した。が、ありゃだいぶやべぇ奴だったぜ。急速分裂や現象回帰でこそなかったが、熟達した不死者なら縫合回復型もやっぱこえぇ、と思い知らされたよ」
「ああたしかに。私も久方ぶりに白熱する戦いだと感じたものだね。だが同時にそれだけ強い吸血鬼の行動がなぜか『上等区画への逃走』だったことに違和感を覚えている」
「違和感?」
うん、とひとつうなずいてルーはグラスを置き、腕組みして上方を見る。
「そもそもなぜわざわざ上等区画へ逃げるのだい? 平民の吸血鬼が隠れ潜む場所ならば当然下等区画の中の方がいくらもあるだろう。ああまで必死になり通行証を手に入れてまで向かおうというのならそこにはなにか理由がありそうに私は思う」
「そう言われるとそのような感じはするな……《夜風の団》は、なにか言っていないのか?」
ジョンはこのドルナクに根を張る、とある自警団の名を出した。
過激なまでに看護師たらんとする女傑、イブンズ・ドラブロという人物が頭を張るこの組織は「速度ある対応を取るには銀霊騎士団だけに吸血鬼の対応を任せておけない」と思った民間人による非営利団体である。
組織構成員はほとんどがなんらかの吸血鬼被害を受けた者たちで、全体平均の戦闘力こそ低いものの情報網は広く深い。時折ジョンたちは、この網を頼りにするのである。
しかしルーは首を横に振った。
「あいにくと彼の女傑に心当たりはないとのことだったよ。ゆえに……私は『奴ら』を頼って上等区画へ行ったのではないかと疑っている」
「……《血盟》か」
「その通り」
まことしやかに囁かれる、吸血鬼による吸血鬼のための地下組織。
その仮の名称を、《血盟》とジョンたちは呼んでいる。不死性持つ吸血鬼たちが、己の糧たる人間の血を得るべく互助組合を組織している――そんな、嫌な想像の産物だ。
「実際に存在するのかどうかはいまだ我々もわかっていない連中ではあるが理性ある存在なら徒党を組むのは当然と言えるだろうね。吸血鬼の生態はいまだよくわからないがもしかすると同族の血でも糧になるのかもしれないし」
「ふん。わかっていない、わからない。吸血鬼はそんなことばかりだ」
発生の条件も、急速分裂型や現象回帰型といった上位種の出現条件も不明。
ナデュラ帝国最高峰の頭脳の集い《果学研究学会》においては生物学の権威タリスカ・ストーミィ女史が研究をつづけているものの。どうしても、吸血鬼研究は遅れがちだ。
いまのところ判明しているのは「心臓部・頸部・脳幹の破壊による意識の途絶で再生を防げば殺せる」「噛まれて吸い殺されなければ対象も吸血鬼化する」「ドルナクの外では観測されていない」という程度。
とくに最後の一点が、人類にとっては唯一安心できる点であり……同時に研究の遅れを招いている原因でもある。
なぜならドルナクの外で観測されない、というよりも。
吸血鬼はドルナクを出ると自然に不死性を失い肉体が崩壊するのだ。
実験により判明したこの事実により国は吸血鬼案件を「国土の広範囲を巻き込むような危急の要件でない」と判断しており、結果吸血鬼研究に遅れが出ているのである。
「ヴィタ教徒が多いために世論として腑分けがあまり認められないということもあるのだろうけれどね」
ルーは眉間を人差し指で押さえつつ言った。
腑分け。死去した人物の遺体を検め、生命の営みやそれを阻害する疾患について新たな知見を得ようとの試みである。
だがナデュラ帝国をはじめとしたヴィタ教の浸透した地域では、これはあまり好まれない。内臓の状態確認や死後の肉体変化を調べる名目であっても、遺体を損壊させることそのものについて、ヴィタ教では難色を示すためだ。
「霊肉一致。死んだら肉は肉、とは思わず人肉だけを特別なものとして扱おうとする……めんどうな考えだ」
「めんどうとはなんだよジョン。肉と霊とに順位付けなんてするとだな、それぁ絶対に『なにかを蔑ろにするために』使われるんだよ。プロパガンダだ」
「現状すでに、霊肉一致の言論こそが現実に生きる人間を蔑ろにしていると思うがな」
有効な手を見出す活路かもしれない腑分けを遠ざけてしまうのだからそう言われても仕方があるまい。思いつつジョンが返せばぐむ、とラキアンは言いよどんでいた。沈黙が流れる。
話の流れがあまり生産的でない方に向かっていると感じたか、そこでルーが手を打ち払って割り込んでくる。
「どうあれいま上等区画はきな臭い空気が漂っている。十分に気を付けて出かけてきたまえ」
「そうしよう」
「シスター。この男はこれで意外とそそっかしく危なっかしいところがあるのでね。無茶な行動をしないよう見張ってやってほしい」
「わかりました」
「……お前俺をなんだと思っている」
まるで犬の世話を頼むかのような言いぐさに、思わず言葉を突き返すジョン。
ルーは涼しい顔をして「私の同族だろう?」と口の端を吊り上げた。