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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第二章 蒸姫
18/86

18:乾杯と事実確認と乾杯


 ジョン・スミスはちょっと運の悪い男だった。

 しかしラキアンという男はもっと運の悪い男だった。


「本当に貧乏くじばかり引く男だよ彼は」


 脚の高いスツールに腰かけたジョンの横。

 ロングスカートに覆われた脚を交差させて立ち、バーカウンターの縁に腰の辺りを預けたルーはくすりと笑んで言った。

 右手の細い指の内にはグラスが握られており、中に琥珀色の蒸留酒が半分ほど注がれている。

 いかにも味わっているという風に彼は中身を傾け、唇を湿らせた。独特の香気がふい、と撒かれる。


「まあ不運悪運についてはきみも大概だけれどねジョン・スミス。最近はなにか面白い不運に見舞われてはいないのかな?」

「面白いかどうかは知らないが、ちょうど昨日特大の不運を叩きつけられた(・・・・・・・)ところだ」


 むすっとして言い返せば、彼はさもおかしそうに身を丸めてもう片方の手で口をおさえる。

 はらりと落ちた黒髪を掻き上げて耳の上に戻し、ルーは流し目を使いつつ言った。


「ふふふ。シスターの一撃で駆動鎧装を機能停止に追い込まれたのだったね。長く共にあった愛機を喪った心中お察しした上でお悔み申し上げるよ」

「い、いやわたくし壊したわけでは」

「そうだ。故障しただけだ、まだ壊れてなどいない。やつの作るものが、そう簡単に壊れるはずはない」


 弁明するロコのセリフにかぶせて言えば、ルーは片手を伸ばし、インバネスの裾をめくりあげる。

 中にぶら下がる騎士甲冑に似たデザインの駆動鎧装を見つめると、肩をすくめて前言を撤回した。


「さきほどの言は取り消しておこう。蒸姫の作り上げる品はいつだってまず耐久性を突き詰めた実用品でありつつ工芸品としての美しさを損なわない逸品だ。私は駆動鎧装遣いではないから世話になることはないけれども彼女の作品の窮極さは理解しているのでね」


 綺麗なものはいいものだ、と謳うように締めて、またルーは酒をあおった。


「ああそうだジョンきみも飲むかい?」

「遠慮しておこう。グラスだと噛み割る可能性が高い」

「そう言うと思って真鍮のマグを用意しておいた。遠慮なくやってくれたまえ」

「金は払わんぞ」

「けち臭いきみにもとから支払いなんて期待してはいないよ」

「ふん……」


 とくとくと注がれた酒のマグを、ジョンは縁を噛むことでぐいと持ち上げる。

 ルーは口角を吊り上げたままグラスを掲げ、ジョンのマグにちんと合わせて乾杯した。

 ひさびさに口にした酒は、喉をあぶるように熱く、香ばしく、胃の腑に落ちていった。ことりとマグをカウンターに戻す。


「うまいな」

「それはそうだよなんと言っても高いからねこいつは」

「……お前自分が大勝ちしたからって……ここぞとばかりに」

「他人から巻き上げた金で飲むお酒が一番旨い。そうではないかい?」


 さらりと人間の腐ったような発言をして、ルーは弓なりに背筋をしならせ肩を揺らし、静かに笑った。

 普段コンビを組んでいることからもなんとなくわかることだが。『他人の金をあてにしている』という根本の部分でラキアンとルーは似通っており、たぶんそこのあたりで気が合っているのだとジョンは思った。

 ……狂犬と人狼、マッドドッグとバッドラック。

 あだ名が意味するところや音韻は似ているが、ジョンはこの二名とはその辺で決定的に合わない。


「俺は賭博は好かん。偶然性に己の先を託すというのが、なんとも落ち着かないからな」

「では賭博で得たこのお酒も否定するということかな?」

「いや、もらえるものはもらう」

「きみのそういうちゃっかりしているところが私はとても好きだよ」


 ふふふと声に出して笑い、ルーは反らしていた背筋を正した。

 酔いが回りつつあるのか、若干頬に赤みが差していた。

 少しカウンターから離れた丸テーブルに腰を下ろしていたロコは、そんなルーに視線を向けられてちょっと飛び上がりそうになる。


「さてさてそういえば。そちらのシスターにもせっかくだから一杯おすすめしておこうかな」

「あ、いえわたくしは……」


 聖職者だものな、禁欲を強いているんだろう。

 そういう意図だと思ってじろんと見ると、彼女は恥ずかしそうにジョンたちの後ろ、カウンターに並んでいた瓶を指さした。


「蒸留酒より、醸造酒エールの方が好みでして」

「……飲むのかお前」

「孤児院では作ってもいましたよ」


 意外な一面であった。

 ルーは酒飲み仲間ができたのがうれしいのか、笑みを強めて彼女の指した瓶を取る。


「ではこちらをお注ぎするとしよう。マグをどうぞ取りたまえシスター」

「ありがとうございます。では遠慮なく」


 栓を抜いた瓶から大きめのマグへ注いでもらい、立ち上る泡と柑橘に似た酸い香りにロコは顔を近づける。ちょっとうれしそうな表情だった。

 ではあらためて、と前置きひとつ。

 グラスを持ち上げたルーと共にマグを掲げ、三人で二度目の乾杯を果たす。

 というか。

 ロコは文字通り、本当に瞬時に、杯を乾かした。

 これにはルーも呆気にとられていた。


「……おい、本当に『遠慮なく』だな」


 ジョンが低い声を出すとロコは口許を手套の甲でふきふき、「なんですか?」とマグをテーブルへ置きながら顔色ひとつ変えず言う。


「お嬢。お前いくらなんでも一息に飲み干すことはないだろう」

「え……空にせず机に置いたら、無礼にあたるのではないのですか?」

「どこの酒乱がつくったルールの下で生きていたのだ」

「わかりません……気づいたらそういうきまりの生活だったので」


 ロコはなにが悪いのかわからないという顔できょとんとしている。

 あまり他人の生い立ちなどに興味のないジョンだが、さすがに少し彼女の過去が気になった。どういう道筋を辿ってきたのだろう、とうろんな目で彼女の背景に思いを馳せる。

 ルーはちょっと固まっていたのがやっと解除されたか、くつくつと笑うことを再開して、置いていたジョンのマグを軽く指ではじいて高い音を立てた。


「愉快なシスターが来てくれて生活に潤いがもたらされたのではないかなジョン・スミス?」

「冗談はよせ。現状でもこの女のことでは面倒がいっぱいだというのに、この上酒乱かもしれないだなどとは」

「べつにわたくし酒乱ではありませんよ! 飲めなくはないですがそれだけでっ、」

「ところでシスターもう一瓶いかがかな」

「あ、どうも」

「酒乱でなくとも大酒飲みは間違いなさそうだな」

「ち、ちがっ、これは、その、断るとかどが立つと思って……!」


 言いながらも酒を受けるマグを引くことはない。

 考えてみれば最初に出会った場所もパブだった。『空腹で男どもの誘いに乗ってしまった』などと彼女は言っていたが、ひょっとすると酒にありつけることを期待していたのかもしれない、とジョンは思った。


「まあ、いい。飲みたければ今度ゴブレットにでもタカれ。俺は奢る気は一切ないからな」

「だからちがうと言いますのに!」

「本当にけち臭い男だねきみは。見目麗しい女の子に一杯くらい捧げて差し上げる気概はないのかい」

「倹約せねばならんのだ。こういう時(・・・・・)のためにな」


 インバネスの中にぶら下げる義手を、視線で示す。

 ああそうだったね、と酒を口に運ぶ間でルーは曖昧にごまかした。

 一方で、ロコはなにか察したのかさっと青ざめている。


「もしや……修繕に、それほどの費用が?」

「……修繕自体は無償でやってもらえる。それに元からガタは来ていたのだ。お前が気にするところではないと言ったぞ」

「でも原因であるのなら気にはなります」

「聞いてもどうにもならず気が滅入るだけの話なのだから、聞かない方が身のためだ」


 言いつつまた首を下げ、ジョンはカウンターに置かれたマグをくわえる。

 歯の隙間からとろりと蒸留酒を流し入れ、その芳香を鼻に抜けさせて。ふうと息を吐き空になったマグを置いた。


「意外なことだね」


 するとルーがスツールに腰かけ、身をひねって背から腰にかけての曲線を強調しながら、カウンターに頬杖ついてむふふと笑った。本当によく笑う男だった。


「なにがだ」

「いやね意外と言いたくもなるよ。きみが他人に気を遣える人種だったとはさしもの私も知らなかったのだから」

「べつに気を遣った覚えはない。事実は事実として述べるまでだ」

「事実は事実。なるほどそれもまた事実なのだろうがそれでもきみは自分に損がなければ面倒なことは口にしない男だったはずだよ」

「別段俺は二言三言口にするのを面倒というほど人生を投げてはいない。昔から」

「そうかい? まあ今日のところはそういうことにしておこうかな。きみのそんな顔を見れるのはなかなか面白おかしいことだと思うから」

「どこがおかしいというのだ」

「さてね自分で考えたまえよ」


 つらつらと述べては自己完結して酒に意識を戻す。

 この男と酒を酌み交わすのは苦手だ、とあらためてジョンは思い、心中で嘆息した。


「ところでルー、通行証のことだが」

「ラキアンさんが懐に隠し持っているはずだよ。腕を一刻も早く治したいというのなら私が奪ってくるのもやぶさかではないけれど」

「奪ったところでどうせ蒸気式昇降機エレベータのところで待つことになるだけだから構わん。今日は安息日ではないから十七時に昇るので間違いなかったな?」


 ジョンがルーのウエストコートに目をやりながら言えば、彼はポケットから懐中時計を取り出して風防を開く。


「そうだとも次の昇りは二時間半後だ。ゆったりと往路を楽しんで、そちらのシスターに街の案内でもしておやり」


 すっとルーが水を向けると、またぞろマグを空にしていたロコがちょっと斜め上を見て、うんとうなずき彼に返す。


「すでに結構案内いただきましたけどね。わりとお世話様な感じです、ジョンさま」

「おやこれはこれは。またしても私が意外だと驚く番のようだね」

「言っていろ」

「でも実際お世話になっておりますから。日々の生活でもなにかと細かいところ気を遣ってくださいますし」

「日々の生活?」


 だらだらと自分がしゃべってばかりのルーにしては珍しいことに、訊き返した。

 ロコはハイとうなずき、少し恥ずかしそうに空になったマグをおずおずと突き出した。ルーは快く醸造酒を注いだ。


「お住まいをご一緒させていただいてもう、ひと月過ぎましたが。きちんとしているといいますか。わたくしを尊重してくれる感じで。案外と、お優しいのですねジョンさま」


 言葉を切ったロコ。

 その眼前で。

 ルーは驚愕の事実を知った、という顔で硬直。

 注いでいた手がとまり、だばだぱと泡と醸造酒がマグの縁からこぼれだした。


「あ、あわわわわ、ちょっルー様! 止めて!」

「っおいおい、ちょっと待てジョン! なんだ……! いま僕ぁ聞き捨てならないことを聞いた気がするぞ……! てめえ自宅に女の子連れ込んでんのか……!」


 慌てるロコ、固まるルー、そしてふいに復活を遂げて賭博部屋から戻ってきたばかりのラキアンが、ステッキに頼った情けない姿勢から繰り出されるとは思えないほどやたら鋭い目でジョンを睨んできた。

 ゴブレットのやつ同居の件を話していないのか? 思いつつジョンはため息をついた。


「いや、俺は世話しているだけだ」

「なんということを! ちゃんとごはんを作って差し上げたではありませんか!」

「頼んではいないしあの一度きりだろう」

「なんてことを! そんなこと言うならわたくしもうぜったい作りませんからね!」

「べつに構わ………………、」


 言いかけてジョンも止まる。

 はてどうなのだろう。

 パブで食べるオムレツより、正直ロコの品はうまかった、ような気がした。

 では売り言葉に買い言葉で軽いノリの中、その品を食べる機を永久に失ってしまうのは、さすがに惜しいのではないか。

 そんな気持ちが働いた。

 ……ふむ。

 これもおそらくはいつもの、倹約家根性によるものだ。

 結論付けたジョンは仕方なしに言いかけたセリフを修正した。


「……いや、撤回しよう。絶対作ってもらえないのはすこし、困る」

「ぶっ殺すぞジョン」

「なぜお前がキレる、ラキアン」

「僕は女の子の手料理なんて! もう何年食ってないやらっ! とーんとわからないっ! というか職場的にここあんま女子いないしよ……他の隊に来た聖職者も軒並みそこの連中が唾つけてるっつーかみんな手ぇ速ぇなっつーか……」


 なぜお前はいつもそう女に飢えているのだ。

 訊きたいような気もしたが、長くなる予感がしたのでジョンは言わないでおいた。

 代わりに、ここのところの近況について問う。


「手がはやいだのなんだのはよくわからないが、聖職者派遣からのこの一か月お前は隊にいなかったのだから仕方ないのではないか?」

「ああそうだよ! クソめんどくさい任務のせいで女の子にコナかけるタイミングを完全に逸したんだ……あんの吸血鬼野郎、上等区画なんぞに逃げ込みやがるから!」

「逃がしてしまったのですか?」


 悪気はないのだろうが、ロコがぽつりとつぶやく。

 ちょっとの間場につめたい空気が流れた。

 ラキアンは自身の失敗について話していいものか、話すならどう話したものか、と考えあぐねているのが目の泳ぎように現れていた。

 しかし結局、事実は認めることに決めたらしく、うなだれたまま語り出す。


「…………あの吸血鬼野郎、強かったからな。んで自分の失敗がもとだから、追うのにも自腹でやれって言われて費用かかって……ずいぶん金がなくなっちまって……今月はアパートに払う金もやばくなってきてて……そうだよ……だから今日は勝ちたいなって思ってたんだ……」


 ぶつぶつとつぶやくうちにふつふつと恨みが沸いてきたか、うつむいていたラキアンはゆっくりと半目でルーを追うように視線を上げつつあった。

 するとルーは大仰に両腕を広げ、持っていたグラスの中の酒を揺らした。


「あれは仕方がないことだったよラキアンさん。吸血鬼を追うのが我々の職務である以上は必要経費というものだったのだからあまり思い詰めることはないよ」

「いやあの追いかけっこのとき、僕ぁたしかおめーの指示に従って蒸気二輪車なんぞ借りて、それで費用がかかったような、」「いいやそこを話題にしているのではないよラキアンさん。『仕方がないことだった』そこについて私は述べているのであり事実は事実だそこをシスターに誤認されては困るよ。シスター。彼はたしかに吸血鬼を取り逃がしてその責を問われ上等区画までけりをつけに行くことを要請されコンビである私も巻き込まれ大した給金にもならないのにそちらへ向かうことにさせられたが」

「おめーその言い方、恨み骨髄じゃない?」

「恨んでなどいないことはこれから語らせてもらうからあまり気にしないことだよ」

「うへえ……」


 うめき声を漏らすラキアンだがルーは無視して話す。


「シスターこれだけは覚えておいてほしい。彼はね単に吸血鬼を逃がしたわけではないよ。なぜそうなったかというと一般市民が襲われそうになっているのを守ったが故なんだよ。優先順位を間違えなかったその結果が相手に逃亡の隙を与えることになったそれだけだよ」

「なんと!」


 ロコは感嘆の声をあげた。単純なやつである。

 一方でラキアンの方も単純なので、おいやめろよせよと言いながらも照れた風に後頭部を掻き、ついているステッキはこつんこつんと床でリズムを刻みはじめる。本当に単純であった。

 だが事実は事実。

 ラキアンの行動原理はシンプルで、選ぶべき順位を間違えない。

 彼は《不運バッドラック》などとあだ名されてはいるが、じつのところその呼び名に悪意はほとんど含まれていないのだ。

 自身の不利益を顧みず騎士たる務めは果たしてしまう。

 このお人よしな精神をして、《不運》のあだ名は成っているのだ。……まあもう半分は先ほども披露していた賭博狂いの性質を指してのものではあるが。

 ルーは朗々とつづける。


「だからシスター。彼のことはしっかりと認めてやってほしい。きみの在籍したこの第七騎士隊に悪い人間はいないというその事実だけは信じてほしい。どうか我々をきみと志同じくした仲間だとそう認めてほしい」


 真摯な目をして言い、ルーはさっと瓶をつかんだ。またぞろロコのマグを満たす。

 そしていっぱいまで注いだところで今度は自分が飲んでいた蒸留酒の瓶をつかみ、カウンターから素早く取ったグラスにいくらか注いでラキアンへ手渡す。お、おう、とうろたえながら彼は受け取った。


「いいのか?」

「無論タダでいいとも。これは我々の騎士隊としての親睦を深めるためのお酒であるからして」

「ルー……!」


 感極まった様子のラキアンにルーはにっこりと笑いかけ、ロコとラキアンが器を構えたのを見て取るとぐいっと己のグラスを掲げた。


「乾杯!」

「乾杯っ」

「かんぱーい!」


 やんややんやと三人は盛り上がり始めていた。

 ジョンは口でくわえなくてはならない都合上声を合わせることもできないのと、うまいこと丸め込まれてしまったラキアンがなんだか情けないなと思ってしまったのとで、

 なんとなく白けた目でその様を見ていた。


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