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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第二章 蒸姫
17/86

17:通行証と賭場と駄目人間


「だから早く行くべきだと言ったんだ」

「……すまん」


 明けて翌日。

 騎士団詰所。

 第七騎士隊の部屋にて、ジョンはゴブレットからため息交じりの小言を頂戴していた。

 すっかりと動かなくなってしまった両腕を、一縷の望みをかけてゴブレットに診てもらったのだが。

 彼は可動部から蒸気を噴き上げない駆動鎧装を見てすぐかぶりを振った。


「俺も技師の端くれだからね、どうにもできないとお手上げするのは屈辱ではある。でも無理なものは無理だよ。俺でどうにかできるのならとうに果学アカデミク研究学会オブジエンドの勢力図は塗り変えられている」


 この腕の制作者――《蒸姫》ディア・エドワーズのこともよく知る彼はそう言った。

 そう、ジョンの腕は果学研究学会きっての才媛である彼女の作品である。故にその機構にはブラックボックス化している部分が多く、並の技師では細部の調整などはできても根本的な修繕はできないのだ。

 構造を確かめようと中を開いて、ためられたゼンマイの力の開放によって指を二本斬り飛ばされた人物。蒸気機関の暴発で大やけどした人物。雷電の蓄えられた部位に触れ感電した人物。

 あまたの技師がこの腕に手を焼いた事実を知るジョンには、無理を言うなどできなかった。


「やはり、行くしかないのか」

「どれだけ渋ってもほかの手などないよ。もっとも、お前が吸血鬼狩りをあきらめるというのなら話は別だけれどね」

「そんな話はどこにも存在しない」


 それだけはあり得ない。ジョンは即答し、ゴブレットはこの反応を見てなんともやりきれない顔をした。


「ならばさっさと行ってきなよ。ディアは待っている」

「……待っているから、行きづらいのだ」

「それは、わかるけどね」


 わずかに同情を滲ませて、ゴブレットは肩をすくめた。


「だがお前が選んだ道だ。お前が自分で選んだ道だよ。選択に責任を負えないなんて無様は子供の間だけで終わらせるべきだ」

「……わかっている」


 口ではそう言うものの、どうにも歯切れが悪くなるのは否めない。

 ジョンは立ち上がってインバネスを翻した。デスクの脇に腰かけたゴブレットは嘆息の代わりに煙草を一服つけ、「ディアによろしく」と言った。

 ジョンは返事せずに部屋を出た。



 部屋の外で待っていたロコは、ぶらんと垂れさがったままの腕と、ジョンの表情を見て察したらしい。


「ゴブレット様では治せなかったのですね」

「予想はついていたがな」

「予想ついてた、ってずいぶんとゴブレット様の腕を軽く見ておいでなのですね……あのお方、騎士団員のための駆動鎧装技師スチームアームスミスなのですよね?」

「別段俺も奴の腕を信用していないわけではないし、騎士団にもその技術の力量で登用されているのはわかっている」


 だが、その程度ではどうにもならない。

 天から授かった才能量の差というべきか。


「ディア・エドワーズはこのナデュラ帝国最高峰の頭脳を集めた果学研究学会においてもなお天才と呼ばれた、本当に稀有な腕の技師なのだ」

「ジョンさまがそこまでひとを褒めるとは」

「事実は事実として述べるほかない」


 ジョンと同い年である彼女はちょうどいまのロコと同じく、十五の頃に首都にある学会を出た。基礎は学んだとのことで、あとは在野にて己の道を究めんとドルナクに移住したのである。

 錬金術。冶金技術。物理学。流体力学。人間工学。その他あらゆる学問を己のものとしてどん欲に取り込み、彼女は技師としての地位をひとりで確立した。

『果学は過学と禍学を経て果学となる』が口癖で、常になんらかの研究にまみれた生活をし、工房から出て来るのはその発明を少ない友人たちにお披露目するときくらいだった。

 変わり者の極み。

 しかし、腕は逸品。

 いつしか彼女はドルナクで最も腕のある技師としてその名を知られた。工房の人々は常に蒸気機関技術と共にあるその生きざまをさして、《蒸姫》と呼ぶようになった。


「さて、奴に会いに行くとなると……通行証が必要だ」

「通行証?」

「ディアは上等区画にいる。平民の俺たちがあそこへ行くには許可が不可欠だ」

「ははあ。あそこにいらっしゃるということは、貴族の方」

「ではないがな。貴族相手に駆動鎧装を製作しているだけだ」

「あれ? ではなぜ貴族専門の技師さんがジョンさまの腕をお創りに?」

「……友人のよしみだ」


 それで会話を打ち切り、ジョンは会議場の出入り口扉へ歩き出した。

 あの頃。

 まだゴブレットが在野の技師としてディアと働き、

 ジョンが友と剣の稽古に励んでいたあの頃。

 まだジョンが己の剣腕を喪う未来を知らずいたあの頃。

 あの頃のまま、いられたなら――ジョンは友人を失くすことも、ディアに会うたび後ろめたさを感じることも、なかったのだ。

 ぎしんと鉄の義手が鳴る。

 普段よりも、肩の付け根に重みを感じさせられた。


「じゃあな。俺は行く」

「上等区画ですね」


 すたすたと早足でジョンに追いつきながらロコが言う。ジョンは怪訝な顔をした。


「……なぜついてくる」

「だってわたくしにもその腕の故障の責任の一端があるではありませんか……腕が満足に使えない状態のジョンさまをひとりで行かせるなどして、万一吸血鬼に遭遇したらと思うと」

「……護衛のつもりか?」


 腕がなくとも死にはしない。決定打を与えにくくなるだけだ。

 そう思ったものの、青金石の瞳と目を合わせた途端無理に追い払うのはやめておこう、とジョンは諦める。

 おそらくこっそりついてくる、そういう目だった。つまり無駄。

 道に精通するジョンならば街を歩く間に撤くことは容易いが、今回は行き先が上等区画であると割れている。どうせ上へ向かう蒸気式昇降機の前で張られてしまうだろう。


「好きにしろ……まあ、上等区画を知っておく、いい機会にもなるだろう」


 言い訳っぽく、自分を納得させるためにそう付け足した。


        +


 上等区画への通行証は、第五以下の平民騎士隊には各隊に一枚ずつしか配られていない。しかも一枚で二名までしか通してくれない。

 第一から第四までの上位騎士隊は顔パスないし一枚で無制限に何人でも通してくれるのだが。


「まあそこは貴族層かそうでないかの差だ。致し方ない」

「細かいところの格差で地位を自覚させるための方策なのでしょうね」

「いやなものだ。というわけで、通行証を借りに行くぞ」


 騎士団詰所へ通じる隠し通路から下等区画外れに出ると、ジョンはロコを伴って歩き出した。ロコは後ろを振り返りつつ、小首をかしげてジョンを見る。


「ゴブレット様が持っているわけではないのですか」

「あいつに持たせてもパブで酔ってるときに紛失するのが落ちだ。いま通行証は、第七騎士隊の仲間が持っている。ブラッキアン・ビスカとブルーム・L・ガルシア……ラキアン、ルーと呼ばれるのを好む」


 先日の急速分裂型出現のときは、任務で上等区画へ向かっていた同僚のコンビである。


「ラキアン様、ルー様」

「なぜ愛称に様をつける……」

「だって年上の方でしょう?」

「まあそうだが。ラキアンが二十五、ルーが二十二だ」

「ふむ……ラキアン様、ルー様。そういえば何度か、名前だけうかがったような気がします」

「話したかもしれんな」


 思い返しつつジョンが言えば、ロコはなんだか困ったような顔で眉根を寄せた。


「でもなにやら不吉な二つ名と一緒にお聞きしたような……」

「ああ。あいつら、《狂犬》よりひどい呼び名がついている」


 まあじつのところ第七騎士隊は全員が不名誉なあだ名を頂戴しているのだが。

 ゴブレットは《酔奴隷ドランケン》。

 そしてラキアンとルーは《不運バッドラック》と《人狼ルーガルー》。

 皆、人柄や成した所業からついたあだ名だ。


「不吉ですね」

「お前も第七騎士隊にいるのだ。どうせそのうちなにか呼び名がつく」

「勘弁していただきたいです。目立たないようにしよう……」

「俺を倒したという噂が広まりつつある時点で手遅れだと思うがな」


 やがて下等区画の中で、二人は建物間に渡されたロープにはためく洗濯物や吊るした食料の下を抜け。

 メゾネットや二階建て長屋タウンハウスの乱立する並びへ入っていく。さらに行けば二階建て長屋はより細かく部屋数を分けられたつくりに変じていき、いつしか歓楽街になる。

 路地に入り、ジョンは人の気配がする扉を探した。

 この昼日中ではひっそりとした歓楽街に、それでもなにやらにぎやかな場を。


「今日は、ここか」


 二人がよく入り浸っている酒場のうちのひとつ。そのドアを膝で叩いた。

 途端、低くさざめくように聞こえていた話し声が一旦止まる。

 ややあって足音が近づき、ジョンが一歩退くとドアが外へ開いた。


「やあやあどなたか存じないが今日は我々の貸し切りでね。日暮れまではどうかどうか放っておいてはくださいませんか……ってなんだい。ジョンか」

「俺だ」

「勘弁してくれたまえよ心臓に悪い。私はてっきりまた官憲の連中が我らのささやかなお楽しみに介入しにいらっしゃったのかと思ってしまったよ……とりあえず立ち話もなんだから入ってはどうかな」


 扉を開けるなり高く澄んだ声でぺらぺらとまくし立ててきたのは、ジョンと同じくらいの上背がある人物。

 後ろで一束に結った長い黒髪を肩甲骨あたりまで垂らし、白い顔にほがらかな笑みをしっとりと浮かべ。高い鼻筋と切れ長の瞳が、柔和な表情の中にひとつ、締まりを与えている。

 衣服は白シャツの上にダブルボタンのウエストコートを纏い、高い腰から膝下まではタイトな灰色のロングスカート。裾から先は黒のタイツを帯びた足先がのぞき、踵の高い革靴におさまっている。


「また賭け事か、ルー。騎士団員は賭場への出入り禁止だぞ。何度言えばいいのだ」

「ふふ。浮き沈みを掌中でもてあそぶのは人生の縮図を拝見しているようでじつに興味深いのでね」


 ジョンが半目で言うと、ルーはうそぶきながら片目を閉じ、立てた人差し指をそっと唇に当てがった。

 そこでジョンの後ろにいたロコに気づいたらしく、おやと目を少し見開く。


「シスターさんに私のいけないところを聞かれてしまったかな……懺悔室で耳にしたことだと思って賭け事の件は忘れていただき官憲には黙っておいてくれるとありがたいね」

「そいつはシスターだが騎士だ。身内の恥を官憲にばらすことはない」

「おやそうだったのか。するとこの子が例の凄腕シスター?」

「ほら見ろ。もう噂がここまで届いている」

「ああ……どうか変なあだ名になりませんように……」


 両手を組んで真剣に祈りはじめているのを見ると、なんだか面白く思うジョンだった。


「なんにせよよろしくシスター・ロコ。私はブルーム・L・ガルシア。ルーと呼んでくれたまえ」

「あ、どうも。ロコ・トァンです」

「ふふ。ジョンを倒したと聞いたからどのような女傑が現れるのかと思っていたが存外可愛らしいお嬢さんでびっくりしたよ」

「え、ふぁ」


 腰をかがめ、ルーはロコに顔を近づけるとしげしげと眺めた。

 それからルーは手を差し出す。握手かと思ったらしいロコが同じように手を出すと、ぱっとこれをひっつかんで掌を上向けた。

 そしてはめていた白手套を邪魔そうにひっぺがす。


「え、わ!」

「ふーむ。少し独特な位置にまめがあるもののどこの流派かは私にも判別つかないね。ただ指先の擦り切れ方から察するに体術はつかんで押さえ込む要素が強いと見た。そのうち手合わせいただきたいものだね」


 ありがとう、と言って今度は手の甲を上向け、そこへ軽く口づけしてからルーは手套を戻した。

 どぎまぎしているのか目を泳がせるロコは、助けを求めるようにジョンを見る。


「な、な、なんですかこの御方は……」

「あまり気にするな。剣に憑かれている、そういう男だ」

「はあ……って、あのあれ? あれ、いま男って」

「男だ」


 くるりときびすを返し、スカートの裾をわずかに浮かせながら先に進むルー。

 室内に戻っていった彼のあとにジョンがつづき、その後ろからは出遅れて慌てたロコの足音が近づく。


「いやあの、男性……なのですよね」

「いかにも私は男の性であり女人にしか興味はないよ。先ほどの可愛らしいという表現も想像より華奢であったことへの評であると同時にきみの女性的魅力について褒めたかったから出た言葉でね」

「あ、そ、そうですか……」


 多分ロコは服装について問いただしたかったのだろうが、ルーの長ったらしい口舌と醸し出す雰囲気は追及を許さない。あきらめた様子で、すごすごと引き下がった。


「ラキアンはいるか? 通行証を借りたい」

「いるにはいるが今日は負けが込んでいるようだからあまり刺激しないでくれたまえよ」

「『今日は』ではないだろう。『今日も』が正しい」

「彼は《不運》の呼び名を体現し続けている。なるほどそれはおっしゃる通りだがしかし事実指摘はひとを傷つけるものだよジョン・スミス」


 苦笑するルーが奥の部屋のドアを開けると、中に淀んでいた紫煙が漏れてきた。

 小さな丸テーブルを囲んでカードを持った人物が三名。

 うち二名はこの酒場の主人と店員。

 最後のひとり、テーブルの奥にいた小柄な影が開いたドアの先にいたジョンたちを見てびくっとする。


「じょ、ジョン。――ま、まさかお前も僕から金を、巻き上げに来たってのか? だ、だめだぞ! やらんぞ! 僕の金は僕のもんだ!」

「……刺激しなくともすでに被害妄想がひどくなっているようだが?」

「ラキアンさんは今日は一度もアガれていないためにずいぶんと精神を摩耗なさっているようでね」

「だから、『今日は』ではなく『今日も』だろう」

「今日は今日だ! そして明日は明日の風が吹く! 昨日の負けは今日の負けの理由になんかなっちゃいないんだ、なっちゃいけないんだ!」


 憤慨したように立ち上がる。

 すぐさま店の主人と店員が声を合わせて「座れ」と言う。はい、と従って眉をしなだれさせ、身体を縮こまらせるように座る。


「……とりあえず話はあとにしろ、僕ぁいま最終局面なんだ」

「まあ、それは構わないが。ここで待つぞ」

「そこで見とけ、僕の生き様を……!」


 生き恥の間違いじゃないかと思いながらジョンは壁に背をもたせかけ、必死の形相で札を睨む男を見やる。

 ぼさぼさと広がった赤髪に垂れた碧眼。鼻の頭にはそばかすと眼鏡を載せた、背の低い男。

 金がないからかサイズの合っていないぶかぶかのシャツを着て、その上に分厚いなめし皮ジャケットを合わせ細い身体のラインを隠し。腰からは擦り切れたスラックスを穿いている。

 ぶつぶつ言いながら火のついていない煙草を噛み、捨てる札を迷う目つきはどうにも幸と正気が足りなさそうで頼りない。

《不運》とあだ名されるブラッキアン・ビスカは散々迷った末に、左端からクラブのAを出した。


「どうだ!」

「ほい」


 主人がハートの2を被せる。場が流れる。

 そして主人が最後のカードとしてスペードの3を出してアガった。順番はめぐり、店員へ。

 店員はクラブの8を出し、場を流す。最後のカードとしてハートの4を出してアガった。

 ラキアンは焦点の合っていない目をして、残っていた札を取り落とした。彼の前に積まれていたコインがごっそりと持っていかれる。


「終わったな。話をしよう」

「…………、」

「おいラキアン」

「…………」


 しばらくは駄目そうだった。ルーを見ると、彼もゆっくりとかぶりを振った。


「仕方がないから一杯飲んでラキアンさんがご帰還されるのを待つとしようじゃないか? 幸い私はいまそれなりにお金があるのでね」


 状況から察するにそれはラキアンから巻き上げたお金だろうと思ったが、ジョンはなにも言わないことにした。

 ラキアンからは、うめき声すら聞こえない。


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