16:勝敗と故障と修繕
両腕を失くして久しい。
もはやジョンにはまっとうな剣技など使えないし、使う気もない。
だが……だからこそ、だ。
このドルナクにおいてロコの実直すぎる剣は危うい。そう教え込むには、手段選ばぬ外法に堕ちたいまの己が相応というものだ。
左足を前に出し、両のつかみは順手。肩越しに後方へ向けた切っ先は長く伸び、ロコから見れば柄頭の一点しか見えない。
「間合い隠し、ですか」
「そうだ」
「邪道の剣ですね」
「技巧を競う正道で勝てるわけがない。その程度には、お前を認めているのだ」
「では単なる技巧以外の手があるということで?」
「否定はしない」
じりじりと、にじるようにロコは間合いを詰めてくる。
右半身、中段に突き出した木製短剣の切っ先でジョンの刃圏を確かめようとしているのだ。
当てんとするこちらの意識を見れば引き、例の技で切っ先を絡めとって一気に仕留める算段。距離を詰めての体術を食らえば、不死性を持つわけでもないジョンではひとたまりもない。
逆に、刃圏を捉え損なったならばロコの方が危うい。高出力の駆動鎧装による一撃は木剣であっても十分な殺傷力を秘める。
ロコが間合いを盗むのが先か。
ジョンが刃先で捕まえるのが先か。
うっすらと上下する互いの胸、その動きから測る呼吸、導き出される機。
果たしてそれは、来たりて至る。ロコが会話を振ってきた。
「……ジョンさま。わたくしもそれなりの経験を持っております」
「ほう」
「一度見た剣の長さ、共に暮らす人のリーチ」
――測り損ねるわけがないでしょう?
言って微笑み、一足飛びにロコが躍動した。一歩の間合いが吸い取られた。
「ふッっ!」
膝を抜いての前進から突きあがる短剣。
ジョンから見て右方へと伸びあがる銀閃。
もう遅い、と言いたげな表情でロコが瞳を細める。彼女の短剣は、すでにジョンが最速で打ち込める斜め掛けの軌道を塞いでいた。いまから当てにいっても剣筋は例の技で逸らされる。
必勝。
その確信が、彼女の全身に宿っていく。
ジョンはぼんやりとその気配を見やって、
「まだまだ」
と、評価と共に手を下した。
ロコの動きより遅く出た剣は、当然ロコより速くは動かない。彼女には届かない。
しかし、短剣には届いた。
がちんと。打ち合わされた剣から振動が伝わる。
「……!?」
振動が手から肘へ抜けるまで。
わずかに、それくらいの時間。
発生した硬直に、ロコが驚愕の表情へ変わった。
そうだ。この剣は……逸らせない。
「残念だったな」
打ち込みの途中でジョンは右手をスライドさせていた。柄頭いっぱいの位置を握る左手へと右手を寄せる。
基本的にこれはリーチを伸ばすための小技だ。
が、今回の狙いは長さを稼ぐためではない。
「打点、が!」
叫ぶロコ。短剣と剣で噛み合う一点に、彼女は想定外を見た。
ジョンの剣は中ほどよりも鍔寄りの位置で、ロコの短剣に叩きつけられていた。焦りが彼女の顔に浮かぶ。
ロコが狙い弾こうとしていたのは切っ先なのだ。先日の急速分裂型との戦いでもそうだった。
なぜならそれが、例の技を扱うために必要な条件だからだ。
彼女の技に必要なのは、『剣の強弱』で優位を保つこと。
鍔迫り合い――ジョンの属した流派では刃組みと呼ばれる、打ち合い接した状態の剣と剣でポジションを争う流れ。そこにおいては、鍔元に近いほど『強い』剣であり逆に切っ先に近づくほど『弱い』剣だとされる。
理屈はじつに単純な話だ。
鍔元に近づけばすなわち手元に近づくということであり、力を込めやすい。逆も然り。切っ先は手元から遠く、接触しての押し合いでは力が入りにくい。
ゆえに刃組みにおいては押し合いの瞬時に優位を取れるか、彼我の力の入りようを読めるか、それが生死を分けるとも言われる。
……ロコの場合、短剣という確実に鍔元に近く『強い』剣を常に保てる得物であることが一瞬の刃組みにおいて優位を得ていた。その上で剣をいなし逸らしていたのだ。
だが今回、ジョンは己の得物と腕のリーチを読まれていることを逆手に取り、打ち合う直前で右手を滑らせ打点をずらした。
この行動の結果ロコは想定よりも『強い』剣に打ち込むこととなり、動きに硬直が生まれたのだ。
「技に頼りすぎだ」
「くっ――!」
すんでのところでロコはジョンの剣の軌道を逸らす。
とはいえ、常の彼女の技のように自身の反撃のために余力を残した技ではない。いなすのがやっとという様子で、ぎゃりんと刃鳴らして頭上へと薙ぎ払うのがやっと。
すぐさまジョンは剣を手放す。
ロコは右腕振り抜く動きで、身体の正面を開いた姿勢になっていった。
がらあきだ。
右腕を突き出し左拳を握りしめ、一歩大きく右足を踏み込む。
重く振るう左の鉄拳が彼女に狙い定める。
が。
そのときジョンは、
己を鏡写しに見たように感じた。
「……――な、」
右腕を大きく振り抜き、もはや次の太刀筋は死んだはずのロコ。
しかしその目に光は消えていない。
短剣を振り抜く勢いを殺していない。
その、上体を右へとひねる動きをむしろ利した。
腰を切る動作が生み出す速度が、
彼女の左拳が風切る鋭さに変換される。
「――《鉄槌》――!」
振り上げた左拳。
白手套に包まれた左手。
天へかざすそれは、まだジョンの身体には届かない。
とはいえ狙い定めるべく突き出した右腕は、十分間合いに捉えていた。
――ガぎン!
と。
あまりに硬質で凶悪な音が、斜め掛けの一撃と成りてジョンの右腕を叩き落とした。
「ぐ……!」
もともと重たい金属製の義手である彼の腕が位置をずらされれば、それだけで重心を崩すには十分。
彼女を狙っていた左拳は逸れて、上体は前傾させられる。
追撃は徒手だった。ジョン同様に短剣を捨てたロコが右腕を振るい左肩をつかみ引く。
前傾させられる動きが加速した。手前に引き込みながら、ロコの左膝が喉元から顎を狙う。左手を引き寄せて防御。
ところが触れる寸前で、蹴りの感触に違和感を覚える。……誘われたか。
「っせいッ!」
「ぐっ!」
左膝をフェイクにした二段蹴り。右の飛び膝蹴りがつづく。
あやうく鳩尾に叩き込まれるところだった蹴りに、ジョンはバランスを崩した。仰向けに倒れゆく。
その中途、ロコは右肘をジョンの喉元に押し当ててきた。倒れたときの威力を逃がさず、首に叩き込むつもりの構え。一切の躊躇がない。
「もらいましたーっ!」
本日二度目となる、勝利を信じ切った声。
とはいえジョンが思うに、先に勝利を宣言した方というのは先に気を抜いた方というわけで。
そんなのが勝てる道理はないのである。
誘っていたのはこちらも同じ、とばかりにジョンは瞬時に右肘を後ろに張り出す。
「……舌を噛むなよ」
「え、なん――ぎゃふ!」
関節をロックし核を赤熱させ蒸気をチャージ。
遠慮なく、《杭打ち》の際に用いる蒸気圧を肘の噴出孔から解放した。後方へ肘向けて構えた右腕が急激に重さを増した錯覚にとらわれ、次いで彼の上体に力を伝える。
崩れかけた上体はそれだけで前方へと揺れ戻り、ジョンに乗っかるようなかたちだったロコは、急に後ろから首根っこを引かれたように吹っ飛んだ。ギャラリーがその背を受け止め抱える。
「きゅぅっ」
「終わりだ」
悲鳴をあげて目を回すロコへ駆けだすジョン。降参も気絶もない以上、つづける。
「おい待て狂犬お前マジで狂犬だなおい待」などと聞こえてきたが知ったことではない。やるべきをやる、それだけだ。やることはなにも変わりない。
……そんなジョンの容赦のなさへ、さすがにだれかがなにか思ったのだろうか?
駆けつつ構えた右拳に、ガクンと妙な感触があった。
「……?」
思わず足を止めて右腕を見やるジョン。
騎士甲冑に似たデザインの装甲は、黒ずんだ銀の光を返している。
しかしなんだろう、どこか、普段とちがう気がした。なにがとは言わない。ただなにか――どこか――
「あ」
曇っているのだ。
黒ずんでいるとはいえ、普段なら周囲を照り返すはずの表面が。
曇り切って、耀きを喪っているのだ。
……しゅんしゅんしゅんしゅん、と小さかった異音が徐々に大きくなっていく。
曇る範囲が広がっていく。
やがて、ジョンの顔にも焦りが見え始めたころ、
ぼん!
致命的な爆音がして、ジョンが真っ白い蒸気の中に包まれた。
+
唐突な爆音に一瞬意識を失ったため、ジョンの敗北ということになった。
「不覚……」
かつんかつんと、下等区画にある自宅へと階段をのぼるジョン。三歩遅れてロコ。
「……いや、わたくしも結構不完全燃焼ですけれどね、あれでは」
「どうあれ勝ちは勝ちだ。生き残っていた方に勝利の二字は贈られる」
「そう言っていただけると照れますが……」
いかにも鼻高々なのを顔をそむけただけで隠せたと思っている、その性根にジョンは少しいらっといた。
だが敗者がなにを言ってもむなしいばかりである。ぎり、と歯を軋ませてなにも返さず階段をあがった。
「……しかし」
自宅である三階の一室の前で足を止め、インバネスの中に揺れる己の腕の重さを感じる。
振り返れば日暮れの闇が、スモッグに包まれたこの街の景色をも暗く染めていくところだった。目を凝らせば産業区画のさらに向こうへ、岩肌さらし上下の区画を分ける大断崖が、うっすらと見える。
スモッグに覆われた崖の彼方にあるはずの上等区画へ、目を凝らす。
ぎしりと義手をうごめかし、ジョンはインバネスの隙間から右腕をのぞかせた。
「まさか、故障とは」
蒸気が漏れ出して曇り、ついには動作不能に陥ってしまった己の腕を見やる。吸血鬼との戦闘中でなくてよかったと思うべきか、はたまた不運は不運と嘆くべきか。
「……腕は、申し訳ございません」
途端にしゅんと気落ちして、ロコはジョンの眼下の踊り場でうつむいていた。
最後の一合、彼女が繰り出した技――最初にパブで出会ったときも使っていた『全身のうねりを用いた振り下ろし』こと《鉄槌》なる技。あれを受けたことでジョンの右腕は動作を停止し、連動している左腕もほどなくして動かなくなってしまった。
「べつに、気に病むことはない。お前がきっかけでも原因ではない」
慰めるつもりでもなく、ただただ事実確認のためジョンはそう口にした。
きっかけはその一撃の重みに腕が耐えかねたためだろうが、原因は蓄積してきたダメージによるものである。そんなのはわかりきっていた。先日の整備後にゴブレットに言われたとおり、すぐに調整にいかなかった自分が悪いのである。
しかし簡単に、出向くことができる場所でもない。
ジョンは彼方の上等区画を見つめて、はぁと嘆息した。
「……行くほかないか」
「どこへです?」
「決まっている。この腕を治せる奴がいるところだ」
気のりは、しないが。
口に出しては言わず、ジョンはもうひとつだけため息を漏らして。
「俺の専属の技師――《蒸姫》ディア・エドワーズの元に行かなくてはならん」
心底けだるげに、そう言った。