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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第二章 蒸姫
15/86

15:授業と課題と模擬戦


 吸血鬼とは。


 頸部の破壊・心臓の大破壊といった『思考の道筋の途絶』を以てしか滅ぼせぬ存在。

 意識した瞬間に損傷した肉体を再生する、人知を超えた存在。

 人類に牙を剥き血を啜り殺す、悪夢のような存在。

 三十年前、火の山と呼ばれる石炭と貴金属の大量産出地に拓き、偉大なる躍進の痕跡グランドコークスバレーとの二つ名を得るまでに育ったこの街――ナデュラ帝国所領・蒸気都市ドルナクにのみ存在を確認される人外。

《縫合回復》《急速分裂》《現象回帰》の三型に別れ、後者にいくほど高い再生速度と異常な能力を有する化け物。

 吸血行動によって対象から減らした血液の分だけ『なにか』を送り込むことで人間を同族に変じさせる能力を持ち、吸い殺された者以外は皆、人外と化す。それ以外での自然発生の機構メカニスムはいまだ不明。

 自身の名の再認・自身の名の自己認識を正常に行えないようになっており、表面的には常人のように振舞えるが不意を突かれ名について質されると不自然な反応をする場合がある。

 またこのように名を喪った存在である故に埋葬の際は、生まれたときの名づけである《銑礼せんれい》のやり直しである《再銑礼さいせんれい》を必要とする。


「――とまあ、一般的な吸血鬼についての講義はこんなところだが。寝るな」

「……すや」

「……ふッ」

「あだっ」


 口にくわえた白墨で黒板に吸血鬼の生態について記していたジョン・スミスは、離れた机で眠りかけていた生徒の額に向かって白墨を吹き射った。

 ひゅひゅんと回転してびしっと当たった固い一撃に、彼女は高い悲鳴をあげてアッシュブロンドの髪を振り乱した。

 真白い顔の中で長いまつげが震え、青金石ラズライトの瞳をしばたくロコ・トァン。むすっとして半目でジョンをにらむ彼女は、机に寝そべるようにしていかにも不機嫌そうだった。


「……うううむ。たしかにわたくしは寝ておりました。それを否定はしませんが、じつは半覚醒の状態で睡眠学習をですね」

「覚えているのなら吸血鬼の三型について述べてみろ」

「……資料を見ても?」

「読める状態ならな」


 夢うつつで書いたのであろう板書の羽ペンは途中から自由奔放な線を描いており、とてもではないが読めたものではなかった。

 ロコは何事もなかったかのように羽ペンを置き、腰まで伸びてうねり捩じれた己のアッシュブロンドを指先で梳いている。ジョンはため息をついた。


「よくその程度の知識しかない状態で、この都市にやってきたものだ」

「あまり準備の時間もいただけなかったもので」

「まあいい。お前は、理論よりも実践が向いていそうなタイプだと思っていた」


 がたりと立ち上がったジョン――とは言っても、動きは小さく慎重だ。

 なぜならここは《銀霊騎士団シルヴァ・オーダー》第七騎士隊の部屋。酒と遊興以外には無精そのものでそこら中に資料や文書を山積みにしている阿呆が隊長を務める残念部署の部屋だ。当然、この小会議場というべきスペースも、その侵食を免れていないのである。

 ランタンの映し出す影が長くゆるやかに伸びる室内で、ジョンは身にまとう膝丈のインバネスを翻す。衣の中で、不動の駆動鎧装スチームアームがぎしんと鳴った。


「お嬢。ついてこい」

「へ? どちらへお出かけするのです?」

「理論より実践だ。知識より、お前には実際の戦いでどう動くか教え込む方がはやいと判断した」

「……そこはかとなくばかにされたような気がするのですが」

「迂遠な言い回しを理解したか。少し賢くなったな」

「やっぱりばかにしているではありませんか!」


 むかっときたのか一気に立ちあがる。

 当然、周囲の書類が彼女の動く風圧に負けてぶわっと舞い上がる。わぷぷと慌てる間にも舞い散る枚数は増えていき、気が付くと書類は雪崩を起こしてロコを飲み込んでいた。

 ジョンはため息をもうひとつだけついて、わしゃわしゃと紙束を踏みつけながら近づく。

 紙の中から突き出していた白手套に覆われた手の先、黒いローブの袖口を見つけると、屈んでぐわしと噛みしめ引っ張った。ずるんと紙の沼からロコが引き上げられる。


「わ、ったったった! す、すごい力ですね……」

「吸血鬼はもっと咬筋力を出せる。再生力を頼りに、自壊を前提とした攻撃を仕掛けてくることも多々あるからな」

「なるほど……」

「だから、しかと学べと言うのだ。いざ直面したときに知っていると知らないとでは天地の差が出る」


 というわけで、と前置きしてジョンは彼女の腰を爪先で指した。

 そこには、聖書と慈悲の短剣(ミゼリコルデ)がぶら下がる。


「やるぞ」

「なにをです?」

「理論より、実践――模擬戦だ。抜け、その剣を」


 ぶっきらぼうに言い、ジョンは顎で部屋の出口を示す。




銀霊騎士団シルヴァ・オーダー》詰所の会議場。

 薄暗い石造りの大部屋は、長い会議机の下に赤い絨毯が奥まで敷き詰められ、木槌と杭を模した巨きな図象シンボルが最奥の壁にかかる。

 じつはこの図象のアーチをくぐって扉を開けると、その先には修練場があるのだ。


「……しかし、なんだこのギャラリーは」


 ガス灯の明かりの下、ジョンはぼやいた。

 修練場の中には打ち込み用の人形や試し切り用の材木をどけた空間がつくられており、そこを円形に取り囲む人々がある。黒山の人だかりだ。

 言わずもがな、ジョンとロコを囲んでいるのだった。


「お嬢。お前、なにを言った」


 正面に立っていたロコをじろんとにらみつけて言う。彼女は慌てた様子でかぶりを振った。


「わたくしはそこにいたベルデュ様に、場所をあけていただけないかとうかがったのみです」

「おい無能。お前周囲になんと言ってこの場をあけさせたのだ」


 近くに立っていた、長身をわずか屈めて辺りを睥睨する男にジョンは問う。

 問われた男ベルデュ・ラベラルは中央分けにした黄土色の髪を片手で梳き、細い目でジョンを見つめ返した。


「『狂犬とシスターが場所をあけてほしいと言っているのでね』と」

「それだけではあるまい」

「『して、貴様はどちらに賭ける』と」

「見世物にしてくれたな」

「娯楽に飢えた騎士団の中で、腕比べなどという催しを企てる方が悪い。せいぜい愉快な闘犬を見せてもらいたいものだね」

「……ちなみに、オッズはどうなっている?」

「一・二対五・〇だ。無論貴様が前者」

「……ふん」


 先日の急速分裂型の事件でロコも現場にいたことから、多少腕前を恐れられているなどという話を聞いていたが。事件から三週間も経過すれば記憶も薄れたということか、はたまたやはり「所詮女だ」と軽く見られているのか。

 どちらであったにせよ、今日この場にいた人間たちは認識を改めることを余儀なくされるだろう。


「ベルデュ。もう少しオッズを変えた方がのちのち面倒がないと進言しておくぞ」

「まだお嬢さんの方の率を上げろと?」

「いいや逆だ」


 不思議そうに首をかしげるベルデュから目を離し、ジョンは気持ちを切り替えた。

 周囲にひとがいようといまいと、賭けの対象になっていようといまいと。やることはさして変わりない。

 上着にしている膝丈のインバネスを脱ぎ捨て、ジョンは袖なしの黒いシャツから延びる二の腕、その先を肉の代用として成り替わっている銀色の義手を引きずり出した。

 角張ったフォルム。騎士甲冑を思わせる装甲。肉残る二の腕の力で、この不動の鉄塊を持ち上げる。肘を天に向け、前腕を垂らした。


「さて、お嬢。準備はいいか」

「はい、できております」


 アッシュブロンドの長髪をゆるく風に流し、青金石ラズライトの瞳でこちらを見る。

 裾を膝辺りでざっくりと切った黒のローブは今日もしっとりと彼女を包んでおり、長そでの先から出た指先は白手套で、スカート部の裾から出た足はショースでおおわれている。

 取ったスタイルは、左半身ひだりはんしんを完全にジョンから隠すような右半身みぎはんみ

 軽く膝を曲げて出した右足、大きく引いて伸ばした左足。突き出して、肘を軽く緩めた右腕は、構えた木製の十字鍔短剣をゆらゆらと切っ先留めず動かしていた。左腕は脇腹を守るように中段へ配されている。

 幾度か目にした彼女の基本姿勢。

 小柄な体躯をぎゅっと縮め、力を溜めたその姿勢。

 ここから、相手の拳技・剣技をいなし逸らして流れに乗じ勝つ、流水のごとき体術が放たれるのだ。想像して背筋が粟立つ。


「ではジョンさま。一応ルールの確認を」

「ああ。――どちらかの降参か気絶を以て決着、だ」


 これを聞いて観衆はどよめいた。いや、そこを承知せず観戦に来たのか、とジョンは呆れる。

 どよめきがある程度収まると、恐る恐るといった感じで観衆のひとりが問うてくる。


「おいマッド……じゃない、ジョン・スミス。お前いくらなんでもそのシスターに全力、叩き込んだりはしねえよな?」

「さすがに《杭打ち》や頸部への貫手は使わん」

「いやそれは当然だろうがよ。そうでなくても、お前の腕は駆動鎧装なんだからよ……」

「駆動鎧装を付けた吸血鬼も珍しくはない。対吸血鬼を想定するならこれもくぐるべき経験だ」

「わかった、わかったよ。だがなぁおい、女の子だぜ。手加減とか手心は」

「お前は向かってくる吸血鬼が男か女かで対応を変えるのか?」


 言えば、観衆は黙った。

 だが少しすると「でも、美人だったら……」「ああ、それはな」「躊躇うな……」と下世話でどうでもいい話がはじまったので閉口した。


「もういい。やるぞ、お嬢」

「胸を借りたつもりでやらせていただきます。わたくし、駆動鎧装のお相手ははじめてなもので」

「ほかにはそれなりに経験がある、と」

「……ええ、まあそれなりに」


 歯切れの悪い様子でロコは答えた。なんだかんだで、この体術を含めた戦闘経験のあれこれについて彼女は語りたがらない。

 知られたくないことのひとつやふたつ、誰にでもあろう。ジョンはあえて訊くつもりもない。

 が、あの『斬道を操りいなす短剣術』には興味があった。かつては剣士でありかなり他流派についても見識のあるジョンだが、あの技は見たことがないものだったのだ。

 詳細を教えてもらえないのなら、自身の目で術理を見極めてみよう。

 そんな、彼にはめずらしい『興味本位』が今日の立ち合いの目的の半分を占めていた。


「では、はじめよう」


 肘内に垂れた革製のストラップを噛み、首をひねって大きく引いた。

 どるんと低い音を立て、駆動鎧装が始動する。

 油圧ポンプが軋みをあげ、疑似神経回路が覚醒。

 左半身の拳闘の構えで、ジョンは肘の噴出孔から漏れる薄い蒸気に巻かれた。周囲が歓声をあげる。


「…………、」


 対してロコは声も出さず、じっと半目で見据えている。

 彼我の距離は二メートルほど。背が低いものの刃渡り三十センチの短剣を構えるロコと、上背で勝るものの無手であるジョンとではリーチの条件はほぼ変わらない。

 先手を制した側が、主導権を握る。

 呼吸を静かに止めていき、ジョンは床を蹴って飛び出した。

 迫る剣先。ロコはぴくりともしない。

 ぎりぎりまで引き付けて――


「そこっ!」


 掻き消える剣。

 腕の脱力で一瞬下がった剣先が、裏刃――両刃剣を相手に向けた際、己の側を向く刃だ――で斬り裂かんとジョンの右こめかみへ跳ね上がってくる。

 すぐに軌道上に右腕を突き上げ、刃を防ぐ。だが接触は一瞬。引いた刃は翻り、今度は突きで襲いかかろうとする。

 その前にジョンは左腕を伸ばした。

 左掌が、短剣振るうロコの右手首を内側から捉える。


「捕った!」


 動きを硬直させ、右の拳を叩き込む算段が整う。

 しかし。

 ロコは冷静に、自身の短剣の切っ先を左手でつかんだ。

 次いで左腕を振るい下ろす。左右の手で両端をつかんだ短剣の刃を、ちょうどジョンの駆動鎧装前腕部へ上から押し付けるかたちだ。

 内旋していく右手首の動きと前腕にかかる重みで、ジョンの左掌が切り離された。戒めを解かれた彼女の短剣は、瞬時に切っ先より左手を離して真下から顎への切り上げを放つ。


「ぬ、」


 スウェーバック。

 ぎりぎりで顎先をかすめ、一撃を回避した。

 ととんとバックステップで距離をあけ、一息。

 ギャラリーもここで息を呑む。


「……な、」

「まじか」

「あの狂犬が押されてる」


 がやがやと再びどよめきが広がっていく。

 ジョンからすればロコの剣腕はわかっていたことなので驚きもないが、やはり噂は噂と思っている者が大半だったのだろう。相当な驚愕が伝播していくのが気配で察せられた。


「……しかし、いい動きだ。慈悲の短剣であることのメリットとデメリットを理解した上で、対吸血鬼にも対人にも有効な動きになっている」

「お褒めいただきありがとうございます」


 にっと笑い、また彼女は右半身に構えた。

 先の交錯……ロコは初手のこめかみ、掴みに対する迎撃、顎への切り上げ、とすべて吸血鬼にも効果のある攻撃を選んでいる。

 こめかみと顎はもちろん、脳を揺らして意識を落とし再生を防ぐため狙う位置。

 掴みへの迎撃も、生身相手ならば押し付けられた刃の角張りで痛みを与えつつ剣腕を自由にさせる良手だ。

 刺突以外では打撃武器の用途となることが多い慈悲の短剣ならではの戦法である。


「ジョンさまが忙しくされていた間、わたくしもなにもせずいたわけではありません」

「ふん。戦法をこの街用に合わせていたか」

「たしかにここへ来た当初のわたくしは、慣れない相手に苦戦してましたからね。同じ失敗はせぬよう、対人以外を視野にいれた技選択を身体にしみこませました」


 練習の期間はそう多く取れなかったはずだが、それでここまで最適化アジャストしてくるとは恐ろしい。

 ロコは剣に関して、ジョンの知る限りもっとも天稟がある人間かもしれない。


「……とはいえ、真っ直ぐすぎるきらいがあるからな」


 少し、搦め手を教えよう。

 じりっと半歩下がったジョンは近くにいたギャラリーに目配せする。

 俺? と言いたげな顔をしたそいつにうなずき、ジョンは手を伸ばした。


「あ」

「借りるぞ」


 ギャラリーにいたひとりの腰から抜いた、稽古用の木剣。

 これを左半身で右肩に担ぐように両手で構えた。切っ先は背後を向き、刀身は地面と水平。相手に剣の長さを悟らせない、間合い隠しの剣である。

 構えを見て、ロコは少し目を見開いた。


「……剣をご使用になるので?」

「使えんわけではないからな。かつてに比べると児戯にも等しいが」


 といって、児戯の悪ふざけで死ぬ者もいるのが世の常。

 ジョンは静かに目を伏せ、ロコの反応を引き出すことにした。


「来い。剣の相手は得意だろう」

「……いいでしょう。乗りますよ」


 挑発に乗って、ロコは剣に威圧を載せた。

 ジョンは不敵に笑む。



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