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14:整備と挨拶と自戒


 ぎしり、ぎちりと関節のはまる音がした。

 目を開いたジョンは、紙束に覆いつくされた部屋の隅、ランタンの明かりの下で椅子に腰かけている。

 ちょうど傍らにしゃがみこんで作業していたゴブレットが、バッフェを作業台にして整備していた駆動鎧装から、手を離したところだった。


「終わったよ」

「ああ」

「相変わらず、整備中は目を開けないね」

「……自分の腕が自分から離れているのを、二度と見たくないだけだ」


 目をしばたく。

 台の上に載った銀の両腕は角張ったフォルムを磨かれ、静かに光を返していた。

 椅子から立ち上がれば、ぶらんと垂れさがる。

 いつも通りのその腕を、ジョンは肉残る二の腕までの力で持ち上げた。

 肘内のストラップを噛んで引く。どるんと低音が周囲にねばりつき蒸気が流れる。

 稼働した両手を開いて、閉じて、また開いて。

 その場で虚空に拳を三度繰り出し、調子を確かめると停止させた。またぶらんと腕は下がる。


「軽くなった気がするな」

「各所に生じていたひずみを調整しておいた。とはいえ俺に可能なのはあくまでも整えるところまで、完全な修理はあいつ(・・・)しかできないのはわかっているね?」

「無論」

「あまり無茶をしないことだ。あいつもそれを願っている」

「わかっている。大切に扱うつもりだ」

「……いや、駆動鎧装だけじゃない。お前自身のこともだよ、ジョン」


 湿度の高い声音で言われたが、どこ吹く風でジョンは無視した。

 視線を外して天井をあおぎ、その方向にある場所を思う。

 大断崖の上。川の流れを辿った彼方にある、上等区画を。


「修理は、次にあちらへ(・・・・)行ったときにまた頼んでくる」

「金はあるのかい?」

「この前の急速分裂型を倒したことで入った。懐は暖かだ」


 騎士団の給金は歩合制というわけではないが、吸血鬼を倒した数やその階位レベルによって特別報奨金が出ることは多い。ジョンはそれを狙って騎士団に所属していると言ってもいいくらいだ。

 ゴブレットはハァとため息のような音を立てながら、先ほどまで作業台としていたバッフェに腰を下ろす。機械油と黒ずみにまみれた指先を胸から垂らした前掛けの縁でぬぐい、懐より安い煙草シガレットを取り出す。

 ランタンの風防硝子の覆いを持ち上げると、身を屈めて顔を近づけ火をともした。


「特別報奨金、か。また上からいろいろ言われてしまうね」

「有能な部下を抱えて結構だな、と」

「馬鹿を言ってはいけないよ。ねちねちした嫌味に決まっている」


 ジョンの返しにあわれっぽくうめいたゴブレットは、自分が今度の会議で向けられる視線を思ってか悲痛な顔で紫煙を吐いた。


「今回の一件。第一から第四までの上等区画警備の隊まで呼び寄せておいて、結果はどうだい?」

「俺たち下位隊だけで倒した」

「そうさ。その通りだ。おかげさまで向こうの体面丸つぶれだよ。……連中はどこまでいってもお貴族様、そういうときの反撃は本当に陰湿なんだよ」

「具体的にはなんだ」

「俺が安定コースから外される」

「これまでと変わらんじゃないか」


 呆れたジョンがぼやく。また軽口を言ってみただけか、と。

 ところがゴブレットは煙草の灰を落とすと、神妙な顔をしてみせた。


「いや……じつは先日の騎士団への聖職者加入の件で、新設部署への優遇措置があると言ったろう? 俺にもちょっと話が来ていたんだけどね……」

「どうした」

「昨日、送空管で連絡がきた。第八の隊長の野郎にポストを回したと」

「……そうか」

「どうしてくれるんだい?」

「知らん」

「知らんじゃぁないんだよ、知れよ。そうだ、その報奨金を少し分けて酒を奢ってくれ。そしたらそれで手を打とう」

「断る。俺は首を取るのが仕事だ。お前は責任を取るのが仕事だ」


 椅子の背にかけていたインバネスの襟元を、屈んでくわえて首をひねる。ふわりと肩にかかった上衣は、磁石の釦でばちんばちんと前を留められた。


「給金分、はたらけ」

「冷血漢め!」

「血が冷たければもう少し過動限界が伸びてありがたいのだがな」


 ごそごそとデスクの下の通り口へもぐりこみ、ジョンは部屋をあとにした。



         +


 長い机を中央に据えられた会議場に出ると、通っていた騎士団の人々が少しだけジョンを見て止まる。

 ひそひそと声が漏れている。「……奴だ」「戦闘狂いの」「腕を失くすまでに三体、失くしてからも四体、急速分裂型を倒してるって?」「マジかよ……」「やっぱあれだ」「マッド、」「それ以上やめろ」

 普段ならば気に障る言葉だったが、さほど今日は引っかかることもなかった。

 ふん、と鼻を鳴らして歩き出す。びくりとして、周囲が固まり、平静を装って歩き出す。

 その中でひとりだけ、ずかずかとジョンへ近づいてくる者があった。


「おい、少し待たないかそこの貴様」


 言いながらやってきたのは黄土色の髪を肩まで伸ばし、長身をわずか屈めて細面の顎を引いた姿勢の男。

 黒の詰襟と膝丈のブーツをまとったベルデュが、ポケットに手を入れたままじろじろと半目でジョンをためつすがめつし。不愛想で不躾なあいさつをしてきた。


「……よく、生きていたな。相変わらず悪運は強い」

「ああ。もはや打つ手なし、というところまで追い詰められたがな」

「その微妙な、あまりに微妙な言いぶりはジョークか? 笑えばいいのか」

「好きにしろ」


 だれも笑ってくれないジョークだというのは、ジョンが一番よくわかっている。それでもたまに、言いたくなるときがあるのだ。

 ベルデュはいかにも作り笑いという顔で、ハ、と一音だけ笑ってみせた。

 それから視線を落とし、己の腰の剣に手を添える。


「……そんな、打つ手もなかった奴がよく戦えたものだ」

「そうだな。今度ばかりは死んだと思った。どこぞのだれかが死地にシスターを送り込むような真似をしなければそうなっていただろう」


 肩をすくめて、ジョンは言った。

 ばつが悪そうなベルデュは言い返せない様子で、顔に苦い色を混じらせる。


「ああなったのは、私も予想外だったんだよ。なにせ彼女が問うたのは『避難は完了していますか? 一番危険そうな場所は?』という内容だったんだ。……まさか避難誘導ではなく貴様を助けにいくつもりとは、そして助けてしまうとは、夢にも思わないさ」

「……それは」


 すんなり答えてしまっても、おかしくない問いだ。

 ……まさか普通に問うてもベルデュが答えないだろうと見切って、こんな問い方に瞬時に変えたのか? 心中でそんなことを考えて、あのときジョンと共に戦うべく彼女が回した口の達者さを思い返す。

 同時にあのとき彼女に感じた、怖気のようなものも。


「何者だい? 彼女」

「知らん」


 語られないことはないことと同じだ。

 言うべきなら言えばいいし、聞くべきならジョンも聞こう。それだけだ。

 ベルデュはあまり返答に期待していなかったのか、そうか、とだけ言って横を通り過ぎようとした。


「ではな。私は剣の修練に行く」

「おい、ベルデュ。お前はまだ……」

「なんだ」

「まだ、剣に生きて死にたいか?」


 問えば、ジョンのすぐ後ろで足を止めて、彼は左腰の剣を撫でた。


「己の身を助けられるのは、助けられてしまうというのは」


 表情を見せず、彼は言う。


「辛いものだな、ジョン・スミス」

「そんなに剣に死にたかったか」

「いや。いまのは、貴様に助けられたことを言ったのではないよ。その前に二人、我が隊の者に私はかばわれたのでね」

「……ああ」


 吸血鬼のアブソゥ流剣術によって斬り捨てられた二名だ。悪い腕ではなかったな、と動きを思い返しながらジョンはうなずく。

 気まずそうに、剣から手を離して、ベルデュは視線を合わせてきた。


「それを思うと、お前に制止されて生き残れたことには、感謝するよ。まだ――生きられる。生きて成したいことをできる」


 ベルデュは修練場へ去る。

 足音が遠ざかる。

 もうずいぶんと音が遠くなったところで、ジョンは振り返らず歩き出した。


        +


「あ、来ましたね」


 会議場から階段を上がり、煉瓦アーチの通りに出て。

 右手すぐのところで丸テーブルをいくつも置いたパブの一角、その中でひとが集まっていない隅の方より声をかけられる。

 くせのあるアッシュブロンドの髪が、腰までうねりを帯びて流れる。腰かけた様は修道女然としているが、黒いローブの裾を短く膝丈に切って縫製しているためどこか浮いた印象の強い少女。

 ロコ・トァンがジョンを待っていた。


「調子はいかがです?」

「問題はない。すぐにでも戦闘を行える」

「……そういうこと訊いたつもりではなかったのですが。腕の火傷や斬られた傷は、もう治ったのかと訊きたかったのです」

「二週間ももらえば大方癒える。駆動鎧装も、ゴブレットの整備で調子はいい」

「ですか」


 ほっとしたようにロコは笑った。

 このところすれ違うことはあれど、身体の治療に報告書の提出に急速分裂型討伐の褒賞授与と、ばたばたせわしなかったためにあまり対面して話すこともなかったのである。


「それにしてもあの吸血鬼は、相当な難敵だったのですねぇ」

「急になんだ」


 彼女の正面の席へ腰を下ろしながら、ジョンは尋ねる。メニューを見ながら、ロコはいえあのですねと切り出す。


「なんだかあの一件以来、ひとから距離を置かれるようになったのですよ」


 言われてみれば、いま現在も周囲に人気がない。


「聞くところによると、どうも急速分裂型を倒したことにわたくしが関わっていたことで、なにやら腕を恐れられているといいますか……」

「仕方がないだろう。お前の剣腕は事実、奴を倒すための切り札になった」

「だから、あれは剣術ではないのです」

「ああそうだったな」


 メニューを前に差し出されて、並ぶ中から食べるものを選ぶ。

 黙々と隅から隅まで熟読するジョン。

 ロコはどこかその様に思うところあったようで、不思議そうにぼやいた。


「訊ねないのですね」

「なにをだ」

「いえ、『剣術でないならなんだ』とか」

「訊いてほしいなら訊いてやる」

「いえそういうわけでは」

「面倒くさいな」

「う、言われると思いましたけどね……ただまあ、語れないですし、訊かれないのはありがたいのですが」


 じ、とジョンを見る。

 青金石の瞳が、奥の方まで見据えてくる。

 ふと、そこで。

 ジョンはどう返すべきかと思案している自分に気づいた。

 妙なことであった。他人にどう思われていようと気にすまいと、そう生きて来たのに。

 いつの間にかジョンは『こう言うべきだ』という答えを探し、見つけていた。


「……別段」

「はい?」

「訊ねないのは、お前の存在や命をどうでもいいと思っているからではない。そして訊かなくとも、俺の平穏は保たれているからだ」


 それだけ言って、口をつぐんだ。

 ぽかんとしていたロコは、ややあってから額をぐりぐりと立てた親指で揉む。それでも眉間に寄った謎のしわはほぐれず、疑心そのものといった顔つきでテーブルに身を乗り出してくる。


「……意外です」

「なにがだ」

「ジョンさま、この前の戦闘中にわたくしへ言ったことを、気にしておられたのですか?」


 お前が死んでも、俺の平穏は変わらん。

 たしかにそう言った。

 売り言葉に買い言葉であったが口にしたのは事実だった。

 だから訂正すべきだと。いまさらながらに思ったのだ。


「お前に対して気を使ったわけではない。自戒だ」


 自分が自分であるために。

 ぶっきらぼうにこう言ったジョン。ロコは、耳にした言葉がじわじわとしみこんできたかのように、にまにまと笑みを広げていった。

 言うべきでないことを口にしてしまった気がして、少しジョンは後悔した。


「ふふ。今度一緒に教会いきます?」

「なぜそうなる」

「自戒の次は告解です」

「ひとに許しを乞う気はない」

「ひとではありません、乞うのは神にですよ」

「天上の神など俺は信じていない」

「そうですか。わたくしもです」


 は? と呆気にとられるジョン。

 ところがロコはすでにジョンから目を離しており、メニュー表片手に店員を呼び止めていた。肉入りのシチューと、糖蜜をかけたパンを頼んでいる。

 唐突に飛び出した問題発言をまるでなかったかのように、彼女は溌剌とした笑顔でジョンにメニューを差し出してきた。訊き返している空気でもなくなってしまったので、おとなしくオムレツと豆のスープを頼んでおく。

 そこで店員は勘定置きのトレイを取り出した。先払いであることを知らなかったらしいロコは、慌てて腰の後ろに置いていた聖書を取り出し十字に結んだ革紐を緩めた。そうだ、彼女は物盗りに合わぬようこの書のページの間に紙幣を挟んでいる。

 ぱらぱらと開き、紙幣を出す。

 その、一瞬薄く開いたページを見て。

 ジョンは頬の引きつりを感じた。


 ――まっさらだ。


 白く、なにも書かれていない。

 彼女はいつも、吸血鬼の葬儀礼のときにその書のページをめくっていたというのに。縁が日焼けして黄色くなっているのみで、落丁したかのように、文字がすっかり抜け落ちていた。

 ……そのページだけか? いや、そうであったとしても。聖書における落丁本や誤記本というのは『非ざる道の書』と言われ、宗派への反対派が行う儀式や後ろ暗いまじないに使われるものとされる。聖職者が持っていていいようなものではない。

 ジョンに見られたことに、気づいているのかいないのか。

 ロコは革紐を締めて書を閉じ、まぶたを下ろして両手を組む。

 食事の前の祈り。

 いつものルーチン。

 彼女の所作は常に完璧で、宗教に疎いジョンでさえ、邪魔してはいけない敬虔さ神聖さを感じさせる。

 だが今日は、そうあることが不気味であった。


「……お前は」


 なんだ?

 訊くべきかどうか迷う。

 しかし迷いのうちに機会を逸する。まぶたを開けた彼女の目を見ると、訊ねる気力が失せた。


「さて。食事、楽しみですね。ひとりでない食事はいいものです」


 にこにこと。

 毒気ない様子で言う彼女。

 何者かはわからない少女。

 けれどそれを言うのなら、ジョンも同じことだ。

 名を捨て、語らず、無頼に生きている。

 それでも、互いに助け合うことはできた。


「……まあ、そうだな」


 ならばそれでいい。

 いまはそれでいい。

 ジョンは背もたれに身を預けて、静かに目を閉じた。

 身体の横で、駆動鎧装がキシ、と鳴った。


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