13:連携と杭打ちと決着
決着の場所に選んだのは、工場の奥に位置するプレス機の近くである。
鉄柵に囲まれたスペースの中、床から突き出す半径まででもジョンの背丈ほどある巨大な歯車が回転し、力を伝えて機械を動かしている。
それが彼方までいくつも連なり、休むことなく金型で成型している様ができあがっていた。
幅三メートルほどの通路でジョンを背にかばい、右手の短剣を構えて先を歩くロコ。
……『手負いだが、倒すべき相手を求めさまよっている』そんな風に見えるようふるまった。策が露見するのは少しでも遅れてくれたほうがいい。
けれど相手もさるもの。見抜かれる可能性も考えねばならない。思いつつジョンは先を見やって――見つける。
「おや、おや。まさかこちらまで来てくれるとは」
ずたぼろになった作業着を引きずるようにしながら、男が現れた。
右手の剣を肩に担ぐようにして、ぽんぽんと鎖骨の辺りを側面で叩く。当然だがすっかり体力も回復している様子で、落ちくぼんだ目にはぎらついた殺人衝動が光る。
「てっきり逃げるかと思っていたよ」
「……吸血鬼をすべて倒すまで俺は止まれん」
ジョンが返せば男はふうんと首を傾けた。
「なるほど。大した決意だ……けれどその決意がために命を落とすことになるとは、考えていなかったかな?」
「そちらこそ、拾った心臓をわざわざ捨てにきたと見えるぞ」
「いや、なに。腹が減ったのでね。そろそろ血を摂取したいと思っただけだよ」
顔色が土気色に変わる。瞳が充血する。犬歯が露出して下唇を噛む。
きしりと笑んで、男は剣を肩から下ろした。
さあ、どう出る。
それを使うのか、捨てるのか。
「では決着を、つけましょうか」
男が行動に出る前にロコが宣言し、右手の短剣を掲げた。
わずか面食らった様子であったが、男は静かに目を細めると、この誘いに乗った。片手持ちだった剣に左手を添え、左足を引くと牡牛の型に移行する。
「ああいいだろう。負けっぱなしは俺としても癪だ」
切っ先は揺らめく。
縦列に並んだロコとジョンのうち、近い距離にいるロコに狙いをつけている。しかし視界の奥にいるジョンからも注意は逸らしておらず、切っ先越しに視界内部をぼんやりと遠く見据え全体を俯瞰している。
乱戦に対応する視野の取り方だ。
乗ってきた。剣の勝負に、応じてきた。
これで策は滞りなく進められる。
#
「剣で戦え、ですか」
「ああ」
吸血鬼の男を探しながら工場内を歩く道すがら、ジョンはロコに指示を出していた。
「奴は相当な剣の使い手だが、同時にその腕に対する自負が感じられた。俺が奴の流派の名を出したとき、少し緩んだ表情を見せる程度には剣への執着、愛着がある」
「それが、どうして剣での戦いを挑むことにつながるのです?」
「奴は先ほどお前に負けた。その事実を払しょくするため、勝ち方にこだわるはずだ」
ベルデュが挑もうとしたのと同じく。
あの手の剣士は己の技に自信があるがゆえ、それを破られた事実は認めがたい。
ならば、剣で挑めば乗ってくる。
「戦闘はいかに己のペースに相手を引き込むかだ。乗せられれば、勝率は上がる」
#
男は誘いに乗った。ここまでは想定内。
問題があるとすれば、牡牛の型もロコの技も誘い受ける技法という点だが……
「しっ!」
無用な心配であった。
鋭い発声と共に自ら一足飛びに懐へ突っ込んだロコが、切っ先に己の短剣の十字鍔を当て大きく弾く。
この勢いを受けて肩を回すようにして、男は剣を斜め上段に振りかざす。
が、受け止めるロコ。低く腰を落として溜めた力を利して、真下からの軌道で突いたのだ。威力が乗り切る前に分厚い十字鍔で刃渡りの中ほどを突き上げられ、仕掛けた側たる男の上体が傾いだ。
「くっ――」
うめき、のけぞる勢いのまま後ろの左足に重心を引いて、右手を柄から切り離した。
次いで腋を締めるよう左腕を折りたたんで引き込み、片手で打つ変則の横薙ぎ。
ロコは素早く体を立て直すと、剣の軌道に短剣を突き出し交差させた。
剣身を下からすくい上げる例の動き。これで軌道は逸らされ、ロコの頭上を抜ける。男は歯噛みした。
「その防御、短剣の間合いに風が荒れ狂っているかのようだな……!」
「暴風とは失礼な」
ぼやきながらロコが切っ先を返す。ぷつりと、男の両頬より血が吹いた。鋭い突きが目を狙っている。
あまりの精度に恐れをなしてか、ざりりと半歩退いた男は再度牡牛の型に構えなおした。
ロコは意にせず踏み込み、今度は相手の切っ先を打つ。
瞬間ぐわん、と。
手首のスナップをきかせて、腕がねじれたように見える剣筋が現れた。
「なに!?」
傍から見ていても、実際に剣身が螺旋によじれ曲がって切っ先に巻き付いたように見えるほどの動きだ。
驚いた様子で男が剣を引く。その動作をこそ彼女は誘っていたようで、相手が引く力に重みを載せて剣先を右下方へ弾き逸らした。
結果、斜め掛けに振り下ろした直後のような、無防備に硬直した姿勢を晒す男。
ここへさらなる一歩。ロコは男の至近へ達する。
前に出ている右膝裏に左脚を差し込んで、左腕の横薙ぎ一閃。
前腕で水平に払う一撃を顎に打ち込み、後頭部から床に叩きつける。くぐもった悲鳴があがり、男の重さを感じさせる鈍い音が轟いた。
やはり剣と体さばきにおいて、ロコは相当の達人といえる。ただ問題点があるとすれば……あくまでも『対人用の技』であるという点だ。
倒れ、後頭部から落ちたことで床を真っ赤に染めながらそれでも剣を振るってくる男。
髪をかすめるようにのけぞってかわし、ロコはととん、と二歩後退した。
「……やはり決め手に欠けますね」
困ったようにちらりとジョンを見てきた。
さすがにこればかりはどうにもならない。ジョンは首を横に振る。
いまのロコの技は、人間相手なら確実に戦闘不能にしていた。完璧な動きだ。これ以上ない。
だがそれでも吸血鬼相手には足りない。足りなさすぎるのだ。
はじめて出会ったときジョンはロコに「吸血鬼相手には人間相手より二手多く技をかけろ」と進言した。
とはいえ実際問題、《急速分裂型》のような再生速度の相手ではその二手をかける時間で反撃を食らう恐れがある。つまりジョンの《杭打ち》のように一撃で大破壊をもたらすような技がなければ、負けないにしても勝つことはできない。
「うむ、ふむ……だめかぁ。到底勝てそうにない」
ぐきぐきと首を鳴らしながら、再生を終えた男が立ち上がる。
「……まあ時間をかければ勝てるわけだけど。さすがにそれは大人げない、か」
くつ、と笑って男は言う。
実際、彼の言う通りだ。負けないし勝てない――というのはあくまでも現状においての話。
向こうには、再生力に加えて無尽蔵ともいえる体力がある。持久戦になれば不利なのはこちらだ。
「短期決戦でお願いしたいところですね」
「それはこちらでは決められないことだなぁ」
視線の端からジョンを逃がさず、男は言う。
策に、感づいている。当然のことだろう、一度はやつを絶命寸前まで追い詰めた《杭打ち》、右腕で使えて左腕で使えないはずはない……というところまでは読んでいるはずだ。
現実としては、先ほど給水栓より核に向けて水を貯蔵できたため両腕とも使用可能となっている。ついでに腕自体を流水で冷却したため、過動限界までのタイムも少し稼げた。
そうは言っても焼け石に水、一度加熱された腕が再び肉を焦がすような温度に達するまであまり猶予はない。はあ、と息を吐くジョンの顎には汗が垂れた。
ロコが崩し、ジョンがその隙に止めを刺す。
そのために縦列で備え、幅のあまりない道を選び、ロコが挑んでいる。
この意図は読まれているはずだ。
となれば。必殺の手を持つジョンを先に狙うのが定石。
「しかしまあ。短期決戦がお望みならば――こちらから行こう!」
牡牛の型を取らず、下段に剣先を流した。
ふらりと、身体が進み出る。
上体と下腿の連動が切り離された、と感じる歩みである。
剣はただ持っているだけ。
剣での競り合いを、捨てた。
捨てたのだ。
「矜持を、捨てたな」
ジョンの誹りは聞こえていまい。
それは誹りであり、同時に落胆であり、憤りでもあったのだが。
男には聞こえていまい。
#
「で、途中から剣の勝負でなくなると?」
「二、三合も斬り合えばほぼ確実にな。逆に、持久戦に持ち込まれたなら俺たちの側の勝機がほぼなくなる」
「あまり考えたくない状況ですね」
「ああ。しかし十中八九、持久戦にはならない」
「いやに自信がありますね?」
不思議そうにロコは言う。
彼女は自身の技を剣術ではないと言ったし、その技法に対する自負や驕りもないようだ。
それならわかるまいな、と思いつつジョンは返した。
「自信というのではない。ただ俺は剣士というのがそういう生き物だと知っていて、信じているだけだ」
#
男は早足で近づき、ロコの剣の軌道を押さえるように左腕を突き出した。
そうだ。
ただ勝つことのみ求めるのなら――剣で競えば絶対に勝てないであろうロコに挑む手はひとつ。再生力を頼りに捨て身で突進することである。
あとは強引に突破して、疲労が抜けきらないジョンを仕留める。
……などと、考えているのだろうが。
「剣で勝てないから剣を手放しただけ。結局お前はまだ、剣にとらわれている」
捨てきれていない。
お前は、勝ちにいっただけ。
剣士としてこれ以上負けを重ねるのが嫌だから、削り勝つ持久戦でなく軽々に短期決戦に走る。相手の考えに乗ってしまう。
剣に生きた者である以上仕方のないことだが、しかしそこがつけ入る隙なのだ。
「隙だらけです」
ロコは短剣を手放した。男が目を剥く。
当然の話だ。ロコは己に剣を向けてこない相手に剣を向ける気はない。
そして彼女の技は剣術ではなく、総合的な体術なのだ。
身を横へ半歩ずらし、ロコは男が突き出した左袖を左手で、襟首を右手で引き、出足を高速で払う。
自らの走る勢いに乗って吹っ飛んだ男は、素早く足を踏みかえることでなんとか転がることこそ阻止したが、攻めにも守りにも移れない大きな隙を晒した。
「くたばれ」
「う、おおおおおお!」
とっさに男は踏みかえて出した左足を軸に時計回りに身を振り回した。ジョンが踏み込んで繰り出した左拳は、その回転の分あいたわずかな距離によって空振る。
ち、と舌打ちしながらジョンはもう一撃繰り出そうと右の貫手を構えるが――反転した男の剣が降ってきたためこれを防御するため掌を開き頭上へ掲げる。
火花散らし擦れ合う剣と掌。ぎゃりぎゃりと耳障りな音が間近で爆ぜる。
その数瞬に、男は左手を剣身の裏刃に当てて体重をかけてきた。
当然彼の掌は裂け、ぞぶぞぶと皮膚を掻き分け手根骨に達する。
だが、《急速分裂型》の超速再生。斬る傍から再生していく皮膚の盛り上がりによって手を切り落とすことはなく、両手で押し込んでくる。
「腕の仕込みは撃たせない……!」
にいいと口の端を歪ませ、男はジョンの側頭部に表刃を近づけてきた。
片腕では押さえきれない。ならばこちらも左手を添えるか。
……いや。
「馬鹿め」
かきん。
音が連なった。
剣を握る右掌の関節がロックされていく。
歯を食いしばる。踏ん張りをきかせる。
右腕の奥深くで、核が赤熱し蒸気をボンベに満たした。
上がっていくボルテージ。
雷電が、駆け抜ける。
加熱がジョンの肉を苛む。びりびりと皮膚が剥がれるような痛みに腕が震える。
保て。
あと一秒でいい!
「――《杭打ち》ッ!!」
肘から噴出した蒸気が押し合いの均衡を突き崩す。
下からオーバーハンド気味の軌道で打ち上げた右のゼロ距離掌打で、男の圧し斬りを打ち返した。
押し戻された勢いのまま剣が閃く。
添えていた左手が吹き飛び、
ぞぶんと男の首筋に、裏刃がめりこんだ。
「が――――あ――――ああががぁぁぁぁっぁあぁ」
しかし浅い。頸部を斬り飛ばすまでには至っていない。
ならばもう一撃。左の掌底を構えて剣に打ち込もうとするが――ここにきて過動限界。右腕の加熱の痛みに耐えきれず左手の狙いがぶれる。
まずい。すでに再生ははじまっている。
白目を剥いていた男がしかと焦点をこちらに合わせた。
「き、ざ、ま、は――」
「あああああああああああぁぁっ!」
高い声。
がぁんと打ち鳴らされた剣戟の残響。
怨嗟の言葉はそれに遮られた。
――ぐるん。
ぐるん、と。
回転しながら舞う首は、言葉を途切れさせている。
指示系統を失った身体が、ふっと力を失った。
遅れたようにぶしゅり。盛大に血を吐き出して、胴体がジョンに向かって倒れ来る。
ざばりと生暖かい血液が、髪から垂れシャツを浸し背筋からボトムスまでびたびたにした。腕が赤い煙をあげて鉄臭い。
真っ赤に染まってその気分の悪さに顔をしかめ、ジョンは倒れ来た死体の向こうに、慈悲の短剣を振るい終えたロコの姿を見た。
食い込んだ剣に最後の一撃を加え、首を切り落としたのだ。
「……お前」
「おっと。失礼。血をかぶらせてしまいましたね」
息を整えて、ふうと胸を撫で下ろしてから、彼女は口を開いた。
「以後はこのようなことがなきよう、気をつけます」
にやっと笑って、そう言った。
「……政治屋みたいだな」
ジョンも少しだけ、苦笑いがこぼれた。