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12:秘剣と遁走と蒸気過動


 突如として乱入してきたロコに、驚きを隠せないのは男もジョンも変わらない。

 ただ驚愕からの復帰と行動は男の方が速かった。


「ふむ、ふむ……邪魔者から先に、片付けようか」


 一転、ジョンを捨て置きロコに向かう。

 追いすがろうとするジョンだが、出遅れた以上ついた差は埋まらない。走る途中、男は牡牛の型から上段、アブソゥ流でいう旗持ちの型(フラグフォーム)へ変わる。

 途端に駆ける勢いが剣へ宿る。

 これは制動をかけた瞬間、慣性を用いて振り下ろす剣筋だ。一見してわかるほど二人の間に体格差がある以上、受けることは絶対にできない。

 だというのにロコは近づく男を見つめ、ぼうっとしていた。急な展開に精神がついていけないのかもしれなかった。


「お嬢、逃げろっ!」


 叫ぶジョン。だが現実は無慈悲で、ロコは身動きひとつ取れない。

 男の全身がうねりを帯びた。

 踏み込んで制動をかけた瞬間、回された腰から威力が切っ先へ迸る。

 ジョンの耳に嫌な音が聞こえる。

 華奢なロコなど一刀の元に二つへ分かたれてしまっただろう、重たい斬撃の音が――


 否。


 それは想像が生み出した幻聴である。

 実際に聞こえていたのは一瞬の刃の交錯を示す高い音だ。

 駆け寄るジョンの前で、剣を振り下ろした男の背が、不可解だと言わんばかりのこわばりを見せている。

 その向こうに、ロコが立っていた。


「ふぅ」


 ゆるく息を吐き。

 すいと持ち上げただけのように軽く肘を曲げ、中段へと片手で慈悲の短剣を構えていた。

 たったそれだけ。にもかかわらず――彼女は無傷である。

 呆気にとられるジョンの前で、しかし男は止まらない。身体にしみついたのだろう動きに従い、手ごたえがなかった場合に繋ぐ連撃へ。広背筋がうごめき、切り上げが放たれる。

 応じるロコの動きはごく小さなものだった。

 右半身で構えた短剣を、斜め下方へ突き下ろすように出す。

 切り上げの軌道に、ロコの短剣が交差した。

 途端にひゅんと音を立て男の剣は再び空を切り、前傾したロコの頭上を過ぎた。


「馬鹿なっ……!」


 口惜しそうに男は言う。

 そして振り抜いた剣に引っ張られるように、上体を大きく傾がせた。刃渡り三十センチほどの短剣が、まるで指揮棒タクトのように剣と男を操っている。

 凄まじい、剣技である。

 おそらくは身に迫る相手の剣の下に短剣をもぐりこませ、すくい上げるように軌道を逸らしたのだ。……そればかりか剣に勢いを加算させて相手が振り抜く力を強め、体勢まで崩している。

 数多の流派を見てきたジョンだが、このような技は見たことがない。


「――ジョンさまっ!」


 隙を見逃さず懐に飛び込んで、左腕の一閃。ロコは男の左脚を抱え込んで腹を肩で押し、仰向けに倒しながら、ジョンに声を飛ばした。

 倒れ込んでくる背中。意図を察して、ジョンは強く地面を蹴る。

《杭打ち》なしの駆動鎧装での貫手は首などでなければ貫くのが難しい。

 しかし、相手が倒れてくる力を利用できるならば!


「っおおおおおお」


 叫び、左の突きを繰り出す。

 ぞぶ、と指先が背の筋肉を掻き分けていく。

 いけるか。そう思ったが、びりっとした痛みが二の腕の駆動鎧装との付け根に走り、思わず威力が逸れる。これに気づいてか男は身をよじり心臓への直撃を避けた。肋骨にかちんと指が擦れた音。

 ならばと右の貫手。肋骨で守られていない低い位置の臓腑、腎臓を狙って刺し込んだ。


「うっぐっ……がぁぁぁ!」


 苦痛にあえいで剣の柄から手を離し、振り回される裏拳。

 屈んで回避して両手を抜き、ジョンは男の膝裏を蹴って体勢を崩した。


「来いお嬢!」

「えっあっ、はい!」


 即座に遁走。ジョンはロコと共に工場の中へ逃げ込んだ。

 入ってすぐのスペースは雑然と金型やワイヤーといった部品が並べられており、奥が加工用の器材スペースとなっていた。

 ジョンは入口脇の大扉を蹴った。ごうんと音を立て、蝶番を軋ませながら重たい扉が閉じゆく。

 吸血鬼の男は目前まで迫っていたが、その剣が届く前に扉は閉じられ、ロコが太いかんぬきをかけた。分厚い鉄扉だ、これで入ってはこれない。

 ところがすぐに、男がどこかへ去る音が聞こえた。ジョンは素早く首を巡らし、回り続ける巨大な歯車とそれらが伸長させるベルトやチェーンの入り乱れる工場内を見やった。見える範囲には、とくにほかの入り口はないが。離れたところにあるのかもしれない。


 あるいは、ジョンたちの相手をするのをやめて逃げたか。

 どちらであったにせよ、ジョンは戦うつもりだった。まずは消化栓のような、勢いよく給水できる水場を……


「ぐ、」


 ずきりと、駆動鎧装の付け根で痛覚が悲鳴をあげる。

 痛みが治まらなくなりつつある二の腕の付け根を意識させられる。ジョンは滲み始めた汗を目に入れないようかぶりを振った。

 そこで視界の端にロコが入り、ふと疑問を投げかける。


「……そういえばお前、どうやってここまで来た」

「あ、はい! 詰所を出たジョンさまを追っていたところスピーカーでこちらが現場だと知りまして、あとは逃げる途中だったらしいベルデュさまに、こちらにいると」


 あの男のせいか、とジョンはため息をついた。


「ともあれ、窮地を救われたな」

「いえそんな。それこそわたくしも、最初に会ったときに助けていただきましたし」

「あのときは金にならんことをしてしまった。それより、あの剣技はなんだ? あれほどの技が使えたならあのときも切り抜けられただろう」

「……無手の相手に剣を向けるのは、葬儀礼で手向けるときだけなのです」

「そうか」


 わずかに言いよどんだことで、あの剣技の詳細について述べるつもりがないのはわかった。

 ならば踏み込むまい。ジョンはうっとうしい汗を払い、水場を視線で探しながらつづけた。


「ただあの剣技では、奴を討つことはできないな」

「まあ……あくまでも剣術ではありませんし。相手の力を利用し、捌いて打ち倒すことを目的とした技ですので。心臓や首を砕くようなことは、わたくしの細腕ではかないません」

「だろうな」


 ジョンは頭上のスプリンクラーを目で追い、配管の集まる場所を見つけた。あそこならば、腕に給水させることも可能だろう。

 一方、ロコはあまり戦闘の役には立たないということでどうしたものかとそわそわしている様子だった。

 ふうと息を吐き、ジョンは耳を澄まして。外で男が待ち構えているわけではなさそうだと判断すると、閂を外した。


「ならばお嬢、お前はもう帰れ。他の隊の応援を要請してこい」

「ジョンさまはどうするのです?」

「知れたこと。奴を打ち……っ……滅ぼす。お前を行かせるのは、倒せなかったときの保険だ」


 いままた、びりりと皮膚を裂くような痛みで、声にひるみが混じる。

 汗も止まらなくなりつつある。服に滲み顎を伝い、工場の中で多少外より暖かとはいえ異常な量のしずくが垂れる。

 ロコは奇妙に思ってか、眉をひそめていた。


「ジョンさま……もしや体調が、」

「気にするな」

「ですが」

蒸気過動オーバーヒートのせいだ。気にしなくていい」


 ここまで言って、やっと理解したらしい。

 近くにいる彼女にも、この駆動鎧装が発している熱はしかと伝わっているのだろう。

 じりじりとした痛みが、二の腕の付け根から這い上ってきている。

 ……蒸気過動。このドルナクではよく知られたものだが、外から来たばかりであまり蒸気機関に親しみのないロコは知らなかったのだ。

 発達した蒸気機関技術はやがて動力源として車や船だけでなく、ひとの義肢として機能を持てないかとの思考に至った。結果生まれたのが駆動鎧装スチームアームである。


 しかしその運用にはひとつ問題があった。

 蒸気機関を用いる都合上、どうしても発生してしまう『放射熱』である。

 ある程度の力仕事や作業に耐えうる動作性能を求めると大型化してしまう蒸気機関、となれば放射される熱も相応に大きなものとなる。

 これを冷やそうと冷却器を取り付ければまた大型化し、そうなればコストも上がりパワーが必要になり、大型化し――といった具合で、際限のない調整がつづくこととなった。


 さて、結論から言うと。

 完璧に腕の代わりをこなす駆動鎧装はどれほど調整しても作り出せなかった。

 ゼンマイと小型内燃機関を用いた、低出力だが日常動作はある程度こなせるもの。あるいは雷電と大型内燃機関を用いた、高出力だが短時間しか使えず精密動作性は低いもの。そのどちらかに大別された。

 そしてどちらのタイプであっても、腕のサイズは丸太のように太く、鉤爪じみた指先は膝にかかるほど長い。先日戦った吸血鬼が装備していたもののように、だ。


「俺の腕は、後者の改良型だ」


 高出力。

 かつ小型。

 精密動作性を保持。

 さらには『核』による《杭打ち》のような特殊機構まで備わる。


「だがその代償として、冷却器がほとんど搭載できていない……つまり稼働時間に比例して熱がこもり、じかに接している腕が焼ける」

「だからいつも、戦い終えるとすぐ止めていたのですか」

「ああ」


 小さく蒸気を吐く腕が、熱を溜め込んでジョンを苛む。

 とはいえこんな腕でもなければ、ジョンが求めるような戦闘力は得られない。先日の吸血鬼のように巨大な駆動鎧装では大振りで単調で、とてもじゃないが高度な戦闘には用をなさない。

 だから痛みを我慢して、この腕を扱いつづける。


「それだけの話だ。わかったら行け」

「わかりましたが、行くのはいやです」


 振り払うように言ったジョンに、ロコは首を横に振った。

 わからない奴だと呆れながら、ジョンはかぶりを振った。


「お前がここにいてもできることはない」

「……ジョンさまこそ、そんな過動限界が近づいている中で残るおつもりですか? 先ほどわたくしが隙をつくった際に使わなかったことから察するに、《杭打ち》も使い切っておられるのでしょう?」

「ここならば障害物が多く剣も振りにくい。手はある」

「いいえ逃げましょう。ここへ来るまでに見ましたが、周辺の人々の避難はほぼ終わりかけています。無理をおす必要はないのです」

「駄目だ。吸血鬼は始末する」


 強情に見えるだろうとはわかっていたが、それでも口にせざるを得なかった。

 ロコは、かたくななジョンを見て思うところあったか、声を低めた。


「……おひとりで死地に潜り込むおつもりですか」

「そうだ。いつもそうしてきた」

「お金のために?」

「悪いか?」


 怒っていると聞こえるよう、わざと素早く返事をしたのがまずかったか。

 突き放そうとしている感情を察したのか、ロコは逆に冷静になった。静かにゆっくりとかぶりを振ってジョンの言葉に問い返した。


「いえ。ただ、それだけを目的とするなら、こうまで必死にならないと思えまして」

「給金以上の働きはしない。だが給金までの働きはする。そう決めているだけだ。奴らを滅ぼすのが俺たちの仕事だ」

「吸血鬼が、お嫌いなのですね」

「そうだ」

「吸血鬼を、滅ぼしたいのですね」

「……そうだとも」


 先の、宿での身上相談のつづきのようであった。

 少しうつむいたロコは、なんとも形容しがたい面持ちで。

 けれど意を決したように、右手の短剣を強く握りなおす。


「どうせ、応援ならばベルデュさまが呼んでおりましょう」

「……なに?」

「ですからわたくしは残ります。残ってジョンさまと戦います」

「お前、」

「《杭打ち》も使い切ってその上に過動限界も近づいているというのであれば、おひとりで凌ぐこともままなりません」

「そんなことはない」

「ならその傷はなんだというのですか?」


 肩や腕や胸。浅いがたしかに命に迫ろうとしていたいくつもの裂傷を指して、ロコは言った。


「逃げないのなら共に戦うしかないではありませんか。わたくしも、騎士団に所属した騎士なのです。だれかのために戦う覚悟はしております」

「死ぬ覚悟もか?」

「それはどうでしょう」


 ふざけているわけではなく、まじめな口調で彼女は言った。


「わたくしは聖職者として人々に平穏と安寧をもたらす、その使命に殉じる覚悟はしております。つまりわたくしは、ジョンさまにも平穏と安寧があればいいな、と思っています」

「なにが言いたい」

「わたくしが死んではジョンさま、内心平穏とは言えないのではありませんか? もしそうなのでしたらわたくしは死ぬ覚悟をするわけにはまいりませんよ?」


 こちらをのぞきこむ、青金石の瞳。

 試すように確かめるように、彼女はジョンを見つめている。

 ジョンは精一杯突き放すつもりで、冷淡に言い放った。


「……仮にお前が死んでも、俺の平穏は変わらん」

「ですか。つまりジョンさまにとっては周囲の人命救助よりも吸血鬼の討伐の方が重要、と」

「ああ。だれかを助けるため、というのは実のところ二の次だ。吸血鬼を生かしておけないという理由だけでも、きっと俺は、戦う」

「ははあ。ではやっぱり、わたくしは残った方がいいですね?」


 にっこり笑って、ロコはしてやったりな顔をした。

 わけがわからず、ジョンは「は?」と困惑の声を漏らした。


「わたくしの命が仮にどうでもいいとしても、吸血鬼に勝てる確率は一%でも上げたいですよね? でしたら、もはや防御もままならず手傷を負ってしまうジョンさま一人よりも、剣を凌ぐことはできるわたくしもいた方がいいはずです」


 勝ち誇った顔で、結んだ。

 とんでもない女だった。

 もとよりジョンがどう答えても、ロコがここに残ることを是とするしかない問いだったのだ。執念じみた、強迫じみたこの言葉に、ジョンは不可解な感情を抱いた。

 惑いというより、それは恐れであった。


「お前はいったい、なんなのだ」

「『汝の隣人を愛せよ』」

「なに?」

「わたくしは、騎士となりましたがそれでも聖職者です。神の道に背くことはできません。苦難に遭い苦戦しているひとに、手助けするのがわたくしの道です」


 胸元に下がる、聖者の最期を模した首飾りに触れる。


「深いご事情は存じませんが。わたくしはジョンさまに死んでほしくありません。ただそれだけです」

「……信仰に生きるか。理解できん」

「わたくしもそうまで敵を滅ぼすことに執心するのは理解できません」


 苦笑気味に彼女は言った。

 それから、笑みだけ消してただ苦い顔をした。

 視線は駆動鎧装に向いている。


「だれがなにを思うか……なにに怒るか。わかったらいいのですけどね」

「……それは」


 先ほどの話か、と言おうとした矢先、彼女は頭を下げた。


「軽々しくその腕に触れてしまったこと。申し訳ありませんでした」

「謝罪はいいと言った」

「それでもです。わたくしはジョンさまの平穏を乱してしまった。それはわたくしが自身の指針を破ったということであり、それはジョンさまに普段見せていた振る舞いが嘘であったとしてしまいかねないことです」


 自戒。

 そのために謝っているのだと彼女は言う。


「――はい。ですからこうして共に戦いたいと申し上げるのも、別段罪滅ぼしであるとかそのような意図はありません」

「ではなんだ?」

「自分が自分であるため、でしょう」

「なるほど」


 その言葉には、ジョンも納得できた。

 非合理と言われてもこんな腕を着けて、周囲には狂犬マッドドッグと呼ばれ――それでも戦いの場から退かなかった。剣士でなくなっても、友を失っても、これしかないと思って進んできた。

 呪いである。

 過去につながりつづける腕が抱える、この重みは呪いと言っていい。

 これしかないのだ、と見るたび己を戒める呪い。

 しかし――


「……それが自分か」


 口に出して言うと少し楽になる気がした。

 ジョンは、ロコに目を合わせた。


「死なない程度にやれ」

「……! はい!」


 彼女は目を見開いて、首肯した。


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