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11:剣技と死地と窮地


 右半身、切っ先を相手方へ突きつけ刃を地と水平に寝かせ、顔の横に剣を構える牡牛の型。

 左半身、両手に長剣を取り左を下段、右を切っ先突きつけた上段に構えて迫るジョンの二刀。


「…………、」


 ゆらり、ゆらりと剣先がガス灯より耀きを返す。

 左手を下げ気味に、ジョンは右の剣の握りを確かめる。

 吸血鬼の男は小揺るぎもせず牡牛の型にてどっしりと待つ。

 彼我の距離約四メートル。ちりちりと互いの威圧が肌をこすり、やがてはじまる刃圏の奪い合いを予感させる。

 数呼吸おいて。

 ジョンは二歩踏み込んだのち――


「――しッッ!!」


 下方をすくい払うように左手の剣を擲った。

 狙いは男が前に出した右足。まずは機動力を削ぐ。防ぐなり避けるなりしたところへさらに一撃を連ねるべく、ジョンは投げたモーションのまま踏み込んだ。


「浅知恵だ」


 男は残念そうに言い、右半身を素早く引いて転身。

 同時に手首を返し、近づくジョンの右側頭部に向けて斬り下ろした。

 残すは片手で持つ剣のみであるジョンがこれを防ぐのは至難の業。

 そう判断しての斬撃だったのだろうが、

 斜め掛けの軌道で放たれた剣はジョンの持つ剣の中ほどでしかと受け止められる。


「!」

「重いな」


 ジョンは下手投げ(アンダースロー)で剣を擲った左手をモーションのままに振り抜き、右の切っ先をつかんでいた。

 ちょうど剣の両端をつかんだ形になる。この構えで、上から降りかかった斬撃を防いでいた。

 次いで左手を押し上げ、男の剣を鍔元へと滑らせた。

 刃の噛み合うポイントがずれるに従い、左手にかかる力は減じる。

 ジョンは束の間の自由を得た左手を巧みに操り、剣をつかんだ左拳の小指側から飛び出た刃先を、男の頭上に位置させた。


「斬る」


 ――裏刃。

 片刃剣で言う峰に当たる、己を向いた諸刃の部位。これを鋭く振り下ろす。


「ぬ、ぐぅ!」


 ぷつんと幕を破るような手ごたえのあと、剣先は男の左眼球を刺し貫いていた。

 ジョンは肉残る二の腕に伝わる震動から、刃の先がいま抉っている部位を探る。眼窩がんか底――眼球おさまる頭蓋骨の穴だ。その丸みに力が逸らされていた。

 一息に脳幹を刺し貫くことはできそうにない。即座に剣を引いて、左肩から体当たりすることで距離を空ける。

 転がった男は素早く身を翻して立ち上がり、そのときにはもう左眼の中からぼこぼこと血色の肉が盛り上がってきてほとんど再生は終わっていた。ジョンは舌打ちをかます。

《急速分裂型》特有の超速再生。

 それは遅々とした攻めを許さない。死留めるならば相手が再生を意識する間もなく急所を破壊できる速度が必要だ。でなければ、手痛い反撃を食らうことになる。


「首を刎ねる。心臓をぶち抜く。脳幹を貫く……には、正面口腔からの突き」


 あるいは斜め下よりの突き上げで下顎骨の間を通す。

 どれも、針孔を通すがごとき精緻な技術を要する。

 なにしろ相手はアブソゥ流の剣術を身に付けている。誘い守って斬ることに長じたこの剣を相手に、急所狙いの斬撃のみを通すのは非常な難事だ。

 これが剣術を使える吸血鬼の恐ろしいところである。剣での戦いにおいて通常ならば戦闘不能となる一撃や、相打ちすれすれの技巧がほとんど通用しないのだ。


『即死でなければ受けてから断てばいい』。

 人間相手の剣の理、その根底を覆す在り様。

 ……半目になって、ジョンは奥歯を噛みしめた。ぎりりと歯の根が軋む。


「驚いたなぁ。なるほど。駆動鎧装であるがゆえの、甲冑剣術に似た組打ち術か……平服剣術に慣れていると戸惑うよ」


 再び牡牛の型に構えた男は、落ちくぼんだ目の端に一筋血を流して、もう完全に回復していた。開いた両の眼で、ジョンをためつすがめつする。


「どこの流派だ?」

「どこでもない。俺はすでに、剣士ではないのだ」


 問いかけをばっさりと断ち、ジョンは先ほど投げた剣を蹴り上げてつかむ。


「剣にこのような扱いをする者を剣士とは呼ぶまい」

「どうかな? 俺には露悪的というか。わざとそうしているようにも見えるよ」

「言っていろ」


 左の剣を投げた。つづけざま、今度は右の剣も投げつける。

 ジョンから見て左へ横っ飛びにかわした男は、しかし上体を崩してはいない。たゆまぬ鍛錬の賜物であろう体幹が成せる業だ。

 とはいえ、心中に疑念は生じたはず。

 得物を持った相手を前に得物を捨てる愚……そこになにか策があると。そう読む。奴が剣士なら。剣士で、あったなら。

 そして当然、ジョンには策がある。

 無手であっても相手を貫く《杭打ち》がある。

 左の一発は昼に吸血鬼へ打ちこんだ。残りは右の一発。

 見極めるべきは、タイミング。

 飛んだ男に追いすがったジョンは常の左半身、拳闘の構えに戻る。

 素早く、左の掌底。相手の切っ先に向けて牽制するように突き出し、攻撃と同時に向こうの行動妨害を行う。

 この近間を嫌がって男が退く。切っ先はぶれず、ジョンの身体を狙い続ける。そして言った。


「その腕、仕込みだろ?」


 銀の腕をにらみ、笑う男。

 唐突な無手への変化。それでいて距離を詰めたジョン。この己が不利になるはずの得物切り替えと突撃に意図があると判じ、『腕になにかある』と感づいたらしい。

 大した剣士だ。

 いい読みをしている。

 絶妙の距離で後退を止め、後ろ足に溜めた力を利して男の剣が動こうとする。必殺の一刀だ。ジョンの腕はもう届かない。

 が。

 ここまで想定内。

 ジョンの目的は脚技(・・)だった。


「仕込みは撒き餌(・・・)だ――」


 左かかとを浮かせた状態で、右足が繰り出される。

 対角線を打ち上げるような前蹴りで、爪先が男の脇腹を突く。

 打撃。それは先手を打って体勢を崩す、動きを止めるといった用途ならばともかく……ここまで切迫した状況で吸血鬼相手に出すのはあまりにも、悪手。

 そう思わせておいての、


「――《捩止め(ねじどめ)》」


 爪先で地面を抉るようにして左かかとを相手に向くほど前に出し、接地。

 同時に腰をひねり、地面と水平にまで倒した上体も左へつむじを巻く。

 最後に右爪先をガイドに――かかとを脇腹へ捩じり込んだ。

 沈み込む重み。

 突き通す痛み。

 深く浸透した力積。

 へし折った肋骨の破片ごと蹴り込むことで肝臓を裂いた感触を、ジョンは確かに感じていた。


「ぅぉぉぐ……ぅむごぉ、ぁ、あがッッ……!」


 悲鳴をかみ殺し、完全に停止する。額から首筋からぶわりと噴き出る脂汗が、男の受けたダメージを物語っていた。

 ゼロ距離から螺子ねじを回し入れるがごとき蹴り。男が後退の足を止めた反動を前に打ち込んで進み出ようとした、その瞬間をこそ狙ったカウンター。

 いかに不死性持つ吸血鬼でも痛苦を感じないわけではなく、臓器破裂がもたらす吐き気と激痛には再生するまでの数瞬、身動きが取れなくなる。


「そこを」


 突く。

 貫手にした右の手首から指先まで、関節機構をロック。

 機関内部の核が赤熱し瞬時に生み出した蒸気をチャージ。

 雷電エレキテルが特殊な経路を辿り油圧ポンプが軋みをあげる。

 震えと熱が一点に集中し。

 肘の噴出孔から放たれた圧縮蒸気が、周囲の大気をはねのけてジョンの後方に膨れ上がった。


「死ね」

「がぁぁぁぁぁぁああああああああっっ!」


 男が無理やりに柄を手放し、左腕で心臓を守ろうとするが、関係ない。

 ジョンの《杭打ち》はその防御ごと刺し貫く。

 ごぼん、とパイプのつまりを抜いたような音がした。

 男の肩甲骨の際から、銀の腕が突き出た。


「……っぐ!」


 しかし顔をしかめたのはジョンの方だった。

 なぜ?

 なぜだ?

 これまで幾度となく吸血鬼と戦闘を行ってきたからこそ知っている。

 肩甲骨の際をこすっているということは――突きが逸れている。心臓を完全に潰すには至っていない!

 そして完全に破壊できていなければ。


「………………勝っ、……た」


 ごぼごぼと鼻と口から血を垂らし、にいいいと頬を歪めて男は笑う。

 右手の剣の柄頭で、ジョンの側頭部を殴りつけてきた。ぐわんと視界が揺れて明滅する。踏ん張りが緩み、突き立てた駆動鎧装がずるりと半ばまで抜けた。

 そこで、貫いた左前腕の傷口を目にした。

 ジョンはくそが、と叫びたくなった。

 肉の半分をこそぎ落とされ骨が露出した腕の中に、なにかの金具(・・)がのぞいている。

 道中で耳にした噂によると、男は旋盤加工の最中に腕を巻き込み、その大怪我を再生したことで吸血鬼であると周囲に露見したようだった。

 つまりこれはその再生の過程で巻き込み、腕の中に残ってしまった加工材料の一部だ。

 ……ジョンは鎧を着ているならその形状や角度を加味して突きを打つ。それが帷子かたびらでも籠手でも同じことだ。正確に貫ける。

 しかし見えていない位置の金属片までは、計算に入れられない。これに当たったために、ジョンの突きは軌道が逸れてしまったのだ。


「運が悪かったなぁ」


 吐きかけられた言葉に、ジョンは今度こそ口に出して「くそが」と返した。

 蹴り飛ばされ、完全に駆動鎧装が抜ける。振り下ろされる剣をなんとか左腕で弾きいなすが、頭を殴られた衝撃でまだ平衡感覚が戻っていない。

 この隙に、男の傷口は再生していく。


「……ふう。危ないとこだよ」


 男はうつむき加減になってばはあと息をついた。

 胸の傷はぼこぼこと肉が盛り上がる。一部を狼に食いちぎられたようだった前腕も、びちびちと泡が弾けるように増殖した肉片で即座に埋まる。

 涼しい顔で、軽く指を曲げ伸ばしした男は首をこきこき鳴らして剣を構え近づいてきた。

 なんとか立ち上がるジョンだが、向こうの振るう剣筋は万全のものであるのに対してこちらはダメージが残る。

 動きに鈍さが目立ち、振るわれた剣の間合いを見切れない。ぎりぎりで髪をかすらせ、次の一撃は肩をかすめた。大きく後退し、間合いを二メートルほど空ける。


「さて、さて。もうじきに終いだ、名くらいは、聞かせてもらえないかな」


 男は牡牛の型に構え、追い込んでくる。

 ジョンは視線を巡らし、状況を切り抜ける手を探す。その時間稼ぎとして、会話に乗った。


「名などない」

「それは俺に名乗るような名は、という意味で?」

「元より捨てているということだ」


《杭打ち》なしの貫手は首など肉の薄い部位ならば貫けるが、胸筋に守られた心臓は狙いづらい。当たっても傷は大きくなく即死は免れるだろう。

 では落とした二刀は使えないか。だめだ。男は先ほどから位置取りでそこへ近づくのを防いでいる。


「捨てている。それは先ほどの、剣士ではないという話と関連でも?」

「なくはない」


 周囲状況。右手は工場への入り口。左手に荷受け場のコンテナの密集地。

 工場でもコンテナでも、物が多い場所へ逃げ込めれば剣は振るいにくくなるだろうが、双方いささか遠い。そこまで逃がしてはくれまい。


「推測だけど、お前は結構名のある剣士だったんじゃぁないか?」

「名のある者ならお前も知っているのが道理だ。知らんだろう。つまりそういうことだ」


 じり、じり、距離が詰まる。時間がない。さっきまでまだ距離のあった男の影を、いまや踏みそうなところまで来ている。

 ……影。

 つまり奴の背後にガス灯がある。


「ひとかどの剣士は皆騎士団に雇われたとも聞いたけどな」

「お前は、その剣腕で誘われなかったのか」

「俺? あったよ勧誘は。でも俺は興味なかったんだ。普通に生きて普通にやってこう、って思っててなぁ……。ただ、こうして狩られる側に回ると、やはり受けなくてよかったと思う」


 くつくつと笑う。

 剣が殺しの手段と堕した者特有の笑い。

 笑い声によって影は揺れる。ガス灯までは、十五メートルほど。


「噛まれてよかったよ。血を吸い尽くされる前に吸血鬼そいつの首を刎ねてよかったよ。おかげで俺はこういう存在に成れた。しかも《急速分裂型》だ。自然発生するような雑魚の《縫合回復型》とはちがう。……これは、選ばれたと言っても過言じゃないだろ?」

「なにが選ばれただ」


 防災の都合上、ガス供給元の周りには必ず消防栓が設置されている。

 いまは蒸気圧縮機コンプレッサーが空になっているため《杭打ち》を放てないが、勢いのいい水さえ手に入れば。

 そう思ったところで、ぴりっとした痛みを二の腕、肉残る部位に感じた。

 ……こっちもあまり時間がない。ジョンは時間稼ぎを切り上げる。


「お前は自分の不運を認めるほどの度量もないだけだ」

「お前もそうだろう? さてさて、不運に対する悪あがきの算段は――済んだかな?!」


 時間稼ぎの意図を読んでいた男により、振りかざされる剣。ジョンは低く腰を落とし、迎えうつ。

 牡牛の型から放たれる突き。左半身で掌底を剣の側面に打ち、正面から逸らす。しかし引き戻しに力を込められて刃が首元へ迫り、すんでのところで右腕で防御。

 縮こまった姿勢になってしまったのを見逃さず、男は左足を踏み込みながら斜めがけの一閃。受ければ崩されると思い、これは飛びのく。

 すかさず突きで追いかけられた。さくりと嫌な感触が、右胸を浅く傷つける。

 二度。三度。四度。

 剣が迫るうち、駆動鎧装で刃を弾くことが多くなる。肌に傷が入っていく。

 回避が追いつかない。


「くっ――」

「つかませはしない」


 ならば剣身をつかんで制す、との意で伸ばした左腕が、籠手打ちの要領で弾き落とされた。

 瞬時に翻った剣がこちらに影を落とす。全霊の斬り下ろしが、迫る。

 ジョンの判断は早かった。

 伸ばした腕の勢いのまま前転して懐へ飛び込んだ。

 頭上高くから落とされた剣は、前転によって低く転がり込んだことで威力が最高値を出す点を過ぎており。また背中にて両腕の駆動鎧装を繋ぐアクチュエータ部によってうまく防御された。


 なりふり構わず、ジョンは走る。

 一歩。稼いだ。

 二歩目。刃圏を抜けた。

 油断ではなく、そう思った。

 しかし――


「逃がしも、しない」


 背骨の髄液に氷が混じった。

 剣が迫っているのを直感的に悟る。

 間合いは抜けたはず。……否。前傾での疾走によりジョンは後ろでなにが起きているかを目にした。

 男は右手一本、柄頭いっぱいを握りしめ。

 かつ振り抜く際に自壊を前提とした運用で筋と腱の限界を無視。

 かくしてリーチは、ジョンの見切りを超え伸びていた。


「く、ぉ――」


 脇腹へ。

 横薙ぎの一閃が肉薄する。

 死の臭いを強く感じ取る。

 腕を失った日と同じ臭い。

 目を見開いて、これをにらみ続け――


「っとぉぉ!」


 だれかの叫びが入り、すんでのところで斬道は逸れた。

 男が急に、踏ん張りのバランスを失って剣を空ぶっていた。

 それもそのはず。不思議そうに己の身体を見下ろす男の膝裏に――ざっくりと切り込んだ、長剣がある。

 投じたのは、先の間抜けた発声の主。


「まっ……間に合いました、か」


 アッシュブロンドの髪をなびかせ。

 右手に慈悲の短剣(ミゼリコルデ)を抜き、左手はたったいま投げおろした瞬間のポーズ。

 ロコ・トァンがそこにいた。


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