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10:剣士と吸血鬼と元剣士


 地下の騎士団詰所から地上へつづく螺旋階段をひた走る。

 隠し扉を飛び出すと、路地裏の片隅にある焼却炉横に出た。下等区画の端、ちょうど産業区画との間に位置する場所である。


『ジ ジジ ジ……ささ産業区画からのをを報せですす ささ産業区画からのお報せですす』


 路地から通りに出たところでノイズが鼓膜を揺らし、街路の各所へ設置されたスピーカーから警報のサイレンと共にアナウンスが聞こえた。

 しびれるような警戒を孕んだ空気が、区画の中を安全圏に向かって流れているような気がした。そこかしこのビルディングの窓から、不安げに産業区画の方を見ている者がいる。


『本日十六時三十分現在 産業区画内アルマニヤ重工第三十八プラントにて高階位吸血鬼が出現しましたた 繰り返しますす 産業区画内アルマニヤ重工第三十八プラントにて高階位吸血鬼が出現しましたた きき近隣住民の方々は騎士団および機動警察隊の指示に従って避難してください 繰り返しますす……』


 場所は分かった。ジョンは産業区画を目指す。

 通りの彼方にぼんやりと霞んでいる苔の色をした隔壁の高さは下等区画のビル二棟分に達するものであり、工業の過程で流出する有毒無毒さまざまな比重の重いガスを一旦人間の居住区域から分けるためのものだ。

 ……内部で吸血鬼が出現したなら門は閉鎖されているか? いや、だとしても騎士団員の身分を義手の刻印で明かせば問題はない。ジョンはわずかな逡巡のあとに駆け出す。

 だがそこで逃げてきた人々の流れに遭遇することとなった。

 わらわらと安全圏を目指して駆ける人々は、あっという間に狭い通りに溢れる。


「押すな!」「そっちこそ」「あの、こっちで合ってますか?!」「開けたとこに出ろ、早くしてくれ!」「頼むから押すな」「子供が!」「道を開けろ奴が来る!」


 進路を完全に塞ぐ人波を前にジョンは足を止めた。

 ち、と舌打ちしながら周囲を見回して、左手の壁に這いのぼる配管とその先につづく外付け階段に目を付ける。

 迷わずダン、と地面を強く蹴り出して跳躍し、配管を留めるビスに靴裏をひっかけるようにしてさらに身体を持ち上げた。惑い歩む人々を眼下に、二階の踊り場へ着地する。

 段差を駆け上がって三階建ての屋上に出、進路を確認。下等区画の低い建物が居並ぶ向こう、遠く産業区画を囲う隔壁の稜線を見やる。

 あそこへ着くための最短ルートは、屋上を駆けるこの道だ。

 辿るべき屋上の数々を見据えて、ジョンは助走をつける。


 視界の中でどんどんと屋上の縁が近づき、近づき、縁に爪先がかかったタイミングで踏み切る。

 浮いて、重力に捕まり、肺腑で空気が押し固められるような感覚のあと半階ぶんほどの落下。転がり込むように次の建物の屋上に降り立ち、また助走をつけて飛ぶ。

 腕が使えないジョンは突起や柵にしがみついてよじのぼるなどはできない。自然とルートは限られ、四つ目の建物を飛んだときには行ける先がなくなった。そこからはまた通りへ飛び降り、ひとり隔壁を目指す。

 狭い道で建物と建物の間を貫いていくと、サイレンの音が急に大きくなった。

 下等区画を抜けたのだ。目の前には産業区画と下等区画とを切り分ける、ロンサ川がある。

 スモッグでけぶる対岸まで架かる橋はいままさに閉鎖がはじまったようで、産業区画内部の者と思しき鳥顔マスクをかぶった男が三名、鎖を端から端に渡している。


「待て」

「なんだ? 見てわからんのか? 作業中だよ話しかけるな」


 男たちは大きな薄緑のレンズを二つはめこまれたマスクでこちらを向いて警告してくる。胸元まで伸びる金属製の嘴に似た濾過装置によってくぐもった声は、ひどく聞き取りづらい。

 時間がないのでジョンはインバネスの前を開き、不動の腕を持ち上げて肘の裏側にある騎士団の図象を見せた。


「……《銀霊騎士団》か」


 彼らは途端に横柄な態度はやめたが、かといって友好的な態度になったわけではない。

 当然だろう、騎士団の業務は人殺しに近いのだから。しかし状況が状況なので頼らないわけにはいかないと思ったか、不愉快そうに鎖を解き、ジョンへ先に進むよううながした。


「すまないな」

「早く行け。すでに先に来ている者もいたぜ」

「なに。どこの隊だ」

「お前ら、図象を見せられなきゃ騎士団なのかすら判別つかねんだからそんなのわかるかよ。巡回中だって言ってたけどな……」


 巡回。見回りの当番シフトを思い出し、ジョンはあたりを付けた。

 先ほど任せた(・・・・・・)始末を滞りなく終えていれば、おそらく奴がこの辺りを歩いている頃合いだ。

 すぐに橋を渡り終え、積み荷の運搬に使う大扉の横、個人用通用口に駆け寄る。ここでも義手の図象をさらし、中へ入る。

 ごうんと重たい音を立てて背後で閉まった扉。きな臭いスモッグがより濃く漂う。

 眼前には、隔壁側から見て下ってゆくように堀り進められた暗い土地が広がる。

 横を見れば何キロかにわたる隔壁の門前それぞれから架線貨車ロープウェイ路面貨車ケーブルカーが地の底へとつづいている。

 その斜面のところどころにブリキと配管に覆われた巨大な工場プラントがいくつも連なっており、個々のプラント間も配管や電線で繋がっていた。

 薄暗がりでもこれらの存在を認められるのは、いたるところに燈るガス灯のおかげだ。地の底から噴き出したガスを集めて配管にて流し、この地の底は光の恩恵をわずかに得ていた。

 ただ、這いまわる大小さまざまなパイプがその赤い光に照らされて、またその反射がたびたび揺らめくものだから、土地全体が脈動しているような錯覚に陥るのが薄気味悪い。


 ここがドルナクの心臓部。

 ナデュラ帝国の経済の一部を支える、大産業地帯だ。

 ジョンは素早く目を巡らし、産業区画の案内図を探した。第三十八プラント……重工と名がつくのなら相応に大規模な工場のはずだ……あった。大まかな目星をつけ、ジョンは地の底を目指す。

 石畳で舗装された階段を、飛ばし飛ばしに駆け下りた。作業員や研究者も慌ただしくしており、焦る彼らの言動の端々から状況はうかがい知れた。


「事故が」「服を巻き込まれて……」「アルマニヤの連中め」「吸血鬼だろ?!」「旋盤だとさ」「いままでずっと働いてたのかよ!」「めちゃくちゃンなった腕を再生して」「痛ましい」「なに言ってんだ不死身だろ」「早く逃げろ!」


 広い通りに突き当たって、走る。運搬用のほろ荷台付き蒸用車が渋滞したのかそこかしこに乗り捨てられ、乗り手がないまま止まっている。

 これを辿っていけば。

 果たして、そこに居た。


「――斬る。ああ斬ってやるともさ、吸血鬼」


 工場前の開けた荷受け場で、黄土色の髪を振り乱し、両刃長剣を下段に構えた影。

 ベルデュだ。周囲には距離を置いて、同じ第八騎士隊の二人が剣を構えている。

 やはり読み通り、水葬部隊としての巡回中にこの騒ぎを聞きつけ、駆け付けたのは奴らだった。

 そして三人に対するは、短く刈り込んだ黒髪に落ちくぼんだ目をしたやせぎすの男。

 眉の薄い顔をした彼はぎょろりとベルデュをねめつけ、不敵な笑みを浮かべた。厚手の作業服を着ているが、左の袖はバラバラにちぎれ飛んでいる。

 おそらく、事故に巻き込まれた際に再生力を発揮してしまい、人間の中に潜んでいたのが露見したのだ。


「あーあぁ無駄……無駄だよ。騎士さん方。どうせ俺は死なないんだ」


 どこか嘲笑するように、男は低い声で言う。こけた頬に似つかわしくなく、野太い声である。


「言っていろ、人外!」


 くまのきつい顔で笑みを深める男へと、ベルデュは一足飛びに懐へ飛び込んだ。

 先日ジョンに使ったのと同じ踏み込み切りだが、今回は切り上げで地面すれすれからの対処しづらい軌道を選んでいる。

 しかし男は無造作に。

 ベルデュの斬撃の軌道に左腕をかざした。

 ざぎゅ、とめりこむ。

 中指と薬指の間に切り込んだ刃は尺骨と橈骨を分けながら進み、肘で止まった。

 切断まで届かない(・・・・・・・・)。一番まずい状態だ。瞬時に判断したジョンは叫ぶ。


「ベルデュ退けッ!」

「遅いよ」


 かぶせるように男が低く言い、途端、

 ずぢゅる。

 痰を吸い取ったような耳障りな水音と共に、二つに分かたれたはずの前腕その左右の傷口から肉が盛り上がる。

 傷口を埋め、膨れ上がった左腕は右腕とのバランスがとれておらずまるでシオマネキのようだ。

 男は前腕に剣を埋めたままぶんと腰を切り、ベルデュを地面から引っこ抜く。


「んなっ、ぐお?!」


 背中から叩きつけられ、思わず剣を離す。

 即座に、男は右手で左腕から剣を引き抜いた。増殖する肉によって押し出すのと連動しての動きは、卓越した剣術遣いの抜剣を思わせる速度である。

 そのままベルデュへ突き下ろそうとする。


「させ」「るかっ!」


 残っていた二人が左右から飛び掛かり、男の動きを止めた。

 しかし止めただけだ。斬り下ろしは掲げた剣の鍔元と膨れ上がった左腕に止められており、与えた傷はまたも切り離すまでには至っていない。

 男はにいいいと頬を歪めて目を細くし、ひゅんと両腕を打ち下ろす。

 動作に合わせて力が空転した二名の騎士は互いに衝突して硬直し、

 次の瞬間には血風にまみれた。


「さて、さて。無駄だと言ったのになぁ。残念だったな? お二人さん」


 剣にまとわせた二名の血を舐めながら、男は進み出た。その間にも左腕はぼこぼこと再生をつづけており、少しずつ山を均すように、膨れ上がっていた前腕が元のサイズに縮んでいく。

 顔色は土気色になり、目が充血、口許の犬歯が目立ちはじめる。

 吸血鬼の本質を表しはじめている。あの異常な回復力、まちがいなく《急速分裂型》高階位吸血鬼である。


「……だが、()ではないな」


 いささか落胆したが、仕方がない。可能性が薄いのは飛び出す前にゴブレットに言われて覚悟していた。どうあれ、倒すことには変わりない。給金以上の働きをするつもりはないが――


「吸血鬼は、始末する」


 シンプルに考え、ジョンは膝丈のインバネスを脱ぎ捨てた。

 袖のない黒のシャツから延びる銀腕をさらし、左肘の内側にあるストラップを噛みしめる。首をひねってチェーンを伸ばし、発動機を稼働させた。

 どるんと火が入り、両肘の噴出孔から蒸気が漏れ始める。じりじりと鉄の焼けゆく熱が上がっていく。


「くたばれ」


 たんっ、とステップを踏んで距離を削り、またもベルデュを狙おうとした凶刃を蹴りで打ち払った。

 続けざまの拳で防御を取らせ、この守りへの反射が残る意識のクセからまだ変異して日が浅い吸血鬼だと判断する。捨て身に成り切れるほど身体の不死性に慣れていない。

 が、まったく油断はできそうになかった。

 素早いバックステップで距離を置き、男はベルデュから奪った剣を構える。

 右半身で足幅はさほど開かず、後ろの足は爪先を外へ向け。左半身は完全にこちらの視界から見えなくなる。

 顔の横で構えた剣は切っ先をジョンに突きつけ地面と水平に。寝かせた刃は視界の中で点と化し、視認しづらくなる。

 堂に入った立ち姿。

 先ほどベルデュと他二名の剣筋を正確に見切って防御した手腕。

 こいつはかなり使う(・・)ぞ、とジョンは歯噛みする。


牡牛の型(オクスフォーム)……アブソゥ流か」

「ふむ? 知ってるのか俺の流派」

「立ち合ったことはないがな」

「めずらしい。この街には流派の稽古場もなかったけどな……?」


 どこか楽し気に、男は切っ先を揺らす。彼我の距離は四メートルほど。

 こちらは左半身にて構えて、ジョンはその剣筋を予測する。

 牡牛の型は誘いの剣。一見窮屈そうに見える縮こまった体勢だが、名に似つかわしくなく猛進の突撃よりも切っ先の返しによる迎撃を得意とする。その()先にからめとられれば、あとは成す術なく突き殺される獰猛な反撃剣だ。

 構えの隙のなさに、踏み込めない。


「……ま、まて。ジョン・スミス……」

「なんだ。動けるならば早く退け」


 投げ落とされた痛打からようやく回復したらしいベルデュは、仲間二名が斬り捨てられたこの惨状によほど心かき乱されたのか沈痛な声を出していた。

 とはいえ現状は現状と切り替えたのか、立ち上がりながら言う。


「貴様、ひとりで挑むつもりか?」

「お前は武器もないくせに共に挑むつもりか?」

「武器ならそこに……」

「それは俺が使う」


 倒れた二名が落とした剣を、軽く蹴り上げて両手につかむ。

 長剣での二刀。左は下げ気味に右は切っ先を突きつけた片手牡牛の型ともいうべき構えで、ジョンは男に挑まんとする。

 ベルデュは悔しそうにつづけた。


「武器を落としたのは失態だったよ。だがジョン・スミス、貴様はもう(・・)剣など使えないじゃないか。一振りこちらに寄こせ」

「駄目だな。先の一合でわかったはずだ、お前の剣では届かないと。奴は剣筋を見切った上で確実に剣を奪い取るためわざと斬らせたにすぎん」

「だが、」

「死にたいのか無能」

「……ッ」


 声をかみ殺し、ベルデュは黙り込む。

 ジョンはため息をついて、彼を後ろ蹴りで吹き飛ばす。


「っぐ、貴様……私は! 騎士としての本懐をっ、」

「もう行け。剣に生き剣で命をまっとうするとの意気は美しいが、かなわなかったときは唯々悲惨なのだ」

「それは……」

「剣に死ねるならマシだ。しかし満たされず剣が死ぬだけ(・・・・・・)の場合もある」


 一瞬だけ後ろに目をやり――実際には顔の横に構えた剣身に映る吸血鬼を捉えているので視線を切ってはいない――視界の端にベルデュを見る。

 彼は。

 先日遭遇したときにも見せた、憐れみに似た色の目をしていた。


「……苛立たせる目をしてくれるな」

「……すまないね。だが、私が……貴様に対して抱く感情は、複雑なのさ」

「複雑とな」

「剣士だから、貴様の気持ちがわかってしまい――剣士だから憐れんでしまい、剣士だから歯がゆい」


 ああ。

 その一言で氷解する。

 この男は、ジョンの過去を知って、そこに同情していたのだ。


「……要らん感傷を」


 苛立ちも消えて、ただただ虚しく思った。

 同情など要らない。

 ベルデュが思うそれは過去のことだ。過ぎ去ってもう戻らない。

 かつて剣士だったジョンの腕は切り落とされた。事実だけが現実に残っている。だから現実から立ち直り、やり直すしかなかった。そこには、感傷の入る隙間など一片たりともありはしなかった。

 けれど感傷が生まれてしまう気持ちは知っている。

 ジョン――いや、まだジョンと名乗る前の、腕があった頃の男ならば。その気持ちが理解できただろう。


「が、俺はもう剣士ではない。……わかったようなことを言うな」


 腰を低くし、正面へ視線を戻す。もうベルデュの方を振り返りはしない。


「剣も。剣士であったことも。もはや俺にとって俺のすべては、吸血鬼やつらを滅ぼすための杭に過ぎないのだ」

「しかし、」

「くどいぞ」突き放すようにジョンは言った。

「この場は力ある者がすべてだ。剣でも拳でも不死性でも、最後に拠り所を以てして立っていたものだけが勝者だ。剣で勝つことにこだわるのならもっと強くなれ、でなければなにを言う資格もない」

「だが、せめて私もなにか助けに」

「要らん。腕がないから手を貸せなどと言うつもりは毛頭ない」


 だれを頼るつもりもない。

 歯を剥き、ジョンは咆える。


「俺はひとりでいい。狂犬マッドドッグでいい」


 吸血鬼が見ている。

 憎き存在が己を見ている。

 あれを滅ぼすだけでいい。そのためだけの生き様でいい。これで得る金の使い道すら、本当はその目的の付随物にすぎない。睨みつけ、気炎を上げる。


「くたばれ、吸血鬼」


 駆動鎧装から蒸気、迸る。



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