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中学生戦記  作者: lager800
第一章 新しい生活にも慣れた頃
2/30

 幾何学に切り取られた5月の空を、何人もの子供たちが覗き見ていた。

 抜けるような青空は近隣の工業地帯の影響か、雲ひとつなくとも何処か仄白い。40数名の子供たちはスカイグレーのブレザーと濃紺のネクタイに、男子はスラックス、女子は膝下丈のプリーツスカートを身に付けている。

 規則的に並べられた机。流麗な英文の走る黒板には、所々に赤線と矢印。

 何処にでもある、中学校の教室だった。

 窓際の生徒は日差しの温もりを受けたか、ブレザーを脱いでいる。そしてそのほぼ全員が、べったりと窓に貼り付き、外の風景に見入っていた。それ以外の生徒もめいめい自分の席から首を伸ばし、窓の向こうに目を凝らしている。どの生徒の机にも教科書やノートが同じページで開かれ、今が正に英語の授業中であることを伺わせたが、授業が正常に行われている様子はなかった。

 では授業を受け持つ教員は何をしているのかと言えば、教壇に立つ彼は、その小じわの刻まれた顔を苛立たしげに歪め、それでもやはり外の様子は気になるようで、ちらちらと横目を向けては、教卓の上で組んだ指を揉んでいた。

 窓の外には向かい側の校舎の鈍い白色と、広々とした中庭から伸びる緑、そして薄ぼやけた青空が広がっている。中庭に面した校舎の生徒が、その何の変哲のない光景を自分たちの教室から食い入るように見つめていた。


 青空の中で炎を巻いて踊る少年と、それと戯れるように舞う4本の剣。

 その、何の変哲もない、日常の光景を。


 校舎内の生徒と同じスカイグレーのスラックスに、Yシャツを少しはだけた少年は四肢から火を噴き、時に颯爽と、時にくるくると、縦横無尽に空を駈ける。

 それを追う様に、少年の身体の半分程の長さの幅広の剣が4つ、陽光を煌めかせ、彼の舞踊に彩りを添えていた。

 そして土煙舞う中庭でそれを見上げる、もう一人の少年。

 こちらはブレザーをきっちりと着こなし、真一文字に結んだ口元をぎりぎりと噛み締めている。

 剣の一つが、空飛ぶ少年の首に切りかかった。

 彼は頭髪と爪先から火を噴き、縦に回転してそれを躱す。

 別の剣が右下から切り上げる。

 靴底で受け止める。

 力を溜めて蹴り飛ばし、その反動で右に旋回。

 背後から襲いかかる剣をよける。

 横なぎの剣閃。

 両足で止める。

 靴底から噴火。

 吹き飛ばされた剣が校舎に突き刺さる。

 両脇からさらに2本の剣。

 歪に楕円を描く、複雑な軌道で襲いかかる。

 空飛ぶ少年は両手を左右に開き、前後逆方向に噴火させる。独楽のように回転した少年は、炎のリングとなって二つの剣を振り払った。

 目を見開き、猛々しく吠える。

 分厚い窓ガラスに遮られたその声は教室まで届かなかったが、それを見る誰もが、彼の発した言葉を知っていた。

 彼は叫んでいるのだ。

 自由と欲望。

 快楽と嘲笑を。

 剣を振り切った少年は、地上にてそれを見上げる少年目掛けて、急降下する。

 両手には、滾る炎塊。

 猛禽類を思わせるその強襲に、しかし地上の少年は口の端を釣り上げて応じた。

 炎の少年はそれを見て急旋回。

 半秒前まで彼のいた空間を2本の剣が十字を描くように、矢の速度で走り抜けた。

 剣の1本はその軌道をそのままに地上の少年に向かって駈ける。

 知らぬ人が見れば、一瞬後に起こるであろう惨事に思わず目を瞑ったかもしれない。

 しかし、それは決して地上の少年には危害を加えないのだ。

 剣は少年の鼻先で、まるで見えない壁に突き刺さったかのようにぴたりと静止した。

 少年はその柄を握ると、地面と水平に掲げ、自ら剣に飛び乗った。

 剣の少年はそのままサーフボードのように剣を乗りこなし、虚空へと舞い上がる。

 その周りに、3本の剣が従う。

 80度の傾斜で宙空を昇る少年は、その先に、両肘から先を炎に包まれた少年を見据えた。

 3本の剣が、炎の少年を囲う様に散開する。

 雄叫び。

 それに呼応し、四肢の炎が大きく爆ぜる。

 大上段に振りかぶった右手は、豪火となって剣の少年を襲った。

 剣を足蹴に跳躍。

 虚空へと舞い踊る。

 靴底を炎が掠める。

 跳んだその先には別の剣。

 両足で踏みしめ、角度を調節。さらに跳躍。

 大きく空振りした炎の少年は、それを追って体勢を立て直す。

 一瞬動きを止めた彼の眼前に、白刃が煌めいた。

 首の動きだけでそれを躱す。

 剣の少年は自らの手に従者を握り、太陽を背負った。

 炎の少年は両足を噴火させ、一直線にそれを追う。

 二人の少年の視線が交わり、

 両者の口から、咆哮が放たれた。

 垂直に斬り下ろす剣の少年と、

 剛速で突き上げる炎の少年。

 一際大きな炎が弾け、二人の少年の姿を隠した。

 ………。


(ああ、もう春だな)

 日野かずいは、大して興味がある風でもなく、教室の窓際、後ろから2番目の席から、それを眺めていた。頬杖を突くその顔はいかにも眠たげな半眼。

 彼の机には閉じられた教科書と、何かのイラストが描かれたノートがあった。

 窓の外では、薄ら青い空を彩るように剣花と火花が無尽に咲き乱れている。4本の剣を時には武器に、時には足場にしながら器用に戦う少年と、全身から炎を撒き散らし猛然と戦う少年の、最早何合目かも分からない撃ち合いは、未だどちらに優勢ともつかない。彼の半分閉じられた瞼から覗くやや茶色がかった瞳は、空に咲き乱れる百花を追って右に左に揺れていたが、そこには明らかに退屈の色が混じっていた。


(こないだまでは、二人ともブレザー着てやり合ってたもんなあ)

 衣替えまであと何日だったか、などと考えながら、かずいはそれきり窓の外には興味を無くしてしまったらしく、頬杖を突いたまま机の上のノートに目を落とした。

 そこに描かれた奇妙なイラストは、どう見ても2、3分で描かれたものとは思えない程に意匠を凝らされ、どうやら外の活劇などなくとも、始めから彼がまともに授業を受けていなかったことを十分に伺わせた。暇に任せて気の向くままに筆を走らせた彼のノートには、生き物ともオブジェともロゴマークともつかない複雑怪奇な線の塊がだらしなくのさばっている。

 漫然とした調子でその輪郭線をなぞり濃くしていくかずいの頭に、不意に声が届いた。


―ねえ、今日はどっちが勝つの?


 まるでヘッドホンでも使ったように、頭の中に明瞭に響く声。

 かずいが廊下側に顔を向けると、3列先の席で、開いた教科書を立て、そこから半分だけ顔を覗かせた女生徒がこちらの様子を伺っていた。

 先が所々跳ねたショートカットに、丸く開かれた大きな瞳。色白の肌。

 かずいは唇をへの字に曲げて、再びノートに目を落とす。


―知りません。


 かずいが言葉にならない声でそう返すと、


―何さ、ケチ。


 そんな言葉が帰ってきた。

 見れば少女は顔を半分隠したまま眉間に皺を寄せ、こちらを睨みつけている。かずいは心の中で溜め息をつくと、追いかけるように声を念じた。


―あと5分ちょっとでセンセが授業再開するぞ。次に当たるの、お前だな。


 ビクっと肩を揺らした少女が、慌てて教科書に目を走らせる。


 少女は、名を御子柴藍という。かずいの幼馴染だった。幼稚園からの付き合いで、家も隣同士。先程の様に、時折人の頭に直接語りかけてくる以外は、ごく普通の女子中学生だ。

 とは言え彼女の英語の成績は、普通というには少し心許ない。必死に電子辞書と教科書の例文を見比べている姿に、幼馴染の少年はひっそりと口角を上げる。 

 やがて何かを思いついたかのように、かずいはノートにペンを走らせ、何本かの線を引き始めた。その度に奇妙なイラストは二転三転姿を変えたが、やがて愛想を尽かされたかのように黒一色に塗りつぶされた。

 白紙の部分に新しい線が走る。

 直線と円環。

 いくつかの放射。

 淡く広がる裾野。

 指。

 像の顔。

 かずいの手が次の線を探す様に、天地に突き出た鹿の角をペン先で撫でていると、突然教壇の方から、大きく手を叩く乾いた音が聞こえた。

「ほらほら、授業再開だ。窓際の子達はカーテン閉めて。ブーイングしない! 真庭は遠見をするな!」

 教員の男が、てきぱきと声を飛ばす。

 かずいと藍の無音のやりとりから、5分11秒後のことだった。

 

「続きからいくぞ。御子柴、23ページの例文2、読んで訳してみなさい」

「あ、はい! えーっと、ぜあ、いず、なっしんぐ、とぅー、どぅー。やるべきことはなにもない?」

「宜しい。この構文は……」

 教室の端までよく通る教員の低音が、朗々と教科書をなぞっていく。再開された授業に集中できるものは三分の一にも満たなかったが、この教員は一度の授業でクラスの半数近くをアトランダムに指名して来るので油断がならない。2、3度生徒が指名され、あたふたとした問答が繰り返されるうち、みな渋々と教科書に目を落とし始めた。

 一度指名を受けたことで緊張を解いた藍が、前を向いたままそっと目を閉じる。


―さんきゅ、かずい。

―Don`t mention it.

―じゃぱにーず・ぷりーず…。

―………。


 声ならぬ声のやりとり。

 かずいはそれ以降も教科書を開くことはなく、ノートの落書きに勤しんだ。



 やがて、生徒達の開く教科書のページの最後の設問が解き終わると、終業まで6分程度を残したところで、教員は自分の教科書に書き込みをいれ、ぱたりと閉じた。

「よし、今日はここまで。後は自習だ。教室から出ないように。今日の内容で分からないことがある者は今のうちに訊きに来なさい」

 その台詞を皮切りに、教室の空気が一気に弛緩する。数名の生徒がノートと教科書を手に教壇に向かった。

 かずいは伸びをしながら勉強熱心な級友達を見やる。結局、ついぞ開かれなかった自分の教科書をノートと一緒にバックにしまうと、前の席の男子生徒がカーテンを捲り、外を覗いているのが目に留まった。少し考え、かずいが同じように窓を覆うカーテンに手をやるのと、よその教室から地鳴りのような歓声が上がるのは、ほぼ同時だった。それを聞いた教室内の生徒が、我先にと窓ガラスにへばりつく。かずいは背中を押す男子生徒に顔をしかめながらも、砂埃に霞む中庭に目を凝らした。

 そこには、体のそこここから煙を燻らせ、地面に尻餅をついた少年と、彼の喉元に、剣の切っ先を突きつける少年の姿があった。

 教室からは歓声と悲鳴が混じった声があがる。


「まじかよ、負けやがった」

「うそー」

「えー、途中まで押してたじゃん」

「ああ、俺の二千円…」

「へっへ、毎度あり」

「この裏切り者!」

「やっぱかっこいいなぁ」

「うそ、あんたそっち派!?」


 教室が喧騒に包まれる中、かずいは何とか窓際のおしくらから逃げ出すと、教室の後ろのロッカーに寄りかかった。窓際の席は、漏れなく野次馬と化した生徒たちで埋まっていた。

「………はあ」

 当分自分の席には戻れそうにないと溜め息をつくかずいに、一人の少女がとことこと近づいて来る。


「負けちゃったね、久城君」

 しっとりとした黒髪を肩口で切りそろえた小柄な少女は、かずいの隣に同じように寄りかかると、赤縁の大きなメガネ越しに、瞳の大きな目でかずいを見上げてきた。

「あー、何か気合入ってたもんな、巽の奴」

「私、儲けちゃった」

「クラスメイトを応援しろよ…」

 ほくほく顔で指折りを始めた少女を、かずいは呆れ顔で見下ろした。

 彼女は名を深山しずりという。

 かずいとは同じ部活に所属している縁で既に昨年からつきあいがあったが、今年からクラスも同じになって以来、交友はそれなりに深かった。中肉中背のかずいより頭一つ分は小さい彼女は、その華奢な体つきと、いかにも大和撫子然とした風貌、人見知りする性格などから誤解されがちだが、意外にもミーハーで行動力が高いことを、かずいはよく知っていた。

「応援はしてたよ。でも賭けたのは巽君だったの」

「あっそ」

「そういえば日野君、さっき藍ちゃんと何話してたの?」

 レートの計算を終え、口元を緩ませていたしずりが、急に話題を変えてきた。

「よくわかったな」

「うん? 後ろから見てればわかるよ。またなんかやりとりしてたでしょ。いけないんだ、授業中に」

 咎めるような台詞と裏腹に、しずりの口元には悪戯めいた笑みが浮かんでいる。

 答えあぐねたかずいが困り顔で目を逸らしていると、

「しーずりっ」

 声を弾ませて、当の本人がひょっこり顔を現した。

「何二人で話し込んでんのよぅ」

 くりくりとした目で瞬きながら、しずりの隣に寄りかかる。

「んー? 内緒」

 口元の笑みをそのままに、ちらりとこちらに視線を寄こすしずりに、かずいは言葉に詰まらされる。別に内緒話というわけではない。藍との念話だって、かずいにとっては隠すようなことではないのだから。しかし、しずりの態度と藍が割り込んできたタイミングのせいで、どう答えていいものかが分からなくなってしまう。

「かずいー?」

そんな彼の心の内を知ってか知らずか(というより、確実に知ってはいないのだけど)、藍はじとりと、睨め上げるような視線を寄こす。

誰のせいだ、とかずいは眉間に皺を寄せ、追い払うように手を振りながら、にやつくしずりに反撃を加えた。

「深山がさっきので一儲けしたって話だろ」

 藍のジト目が行く先を変える。

「しず、あんたまたやったの?」

「え!? ええっと、その、ちょっと。ちょっとだよ、うん」

 今度はしずりがたじろぐ番だった。

 藍は友人が賭け事に手を出すことに、あまりいい顔をしない。しずりは度々彼女から注意を受けているのだった。

「あのねえ、あんたが元手にしたお金だって、そもそも…」

 くどくどと説教を始める藍に、しずりはすっかり小さくなり、ちらちらと助けを求めるように視線をかずいに送っていた。彼に取り合う様子は見受けられなかったが。


「よーっす」

 無視を決め込むかずいに、今度は長身の男子生徒が絡んできた。

「やー、負けちまったなぁ、蓮の奴。そして俺も負けちまったぁ」

「いくらすった?」

「聞くな、友よ」

 再び、藍の矛先が変わる。

「ブルータス、お前もか!」

「いや、何から何まで違う」

 突っ込みを入れるかずいを余所に、藍はかずいの隣に寄りかかった闖入者に詰め寄った。

「あんたね、わかってんの。違法行為よ。い・ほ・う!」

「生まれ変わったら、御子柴みたいに品行方正な人間になりたいと思うよ」

「今生まれ変われ!」

 おどけながら藍とじゃれつくこの男子生徒は、奥月衛。

 クラスで2番目の長身にすらりと伸びた手足、柔らかい濃茶の髪は緩く波打ち、目元には長い睫毛。十人見れば十人とも美形と答える容姿の彼は、かずいの友人の一人だった。衛とかずい、藍、しずりの四人は皆同じ部活に所属している。休み時間は大抵この顔ぶれで駄弁るのが習慣だった。

「という訳だ。かずい、金貸してくれ」

「いやいや奥月さん。ご冗談を」

「急に他人行儀!?」

「奥月!」

 …………。

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