焦燥感
初めての現場派遣が無事に終了し、私たちは二週間の休息が許された。
休息といっても通常の授業に戻っただけで、クラスメイトと同じ課程をこなすことになったのだが。
授業内容は現場へ赴いた際を想定した校内での実践的なものにシフトしており、私は次の現場派遣に向けてより一層気を引き締めた。
そして五月の下旬、私たちは再び新しい任務を命じられたのである。
「前回の君たちの活躍は現場員からよく聞いている。今回も頼んだぞ」
次こそ手違いなんてないようにして欲しいわね。
内心ため息をついて、校長に了承の返事をする。あんな危険な目にほいほい遭っては身がもたない。
校長室を出た私たちは、誰ともなく立ち止まり顔を見合せた。
「今回の組み合わせどうする?」
半ば諦めの気持ちで私が口を開くと、まっさきに手を挙げたのはきなこだった。
「はーい! わたし、今回はあげはちゃんと組みたいな!」
「わ、私?」
突然の指名に面食らう。
そう言ったって二択だし、いずれ組むことになるし、断る理由を持ち合わせていない。
「私はいいけど……」
でも男子二人は大丈夫なんだろうか。
ちらりと視線を寄越すと、ひばりはニカッと口角を上げてみせた。
「俺と蛇草だってよ! よろしくな!」
「よろしく頼む」
あらあら肩なんて組んじゃって、いつの間に仲良くなったのかしら。いや、ひばりの一方通行か。
何の抵抗もなく受け入れた男性陣に些か驚く。
きなこは「じゃあ決まりね!」と元気良く宣言し、その可愛らしい顔に笑みを浮かべた。
彼女が所属するC組は、自由自在に自身の人格をも操り、その場に適した役者として活躍する人材を育成することに特化している。
探学の中でも一番謎に包まれているのがこの「演戯部」であり、変人・奇人が多いと言われるのもこのクラスの特徴であった。
若干の不安が胸によぎるが、たった一度きりの任務も共にこなせなくて何になるというのか。
見たところ目立った変質っぷりはないし、珍しく同性同士というのも少しだけ私を安心させた。
「それじゃあ行こっか! 楽しみだね!」
「楽しみでは、ないかなあ……」
前言撤回。そこはかとなく不安だ。
現場へ向かう道すがら、私は度々きなこに声をかけた。
というのも、彼女は非常に足が早かったからだ。
急ぐに越したことはないけど、何も走って行かなくてもいいじゃない。
探偵にならないのだとしたらアイドルだと以前彼女のことを評価したが、今ならその回答をアスリートに書き換える。
「きなこ、ごめんちょっと待って。これ以上は走れない」
必死に後ろを追いかけてはいたが、体力の限界を感じて私は彼女にそう投げかけた。
走り続けていた前方の影が止まり、こちらを振り返る。
ああ良かった、ようやく聞き入れてもらえた。そう思ったのも束の間だった。
「うるさいわね、喋ってる余裕あるなら足動かしなさいよ。置いてくわよ!」
「へ?」
ええと、きなこさん? 何だか人格変わってませんか?
まだ現場に着いてもいないのに、もうスイッチが入っているのだろうか。
……触らぬ神に祟りなしだわ。
「う、うん。ごめん」
あっさり謝罪を述べた私に、きなこは僅かに眉を動かした。
その瞳からは苛立ちの色が見て取れる。もしかして緊張しているんだろうか。
「あのね。この際だから言っとくけど、万年青くんはわたしのだから!」
あまりにも唐突な宣戦布告に、私は隠すことなく顔をしかめた。
いやいやいや、何を勘違いしてるのか知らないけど、あんたらの仲に口出すつもりないわよ。
「えっと、別に私ひばりのこと好きじゃないけど?」
「そういうこと言ってんじゃないの。わたしと万年青くんは二人で最強のバディになるのよ。あんたとは釣り合わないってこと!」
勝手によろしくやっててよそんなのー!
心の中で悲痛な叫び声を上げるも、言い返す気力はない。
「潜入捜査にうってつけの彼と囮調査にぴったりのわたしはね、組み合わさってこそ最強なのよ。分かったら万年青くんはわたしに譲ってよね」
言うだけ言って満足したのか、きなこは再び走り出した。
なぜそこまでしてひばりに拘るのかは不明だが、下手に刺激したら今度こそ滅多打ちにでもされそうだ。
「もう〜〜ちょっと待ってってば! こら! 待て!」
これじゃまるで鬼ごっこじゃないの。
仕方なく足を動かしながら、私は盛大に息を吐いた。
「探学第一から派遣されました、紫呉です」
「同じく猫八です!」
現場へ到着する頃には体力をかなり消耗し肩で息をする羽目になったが、事件は待ってはくれない。
呼吸を整えてやっとの思いで名乗ると、現場員は拍子抜けした顔で私たちを交互に見やった。
「二人とも女の子って珍しいね」
「よせ。お前それ、下手したらセクハラだぞ」
「はいはい」
私たちに説明された案件は、端的に言うと浮気調査であった。
こういう案件では証拠を掴むのが何よりも大事だ。張り込みや囮調査などが主体となる。
ひとしきり詳細を聞いた後、調査の流れを確認していた時だった。
「あの、囮調査わたしにやらせてもらえませんか?」
きなこが軽く拳を握り、そう問いかける。
その表情の中には先程までの荒々しい感情は見つけられなかった。
先輩たちは顔を見合わせると、視線で会話をしている。
彼女が優秀なのは周知の事実だが、囮調査はただでさえリスクが高い。決めあぐねるのも無理はないだろう。
「まあ君たちの学校からも存分に使ってくれって言われてるしな……いいよ、君に任せよう」
「ありがとうございます!」
想像よりもあっさりと許可が下りて拍子抜けする。
私は自分の中で焦燥感が生まれるのを自覚していた。
いいのか。私はまた何も役に立てずに終わるのか。
探せ、役に立て。探学第一の精鋭として、恥じぬように。
「私にも、協力させてください。必ずしっかりサポートします」
見ているだけではだめだ。助けられてばかりでは成長できない。
前回の任務の時、車内で待っている時間が一番苦痛だった。
自分は無力だと言われているようで。
四人の中では一番劣っているかもしれない。だけど、それを理由にはしたくない。
思い出せ。何のためにここへ来たのか。
「威勢がいいね、今年の探学生は。まあ今回の案件はそこまで手を焼くようなもんじゃないから、君たち主体で動いてもらおうかな」
苦笑混じりでそう返され、体から力が抜ける。
「じゃあ早速取り掛かってもらおうか。依頼人は既に事務所にいるから、まずはしっかり話を聞いてきて」
「分かりました」
隣からの視線が痛い。
物凄く睨まれているような気がしなくもないが、とりあえずは無視だ。
事務所へ着き中に入る前、きなこは耐えきれないといった様子で私に噛み付いた。
「もう、何余計なこと言ってんの!? なんであんたとやんなきゃいけないのよ!」
「きなこが先にバディ組もうって言ったんじゃないのよ。自分が言ったことも忘れたの?」
「そうじゃなくて! 囮はわたしが上手くやるから十分よ、あんたは無難にやってればいいのに何でわざわざ……」
「あら、心配してくれるの?」
「バッカじゃない!? わたしはね、この案件で成果を持ち帰って、万年青くんと堂々とバディ組むのよ!」
横取りなんて絶対許さないからね! と釘を刺されるが、あいにく成果を求めてこんなことをしてるわけではない。
私は扉を開けることで平行線の会話を半ば強制的に終了させた。
きなこがまだ不服そうに唸っているが、今は非生産的なことをするより依頼人と向き合うのが先である。
「失礼します。初めまして。今回担当させて頂く紫呉と申します」
「猫八です。よろしくお願いします」
相変わらず、変わり身が早くて感心する。
きなこは穏やかな笑顔でそつなく挨拶を済ませた。
ソファに腰掛けていたのは気弱そうな女性で、無造作に括られた髪の毛は所々跳ねていた。
その表情もどこか疲弊していて、眉尻が下がっている。
「あ、小川です……すみません、わざわざ……」
「小川さん。突然本題で申し訳ないのですが、今回は浮気調査ということでお間違いないですか?」
「はい、そうです」
ぺこぺこと何度も頭を下げる女性に、私は両手で制しながら話を続ける。
「調査を始めるに当たって、お話を詳しくお伺いします。お気に障ることがありましたら遠慮なく教えてください」
依頼人からの聞き込みに関しては授業でも何度か学習した。
相手の表情を見逃さないこと。視線の動きをよく見ること。
話の内容の他にも、ヒントになることは沢山落ちている。
ここは心理部の得意とするところだ。
「小川さん。下のお名前を教えて頂けますか?」
「え? ゆかりですけど……」
「では、ゆかりさん。あなたの趣味や昔のことなど、可能な範囲で教えてください」
彼女は訝しげに私の顔をちらりと見て、小さい声で話し始めた。
裁縫が得意。料理も好き。
学生時代はずっと勉強や読書に明け暮れて、まともに恋愛をしてこなかった。
最初の方は言葉が途切れることが多かったが、私が「裁縫なんて、私いつも指刺しちゃうんですよ。血まみれです」やら、「得意料理何ですか? 私、目玉焼き作るの得意です!」やらと相槌を打つうちに、流暢に話してくれるようになった。
「ええっ、ラタトゥーユって何ですか? 初めて聞きました!」
「フランスのプロヴァンス地方の料理なの。夏野菜たっぷりで健康にいいのよ」
「そうなんですか〜」
そんな雑談に花を咲かせていると、横からきなこが脇腹をつつく。
「ちょっと、なに関係ない話してんの? 真面目にやってよ」
「わーかってるって」
勿論、ふざけているわけでもなんでもない。
話を聞くにあたって余計なものは取り除く。些細なことも口に出して話しやすい空気を作り出す。
「それだけお料理が上手だと、食べる方も幸せですね。そう言われませんか?」
私の問いかけに、さゆりさんは途端に表情を曇らせた。
そしてため息をつき、ゆるゆると首を振る。
「主人は昔から口下手で、私もそれは分かってて付き合ってたわ。でも最近、ますます彼の考えていることが分からなくて……」
温くなったお茶を口に運び、彼女はそっと顔を伏せる。
「それでも何だかんだで優しいから、疑ってなかった。だけどこないだアイロンをかけようと思ってスーツを弄っていたら、電話番号だけ書かれた紙が入っていて」
その時はさして気にしなかったという。
しかしある日、スーツに長い髪の毛がついていたらしい。
何となく違和感を感じ始めると、夫の態度まで怪しく見えてきてしまう。
極めつけは、会社の飲み会と言っていた日付の高級レストランのレシートを見つけたことだったとか。
「一度疑い出すともう駄目で……主人のことを好ましく思ってたはずなのに、もう今はそう思えないんです」
そして彼女はついにこの事務所にやって来たのだ。
愛する人に裏切られるのは、一番精神にくるものがある。
「分かりました。お辛いことを沢山お話させてしまってすみません。必ず真相をしっかり突き止めますから、安心なさってください」
そこまで言い終わってから、私はきなこの存在を思い出した。
今の今まで完全に忘れていたが、すっかり自分が勝手に話を進めていた。
また後で嫌味言われるかしら。
内心冷や汗を流しながら横目で隣の様子を窺うと、きなこは真剣な表情で黙々とメモを取っていた。
「では、また進展がありましたらご連絡します。何か気がかりなことがありましたらいつでも言ってください」
「ええ、ありがとうね。……少し、楽になったわ」
挨拶を交わした時とは随分と印象が変わった。
優しい笑顔が素敵な女性だ。
彼女が退室するのを見送り、私は深々とソファに体を預ける。
何とか依頼人の気に障ることなく話は聞き出せた、ひとまず第一段階はクリアだ。
とりあえず今の情報を整理して、しっかり資料を作ろう。
「きなこ、ちょっとメモ見せてもらっていい?」
「はい」
こちらを見もせず突き出されるが、一言くらい文句を言われるものだと思っていたので逆に困惑した。
すぐに受け取ろうとしない私に、彼女はようやく視線を動かす。
「何よ」
「いや、普通に見せてくれるんだなあと思って……」
素直に感想を述べると、きなこは首をぐりんと回してそっぽを向いた。
「別に、まともに仕事してる人間にいちゃもんつけるほど性格ねじ曲がってないわよ、こちとら」
ほら、と胸元に手帳を押し付けられ、両手で有難く受け取る。
開くと、そこには綺麗な字で細かく記されていた。さすが優秀なだけあって、どの情報も抜かりない。
自分の中の記憶と完全に一致するし、むしろこのメモを見て会話を思い出せるくらいだ。
私は自分の手帳を開き、きなこの手帳と交互に確認していく。
自身の手帳には、その時の相手の仕草や表情、口調などを中心に書き込んでいる。
この話を振った時に視線をどこに向けたか、といった具合にだ。
「ありがとう。今日中にまとめて資料つくるね」
「今日中って……正気? もう夕方だけど?」
「早い方がいいでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
言い淀む彼女に、私は立ち上がって荷物の整理を始めた。
「得意不得意があるんだし、私に任せてよ。内容なら保証するから」
それに、と付け加えてきなこを見据える。
夕日が眩しい。否、眩しいのは彼女の髪か。光を纏って黄金に揺れる。
「きなこが体張って囮するのに、私が楽しててどうするのよ。もう二人でやるって言っちゃったんだもん」
信じたい。私にもやれることが、救える人が、いるってことを。
僅かに見開かれた彼女の瞳に、私は小さく微笑んだ。