ちゃんと美味いやつ
「すまない! 完全にこちらの手違いだ!」
デスクに手を着いて頭を下げる目の前の人物に、私とひばりは慌てふためいた。
「私たちならこの通り大丈夫なので! 顔を上げてください!」
「しかし、君たちを危険な目に遭わせて……」
「いや俺たちにも少なからず非はあるので!」
上司にこれ以上頭を下げさせる訳にはいかない。
必死に言葉を繋げ、説得を試みる。
無事に江本さんを救出し四人で事務所へ戻って来た私たちを見て血相を変えたのは、私とひばりが事務所へ入った時に出会った無愛想な例のおじさんだ。
「探学生じゃないか!? 何でこいつらと一緒に……」
「何でって、泉さんが俺らのとこに寄越したんじゃないすか。応援が来るって言うから安心したのに、まさか学生の指導任されると思ってなかったっすけど」
どうやら私たちが携わった案件は、本来ならば正探偵が応援として駆けつける予定だったらしい。
しかしおじさん――もとい泉さんは、事務所へ入って来た私たちを応援要請でやって来た正探偵だと勘違いし、即刻現場へ向かわせた。
探学生が来ると思っていなかった佐原さんと江本さんは、当然何も聞かされていない。
それなのにあそこまでしっかり指導を入れてくれたのだ。
「とにかく、本当にすまなかった。君たちの学校にも詫びは入れる。よく頑張ってくれた」
「ありがとうございます」
労いの言葉は有難いが、ひばりはまだしも私は何も貢献できなかった。
それに、解決に至ったわけではない。
「最近同じような案件が多発していてな。別の事務所では現場へ送り込んだ奴らが戻ってこないなんて言うもんだから、気がかりだった」
泉さんが苦い表情で吐き捨てる。
戻ってこない? 何かの比喩だろうか。
それとも本当に消えたとでも言うのか。
「まあお前たちは無事に戻って来た。それだけで収穫はあるさ」
彼の言葉は嘘には思えない。本当に心からそう思って口にしているのだろう。
現場員が失踪するというのなら、私たちはただの駒として送り込まれたのでは――
そんな考えは、振り払うことにした。
「江本、佐原。二人に飯でも奢ってやれ。ちゃんと美味いやつをな」
泉さんはそう言うと、私とひばりの肩に手を置いた。
ずっしりと、重みのある手だ。
「今年の探学生は優秀だな。期待してるぞ」
ぽんぽん、と軽く叩かれ、その度に体が揺れる。
私はちらりと隣のひばりを盗み見た。
その顔は、いつも私と言い合いをしている時のおちゃらけたものなんかじゃなかった。
重責を受け止め、理解している者の顔だ。
自分が情けない。これじゃバディだなんて言えっこない。
一方的に助けて貰ってばかりでは。
「じゃ、若者たちよ! 俺らが奢ってやるから着いてこい! 美味い店知ってんだ」
江本さんが任せろとばかりに腕を叩く。
その提案に素直に乗ることにした私たちは、事務所を後にした。
着いたのはいわゆるファミリー居酒屋で、こういうお店に来るのは初めてだった。
少し緊張気味な私の背中を江本さんはバシバシ叩いて、「ほら行くぞ」と促す。
先輩二人はよく来るらしい。
手馴れた様子で注文を終えると、早速たわいもない会話が始まった。
「二人は探学第一って言ってたよね。入試は言わずもがなだろうけど、入学後はめちゃくちゃスパルタって聞くよ」
「まああながち間違ってないですね……何せいきなり現場にぶち込まれたんで」
「はは、そうだね。まさかこんな時期に来ると思わなくて驚いたよ」
佐原さんとひばりがそんなやり取りを行う傍ら、江本さんは私に質問を投げる。
「紫呉って、何で探偵目指そうと思ったんだ?」
「えっ」
「差別するわけじゃないけど、女探偵ってまだまだ少ないし。結構男社会だからやりにくいんじゃないかと思ってな」
確かにその通りだ。
クラスの比率も圧倒的に男子が多いし、正探偵で言っても女性は珍しい方である。
私はなるべく当たり障りのない回答をしようと、疲れた脳を働かせた。
「ええと、小さい頃にドラマで見た探偵がすごくイケメンだったんですよね。探偵になったら私もイケメンと付き合えるのかなあって。それで探偵になろうって決めました」
江本さんが目の前でマジ? という視線をぶつけてきたので、私はマジです、と力強く頷いてみせた。
「だいぶ愉快だな、お前。まあ探学第一に入れるスーパー人間は大体変わったヤツが多いっていうけど」
「人間って動機が不純なほど力がわくんですよ」
「間違いねえな」
若干呆れたように笑われる。
そこへドリンクが運ばれて、各々グラスを握った。
「じゃ、お疲れ! 乾杯!」
「お疲れー」
「お疲れ様です」
カラン、と軽い音色が響く。
喉が急速に冷やされていく感覚が心地よかった。
「まあバディ組んだ相手って卒業後も顔合わせることあるからな。仲良くしといた方がいいぞ」
「俺ら探学第二だったんだけど、同じクラスでさ。一回バディ組んだことあるんだ」
そうなんですか、と話を聞きながらテーブルに零れた水滴をおしぼりで拭う。
「そういえば、万年青くんは何で探偵に?」
佐原さんが言いつつグラスをあおる。
ひばりは一瞬戸惑ったように固まると、ゆっくり口を開いた。
「……俺は、ナイチンゲールの正体が知りたいんです」
久しぶりに聞いたその単語に、私は眉根を寄せる。
一時期メディアが大騒ぎした大怪盗の名だが、最近はあまりニュースでも聞かなくなった。
警察も探偵も毎日目の前の事件で手一杯で、まやかしのようなその存在にまで注意が向かない。
「ナイチンゲールねえ。正直、俺らみたいな下っ端が突き止められるようなのじゃないと思うけど」
「江本」
佐原さんがたしなめるように名前を呼び、江本さんは肩をすくめた。
そしてフォローのように付け足す。
「本当かは分からないけど、ナイチンゲールの消息を追うための機密組織が探偵内部にあるって聞いたことがあるよ。警察も介入している」
「噂だろ、そんなの。第一、警察と俺らが仲良くできるわけねえんだ」
ひばりがうんともすんとも言わないので、恐る恐るその様子を確認する。
しかし俯いていたため表情は分からなかった。
「今回俺らが担当した案件も、ナイチンゲールと関係があるんじゃないかって言われてた。正確には、各地でそういう案件が起こってるんだけど」
「どういうことですか?」
「一見、金銭被害がない子供の悪戯のようなものなんだけど、その調査へ向かった現場員が帰って来ないんだ」
体中に電流が流れたかのようだった。
何かが気になる。何だろう、分からない。もう少しで何かが掴めそうなんだが――
「そういや泉さんも言ってたな、現場員が帰って来ないって。ビビって逃げたやつのことを揶揄ってんのかと思ってたが」
「ああ、どうやら本当に文字通り帰って来ないらしいんだ。だから今回の件も同様に考えていたんだけど」
校長の言葉が蘇ってくる。
「最近、どうにも逃げ腰の現場担当が多くてな」。確かそう言っていたはずだ。
これはそういう意味だったのだろうか。
意図的なものか? それとも偶然?
「関係あるかは知らんが、一種のデモなんじゃねえのか。その事務所のやり方が気に食わなくて辞めるに辞めれず、行方くらますって聞いたことある話だぜ」
違う事務所で拾われてたっていうのが大体のオチだけどな、と江本さんが息を吐く。
「まあその可能性もあるから事務所も強くは出れないんだろうね。空いた穴は塞ぐしかない」
やけに大人の事情丸出しの話を聞いてしまい、私は少し気まずくなった。
聞かなかったことにした方がいいのだろうか。そもそも聞かれちゃまずいことは話さないか。
「つまんねえ話はやめようぜ。俺はな、今日は飲むって決めてんだよ」
江本さんは宣言通り豪快にジョッキを傾けると、通りすがりの店員に「ビール一杯追加で!」と叫んだ。
次々と運ばれる料理を楽しみつつ、私はぼんやり考える。
ひばりとの任務も終わったということは、次は新しい相手とバディを組まなければならないということだ。
「紫呉さん、食べてる? これ美味しいよ」
「あ、頂きます!」
気付けば江本さんはだいぶ酔っ払っていて、手元に空のジョッキが溜まっている。
その隣のひばりは彼に肩を組まれ、すっかり絡まれていた。
「紫呉ェ、お前可愛い顔して結構図太い神経してるよなぁ〜」
「へ?」
「こら、江本! 何言ってんだ失礼だぞ!」
佐原さんが慌てて制止しようと努めるが、酔っ払いはそんなもんじゃおさまらない。
「あんな目に遭ったらピーピー泣きそうなもんなのによォ、お前きょっとーんとしてるから面白くてなあ」
「は、はあ。ありがとうございます?」
これ褒められてるのかしら。いや、多分だけど貶されてるわ。何の気なしに。
「これからもお前らしく図太く行けよ〜」
「ちょ、江本さん! 水! 水飲みましょう!」
くらりと後ろに倒れた酔っ払い一名。
ひばりが慌てて手を添え起こそうとするが、なかなか戻らない。
そんな一部始終を見終え、佐原さんは深々とため息をついた。
「ごめんね、明日あいつにはちゃんと叱っとくから」
「いえ、大丈夫です……」
いっそ母性すら溢れる先輩に、私は首を振って項垂れた。
「でも、俺も紫呉さんは強いと思ったな。なんというか、芯がしっかりしてるというか」
ぽつりと零した佐原さんが、視線を下げて続ける。
「江本が閉じ込められたって聞いた時、正直パニックでどうしようってなってた。情けない話、俺はいつも江本に助けられていたから」
思わず私は彼の方を振り返った。
私はひばりに助けられてばかりだ。佐原さんも、そうだったのだろうか。
「紫呉さんをもう危険な目に遭わせられないってみんなが思っていたよ。だけど君は違う。その庇護を自分から振り払った。俺も反省したんだ、どこかで君を見下していたのかもしれない」
ごめんね、とごく小さい声で彼は謝る。
周りの喧騒がその声を打ち消したけれど、口の動きで伝わった。
「教育者的には、紫呉さんを危険な目に遭わせる確率が高い選択肢を選んだことは失格だったかもしれないけど、君を一人の探偵としてカウントするなら、正しい選択だったと今でも思ってるよ」
「……私には勿体ないお言葉です」
「いや、あの時、紫呉さんが俺の代わりに決めてくれたんだ。君の決断力には負けるよ」
紫呉さんがいてくれて良かった。
最後にそう言った彼に、胸が熱くなった。
ようやく役に立てた気がしたのだ。
私が私であることを認められたかのように。私自身を、全うできたかのように。
「君には正義がある。空を睨みつけるぐらい、吠えるぐらい、揺るぎない正義がある。あの瞬間の紫呉さんの顔を見て、こっちがビビるくらい怖かった」
「えっ」
「それは俺も同感です」
「ええっ」
二人から太鼓判を押され、私はしおしおと縮こまった。
いけないいけない。こんなキュートな顔に皺を刻むことがあってはどうするの。
「ま、そのタフさがあれば十分だよ。これからも安全第一で頑張って」
図太く、強く、そしてタフに、か。
うら若き乙女になんて評価だ、と若干不服だが、それが自分らしさなら致し方ない。
次に組むのが誰であろうと、どんな案件であろうと、やってやろうじゃないの!
一人闘志を燃やす私を横目に、ひばりは呆れた様子で「これ以上頑張ったら怪我しますよこいつ」と茶々を入れる。
「はは、その時は万年青くんが助けてあげなよ。それがバディってもんでしょ」
まあそのバディも、今日で解消なんだけど。
佐原さんがそんなことを知る由もない。
私は親指をぐっと立て、ひばりに笑って見せた。
「よろしくね、バディー!」
「それやめろよ」
「なんだなんだ恥ずかしがってんのかー!」
「うっせえって!」
仲良いねえ、君たち。
佐原さんはそう言って隣で楽しそうにグラスをあおった。