心からさよなら
どうやら自分は丸々二日眠っていたらしい。
太腿に撃ち込まれた銃弾の摘出手術は無事に終わったそうだが、左の視界が戻ることはなかった。
手鏡に映った自分の顔は、左目を起点に包帯が何重にも巻かれている。
ベッドの上で変わりようもない現実を受け止め、本日幾度目かのため息をついた。
「失礼します」
律儀な声かけに顔を上げる。
相変わらず無愛想な苗島さんと、険しい表情の尾田さんがいた。
意外な訪問者に内心驚きつつも、苗島さんが差し出した手土産を受け取る。
有名な老舗お菓子メーカーの名前が入った紙袋だ。
「すみません、わざわざ……ありがとうございます」
紙袋を丁重に脇に置き、恐る恐る二人に視線を戻す。
何だかよく分からないが、彼らの雰囲気が尖っているような気がしたのだ。
「今日はあなたにお詫びをさせて頂こうと思い、伺いました」
苗島さんが唐突にそう切り出した。
全く予想外の言葉に、私は「お詫び?」と素っ頓狂な声で聞き返してしまう。
すると次の瞬間、尾田さんは深々と頭を下げた。
「紫呉さん、申し訳なかった。生命に関わる程の重傷を負わせてしまったこと、そして今まで君たちを百パーセント信用出来ていなかったこと、本当に済まない」
苗島さんも彼に倣って腰を折る。
しばし呑み込めずに黙っていたが、我に返って言い募った。
「顔を上げてください! 怪我は私自身の責任ですし……お二人の立場上、私とひばりが怪しいと疑るのは当然のことだと思うので」
「いや――我々で君たちを預かっている以上、責任はこちらだ。申し訳ない」
確かに今まで理不尽に疑いをかけられて不快なこともあったが、それとこれとは別だ。
いざ面と向かって謝られると萎縮してしまう。
「あの、本当にもう大丈夫なので……それより私、聞きたいことがあるんです」
何とか二人をなだめて椅子に落ち着かせる。
ようやく対等に話せる状態になり、肩から力が抜けた。
「兎束さんは……逮捕、されてしまったんですか」
意識が飛ぶ前に見た彼女の姿が、脳内にこびり付いていた。
安否が気になって問いかけると、苗島さんは静かに頷く。
「簡潔に言うと共謀罪です。彼女は幼少期に育児放棄され、施設にいたようですね。そこを黒崎に引き取られた形になります」
兎束さんには父親の異なる兄がいて、その兄が「灰里」と呼ばれていた彼だったようだ。
二人とも黒崎に引き取られ、彼の元で暮らしていたらしい。
「彼女の兄と万年青くんのお兄さんは実行犯として逮捕されています。黒崎の指示で動いていたのでしょう」
そこまで聞いてから、私は頭を叩かれたような衝撃に襲われた。
そうだ、と呟いて顔だけ詰め寄る。
「ひばりは!? ひばりは無事ですか!?」
私の大声に肩をすくめた苗島さんに、少し申し訳なくなって口を噤んだ。
――と、
「それはどちらかというと俺が聞きたいんだよなー……」
病室の入口から飛んできた声に、目を見開く。
私と同じ病衣を着たひばりの頬には、ガーゼがあった。
「ひばり……」
しっかりと自力で立っている彼の姿に安堵していると、その後ろから見知った顔が現れた。
「思ったより元気そうだね」
「きなこ! 蛇草くんも! ……あ、」
一番後ろで難しい顔をしているのは、なんと鹿取くんである。
呆気に取られている私に、尾田さんは腰を浮かせた。
「戻ろう、苗島」
彼の言葉に頷いた苗島さんが、軽く頭を下げて立ち上がる。
その様子に、思わず声をかけた。
「あの!」
事件は全て終わりを告げた。
私たちが彼らと関わることは、もうないだろう。
「また、会えますか」
機密組織はなくなってしまうのだろうか。ナイチンゲールが消えた今――探偵組織は、どうなってしまうのだろう。
「君たちは、立派な探偵だった」
私の質問に答えることなく、尾田さんはそう言い残して苗島さんと共に病室を後にした。
***
「お父さん! お弁当持ったー?」
「ああごめん、助かるよ」
玄関でコートを羽織る父に、私はわざとらしく頬を膨らませてみせる。
「せっかく作ったのに、忘れていかれたらどうしようもないからね」
はい、とランチバッグを押し付け、靴を履き終えた父を見上げた。
「今日はなるべく早く帰ってくる。あげはも気を付けなさい」
「うん。いってらっしゃい」
玄関のドアが閉まるのを見届けて、私も支度を始めることにする。
今日は退院後、初めての登校だ。
しばらく外に出ない内にすっかり気温は下がり、上着が手放せない季節になった。
リビングの絨毯に寝っ転がっている飼い猫をひと撫でしてから、テレビを消してウィンドブレーカーを羽織る。
洗面台で最後に軽く髪を整え、息を吐いた。
「……前髪伸ばそうかな」
左目を覆う眼帯は、明らかに異質な存在だ。
そしてこれとは一生の付き合いになるだろう。
不思議と、片目の視力を失ったことに動揺はしなかった。
元々「生きてたんだ、自分」くらいの心持ちだったというのもあるのかもしれない。
久しぶりに持った鞄は重く感じた。
登校途中もそうだが、教室に入ってからも周りからの視線は刺さった。
とはいえ眼帯を剥いでしまった方がグロテスクなのだから、誠意として受け取って欲しいものである。
相変わらず手厳しい授業を受け、ようやく昼食の時間がやってきた。
「おーい、あげは」
珍しくひばりの方から呼びに来たようだ。
お弁当を持って駆け寄ると、「ちょうど良かった」と彼は目を細める。
「今日は食堂じゃなくて、こっちな」
言うなり私の手を引いて歩き出したひばりに、思わず反駁した。
「ちょちょちょ……! 何、どこ行くの? それよりこの手は、」
「まあまあ心配すんなって」
「いや心配じゃなくて……」
どちらかと言うと、疑問なのだが。
ひばりが向かっているのは非常用階段らしい。
ここは最上階であるはずだが、更に上に行けるようだ。
「ここって入っていいの?」
「さあ。バレなければいんじゃね?」
不安を煽るような返答をし、彼は階段を上り始める。
どうやら先は屋上に繋がっていて、私はそこで素直に不満を零した。
「外は寒いからやだ」
「俺もやだ。だからここでいい?」
屋上のドアの手前には、バリケード代わりなのか机や椅子、三角コーンなどが置いてある。
ひばりはそこから椅子を二つ見繕って、まあ座れよとでも言いたげに目配せした。
「何でわざわざこんなとこに……」
腰を下ろしつつ口を尖らせると、彼は突然ふざけた表情を隠して告げる。
「うん、ごめんな。誰にも邪魔されたくなかったから」
息を呑んだ。
こちらを真っ直ぐ見つめる瞳に、何だかむず痒くなる。
「俺、あげはと一緒にいてお守りだと思ったことない」
その言葉に、私は「あ」と声を上げた。
『私のお守り大変だったでしょう?』
心当たりのある単語に、急に居心地が悪くなる。
「なんだ、起きてたんだ……」
寝てると思っていたからこそ言えたこともあったのに、恥ずかしいったら。
ひばりは少し口元を和らげると、遠慮がちに肯定した。
「寝てたけど途中で起きた。でも言い出すタイミング逃して狸寝入りしてた、ごめん」
単刀直入に謝られては逃げ場がない。
でも、と今度は目尻をつり上げ、彼は叱る。
「あんな遺言みたいなのやめろよ。てか俺を叩き起してでも、引き摺ってでも連れてけ!」
流石に病人を引き摺るのは倫理的にいかがなものか。
納得していない私を見かねてか、ひばりは言い訳のように付け足した。
「あんなフラグ立てられて、こっちは気が気じゃなかったんだよ! 尾田さんに連絡したら、なんかお前一人で行くらしいし? 俺、バディなのに置いてけぼりだし?」
「それでガラス突き破って来たわけか……命知らずな」
「ほんと、それお前には言われたくないからな!」
びっ、と指をさされて完全に説教モードである。
後から聞いた話だが、私が起こすよう頼んだ「イベント」は、地元アイドルのゲリラライブとして実行されたようだ。
夜の街をペンライトが照らし、ビルの周辺はファンで埋め尽くされた。
ライブの警備という名目で多少の人員が配置されていたのも功を奏したのだろう。
仮に逃げ出されてもすぐに行方を追えるよう、全方向に人がいる状態を作り出したのである。
最も、犯人の目的は全ての宝石を揃えることであったから、それを削がれた時点で何かしら打開できるのではと思ったのだ。
「俺は、……俺も、あげはとバディになれて良かったと思ってるよ」
言い直してから、ひばりは自身の制服のポケットに手を入れる。
「あげは、手出して」
「うん?」
深く考えずに右の手の平を開き、前に突き出す。
何かひんやりと硬いものが乗せられたのを感じた。
ひばりの手が退いて、その正体が姿を現す。
「え――?」
そこには確かに、ペンダントがあった。
紫の光を帯びて輝く様は、間違いなくアメジストだ。
元のサイズよりも小さいが、光沢は衰えていない。
「あの時ほとんど砕けたけど、一つだけ塊で残ってたらしい。元々あげはのだからってことで、調査が終わった後に譲ってくれた。それで作り直してもらったんだ」
「作り直しって……」
そんな当たり前のようにひばりは言うが、かなり費用がかかるんじゃないだろうか。
しかし母の形見をどんな形であれ残しておいてくれた彼の心遣いに、涙が出るほど嬉しかった。
「あげはは、大事なもの壊してまで平和を守ったんだ。みんな結果ばっかり気にするけど、その過程を俺は忘れたくない」
「……ひばり……ありが、」
最後まで言えなかった。
ひばりの手が伸びてきて、私の涙を拭ったのだ。――失ったはずの、左目の涙を。
「あげはが半分しか泣けないなら、俺も泣く。半分しか笑えないなら、俺も笑う。見えないなら俺が左を歩くから」
だからもう、絶対に我慢するな。
そう言って力強く握られた左手が酷く熱い。
必死に何度も頷いて、右手を彼の手の上から重ねた。
「ひばりも」
「ん?」
「ひばりも、もう一人で抱え込まないで。『自分なんか』も、『自分しか』も、もうやめて」
ひばりはすごい。すごいけれど、私と同じなんだ。
劣っても優れてもいない。同等に、伸び伸びと生きていくべき一人の青年。
私たちはお互いに一人ぼっちだった。寂しくて、悲しくて、叫び出したかった。
きっとこれからもみっともなく消耗していくんだろう。
だけど、だからこそ。
足りない部分を埋めるように、時には自ら傷を掘り返しながらも、不器用に生きていきたいと思う。
ひばりは虚を突かれたように固まって、それからゆっくり頷いた。
それに満足して、私は今日まで気にかかっていたことを口にする。
「……探偵って、なくなっちゃうのかな」
いつか、そんな日が来るのかもしれない。
今すぐにはなくならないと、分かってはいるけれど。
「さあな。そんな綺麗な世の中、歴史の教科書のどのページ探しても見当たんねえよ」
あまりにもあっさりと論破してしまったひばりに、それもそうかと苦笑する。
ナイチンゲールを捕らえるため――その基盤が崩れてしまったら、この組織は一体どうなってしまうのだろうと懸念していたが。
警察がどんな凶悪犯を捕まえようと消滅しないのと同様、この世から事件がなくならない限り、きっと私たちは奔走し続ける。
笑った途端、気が抜けたのか腹の虫が大きく鳴った。
「……お腹空いたー……」
「いい鳴りっぷりなことで」
若干呆れたように揶揄ってきたひばりは、ペットボトルの蓋を開ける。
私も昼食をいい加減始めよう、と弁当箱を開いた時だった。
「……やっちゃった」
「え?」
「どっちもご飯だー……」
一段目と二段目、白米が敷き詰められたそれを見て、ひばりは愉快そうに肩を揺らした。
「あーあ、かわいそ」
「一ミリも感情こもってない同情やめなさいよ」
「食堂行く?」
彼の提案に力なく頷いて、渋々立ち上がる。
階段を下りて踊り場に差し掛かった時、
「うわっ!?」
しゃがみ込んでいる人影に驚いて、思わず飛び上がった。
「な、な、何でいんの!? きなこ……と、蛇草くん!」
大きな目で私を見上げたきなこは、意地悪く口元をつり上げる。
「あげはが戻ってくる日だしみんなでお昼どうかなーって思ったら、万年青くんがいそいそと引っ張っていくのが見えたから、つい」
「ついって何!?」
「紫呉。カップルらしさについてウェブで調べてみたが、密室に男女二人きりでいるのは恋人ないし、夫婦でないと倫理的に良くないという記事を見つけた」
「ここ密室じゃないから! ネットの情報は取捨選択しようね!?」
真顔で淡々と爆弾を落とす蛇草くんに、半ば子供を諭すかのように反論する。
一気に騒がしくなった空間。
軽口を叩くきなこと真面目な顔で不真面目なことを宣う蛇草くんを交えて、私たちは食堂へ向かうことになった。
『大切な人には、そう伝えないとね』
ふと母の言葉が脳裏に過ぎって、足を止める。
「あげは?」
いつ死ぬかも分からない世界で、私たちはこの日を過ごしていく。
それは当たり前で、かけがえのない時間だ。
またとない今この瞬間に、永遠の火を灯したい。
「私、みんなと会えて良かった」
一人がいい、誰も構わないで。
そう強がって泣いていた自分に、今なら心からさよならと言える。
蛇草くんの表情はやはり変化がないが、きなこがその隣で朗らかに笑う。
ひばりは満足そうに微笑んで、それから「早くしろ」といつものように私を急かした。




