無法地帯
ひばりの横顔は、こんな時に見ても酷く美しかった。
「兄さん……どうして、ここに」
そう問う声が震えている。
無理もない。
一度対面している私ですら、何度嘘であれば良いと願ったことか。
頭では理解しているつもりでも、本当に残酷な真実は容易く受け入れることなどできない。
「君がひばりくんか」
私へと発砲した銃を下ろしながら、男が目を細めた。
品定めするような視線でひばりを威圧すると、そのまま続ける。
「感動の再会、とはいかないか。憎い弟となんて、会わない方がマシだったかな?」
男の言葉に、場の空気が凍った。
真っ先に反応したのはひばりである。
「どういうことだ。……お前は誰なんだ?」
「僕? 僕はこの子の『父親』だよ」
想定外の返答だった。
ますます不透明になっていく会話の行方に、男は解答を述べる。
「簡単なことだよ。この子にとって君は害だった。だから君の元を離れた」
「害、だと?」
はっきりと邪魔者扱いをされ、ひばりは隠すことなく顔を歪めた。
男は笑顔を貼り付けたまま、その先を告げる。
「君が全ての諸悪の根源だ。万年青ひばりくん」
唐突な宣言に、私は思わず声を上げた。
「何を――馬鹿なこと言わないで。あなたの罪はあなたしか償えない。ましてやひばりに押し付けるなんて、」
最後まで言い切れずに息を吐く。
痛みで気が狂ってしまいそうなのに、ひばりを侮辱された怒りで頭が沸騰しそうだった。
「君がいなければこの子は幸せに暮らしていけたんだよ。君と比べられることもなく、見放されることもなく、伸び伸びと過ごせたはずなんだ」
男の主張にどこか聞き覚えのある部分を見つけて、私は眉根を寄せた。
どうやらそれはひばりも同じだったらしい。先程までの反発的な表情は消え失せていた。
「本当の父親は早々に見切りをつけて、君にだけ構うようになった。違うかい?」
「違――そんなことあるもんか! お前が何を知ってるんだよ、父さんは兄さんのことだってちゃんと……」
ひばりの反論は尻すぼみになり、そこで途絶える。
「ちゃんと、何?」
意地の悪い笑みを浮かべて、男は聞き返した。
「ちゃんと気にかけていた? ちゃんと可愛がっていた? 違うよね、そんなわけがないんだ。だって愛されていなかったんだから」
「てめえ……!」
憤怒に乗っ取られたひばりがその足を踏み出す。
刹那、男は一切の迷いなく引き金を引いた。
「君は邪魔でしかなかったんだよ。疎まれ、憎まれ、遠ざけられるべき対象だったんだ。彼にとってはね」
銃弾はひばりの頬をかすり、血の筋を生む。
無法地帯だ、と。そんなことを思った。
「……そうなのか?」
沈黙の後、ひばりは俯いたまま肩を震わせる。
「なあ、兄さん……そうだったのか? 俺は、兄さんにとって……」
いらない存在だったのか?
上ずった声でそう問いかけた彼の瞳からは、とめどなく涙が流れていた。
青い光を包んだ粒が床に吸い込まれていく。
空白が訪れた。質問を投げかけられた当人に、口を開く気配はない。
ひばりは顔を上げると、険しい表情で叫んだ。
「答えろ!!」
こんなに悲しい質問の答えを、彼は欲していた。
「答えて、くれよ……兄さん……」
あまりにも痛々しい光景に、耐えきれず唇を噛む。
呻くような声が短く聞こえ、その後「答え合わせ」が始まった。
「ごめん。……ごめん、ひばり……」
ひばりとよく似た、高く綺麗な声だった。
その謝罪が彼の解答だと知ったひばりの目から、光が消える。
「俺はずっと……ずっと苦しかった。出来の悪い自分に毎回嫌気が差して、その度にひばりを睨みたくなる自分がいたんだ」
彼はそう吐き出して、自身の足元を見つめた。
「父さんが俺に期待していないって分かって、本当は安心したんだ。……でも興味を示されないのは、思ったよりもきつかった」
「何言ってんだよ……父さんは兄さんのこと、ずっと心配してたんだぞ!」
「嘘言うなよ。そんな心配な子供の誕生日、どうして忘れるっていうの?」
ひばりが息を呑んだのが分かった。
彼の中で何か思い当たる節があったらしい。
「絶望に近かったよ。俺のことは心底どうでもいいんだなって」
自嘲気味に笑う様が哀しかった。
それとは相反するように、弟の表情は悲痛で歪んでいる。
この数年の中で二人はいま最も近い距離にいるはずなのに、間には分厚い壁が立ちはだかっているようであった。
「あの時は俺もヤケだったから、万引きでもすれば父さんも気にかけてくれるかと思ったんだ」
そうしてコンビニで事に及んだ彼の肩を叩いたのは、店員ではなく一人の男性客だったという。
「それが、黒崎さんだった」
彼の視線の先には、私とひばりに一発ずつ銃弾をお見舞いした男の姿があった。
名を呼ばれた男が「こら」と牽制するように声を上げる。
「不用意に情報を落とすんじゃない」
男に銃口を向けられ、ひばりの兄が口を噤んだ。
「お前が兄さんを誘拐したのか」
今にも噛み付きそうな勢いで反応したひばりに、男は鼻を鳴らす。
「物騒なことを言わないでよ。僕はあくまでも聞いただけだ。『うちの子になる?』ってね」
そして男は――黒崎は、父親になったと。そういうことなのか。
馬鹿馬鹿しい、と反吐が出そうだった。
子供を愛していない親がいるのはまだしも、銃口を向ける親がどこにいようか。
「灰里も、胡桃も、そして瑠璃も。みんな僕の子供だよ。親に見捨てられた、可哀想な子たちだ」
その子供を――愛すべきはずの子供を、犯罪を行うための道具として利用したというのか。
有り得ない。否、最早この男に真っ当な正解を求めることが間違っているのかもしれない。
「素晴らしいよね、憎しみって。人間が一番輝く感情だと思うよ」
黒崎はそう言うと、視線をこちらに投げた。
「ああ可哀想に……出血が酷いね。――君、もうすぐ死ぬよ」
告げられた言葉に、言い返す余裕はなかった。
目の前で繰り広げられる会話を理解するのが精一杯で、自ら口を挟む気力は残っていない。
「さあ、馬鹿げたショーは終演だ。盛り上げてくれた君たちには感謝するよ」
こつこつと音を鳴らし、黒い影が近付いてくる。
革靴が目の前で立ち止まった。
「残念だったね、無事に帰れそうもなくて」
上から降ってくる不愉快な声を、ただただ聞き流す。
その元凶は、はっきりとこう告げた。
「でも悪く思わないで。これは運命だったんだよ。これが君の――いや、君たちの運命だ」
先程までの飄々とした物言いはどこかへ失せ、彼の声からは明確な悪意が汲み取れた。
まるで私が憎くて仕方ないような、そんな声色で。
「君の母親が死んだ時から、彼の兄が姿を消した時から、全ては決まっていたんだ。偶然なんて、そんな奇跡のようなものじゃない。君たちは決められたレールの上を、ただ走り続けていただけさ」
床に力なく投げ出された自分の腕を見つめる。
その先にはゆるく握られた手があって、ゆっくり開いてもそこには何も見当たらない。当たり前だ。
でも私は、この空っぽに見える手の中に沢山のものを持っている。
それは泥臭くて、汚くて、時には放り出したくなるくらい愚かな自分自身だ。
どんなに決別したくとも、死の淵までまとわりついて離れない、醜い自分自身だ。
だけどそれでいい。
捨てたくて見ないふりをした分身も、いつか傷を癒してくれるパートナーになる。
拳を握った。今度は強く。もう何一つ、取りこぼさないように。
「――ダウト。」
静寂が張り詰めていた空間に、私の声が響いた。
「私たちの……運命ですって? あなたが知った口を聞かないで」
確かに走り続けていたのはレールの上だったかもしれない。
でもそれは、私が選んだレールだ。そこで転んでできた傷も、私が選んだものだ。
「私たちは自分が選んだ道を歩いているんだわ。それを横から邪魔しておいて、何が運命だって言うの」
私の運命は、私が決める。
誰かに導かれて、はいそうですかと従うものが運命だとは思わない。
仮にそうだとしたら――そんな運命、ダウトだ。
「運命っていうのは、自分の手で掴み取るものだわ」
語尾が掠れる。
酸素を取り入れようと急いて、咳き込んだ。
「ああ、そうか。それは失礼したね。……まあ、君がどう言ったところで関係ないけれど」
冷酷な声がそう述べる。
黒崎は一歩下がると、そのまま歩き出した。
床に転がったままのアメジストが目に入って、彼の目的を思い出す。
『十二個の宝石を収集するのが犯人の狙いでしょう』
なぜそこまで宝石にこだわるのか。
そこは未だに定かではないが、要するに目的を覆してしまえばいいわけだ。
だとすると、やるべきことは一つだけ。
すっかり力が抜けた自身の腕に鞭を打ち、腰に持っていく。
硬い感触を確かめて、浅く息を吐いた。
『あげは。私がもし――もしよ。もしだめだったら、あなたがこれを大事にして欲しいの』
遠い記憶を思い出して胸が軋む。母へ向かって心の中で手を合わせた。
ごめんね、お母さん。全然大事にできなくて、ごめんなさい。
でも、これで終わりだ。
「くっ……!」
黒崎の手がアメジストに伸びた瞬間、私はそこに銃弾を撃ち込んだ。
耳がおかしくなってしまうのでは、と思うほど発砲音の威力は凄まじい。
黒崎に怪我を負わせることは二の次だ。問題は――
「……良かった……」
床で粉々に砕け散っている紫の破片を目視し、安堵のため息をついた。
自分にとって一番大切と言っても過言ではない、母の形見だ。
躊躇がなかったと言えば嘘になる。だが、犯罪に利用されることだけは、どうしても許せなかったのだ。
これでもう全ての宝石を揃えることは叶わないだろう。
仮に自分が殺されようとも、犯人の目的達成は絶対に阻止しなければならない。
とはいえ、これ以上手を加えられる前に死にそうではあるが。
「……はっ、……はは、なるほど……これはやられたな」
黒崎が自身の手を押さえながら、ゆらりと私を振り返った。
「ああ……すごく不愉快だよ。早くとどめを刺しておくべきだったかな」
初めて見た彼の怒りの表情だった。
ああこれはまずいな、と靄のかかった頭で考える。
そこからはスローモーション映像を見ているかのようだった。
黒崎が拳銃を構え、ひばりの声が奥の方から聞こえ、そして――
「あげはッ!!」
目を閉じたつもりはないのに、視界が暗い。正確に言えば、左側が真っ暗だ。
「……外したか」
私の銃弾によって右手を負傷したらしい。黒崎は舌打ちをして腕を下げた。
もはや身体が訴えかけてくる感覚が何なのかすら分からなくなってくる。
痛いはずなのにのたうち回ることもできず、ただただ気持ちが悪い。
呆然と横たわる私を、黒崎がせせら笑った。
「お揃いだね、僕と」
文字通りの意味にしか受け取る思考回路がなく、それが盛大な皮肉だと気付くには至らなかった。
「僕の片目はあいつにやられたんだ」
その言葉に、何かが引っかかる。
あいつ。あいつって……誰だろう?
投げ出したくなるのをぐっと堪え、床を眺めたまま頭を回転させた。
「あいつも愚かだったけれど、君の方が数段上だったね。まさか本当に誰にも言わずのこのこと来てくれるなんて思わなかったよ」
ああそうだ。きっと鹿取くんのお父さんのことだ。
彼は黒崎に殺されたに違いない。
そして罪を擦り付けられて、この世を去ったのだ。
「てめえ、何しやがる!」
「おっと」
ひばりの喚く声が聞こえた。
その直後に銃声が鳴ったが、誰かが苦しむような声はしない。
「お前の……お前の、せいで……!」
代わりに耳に届いたのはひばりのそんな言葉だった。
どうやら銃弾を撃ち尽くしたようだ。
目の前で黒崎に掴みかかるひばりの姿を、静かに見上げることしか出来なかった。
「殴りたい? 気が済むまで殴ればいいさ。でも覚えておくんだよ、こんな無謀な選択をしたのは彼女だっていうことを」
胸倉を握っていたひばりの手を払い、黒崎は淡々と言い放つ。
そして歩き出したかと思えば、窓の前で立ち止まった。
「ナイチンゲール……随分と洒落た名前をつけたものだな」
その手が窓を開ける。
「お前っ、逃がすか……!」
ひばりが駆け出した。
が、黒崎が窓から飛び出す様子は一向にない。
それどころか、彼は外を凝視したまま固まっていた。
「何だ、これは」
そう呟いた彼に、間に合ったか、と私は胸を撫で下ろす。
安心ついでにこちらも一つ、皮肉を返させてもらうことにした。
「私がいつ、『誰にも言わずに来た』って?」
背中越しにかけた声に、今度は振り向くことなく黒崎は頭を垂れる。
「……なるほど。本当に数段上だったわけ、か」
彼は窓枠に腰掛け、両足を外に投げ出した。
それが「降参」の合図らしいと悟り、ようやく肩の荷が下りる。
吹き込んでくる夜風は、とうに夏が終わったことを私たちに教えていた。




