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その運命、ダウト。  作者: 月山 未来
Mission3―踏破せよ
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邪気

 


 扉の向こうは随分と広い空間だった。



「待っていたよ」



 部屋の奥で座っていたらしい男は、その腰を上げてこちらに向き直る。

 黒スーツを身に纏ったその姿に、紳士的なものすら感じた。


 一つ意外なのは、自身の顔を隠す素振りが見られないことだ。

 とはいえ彼の右目には眼帯が装着されていたが。



「君が素直で助かった。僕も手荒な真似はしたくないからね」



 私に語りかけながら、彼は自身の近くにある横長い箱のようなものに手をかける。

 紺色の布が掛かったそれは、大人の肩より少し下くらいの高さだろうか。


 こちらに視線を寄越して小さく笑うと、彼は勢い良く布を引っ張った。



「……これは、」



 箱に見えていたのはショーケースであった。

 ガラス貼りのその中に鎮座するのは、赤、黄色、緑、青――眩いほどの宝石たちである。


 ざっと数えて十個、いや十一個か。

 なるほど。私の持っているものと合わせると、確かに苗島さんの言っていた通り十二個になる。



「美しいでしょう。いい眺めだ」


「ふざけないで」



 感嘆のため息をついた男に、間髪入れず噛み付いた。



「この宝石が美しい様を見るのは、本来それを持つべき人だけの特権だわ。あなたじゃない」



 睨みつける私とは対照的に、相手は涼しげに口角を上げるだけだった。

 今まで出くわしたどの犯人も、なぜか終始余裕そうで癪に障ったものだ。


 しかし、今は律儀に腹を立てている場合ではなく。



「ナイチンゲールはあなたのことなの?」



 相手に関する情報が少なすぎる。聞き出さなければならないことは沢山あるのだ。


 この質問だけは、のらりくらりとかわされる訳にはいかない。



「ああ――そのことなら、心配いらないよ」



 合点がいったかのように目を細め、彼が背を向けた。

 その様子に訝しんでいると、



「悪い子には、きちんとお仕置きしておいたから」



 部屋の奥にある細身なロッカーが開けられる。



「な、……何、して」



 その中に窮屈そうに閉じ込められている体は、間違いなく「あの彼」だった。

 白いスーツは所々が汚れ、胴体にロープが何重にも巻かれている。


 頭部はくたりと垂れ下がっており、顔はこちらから確認できない。



「全く、持ち主に返す馬鹿がどこにいるんだろうね? おかげで二度手間だ」



 声色は穏やかなままだというのに、男は躊躇なく片足を振り上げる。

 鈍い音がして、その足が「悪い子」の腹部を痛めつけた。



「うっ、」



 響いた呻き声に、私は我に返る。



「やめて!」



 まだ意識はあるようだ。

 犯人であることに変わりはないが、命に関わるなら別である。


 それに、恐らく彼はひばりの兄で――だから何だと言われればそれまでかもしれない。

 だが、ひばりの悲しむ顔は見たくないと思ったのだ。



「その人にそれ以上危害を加えないで」



 こちらにつと視線をずらした男が、ゆっくりと足を下げる。

 そして大袈裟に首を傾げてみせた。



「どうして?」



 邪気のない問いかけに、おぞましくなる。



「どうしてって……」


「だって彼は、君たちがずっと騒いでいた『ナイチンゲール』だよ」



 縋っていた一本の命綱が切れてしまったかのようだった。

 告げられた事実は残酷で、しかし腑に落ちる。


 誰かが「違う」と否定するのを期待していた。何かの手違いだったんだ、と。

 だって、こんなのあんまりじゃないか。これに勝る皮肉がどう存在し得るというんだ。


 ひばりは兄のため、そしてナイチンゲールの正体を知るために走り続けてきたというのに、その正体がまさか――兄だったなんて。



「念願叶って何よりじゃないか。警察も探偵もずっと捕まえられなかった世紀の大怪盗を、君がたった一人で捕まえるんだ。最高のシナリオだろう?」



 舞台俳優のごとく両手を広げ、男は朗々と声を上げた。


 違う、ナイチンゲールは世紀の大怪盗なんかじゃない。本当の大怪盗は、犯罪者は、目の前のこの男だ。

 手段は選ばない。それが味方を切り捨てることであっても。



「……あなただったのね、『黒』は」



 ずっと追えなかった三人目。

 恐らく他の二人は実行犯で、彼は高みの見物をしていたのだろう。

 世間を賑わせたナイチンゲールは、表面的な姿に過ぎなかったわけだ。



「証拠は?」



 端的に聞いてきた男に言葉が詰まる。



「僕は何もしていないよ。ここにいる、彼が、やったことさ」



 文節ごとに一蹴り、ふた蹴りと男の足が動いた。

 その度に衝撃を受け止めた身体が揺れる。



「証拠ならあるわ」



 見るに堪えない光景に思わず顔をしかめ、口を動かした。



「私が今ここで見たものが全てよ。組織に情報を流せばいずれあなたにも捜査の手が向く」



 言い放った途端、男は肩を揺らして笑い出した。



「いいねえ! 君、とても図々しい。確かにその通りだ。でも一つ、懸念事項を忘れているよ」



 人差し指を左右に振り、もったいぶった口調で彼は続ける。



「君が無事に帰れるかどうか。それは君自身には決められないことだ」



 そう言い切った目は酷く不穏で、相手が犯罪者であることを思い知らされた。


 男はこちらに顔を向けると、平坦な声で告げる。



「いいよ、さっさと終わらせようか。そのアメジスト、僕にくれない?」



 遠くで差し出された手の平を睨めつけた。

 私の態度を目視した彼は、浅く息を吐く。


 そして何の前触れもなく、今一度足を振り上げた。



「うあっ……!」



 躊躇も遠慮もない、その動作。

 当たり前のように振り下ろされた足に、私は目を見張る。



「何を勘違いしているの? 君をゲストとして扱っているのは、君が僕の求めている物を持っているから、ただそれだけだ。素直に応じてくれないなら、こちらもそれなりの対応をさせてもらうよ」



 そう吐き捨てた背中を見て、条件反射的に叫んだ。



「分かった! 分かったから!」



 乞うては負けだ。そんなことは理解している。

 だが、この場で敗者になる他にいい案は思い浮かばなかった。



「……お願い。やめて」



 悔しさに喉が震える。



「いい子だね。じゃあ首から外してそこに置いて」



 指されたのは相手と私の中間地点の床だ。


 固く握っていた拳を開き、腕を静かに上げる。金具に触れた指先が汗ばんでいるのを感じた。


 留め具が外れると、紫の石は重力に従って垂れ下がる。

 それをしっかりと握り締めて、私は前に歩き出した。


 視線が絡みつくようだ。

 指定された場所にペンダントを置き、私は顔を上げる。



「その人を解放して」



 短く要求すると、男は「せっかちだなあ」と肩を竦めた。



「そのまま元いた場所まで下がって。話はそれからだよ」



 言われた通り従うことにして、視線は前方を捉えたまま後ずさる。

 数秒経ってお互い見つめ合った後、男は背を向けた。


 どうやら拘束を解いてくれるらしい。

 思いのほか交渉が上手くいって拍子抜けする。


 いや――これはチャンスだろうか。

 拘束が外れたところでアメジストを回収してしまえば、最悪自分の身に何かあってもどうにかなるかもしれない。


 男の様子を観察し、タイミングを窺う。


 足音を立てないようにして、まずは一歩踏み出した。

 バレていない。いけるだろうか。


 心臓が早鐘を打つ。


 徐々に距離を詰め、あと数歩のところで留まる。彼が振り返ったら一気にしゃがみ込んでトライだ。


 あと少し。もうちょっと。まだ、まだ我慢して――


 今だ!


 走り出した瞬間、破裂音が鳴り響く。


 たまらず立ち止まると、背後から私を咎める声が飛んできた。



「止まりなさい」



 聞いたことがある声のはずなのに、聞いたことのない声色をしていた。


 あまりにも突然すぎた出来事に、脳は振り返って状況を整理しろと訴えてくる。

 それなのにそうしなかったのは、自分の心が嫌だと泣いていたからだ。


 なぜ、どうして、と必死に考えようにも、答えは出るわけがない。


 諦めて現実を振り返った私の目に、その姿が映る。



「そこから動いたら撃つわよ」



 その言葉に違わず、彼女が手に持っているのは拳銃だった。

 着用しているのはいつも見ている紺色の制服で、桃色の髪も普段と変わりない。


 ただ一つ、私を射抜く瞳は、未だかつてないほど鋭かった。



「…………どうして?」



 呆けた様な声が出た。

 何もかも分からなかったのだ。自分の見ているものが嘘であって欲しいと、願わずにいられないくらいには。


 彼女はしっかりとした足取りでこちらへ歩いてくる。

 腰が抜けて座り込む私の目の前で立ち止まると、その口を開いた。



「『どうして』? 無知って幸せね」



 薄い唇がそんな言葉を紡ぎ出す。無感情な声だ。


 きょとんと大きな目を見開く様も、控えめに微笑む表情も、何一つ今の彼女からは見つけられなかった。



「だって、意味が……分からないよ」



 どうして、と懲りずに口走る。



「どうしてなの、兎束さん……」



 まるで別人だ。別人であって欲しい。

 そうじゃなければ、本当にわけが分からないではないか。


 縋るように問う私に、兎束さんは黙って見下ろしてくるだけだった。


 彼女は下ろしていた腕を上げると、その銃口を再びこちらに向ける。

 至近距離で私の額に狙いを定め、不愉快そうに眉根を寄せた。



「憎いからよ」



 ぽつりと彼女が零す。

 強く唇を噛み、その瞳に昏い色を宿した。



「紫呉あげは。――私はあなたが憎い」

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