異例
「どうぞ」
私とひばりの姿を確認するや否や、正探偵の女性はそう促した。
ひばりの電話から数日後、感傷に浸る間もなく私の方にも連絡が来た。
探偵本部の裏口から入るよう指示を受けた私たちは、言いつけ通りそこから中へ入って彼女に従う。
少し細くて暗い廊下をしばらく歩いたところで、ある一室に案内された。
「ここは機密組織の本部よ。関係者以外は立入禁止だから、あなたたちも入る時は気を付けて」
押し込まれるようにして足を踏み入れると、室内で作業中だった人たちから一斉に視線が向けられる。
その中の一人がこちらへ真っ直ぐ歩み寄り、目の前で立ち止まった。
「やあ、お目にかかれて光栄だよ。私は機密組織長官の尾田という者だ。よろしく」
五十代前半といったところだろうか。
彼は人の良さそうな笑みをたたえて、私たちに握手を求めてきた。
「よろしくお願いします」
「とりあえず君たち、こっちに来なさい。ゆっくり話をしよう」
私が恐る恐る差し出した手をやや強引に握った後、彼は言いつつ歩き出す。
奥へ奥へと進んでいく尾田さんの背中を追いかけ、私たちは会議室のような部屋で腰を下ろした。
「ここは防音仕様でね。いくら騒いでも外には聞こえないから安心してくれていいよ」
なんてことないように笑い飛ばした上司に、二人で顔を見合わせる。
今からそんな物騒な話をするんだろうか。
「冗談はさておいて、大事な話をしようか」
私たちの様子を見て愉快そうに目を細め、尾田さんは切り出した。
「万年青ひばりくん」
「はい」
「紫呉あげはさん」
「はい」
「教育学校から機密組織へ配属されるのは、君たちが初めてだ。文字通り、異例の抜擢だよ」
至極当たり前の事実を並べ、彼は息を吐いた。
私が未だに実感がわいていないのと同様、彼も受け入れられていないのかもしれない。
「念の為に言及すると、この機密組織には正探偵の中でも特に優秀な人材が配属されている。警察側にも機密組織が存在して、その人事はこちらと然りだ。お互い情報を共有して捜査にあたっている」
まやかしではなかったのだ。
犬猿の仲と言われていた警察と探偵は、ここでは協力して同じ目的を達成しようとしている。
今さっきここへ来た時に見た光景や、自分の置かれている状況に気分が高揚した。
すごい、機密組織は本当に存在したんだ。絶対的な正義が、ここにある。
「君たちも知っているだろうけど、我々の目的は世紀の大怪盗、ナイチンゲールを捕まえることだ。それに特化した調査や検証を行うのが日々の業務だよ」
忌々しい宿敵の名を聞いて、隣に座るひばりの体が揺れたのが分かった。
ひばりが探偵を目指すのは、ナイチンゲールを捕まえるためないしは正体を明らかにするためだ。
それを叶えるには機密組織への配属が恐らく一番手っ取り早い。
彼の中で何か急くものがあったのかもしれない。
「あの、一つよろしいですか」
私は右手を顔の横まで挙げて、尾田さんに上目遣いで伺いを立てた。
「機密組織が機密組織たる所以は何でしょう。内部にさえ存在自体を隠すのは、一体……」
「紫呉さん」
質問の途中で呼ばれ、体中の筋肉が強ばった。
彼の目が先程までの穏やかなものではなくなっていたからだ。
「それは、君が一番分かっているはずだ」
短く、しかし容赦なく投げられた視線に、思わず口を噤む。
「ナイチンゲールは『世紀の』大怪盗。平穏な時代に突如現れた、警察さえ手も足も出ない大物だ。それは奴の頭が切れるからだよ。手段は選ばない。濡れ衣を着せられても、まだ分からないかい?」
彼は決して、怒っているわけではなかった。
静かに咎められて俯く。
やはり私は、ナイチンゲールを甘く見ていたのか。
わざわざペンダントを返したのも、私に罪を被せるための罠だったのかもしれない。
それを馬鹿正直に真に受けて、あの雰囲気に絆されそうになって、何と愚かなことか。
思い出せ。奴は犯罪者だ。極悪人だ。
目的のためなら手段は厭わない、たとえそれが誰かの命を蔑ろにすることであっても。
「必要以上の情報流出は、内部の者を危険に晒すことになる。奴らに関する決定的な情報は、我々でしか共有していないんだ」
私は知りすぎたのか。
だから、奴に「消されそう」になったとでも言うのだろうか。
黙り込んだ私に、尾田さんは声色を変えた。
「君があんな目に遭ったのは偶然なんかじゃない。確実に何かの陰謀が絡んだ罠だ。これ以上、君を野放しにしておくのはかえって危険だと思ってね」
胸の奥で僅かに残っていた、淡い期待のようなものが消え失せる。
当然か。偶然なわけがない。必然だったのだ。
「ナイチンゲールについて知っていることは、細かく教えて欲しい。君の情報が我々に必要なんだ」
「……分かりました」
奴の正体が何であろうと、滅すべき悪なのには変わりない。
私が頷いてすぐ、ひばりが「俺からも一つ質問してもいいですか」と声を上げた。
「自分がこの組織に配属された理由を教えてください」
てっきりナイチンゲールについてかと思ったが、どうやら見当外れだったようだ。
私が配属された理由として、建前上は「匿う」ことだろうが、恐らく本音は情報が欲しいからだろう。
そう考えると、確かにひばりの配属理由は明確に想像はできない。
「野暮なことを聞くね。君は学生の中で最も優秀だ。それに加えて紫呉さんのバディだというなら、二人揃って配属した方が何かと好都合だろう?」
当たり前のように告げる尾田さんに、ひばりは曖昧に返事をして視線を落とす。
気に触ったのだろうか。彼は以前も周りと平等に扱われることを望んでいたし、何か納得のいかない部分があったのかもしれない。
「失礼します」
ノックの後に空気を揺らしたその声に、全員の顔が上がる。
「ああ、苗島。ちょうど良かったよ」
尾田さんに名前を呼ばれたのは、先程入り口で私たちを出迎えた女性だった。
長身の彼女は尾田さんの隣に座り、軽く頭を下げる。
「機密組織副長官の苗島です」
その自己紹介に面食らったが、この組織で上り詰めた彼女は相当に優秀なのだろう。
苗島さんは持ち込んだファイルから資料を広げると、私たちの方へ押しやった。
「今現在、ナイチンゲールについて分かっていることを簡潔にまとめた資料です」
そう前置いて、彼女は落ち着き払った様子で続ける。
「犯人の目的は端的に言うと宝石強盗。今まで盗まれた宝石の種類から、これから狙われる場所の見当もようやくついたところです」
資料には宝石の画像も添付されていた。
以前被害に遭ったルビーとトルマリン、エメラルド。
そして直近で盗まれたものとして挙げられていたのは、あの倉庫でグレースーツの男が持ち逃げた黄色のトパーズだ。
どういうことだ。あの男はナイチンゲールなのか。
しかし、本人は否定していたが――
「数年前の騒動の際、犯人は六つの宝石を窃盗しています。今回は四つ。つまり、もう十個もの宝石が向こうの手に渡っているということです」
「そんなに沢山……」
「恐らく、あと二つ――合計で十二個の宝石を収集するのが犯人の狙いでしょう」
十二という数字に意味でもあるのだろうか。
首を傾げていると、苗島さんが見かねたように口を開く。
「あくまで憶測ですが、犯人が盗んだ宝石のいずれも誕生石です。まだ盗まれていない二つは、サファイヤとアメジスト」
瞬間、背中に悪寒が走った。
息が詰まって押さえた胸元で、硬いものが存在を主張する。
汗の滲む手でペンダントを服の上から握り締め、浅く呼吸を繰り返す。
「あなたの持っているそれは、調査の結果本物のアメジストでした。なぜ犯人があなたに託したのかまでは不明ですが、それを所持している以上、またいつ襲われるか分かりません」
警察に取り上げられた時、このペンダントは機密組織に回されていたのか。
薄々価値のあるものだと気付いてはいたが、まさか本物の宝石だったとは。
これからは慎重に扱おう、と体を縮ませる。
「そして犯人の正体についてですが」
苗島さんの言葉に心臓が震えた。
資料を見ようにも、怖くて次のページをめくれない。
「ナイチンゲールは、一人ではありません」
凛とした眼差しで、対面した私たちを射抜くように彼女は告げた。
「正確に言うとナイチンゲールは一人しかいませんが、事件は複数人による犯行です。私たちは三人いると読んでいます」
「三人?」
最初に会った男、「グレー」を一人として、次に私が見たのは全身純白の男だった。
仮にその彼がナイチンゲールだとしても、あと一人いるということになる。
「以前彼らに接触して亡くなった警官が、『犯人は三人だ』と死ぬ間際に無線で言い残したそうです。その証言を元に私たちも調査を進めてきましたが、今のところ二人しかそれらしい者を追えていません」
その警官は恐らく、鹿取くんの父親だろう。
ゆっくりと目を閉じて、あの日自販機の前で聞いた話に思いを馳せた。
彼の父親の遺言となると、意識が朦朧としていてそんなことを口走ってしまったという可能性も否めない。
もしくは犯人と繋がっていて、捜査を混乱させるためか。
しかし私は信じたいと思った。
本当かどうか、正しいのか間違っているのか。
それよりも、鹿取くんが信じていることを、信じたいと。
「紫呉あげはさん。あなたは二人を目撃したことがありますね?」
唐突に質問の銃口を向けられて、無意識に身構えた。
取り調べの時の感覚が脳から全身に伝達される。
「あなたの無罪は既に証明されていますから、心配いりません。貴重な情報なので聞かせて頂けませんか」
私の様子に目敏く気付いた彼女がフォローをいれた。
あんなに疑われていたのに、あっさり潔白を証明されると戸惑うものだ。
それほど威力のある証拠をこしらえた兎束さんに、改めて感謝の念を抱く。
「はい。一度目は私の父の倉庫で、グレーのスーツを着た男を目撃しました。二度目は恐らく、連れ去られたのだと思いますが……」
「その人物の特徴は分かりますか?」
「一人目はハットを深く被っていたので顔は目視できませんでした。二人目は白いスーツを着ていて、」
言葉を切った私に、苗島さんが首を傾げる。
しかし、言えない。ここでは、ひばりの前では言えたもんじゃない。
隣の彼に酷く似ていました――だなんてふざけたことを口走ろうものなら、どうなることやら。
「すみません、顔は暗くてよく見えませんでした。両者とも声からしてかなり若いと思います」
私の発言を書き留める彼女に、少し罪悪感がわく。
だが、これだけは誰にも悟られることなく隠し通すほかない。
しばらく私と苗島さんのやり取りが続いた。
腕を組んで傍観していた尾田さんはおもむろに時計に視線を投げると、「そろそろか」と呟く。
「実は、警察の方の機密組織に配属された者も学生でね。今日はここに呼んでいるんだ」
その「そろそろ」はやってきた。
ノック音の後でドアが開いたその刹那、デジャブを感じて眉をひそめる。
そうだ、確かあの時もドアを開けて入ってきたのは二人で――
「失礼します。機密組織配属となりました、兎束です」
「同じく鹿取です」
その声を聞いて、椅子から腰を浮かせてしまった。
デジャブどころか、全く同じ状況ではないか。
「兎束さん!」
私は耐えきれずに駆け寄った。
彼女の目を数秒見つめてから、深々と腰を折る。
「ありがとう……本当に、ありがとう。兎束さんのおかげで私……」
「え?」
頭上から降ってきた声に、顔を上げる。
彼女は明らかに「なぜ」という表情で私を凝視していた。
隣で黙っていた鹿取くんが盛大なため息をつく。
「おい、万年青。口軽いぞ」
「悪い。でも別に隠すことじゃないだろ。あげはだって礼言いたいだろうしさ」
「だからって……」
男同士の言い合いが始まった。
とりあえず仲裁は後回しだ。私は改めて兎束さんに向き合う。
「兎束さん。本当にありがとう」
彼女は目線をゆっくり上げると、柔らかく微笑んだ。
「私、前に沢山助けてもらったから……紫呉さんが犯人だなんてそんなわけない、って勝手に暴走しちゃったんだけど」
いたずらっ子のように目を細めた兎束さんの表情が新しい。
彼女も何か吹っ切れたのだろうか。少し清々しい空気をまとっていた。
大人しい彼女は可愛らしかったが、快活に笑う今の様子の方が年相応の女の子という感じがする。
「優等生でいるだけじゃ、退屈しちゃうよね」
肩をすくめて兎束さんに笑いかける。
「え、な、何のこと?」
きょとんとして目を丸くした彼女に、私は「何でもないよ」と首を振った。




