浮遊感
私たちの現場派遣に関して、詳細書類が渡されたのは数日後のことであった。
どうやらこのことはあまり口外するべきではないと悟ったのは、テスト答案を返却された際だ。
「次、紫呉」
「はい」
「よく出来てるな。今後も励め」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて受け取り、席に着いてから開いて見てみると、三つ折りの書類が挟まっていた。
そっと中身を確認し、つまり内密にしろということか、と内心肩をすくめる。
情報を漏らすも何も、クラスメイトはまさか私がこんなことになっているなど夢にも思わないだろう。
それに、まだ満足に会話を楽しめるほど仲のいい友達だっていない。
毎日長時間の授業を受け、山ほどある課題をこなす。それに加えて来たる来月の現場派遣に向けてもっと知識を蓄えなければならない。
「それでは本日からA組独自のプログラムに入る。今までよりさらに専門的な知識も必要になってくるため、毎日復習を欠かさないこと」
さて、今日も長ーい授業の始まりだ。
「やっぱり極秘任務ってことなのか、これ」
そう零したのは、腕を組んで思案顔のひばりである。
唯一休息が取れる昼食時間。
話し声や食器の音など雑音があるのをいい事に、彼はさも世間話のように切り出した。
学内の食堂はメニューも豊富で健康的な献立が多い。
私は生姜焼き定食を前に、「いただきまーす」と手を合わせた。
「うわ、俺も生姜焼きにすれば良かったな〜美味そう」
「ん〜〜〜お肉柔らかい〜〜〜」
「一枚ちょうだい」
行儀悪く伸ばしてきた手を容赦なく叩く。
いってえ、と大袈裟にリアクションしてみせた彼は、諦めて自分のチキン南蛮にかぶりついた。
「極秘の意味わかってる? ここで話すんじゃないわよ」
「どうせ誰も聞いちゃいないだろ」
ふと顔を上げると、隣のテーブル席に座る生徒がこちらにちらちらと視線を送っていた。
どういう意図かは分からないが、少なくとも自分たちは注目されているらしい。
「……そんなこともなさそうよ」
「え?」
目の前の相手が首席だから注目されているのかもしれないし、自分の容姿が目を惹くのかもしれないし、はたまた全く違う理由かもしれないが。
「あー……まあ、ここに入ってまで恋愛に現を抜かす奴はあんまりいないからな。珍しいんじゃないの」
隣からの視線に気付いたらしい。彼はそう言ったが、私は首を傾げた。
話が飛躍しすぎていまいち理解しかねる。
「仲良く飯食ってるバカップルにでも見えてんだろ。けしからんって言われてんだぜ、あれ」
「はあ!? 私とあんたに限って有り得ないでしょ!?」
「周りにはそう見えてるって話だっつの! 俺だって豚骨女は願い下げだわ!」
「変なあだ名つけるなッ!」
何で食事中にまでこんな不愉快な思いしなきゃならんのよ。
すっかり険悪な空気が出来上がったが、お互い謎の意地を張り合って席は移動しない。
周囲からすればなぜそうまでして二人で食事をとる必要があるのか甚だ疑問だろうが、何も望んでこうなったわけではなく。
列に並んでいたところに偶然ひばりが現れ、中身のない言い合いをしている内に自然と同じテーブルに落ち着いていた。
「あーあー悪かったよ。別にお前がラーメン好きだろうと豚が好きだろうと、俺には関係ないことだ」
飯は不味くしたくないからな、と彼が水を飲み干す。
「お前とは仲良くしなきゃいけないしな」
「……別に仲良くしたくないなら無理しなくても」
「違うって。仲良くしたいって言ってんの」
思いのほか直接的に和解を申し込まれ、言葉に詰まる。
私だって別に喧嘩したくてしてるわけじゃない。
向こうの挑発に乗ってしまうあたり、精神年齢が低いと認めざるを得ないが。
「ごめんって」
こちらの様子を窺うように少し優しい声色を出されると、私が意地悪をしているような気持ちになった。
「いいよ。私もムキになった」
「ん」
納得したように食事を再開した彼に、私は迷いながらも口を開く。
「でも、さ。こうやって一緒にご飯食べてるから、もう十分仲良いよ」
本当に嫌い合っていたら同じテーブルには座らない。
喧嘩するのもやはりそこそこ話しやすい故だと思う。
返答がない。変なこと言ったかな、と目線を動かして目の前の様子を確認した。
彼は何か難しい顔をしていたが、やがてちょっと気まずそうにこう言った。
「……あげはってさ、たまに斜め上狙ってくるよね」
***
「それでは君たち、期待してるぞ」
校長室に収集された私たちは、最終確認を行ってそれぞれの現場へ向かうことになった。
通常の制服ではなく現場調査用の支給服を着用し、パッと見は立派な正探偵だ。
実際に身に付けると緊張感と高揚感がないまぜになって、不思議な気分である。
標準装備としてコンパクトルーペ、手帳、カメラ、無線機。
ウエストポーチで両手が空くようになっている。
「いかにも機能性重視って感じ〜。わたし、前まで探偵ってもっとキュートな制服着れると思ってたなあ」
「猫八、行くぞ」
「はぁい」
きなこと蛇草くんが早速歩き出し、私たちも先を急いだ。
蛇草くんが動じないのは分かるとして。きなこ、全然いつも通りだったなあ……。
やはり探学第一の猛者なだけある。メンタルが強靭だ。
仮にもA組トップの私がメンブレしてる場合じゃないわよ!
「よし。頑張ろうね、ひばり!」
「お、おう……やけにテンション高いなお前……」
面食らっていたひばりだが、私が黙り込んで歩き出すと無駄に茶化すこともなく着いてくるだけだった。
「西野支部第二事務所……ここか」
地図を頼りに辿り着いたのは、探学から一番近い所に位置する事務所だ。
依頼人にもならない限り滅多に立ち入る機会はない。まさかこんなに早く足を踏み入れることになるとは思わなかった。
入口のドアを開け奥に進むと、インターホン付きの扉がある。
どっちが押すかで揉めるかと思ったが、意外にもひばりはすぐにそこへ手を伸ばした。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか」
二回ほど鳴らしても反応がない。
一体どうしたものかと二人で顔を見合わせた時だった。
「すまないがいま手を離せない、入ってきてくれ」
扉の向こうからよく通る声が飛んできて、私たちはようやくその先へ進むことができた。
中は昼間だというのにどこか薄暗く、空気が重い。
掃除はご無沙汰しているのだろうか、全体的に少し埃っぽかった。
「あの、僕たち――」
「分かっている、応援要請したのは私だ。そこに地図と通信機があるから先に現場に向かってくれ。詳細は後で連絡する」
声の主はこちらに顔を向けることもなく、視線はデスクトップパソコンに固定されたままであった。
忙しいのなら仕方ない。学生を丁寧に相手できるほど現場は穏やかではないということだ。
諦めて付近のデスク上に投げ出されている無線機をベルトに挟み、地図と現場住所が記されたメモを持って私たちはそこを後にした。
「感じわりーな、あのおっさん。絶対俺らのこと馬鹿にしてんだろ」
「忙しくて余裕なかったんじゃないの? 何せ探学生を説明もなく現場に行かせるくらいだもの」
最初の任務がこれとは、先が思いやられる。
大きなため息を一つつき、私は地図に視線を落とした。
それにしたって、こんな見習い探偵をほいほい現場に投入していいのだろうか。
通常なら確実に有り得ないケースだが、今現在有り得ないことが重なりすぎて何とも言えない。
それとも――
「人足りてないってことか? 俺らが行っても大して変わらないだろ」
「……ただの駒じゃなきゃいいんだけど」
まさか、ね。
よぎる不安を脳内で打ち消し、私たちは現場へ急いだ。
「探学第一より派遣されて来ました、万年青です!」
「同じく紫呉です」
現場に着いて早々、真新しい制服を着用した二人が声を揃えて挨拶すると、現場員は明らかに困惑した表情で顔を見合わせた。
「探学から? お前、聞いてるか?」
「いや、俺は何も……」
お互い首を振って否定し合う彼らに、こちらまで動揺する。
何だろう。情報伝達が滞っている?
「まあ上が決めたんならそういうことなんだろ。今から現場付近の調査に入るから、とりあえず君たちも着いてきて」
「分かりました」
先輩二人の後に続く。
急いでポーチから手帳とボールペンを取りだし、準備は整った。
「近隣住民によると、日が暮れてからこの建物内で騒音がするらしい。妙ないたずらも度々起こっているそうでな」
「金銭被害はないというのが厄介で、子供の仕業にしてはタチが悪い。なんとなく気味が悪いって」
軽く説明を受け、その内容を殴り書く。
私は内心少しだけほっとしていた。
探学生を送り込むなんて、よっぽど猫の手も借りたいといった危険な任務なのでは、と勘ぐっていたからだ。
もちろん今の話を聞いただけで安心安全が保証されるわけではないが、ナーバスになりすぎていたかもしれない。
「俺はもう少し聞き込みをしてくる。お前は二人と現場調査で」
「あいよ」
先輩を一人見送り、私たちは現場へ足を踏み入れた。
外見は綺麗に塗装された立派な物件だが、ここが諸悪の根源か、と背筋が伸びる。
当然のようにづかづかと敷地内へ入っていく先輩に、私は慌てて声を上げた。
「勝手に入って大丈夫ですか? 確認とかは……」
「ああ、ここね、誰も住んでないんだよ。土地主に許可は取ってあるから心配しなくていいよ」
「そうなんですね」
すみません、と縮こまる。
当たり前だ。彼は正探偵だというのに、そこら辺が抜けているわけないじゃないか。
恥ずかしくて顔に血が上った。
良く考えれば分かることだ。散々座学でも勉強はしたのに、現場で使えなくては意味がない。
「あはは、いやいいんだよ。だって普通気になるよね、誰も住んでないのに物音がするわけないんだから」
鷹揚に手を振った先輩の言葉に、私はハッとなって顔を上げた。
そうだ。だから私は勝手に「誰かが住んでいる」と思い込んだ。
近所の騒音問題だと思ったからだ。
「ひょっとすると、心霊現象だったりして」
両手をだらんと胸の前で下げ、お化けを連想させた先輩は、「なんてね」と眉尻を下げる。
「そんなに緊張しなくていいよ。今日君たちがすべきなのは、出来るだけ沢山の情報を吸収して持って帰ること。上手くやろうなんて思っても、そんなの無理なんだから」
「はい、ありがとうございます……!」
この人、絶対にいい人だ――!
感動して手元が緩み、危うくペンを落としかける。
それを隣で見ていたひばりが「しっかりしろ」と私の頭を小突いた。
「じゃあまずは外側から調べていこうか。こっちおいで」
先輩が手招きをするので、私たちはそれに従う。
現場調査においての留意点や効率良く行うポイントなどを合間に挟みながら、先輩は丁寧に色んなことを教えてくれた。
「そうそう、どうでもいいことでもメモするのは大事だよね。何がきっかけで糸口が掴めるか分からないし」
私が細々と書き込んでいる手帳をちらりと見てそう言った先輩に、褒められた! と俄然テンションが上がる。
心理部は特に細かい所まで神経を研ぎ澄まし、そこから解決に繋がるルートを開拓することに長けている。
至ることに疑問を呈するのが得意とでも言うのだろうか。
「おい佐原、いるかー」
「おうどうした」
「今そこのマンションの管理人と話してきたんだが――」
先輩二人が話し始めたので、私は周りの探索を続けた。
そういえばさっき後ろ側を調べたけど、先輩の話に集中していてあまりメモを取れなかった。もう一度ちゃんと見てこよう。
「あげは、どこ行くんだよ」
「裏側もっかい見てくるだけよ。すぐ戻るから」
ひばりはその表情であんまり勝手なことをするなと訴えてくるが、ここにいたって先輩たちの立ち話に耳を立てることしかできない。
日が傾いてきた。
裏側は先程よりも暗く、私はその場に屈んで目を凝らす。
「ん? 何だろう」
石にこびり付いている黒い汚れが気になった。
なんというか、自然に付いたというよりかはむしろ――
「血……?」
その時だった。
急に腰の辺りをぐっと引っ張られ、視界が揺れる。
あまりにも突然の出来事に理解が追いつかず、頭が真っ白になった。
「いやっ……!」
体の浮遊感に思わず目を瞑るが、足が地から離れたことを悟ってこれは本格的にまずいと本能が叫ぶ。
何が起こっている? どうして私は浮いている?
目一杯力を込めて飛んだとしても到達できないであろう高さまで自分の体が浮いている。
なんで、どうして、誰がこんな――
「あげはッ!!」
刹那、下から鳥が羽ばたいた。
私に向かって飛んできた彼は、右腕を私の背後で振り下ろす。
また視界が揺れる。
しかし今度は綺麗な青色の髪の毛と、オレンジがかった空が目に入ってきた。
落ちる。死ぬ。このままじゃ頭から落ちて死ぬ――
「はあ……はあ……」
景色が元に戻った。
それなのに私の足は未だに地面を踏んでいなくて、何がどうなってるのやら、呆然と固まる。
「馬鹿たれ! 一人で勝手に動くなよ危ないだろ!」
至近距離でそうまくし立てたひばりは、深く息を吐き出して私をそっと降ろした。
「まじで肝冷えた……何なんだよ一体……」
彼は言いつつ持っていたフォールディングナイフの刃先を折り畳む。
それを見て私は、ようやく事がかなり深刻だったことを実感した。
「おいおいまじかよ……ここ、やっぱり幽霊屋敷なのか?」
「勘弁だな。とりあえず事務所に連絡入れるか」
先輩たちがバタバタと動き出す。
一瞬の内に沢山のことが起こりすぎて、状況整理が追いつかなかった。
「あげは、立てるか?」
「あ、うん……」
軽く腕を引っ張ってもらいながら立ち上がる。
彼は私の顔を見つめ、それから頭をぽんぽんとたたいた。
「怖かったろ。怒鳴ってごめんな」
いつになく優しいひばりに、思わず身を引いた。
何だその女の子扱いは。いやまあ女の子なんだけども。
怪訝な顔で後ずさる私に、彼は「こら」と腕を伸ばす。
「もうお前はうろちょろすんな、行くぞ」
「分かったから離してってば!」
「やーなこった〜」
本来殺伐とした雰囲気になって然るべきの現場。
現場を初めて見た時とさして変わらない温度で会話をする探学生二人に、上司たちは呆れ半分、感嘆半分でその日を終えたんだとか。