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その運命、ダウト。  作者: 月山 未来
Mission3―踏破せよ
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陳腐なプライド

 


 面会が許されたのは、三日後だった。

 警察と検察からの取り調べを終えて勾留期間に入り、既に精神的にやられている自覚がある。


 最初に訪れたのは当然というべきか父で、酷く動揺している彼の様子を見ると、逆にこちらが落ち着いた。


 私が軽く事情を説明すると、父は今後のことについて話し出す。

 弁護士だの、裁判だの、それはある程度想定していた内容だったので、適当に相槌を打った。


 完全に気を抜いていた私は、父の口から出た言葉に反応できなかった。



「あげは。今の学校はもう辞めて、真っ当な職業に就きなさい」



 視線だけ向けた私に、父は渋い表情で促す。



「やはりこんな危ない仕事をさせるわけにはいかない。父さんも、トモカさんも、心配なんだ」



 ふざけるな、と怒鳴りたかった。

 だがそれをしたって今の自分は完全に親不孝な娘で、無駄な衝突を生むだけだ。


 私は至って冷静に返事をすることに努める。



「私の話、聞いてた? 私が探偵になりたいのは、お母さんのためでもあるんだよ」


「それであげはがこんなことになったら、元も子もないだろう。今からでも遅くない、もっとまともな――」


「まともな職業って何」



 唸るような、低い声が出た。

 歯を食いしばって激情を抑えながら、私は父を見上げる。



「まともかまともじゃないかはお父さんが決めることじゃない。私のやりたいことを侮辱しないで」



 どうして父まで私から取り上げるのか。それも一等大事にしてきたものを。

 ここでゴールテープが見えなくなったら、私は一体どこへ向かって走ればいいのだろう。


 喧嘩腰に話したせいで、余計なことまで喋りたくなる。



「大体、心配って何。じゃあ何でお父さんしか来てないのよ。何であの人はここにいないの?」


「誤解だ。本当は来たかったって言ってた、どうしても外せない用事があったんだよ」


「娘の逮捕より優先しなきゃいけない用事って何よ!? これ以上何したら私のこと優先してくれんの、死ねばいいの!?」


「あげは!」



 家の壁に落書きした時よりも、父の車に傷をつけた時よりも、その怒声は大きかった。

 それに少しだけ怯んだが、私の主張は間違っていない。


 丁度そこで面会時間が終わり、剣呑な空気のまま会話が途切れる。



「……また来る」



 父は最後にそう言って、部屋を後にした。



 ***



 室内で永遠に問われ続けると、人間はおかしくなるのだろうか。



「お前が共犯者だろ?」



 その質問に、一度頷いてみたらどうなるのだろうと興味がわいてしまった。

 勿論、実行には移さないが。


 留置場での規則正しい生活の合間に、取り調べを受ける。

 そんなサイクルに少し順応してしまって数日経った日のことだった。


 ――ひばりが、やってきた。


 向かい合って座った彼の表情は平坦なもので、感情を読み取るのは難しい。

 日本人形ですら、もうちょっといい顔をしているだろう。


 そんなに落ち着き払われると、何だか癪に障る。

 言いたいことはきっと山ほどあったが、もう全てどうでも良くなってしまった。

 彼との間を隔てるアクリル板が、私にとっては重大な線引きだったからである。



「いつまで黙ってんのよ。あんた、ただ私の顔見に来ただけ?」



 心配されるのも同情されるのも嫌で、高圧的に切り出した。

 彼は口元を歪めると、宙を見つめて眉根を寄せる。



「…………許せない」



 小さかったが、確かに憎悪のこもった声だった。

 私はついに彼にも糾弾される日が来たのか、と半ば諦めの境地で目を細める。


 しかしひばりは、次の瞬間私の目を射抜いて告げた。



「くだらない憶測でお前の自由を奪った連中を許せない」



 力強い眼差しだというのに、そこから筋を引いて涙が零れていた。

 呼吸を忘れて魅入ってしまう。なんて綺麗なんどろう、と呑気に考えた。



「あの時、死んでもお前の側を離れるんじゃなかった……! 陳腐なプライドで、守ったつもりのものを全部傷つけた!」



 肩を震わせて、全身で感情を伝えてくる。

 知らなかった。否、知るはずがなかった。彼はこんな風に泣くのか、と。



「死ぬほど後悔した。俺は、……俺は」



 ――あげはを守りたかったんだ。



 久しぶりに聞いた自分の名を呼ぶ彼の鳴き声に、私はなぜだか酷く安心した。

 それと同時に、やはり彼は何一つ変わっていなくて、月光の下で見たあの彼とは全く異なる人物だと確信する。


 本当は、ずっと怖かった。

 確かめたかった。あの人は「ひばりじゃない」と言ったけれど、ひばりの顔を記憶から掘り返そうとするばするほど、不安で仕方なかった。


 こうして目の前で彼を見て、心底良かったと思った。



「ひばり」



 彼の名を呼ぶ。私は、この響きが好きだ。

 何の疑念も鬱憤もなく、穏やかな気持ちで呼べることが、こんなに幸福なことだっただろうか。


 透明な壁越しにある青い瞳が、弱々しく揺れている。



「泣かないの」



 子供に言い聞かせるように宥めてやると、彼は黙ったままで涙を拭った。

 そろそろと顔を上げ私を上目遣いに見やるひばりに、思わず噴き出す。



「何笑ってんだよ」


「いやー、派手に泣いたねえ」


「うるさい」



 睨まれても今更だ。

 ひばりは不機嫌そうに頬杖をつくと、「悪かった」と謝罪する。



「えー、何が? 勝手にバディ解消したこととか、私に偉そうな態度とったこととかのこと?」


「もしかしなくてもお前、相当根に持ってるな」



 今度は私が口を尖らせる番だった。

 だって、とそれだけ反抗して視線を逸らす。



「……結構しんどかったんですからね」



 信用した人間に突き放されるというのは、かなり心臓にきた。

 私にとって彼が唯一だっただけに、尚更。


 ひばりは虚を突かれたように目を見開いて、それから眉尻を下げる。



「ごめん」


「まあいいけど。きなこにも蛇草くんにも言われたわよ、しょーがないんだって」



 彼の父の権力は絶大だ。

 下手に抗うとどうなるか分かったもんじゃない。ひばりだってそれを思っていたから応じたのだろう。


 しかしひばりは、「違う」と言った。



「仕方なくなんてない。俺がちゃんと止めなきゃいけなかったんだ」



 その口ぶりからは、もう迷いは感じられない。

 父の意思ではなく、彼は自分の意思で立ち上がろうとしている。



「……ひばりのお父さんって、すごく偉い人なんでしょ」



 確認の意を込めて問うと、向こうから頷きが返ってきた。



「本当に、すごい人だ」



 噛み締めるようにそう言ったひばりに、私もゆるく頷く。

 彼は少しぎこちなく微笑むと、穏やかに続けた。



「俺はずっと、父さんに憧れてたんだ。物心ついた時から探偵になるのが夢だった」



 そう話す表情が柔らかくて、彼は父親のことが好きなんだろうなと容易に想像がつく。

 父の背中を追いかけて、ひばりは何の疑いもなくこの道を志したのだと言った。



「俺、兄が一人いるんだけど、二人して当たり前に探学へ行くもんだと思ってた。でも兄さんは多分、本気で探偵になりたいわけじゃなかったんだ」



 兄弟は最初こそ良きライバルとして競い合ったものの、父親によって比較されるようになったらしい。

 それがどこか窮屈で、厳しく辛いものになっていったと。



「俺が中学生の時、兄さんはいなくなった」



 突然の告白に、息が詰まった。



「それは、どういう」


「失踪だ。兄さんは高校を卒業して、探学に入る前に消えたんだ」



 その言い方からすると、きっと彼の兄は未だに見つかっていないのだろう。

 神妙な面持ちで語るひばりに、心臓が嫌な音を立て始める。



「父さんからの厳しい指導に耐えきれなかったのか、ただ単に自由になりたかったのか……それは分からない。でも、その時の俺は裏切られたような気がして、すごくショックだったんだ」



 ずっと一緒に育ち、切磋琢磨していた兄。

 突然いなくなった影に落ち込む暇もなく、彼の父はひばりにより厳しく教育し始めたそうだ。



「もうそこまでいくと意地だったから。何が何でも俺が探偵になって、父さんにも、兄さんにもすごいって言わせてやろうって思ってさ」



 彼は孤独だったのだ。兄が消えたその日から、ずっと。

 まだ小さかったであろう体で重圧を受け止め、ひたむきに努力を重ねてきたに違いない。


 並大抵の努力じゃ、探学に主席で合格なんてできない。

 一体、そこにどれほどの煮え滾る情熱があったのだろう。



『いや新入生挨拶ってあるじゃん。あれをやんなきゃいけなくてさ、少し前から入って講堂で練習してたんだけど』


『新入生挨拶って……あなた首席なの!?』


『んー、まあ、そういうことになるかな……』



 そういうことも何も。

 へらへらと笑っていたその裏で、彼はそれこそ血のにじむ様な努力をしてきたわけで。



「……すごいねえ」



 ため息をつくように、自然と口から滑り出た。


 私は本当に、すごい人と出会ったんだ。

 散々くだらないことで言い合いをして、何度も助けてもらって、そして私は彼とバディになった。



「何だよ、急に」



 気まずそうに腕を組んだひばりは、視線を上の方に飛ばす。

 これは照れてるんだな、と察して触れないでおいた。



「あげは」



 やけに真剣な声で呼ばれた。

 思わず姿勢を正すと、彼は静かに問いかけてくる。



「お前、ナイチンゲールを見たのか?」



 まさかそんなことを聞かれるとは思わず、完全に固まった。

 そういえば、ひばりはナイチンゲールの正体にこだわっていたなと思い出す。


 なかなか言葉に出来ず黙り込んだ私に、彼は息を吐いた。



「俺は、ナイチンゲールの正体が知りたい」


「どうしてそこまで……」



 ようやっと口を開き、たどたどしく疑問を述べる。


 彼の息遣いが聞こえてきそうだ。

 それくらい他の音は何もせず、私はただその静寂を享受する。


 ひばりはまっすぐ背筋を伸ばすと、いっそ残酷なまでに清々しく言い切った。



「ナイチンゲールが現れたのは五年前。――俺の兄が失踪したのも、ちょうどその頃だ」

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