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その運命、ダウト。  作者: 月山 未来
Mission2―追及せよ
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鳥の鳴き声

 


「蛇草くん?」



 学校に着いて早々、目の前に立ちはだかったのは眼鏡をかけた彼だった。

 向こうから近付いてくるなんて珍しい。


 常時無表情の彼だが、今日は眉間に皺を寄せていた。



「どうしたの。何かあった?」



 そう促すと、蛇草くんは渋い顔で告げた。



「今日から紫呉のバディは俺だ」



 話し声も、足音も。

 一瞬何も聞こえなくなって、体温が下がっていくような気がした。



「な、に……どういう意味?」



 彼はたまに突拍子もないことを言うから、今回もそうかもしれない。

 そんな期待を込めて彼の瞳をまじまじと見詰める。



「万年青のバディは猫八が務めることになった。万年青から直接、聞いたことだ」



 ひばりが? 直接? 私には何の断りもなく?

 信じられなくて、無意識に頭を振った。これは何かの間違いだ。


 だって、ひばりが言ったんだもの。

 私とバディを組むって。私がいいって。そう言ったじゃない――



「紫呉」


「嘘よ。蛇草くん、嘘ついてるんでしょう? 何かの実験なの?」


「紫呉、気を確かに持て」



 半ば強引に肩を掴まれて、気が動転した。



「とにかく、今は大人しく従った方がいい。その方が紫呉のためにも……」


「私のためって何? 身の程を知れってこと?」


「そうじゃない。なあ、頼むから。こればっかりは万年青も避けられないんだ」



 何だ、それ。

 もう私は用済みなのか。組織に疎まれて、立場が危ぶまれて、そうしたら終わりなのか。



「紫呉、早く教室に行け」



 放心状態で突っ立っていると、蛇草くんが少し焦った様子で私の腕を引く。

 彼の視線は私の背後に向けられていて、思わず気になった。


 振り返ってから、ああなぜ見てしまったんだろう、と死ぬ程悔やんで。



「……ひば、り」



 こんなごちゃ混ぜな感情の時に、その顔なんて一番見たくなかった。


 ひばりは一言も発さず私たちの横を通り過ぎる。

 それに腹が立って、声を荒らげた。



「どういうつもり? 何勝手に決めてるの?」



 背中に縋るように一歩踏み出し、答えを待つ。



「……もう、お前とは組めない」



 はっきりと拒絶の言葉を本人から聞いて、その場に固まった。

 今まで足元を支えてきた基盤が、音を立てて崩れていくような感覚だった。



「何よ……」



 拳を握りしめると、手のひらに爪が食い込む。

 その痛覚で正気を取り戻して、私は言い募った。



「ちょっと自分勝手すぎるんじゃないの? バディ解消するにしたって、せめて私に声をかけるのが筋でしょ」



 強がれたのはそこまでで、あとはくだらない文句を言うのが精一杯だった。



「大体、あんたが私と組みたいって言ったんじゃん。愛想なくても、喧嘩しても、それでもいいって言ったじゃん」



 ひばりなら、とどこかで期待していた。

 彼なら父親にあんなことを言われても、最後は自分を選んでくれると。やっぱりお前といるのが楽しいからと。

 そう信じていたのに。



「まだ一緒にラーメン食べに行ってないじゃん! 馬鹿!」



 叫んでから、自分がとても悲しいことに気付いた。

 私は寂しかったんだ。ずっと寂しくて、初めてこんなに自分を信じてくれる人に出会えて、それで自惚れてしまったんだ。


 自分は前から何一つ変わっていないのに。



「馬鹿で結構だよ」



 ひばりはそう吐き捨てて、階段を上がっていった。






「ちゃんと食べた方がいいわよ」



 陽の当たる校舎裏で膝を抱えていると、頭上からそんな言葉が降ってきた。

 顔を埋めたまま、くぐもった声で返事をする。



「……食べたくない」



 隣に腰を下ろした彼女は、「じゃあ水分だけでも取りなよ」とため息をつく。

 物音がして少し顔を上げると、足元にペットボトルが置かれていた。



「まあ確かに万年青くんも説明が足りてない部分あるけど、あんたバディなら分かってやりなさいよ」



 きなこが言いつつクリームパンを齧る。

 彼女の髪が太陽のせいでより明るいブロンドに見えた。


 だって、と思わず子供のように言い訳が口をついて出る。



「私もうバディじゃないし」



 自分で自分の傷を抉ってしまい、意図せず顔をしかめた。

 きなこはそれを聞くと、足を組んで眉尻を下げる。



「あほらし。これまで散々偉そーなこと言っておいて、何いまさら弱気になってんのよ」


「別にそんなんじゃ、」


「だーいじょうぶだって。こんなに優秀なわたしを放っておいてあんたを選んだくらいなんだから。どうせまた戻ってくるわよ」



 本当にそうだろうか。

 あの日のひばりは今まで見たこともないくらい打ちのめされていて、彼が父親に対してどれほど畏怖を感じているかまざまざと実感した。


 そして彼にとって、父親の言葉が絶対であるということも。



「でも、私、多分もう戻れない。色んなこと疑われて」



 一人で踏ん張らなければいけないとずっと思っていた。

 当たり前にそうしてきたし、ちゃんと上手くやってきた。

 それなのに、ひばりときたら。


 無遠慮に距離を詰めてきて、世話を焼いて、勝手に心の内に入り込んできて。

 煩わしかったはずだった。それ以上踏み込むなと、手を払わなければいけないはずだった。


 だけど私は、それをできなかった。

 気が付いたら彼が隣にいて、それが当たり前になって、そして――


 それがいなくなった時、寂しいと知った。



「ひばりと約束したのに……ナイチンゲール捕まえようって、約束したのに」



 ずるい。

 どうして私を一人でいさせてくれなかった。

 どうして誰かと過ごす温もりを、誰かを信じる心地良さを教えた。


 そのせいで私は今、こんなに苦しいのに。



「こじ開けといて、逃げないでよ……」



 誰もがみんな、自分を守りたい。

 私だってそう。だから心の奥には、大切に、厳重に鍵をかけておかなくちゃ。


 そうやってずっと守ってきたのに、ひばりは鍵を壊して開けてしまった。

 壊されてしまったら、もう閉じることもできない。



「あーはいはい泣かないの。あんたたち二人はね、見えない何かで頑丈に結びついてんのよ。そこら辺の奴にはそうそう切れっこないわ」



 見えない何か。

 曖昧なその表現に、きなこ自身も敢えて濁したという自覚があったらしい。

 目を泳がせると、「だからつまり」と言い淀む。



「中学生でもあるまいし、こんなこと言うの恥ずかしいけど。あんたらは一種の運命みたいなもんなんじゃないの」


「運命?」


「なんていうか、自然と引き合うっていうの? 磁石みたいな」



 拳を突き合わせながら説明した彼女に、完全に理解したわけではないが一応頷いておく。


 黙って鼻をすすっていると、突然お腹が鳴った。



「ほら言ったでしょ。意地張ってないで食べなさいよ」



 きなこがパンを一つ押し付け、得意気に目を細める。

 素直に受け取ることにして、私はようやく肩の力を抜いた。



「……あま」


「文句言うなら代金徴収するけど?」


「うん、美味しい」



 私の回答に納得した様子のきなこは、思い切り伸びをして息を吐く。


 メロンパンの糖分が、体中に染み渡るようだった。





 きなこのお陰と言うべきか、午後の授業は大分落ち着いた気持ちで受けることができた。

 その日の課程を全て終え家路につこうとした時、携帯が振動した。


 見覚えのない番号からの着信に首を傾げつつも、校舎から出たところで受け答える。



「はい。もしもし」


「紫呉、緊急要請だ」


「えっ?」



 その声は本部長のもので、そういえば万が一の時のために電話番号はお互い控えていたか、と思い出した。



「とにかく、今すぐ向かえ」



 住所を言われて慌ててメモを取り、よく分からないまま通話が終了する。


 蛇草くんに連絡を入れるか迷ったが、今は時間が惜しい。

 どっちにしろ彼にも情報は行き渡るだろうと踏んで、私はすぐに現場へ向かうことにした。


 途中まで自転車でかっ飛ばすことにして、メモを確認しながら近付いていく。

 どうやら少し山奥のようだ。最終的には自分の足で登るしかないだろう。



「はあ……」



 肩で息をしながら適当に自転車をとめる。

 道はあまり広くなく、生い茂った木々が邪魔くさい。


 少しかき分けるようにしながら進んでいくと、階段が現れた。

 苔が生えて管理の行き届いていない様子だったが、これだけ自然の威力が猛威を奮っている状態では無理もないだろう。


 登るにつれて息が上がり、酸素が薄くなっていく気がする。

 富士山に挑んでいるわけでもないのに、息苦しくて仕方なかった。



「あ、」



 がく、と膝が折れる。

 耐え切れずにその場でうずくまって、口元を腕で圧迫した。


 心拍数が上がっている。落ち着かなければ。

 瞼を閉じて数回ゆっくり深呼吸する。


 そっと立ち上がった瞬間、頭がぐらついて視界がぼやけた。

 目の前が白く覆い尽くされて――


 白く?



「ごめんね」



 朦朧とした意識の中、そんな言葉が耳朶を打つ。

 それにどこか安心感を覚えながらも、嗅いだことのない匂いが周りを支配して、私の記憶はそこで途絶えた。



 ***



 随分と、長い夢を見ていたような気がする。


 見慣れない白い天井が視界に入って、そこから横に視線をずらすと殺風景な部屋が見渡せた。


 ようやくそこで自分は眠っていたらしいと気付き、上半身を起こす。

 今の今まで横になっていたベッドは非常に大きくて、もう一人、いや二人くらいは余裕で受け止められそうだ。


 窓の外は既に暗く、僅かにあいている隙間から夜風が入ってカーテンを揺らした。


 一体、ここはどこだろう。


 ベッドから下りて周りを確認するが、人の気配はない。

 なんとはなしに部屋のドアを見て、まさかと血の気が引く。



「……開いてる」



 閉じ込められたのでは、と焦ってドアノブを回したが、あっさりと開いた。

 ひとまず胸を撫で下ろし、部屋から脱出しようと足を踏み出した時。



「そっちじゃないよ」



 背後から声が飛んで来て、背筋が伸びた。

 恐る恐る振り返ると、カーテンの向こう側に人影が映る。


 そこはバルコニーのような造りになっていて、声の主はそこにいるようだった。



「少し強引にしてしまってごめんね。君にどうしても渡さなければならないものがあったんだ」



 穏やかな声色は高めのテノールで、それが誰かと重なった。

 綺麗で流暢で、いつまでも聴いていたくなるような。まるで、鳥の鳴き声のような。


 カーテンの境目から見え隠れするその姿はどこをとっても白くて、そういえば少し前にも同じ物を見たような気がする。



「渡したいもの?」



 こんな誘拐まがいのことをされてまで、誰かに大事な物を貸した覚えはないが。

 と、そう考えたところで予感が脳裏をかすめる。



「あなた、誰?」



 当たって欲しくない予感だった。

 けれども確かめないわけにはいかなくて、私は問いかける。


 一層強くなった風が、カーテンをめくった。


 白いスーツ、ハット、マント。

 視界に飛び込んできたその光景に、いつぞやかの記憶が重なる。


 逃げ足の速さ、画期的な手段、華麗な身のこなし。

 それを併せ持った怪盗を、人々は「ナイチンゲール」と呼んだ。



「まさか、あなた――」



 その先を言えなかった。

 自分の目を疑った。否、疑わざるを得なかった。


 ふわりと舞ったカーテンは、その人物の全貌を露わにする。


 夜空に溶け込むような、藍色の髪の毛。

 月光が彼を後ろから照らし、その顔がよく見えた。


 夢だ。これは夢だ。

 そんなわけがない。だって、それじゃあ、そこにいるのは――



「……ひばり……?」



 思わず零れた名前に、答える声はない。

 彼の後ろで輝く満月が妙に大きく感じて、いっそ全て照らして消えて欲しいと思った。

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