相当な痛手
「あ〜〜、久しぶりに戻ってきた気ぃするわ」
目の前で言いつつ「いただきます」と手を合わせるひばりに、私も同感だった。
三泊四日の任務を終え、私たちはひとまず通常の学生として授業に参加している。
結局、ここ最近で三個の宝石がナイチンゲールの手に渡ってしまった。
あれだけの労力を割いて惨敗したのは相当な痛手だが、切り替えて奴の進撃を止めなければならない。
「ねえ、あの子って……」
「馬鹿、指差したらバレるよ」
なんとはなしに顔を上げると、ひばりの後方に座っていた女子二人組が焦ったように顔を背けた。
前にもこんなことがあったような、と首を捻り、記憶を掘り返す。
確かあの時はカップルだと勘違いされていたんだっけか。
安直にも程がある。今回も同じだろうと目処をつけ、肩をすくめた。
しかし何だかそれ以外にも視線を感じる気がする。
明らかに以前よりも注目されているような。自意識過剰だろうか。
一人そんなことを考えていると、突然ひばりが顔を上げた。
「悪いな、いつも昼飯付き合ってもらって」
その言葉の違和感に、思わず眉根を寄せる。
心なしかいつもより声のトーンは高く、声量もやや大きい気がした。
「は? 何言ってんの?」
「俺、友達いないからさー。助かるわ」
顔はこちらに向いているはずなのに、その目は私を見ていない。
彼は周囲の様子を窺っているようだった。
ひばりと私が昼休みの時間を共有しているのは、勿論彼が強要しているわけじゃない。
自然な成り行きで今に至るし、強いて言うなら私がひばりを引っ張ってきた方だ。
こちらを気にかけていた生徒たちが、ひばりの言葉に慌てて見て見ぬふりをする。
そこで初めて私は気が付いた。彼はそれとなく誤解を解こうとしている。
「……別にいいのに」
大体、そっちだって最初に言われた時は全く気にしてなかったじゃないの。
私が投げやりにつぶやいたのに対し、ひばりは「え? 何が?」とすっとぼける。
「あんなの勝手に言わせとけば。キリないし」
一方的に言い放ってラーメンを啜った。
食堂のラーメンは塩が一番美味しい。
ひばりは何か言いたげに目尻を吊り上げていたが、やがて苦笑して頷いた。
「まあそれもそうだな」
数日後、ひばりがなぜ困ったように笑っていたのかが分かった。
自分に視線が集まるのは自意識過剰ではなく、どうやら事実だったらしい。
それも好奇などではなく、どこかマイナスの。
「あの子でしょ、万年青くんといつも一緒にいるの」
「絶対出世狙いじゃん」
私の予想は生ぬるかった。
カップルだ何だとはやし立てられる方がまだ可愛い。
周囲から見た私に対する評価は、万年青ひばりの恩恵にあやかろうとする狡賢い女だ。
ひばりはきっとそれに気付いて、牽制の意味も込めてあんなことを言ったのだろう。私の立場が危うくならないように。
全く、余計な気を遣ってくれるもんだわ。
残念ながら神経は図太いとのお墨付きを貰っているので、こんな程度ではめそめそ泣いたりしない。
よっぽど仲の良い友達がいて、その子に言われようものなら少しは傷ついたかもしれないが、生憎その心配もない。
普通に授業を受けて普通に生活する分には、影響はないのだから。
「すまん! 遅くなった!」
D組の教室の前で暇を持て余していた所に、ひばりが駆け寄ってくる。
今日は本部に事後書類を出しに行くことになっていた。
二人で廊下を歩いていると、自分一人でいる時よりもさらに視線は刺さる。
だがそれが何だ。文句があるなら直接言えばいい。
私は顔を上げて右に視線を振る。
目が合った者が気まずそうに背を向け、内心「勝った」と拳を握った。
生半可な気持ちでひばりとバディを組んだつもりはない。
周囲のこの反応でようやっと実感したくらいだ。
「お前、何で笑ってんの。怖いんだけど」
「女神の微笑みに勝るものなんてないのよ」
「勝手に神増やすなよ、バチ当たるぞ」
引き攣った表情筋で淡々と返すひばりに、むしろ安心した。
変に庇われたり気遣われたりする方が居づらくて仕方ない。
校舎を出れば誰かにけちをつけられることもない。
電車を乗り継いで、本部に到着する。
本部長は外出中でもうすぐ戻ってくるということだった。
中に入ってすぐのロビーで待つことにする。
「あ、ごめん。ちょっと電話」
ひばりが腰を浮かせてポケットに手を入れる。
そのまま少し奥の方まで駆けていったのを見届け、軽く息を吐く。
なかなか戻って来ない彼にもう一つため息をついた時、背後から音がして振り返った。
「あ……お疲れ様です」
本部長が戻ってきた。
ひばりは未だに電話中だが、とりあえず出すだけ出さなくては。
立ち上がってファイルを取り出し、彼の前まで近付く。
「こちら事後書類です。確認お願いします」
声を発さず私を一瞥し、本部長は書類をめくった。
最後まで目を通し終え、「万年青は」と問うてくる。
私は視線を投げて軽く頭を下げた。
間がもちそうにない。いい加減戻って来なさいよ、と心の中で八つ当たりをし始めた時だった。
「お前、紫呉といったか」
「は、はい」
向こうからの会話に、面食らってどもってしまう。
嫌な汗が体中から噴き出した私に、彼は顔色一つ変えずにこう言った。
「紫呉。お前に万年青のバディは務まらない」
しばらく意味を理解できなかった。
いや、正確にはどんなに噛み砕こうとしても理解できなかった。
それなのに、頭を思い切り殴られたような衝撃を受けて、視界が霞んだ。
一体いま、彼は何と言った?
分からない。分かりたくない。なぜ、と問わなければいけない気がして口を開くが、声が出ない。
なぜ。どうして。
言葉になっていないと思っていた単語は、無意識に零れていたようだ。
彼は最初から決まりきっているかのように、私の質問に答える。
「冷静な判断力がない。思慮深さに欠け、規律を乱す。他にもまだあるが、聞くか?」
頭が働かない。
気持ちが急くほど思考がばらばらに崩れていく。
吐き出した空気が震えた。
「いえ――大丈夫です。失礼します」
とてもじゃないが、人に見せられる顔はしていなかっただろう。
私は早口でまくし立て、出入り口に足を向けた。
途中、後ろからひばりの声が聞こえた気がする。
振り返って返事をする余裕はなかった。
『尊敬も期待もされるけど、それと同じぐらい嫉妬も批判もされる。だけどそれに耐えなきゃバディになんてなれっこないわ』
私はまだ本当の意味を知らなかったんだ。
こんな程度、映画でいったらオープニングにすぎなくて。
文句があるなら直接言えばいい――言われたら、どうしようもなく抉られた。
お前は無理だ。はっきりと、宣告された。
私はひばりのバディになんて、まだまだなれていなかった。
なったつもりでいただけで、周りは認めていない。
きなこは今まで私に沢山助け舟を出してくれていたんだ。
常識も知識も足りない私に。蛇草くんだってそうだ。
一人電車に乗り込み、ぼうっと窓の外を眺める。
白っぽい空が段々と灰色がかって、ガラスに水滴を落とした。
その粒が大きくなり、振る間隔も狭くなっていく。
……傘、持ってきたっけ。
ろくに回らない頭のどこか遠くでそれだけ考えて、すぐに結論を出した。折りたたみ傘を入れた記憶はない。
駅に着いて家へと向かう道すがら、走る気にもならなくてそのまま帰った。
時折すれ違う人にもの珍しい顔で見られ、ビニール傘くらい買えば良かったかと後悔する。
玄関のドアを開ける頃には全身に雨水を吸い込んで重かった。
視線を落とすとパンプスが一足転がっていて、そういえば今日は金曜日だったか、とうんざりする。
「ただいま」
声を出すのが億劫だったが、文句を言われるよりマシだ。
濡れた靴下を脱いで風呂場に直行し、制服を干す。
着替えてからタオル片手にリビングへ顔を出すと、ソファに沈む女の姿があった。
「おかえりぃ〜って、あれ。マサトさんじゃないのか」
振り返って私を視界に入れた彼女は、明らかに不満そうな声色で口を尖らせる。
自分の部屋に行こうと踵を返すと、彼女が続けた。
「濡れちゃったの〜? ママが拭いてあげよっか」
ママが、とその文節を強調してわざとらしく煽られ、意図せず唇を噛んだ。
女は「冗談だってえ」と耳につく高い声で笑う。
「ねえ、制服ずぶ濡れでしょ。汚いから、あたし間違って捨てたらどうしよう〜〜」
「……やめてください」
ああ、失敗だ。さっさと二階に上がってしまえば良かった。
顔は極力見たくない。今度こそ立ち去ろうとした時。
「――この学費泥棒が」
ぞっとして勢い良く後ろを振り返る。
底冷えしそうなほどの低い声だった。しかし彼女の顔は既に人のいい笑顔に戻っており、それが一層恐怖を駆り立てた。
「ただいま」
呑気な声がドアの開閉音と共に響く。
それに少しだけ安堵して、肩の力が抜けた。
「あ〜! マサトさん、おかえりなさぁい」
猫なで声で迎えた彼女に胃がむかむかした。
リビングの入口で立ち尽くす私を怪訝そうに見て、父が「どうしたんだ」と声をかけてくる。
私が口を開く前に、女が先手を打った。
「あげはちゃんね、雨で濡れて帰って来たの。拭いてあげようと思ったんだけど、照れちゃったみたい」
「はは、そうなのか」
「もう子供じゃないんだからやめてって。可愛い〜」
まるで別人のような振る舞いに、私は黙って会話を聞き流した。
父は女の元に歩み寄り、それからこちらを振り返る。
「あげは、いつまでそうしてるんだ。早く拭かないと風邪引くぞ」
「あ、そうだ。あげはちゃんの制服もちゃんと乾かさないと」
女がそう言いつつ立ち上がったので、私は咄嗟に叫んだ。
「やめて!」
絶対に触らせるものか。
知らず知らずのうちに睨みつけていたらしく、女は大袈裟に驚いてみせた。
「やだ、どうしたの? 早く乾かさないと大変よ」
「そうだぞあげは。意地張ってないで、お母さんにやってもらいなさい」
父のその単語がとどめだった。
お母さん? 冗談じゃない。こいつは隙を見て私を陥れようとしているのに?
私は風呂場に戻って、ついさっき干した制服を手に取った。勿論乾ききっていないし、気持ちが悪い。
しかしそれにもう一度着替えて、携帯と財布だけ持って外に飛び出した。
「あげは! どこに行くんだ!」
「マサトさん、そっとしておきましょう」
もう疲れた。
今日はただでさえ心労が溜まっていたのに、あの女の態度に耐えるなどできそうにない。
せめて一人になりたかった。
何にも邪魔されず、ゆっくり時間を過ごしたかった。
雨の勢いは少しだけ弱まっていて、むしろ打たれた冷たさが心地良い。
だが流石に人の目をひいてしまうので、コンビニでビニール傘を買った。かなり今更だ。
昼から何も食べていないのに、空腹感は訪れない。
それよりも頭にもやがかかったように眠くて、人は食欲よりも睡眠欲が勝つのか、とどこか他人事のように考えた。
しばらく歩いていると体の方も疲労を訴え始めたので、近くの公園に足を踏み入れる。
屋根のある遊具の中に入り、子供のように縮こまった。
過ごしやすい場所なんてもっと沢山あるんだろうが、今は赤の他人にすら会いたくない。
人の目に触れない所にいたくて、隠れるように自身の膝を抱える。
「……お腹空いた」
さっきまで眠かったはずなのに、今度は腹の虫が鳴る。
我儘な自分の体にため息をついた。
――リリリリリ、リリリリリ。
ポケットの中で携帯が振動している。
父だろうか。だとしたら出たくない。
黙っていると切れたので、胸を撫で下ろした。
しかしそれも束の間、再び携帯が着信を知らせる。
――リリリリリ、リリリリリ。
無視だ。いま出たところで恐らく平行線の会話しかできない。
――リリリリリ、リリリリリ。
「あーもう! うるさい!」
電源を切ろうとポケットに手を入れ、液晶に映る文字に固まった。
『万年青ひばり』
どうして、今。
動揺してただそれを握りしめているうちに音が途切れ、また鳴り出す。
――リリリリリ、リリリリリ。
多分魔が差した。
私はその着信を受け、携帯を耳に当てる。
「……もしもし」
控えめに出した私の声とは対照的に、通話相手は鼓膜を破らんばかりのボリュームだった。
「あげは! やっと出た! 何してたんだよお前!」
思わず耳から離して、顔をしかめる。
私は電話に出たことを若干後悔しながら口を開いた。
「どうしたの」
「どうしたのじゃねえよ勝手に帰りやがって! 何かあったのかと思って心配したんだからな」
「ああ……うん、ごめん」
そういえばそうだった、と見当違いなことを思った。まあ確かに、急に走り出したら何事かと驚くだろう。
とりあえず謝って、そこから沈黙が流れた。
「心配かけてごめんね。じゃあ切るよ」
他に用もなさそうだったので、私はそう告げて携帯を耳から離す。
「なあ、あげは」
呼びかけられて、再び耳に当てた。
返事をすると、彼は声を低めて質問を投げてくる。
「お前、今どこにいる?」
「え?」
「雨の音する。外か?」
「え、ああ、まあ……」
歯切れ悪く返した私に、ひばりはなぜか少し怒ったように声を荒らげた。
「何してんだよ」
「いや、ちょっと散歩」
「はあ? こんな時間に一人で?」
「うるさいなあ、ほっといてよ」
本気で切ってやろうかと腹が立ち始めた時、彼は念を押すように確認した。
「あげは。今、どこ」
「どこだっていいじゃん」
「いいから。答えろ」
有無を言わさない口調に、仕方なく「公園。如月駅近くの」と答える。
ひばりの方の物音が激しくなった。
「分かった」
分かったって、何が。
そう問うより早く、彼は次の言葉を落とす。
「今から行くから、そこにいて」




