バディ
「次、指定書物第二項の証明について――」
入学式を終え、早一週間。
毎日繰り返される授業の流れにもようやく慣れ始めた頃、私はクラスメイトの様子を見て首を傾げた。
真剣に説明を聞く者、ノートにペンを走らせる者、そして虚ろな目で呆然としている者。
皆一様に目の下にクマをつくり、雰囲気にどんよりと霧がかかっている。
寝不足なのかしら? 最近面白いドラマでもやってたっけ。
テレビにはあまり興味のない私にとって、帰宅後は逆に退屈だ。むしろここで沢山のことを吸収している時の方が楽しい。
「――おい、宮永。お前いま何をしていた?」
朗々と資料を読み上げていた教員が、突然声を低めた。
途端に空気が重くなり、関係ないこちらまで背筋が伸びる。
「はいっ、いえ! 何も……自分は、ただ資料を読んでいました!」
「船を漕ぎながら、か?」
「あ――いや、その、」
分かりやすく狼狽える彼に、恐らく全員が哀れだと思っただろう。
しかしそれはただ「哀れだ」というだけで、同情ではない。
「では問うが。その資料と鑑定書から鑑みて、なぜ犯人が朝方の犯行にこだわったか。答えは分かったか?」
簡単な問いかけというには些か意地悪だが、さほど難しくない質問である。
もちろん、最初から抜け目なく授業を聞いていれば、の話だが。
「ええと、防犯カメラの映像には――その、」
手元の資料を手繰り寄せ必死に答えようとする彼に、私は心の中でアーメン、と告げた。
「どうやら資料の読み込みが足りないようだな。今日中に全文を三回写して提出しろ」
「三回……!?」
「何だ?」
「いえ……すみません、分かりました……」
しれっと鬼のような課題を投げつけ、何事もなかったかのように授業が再開される。
ここ一週間はずっとこんな調子だ。
最初に犠牲になったクラスメイトは可哀想なくらい怯えていて、その様子を見た周囲は自分に災難が降りかからないよう学習したのである。
しかし喉元過ぎれば熱さを忘れるとはまさにこのことで、油断するとまた誰かが制裁を受ける。
その時は恐怖に支配され、自分は絶対に二の舞になるものかと決意するのだ。次の日には大体欲望に負けて眠りこけるのがオチであるが。
「本日はここまでとする。来週月曜にまた試験を行うので、各自きちんと学習しておくように」
「――起立! ありがとうございました!」
号令で立ち上がり挨拶を終えると、ようやく椅子から開放された。
長時間座っているのはなかなか辛い。
今のところは全て座学で、全クラス共通内容だ。
入学試験の内容を含め、さらに少し踏み込んだ専門的な知識の総ざらいである。
大体が暗記でどうにかなるが、とにかく量が多い。
それでも探偵として身につけておくべき基本中の基本といった知識がほとんどだ。
だからこそしつこく何度も叩き込み、覚えるまで、否、身に染みるまでやらねばならない。
「紫呉、いるか」
突然教室に入ってきた教員に名前を呼ばれ、反射的に「はい」と振り返る。
「悪いが、このあと校長室に行ってくれ。お前が呼ばれてる」
「分かりました」
平静を装って言ったものの、内心ばくばくと心臓が物凄い速さで音を立てていた。
え、私なにかしたかしら。こんなに美人で優秀で非の打ち所がないのに、呼び出し食らう?
まさか入学式の日の新規ルート開拓がバレた?
気が気じゃない。どうやって言い訳しよう。
次々と教室を出て行くクラスメイトたちを横目に、私は急いで荷物をまとめる。
とにかく急ごう。善は急げって言うじゃない!
教室を飛び出し、廊下を急ぐ。
途中で「廊下を走るな!」と叱られ、渋々早歩きに切り替えた。
一年のA組、B組の教室は最上階。C組、D組の教室はその一つ下の階だ。
そしてさらにその一つ下に校長室がある。
「はあ……もう、階段長すぎるんだってば」
一つ愚痴を零すくらい許されるだろう。
膝に手をついて肩で息をしていると、後方からドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「あ! アメジストじゃん!」
綺麗な鳴き声。濃紺の瞳。
随分と久しぶりに会ったような気がする。
彼は開口一番、意味の分からないことを言って私を混乱させた。
「アメジスト……?」
「お前の髪と目の色のことだよ。綺麗な紫でアメジストみたいだなってずっと思ってた」
「そりゃどうも。だとしたらあんたはサファイヤね、首席くん」
どうやら嫌味ではなかったらしく、彼は「覚えてたのか」と腰に手を当てた。
「覚えてるわよ。正直、この目で見るまであんたが首席だなんて信じられなかったけど」
「まじで失礼だなお前……ええと、しぐれ、だっけ。そうだ、紫呉だな」
彼は空中を見つめ記憶を思い起こすかのように視線を彷徨わせると、私の名前を口にする。
「え? なんで名前……」
「なんでって、お前自分で名乗ってただろ。でっかい声で」
まさか聞いていたのか。私の声を。
いや、でもあの時彼の姿は見えなかった。どうして。一体どこに?
そんなことより、と彼が私を指差す。
「紫呉も校長室に呼ばれたのか?」
「私もって……まさか、あなたも?」
「やっぱ勝手に校内動き回ったの、マズかったかな」
「さあ……」
この男とセットで呼ばれたんならきっとマズかったんだろう、そういうことだ。
こんなしょうもないことで減点食らうなら、もっと思いっ切り探索しとけば良かったー!
やや的外れな後悔をしつつ、がくりと肩を落とす。
「まあここで話しててもラチあかねーだろ。失礼しまーす!」
「ちょちょちょ……! 心の準備ってもんがあるでしょーが! ばか! こら!」
小声で咎めても止まる気はないらしい。
彼は躊躇なく扉に手をかけ、中を覗き込む。私もその背後からこっそり盗み見た。
人影が二つ、いや三つか。
私たちと同じく制服を来た者が中にいるようだ。その奥に恐らく校長もいる。
「おい、何へばりついてんだよ。行くぞ」
「首根っこ掴んでんじゃないわよ! 離しなさいって!」
やいのやいのと言い合っていると、奥からくすりと笑い声が聞こえた。
恐らく女の子だ。……絶対バカにされた。
「すみません! 一年D組、万年青ひばりです! 失礼します!」
「い、一年A組、紫呉あげはです! 失礼します!」
負けじと声を張り自己紹介合戦に参加すると、そこには二名の生徒と校長がいた。
一人は未だにくすくすと笑い続ける女子生徒。もう一人は無表情で眼鏡を持ち上げた男子生徒。
両名ともどこか不思議な雰囲気を纏っていて、こう言ってはなんだが、常人ではないような気がする。
「ああ、突然呼び出してすまない。これで四人揃ったか」
見るからに上質そうな椅子に深く腰かけた校長が、芯のある声で静かに口を開いた。
皺が刻まれた額からは、気難しそうな彼の性格が滲み出る。
鍛え抜かれた手が指を組み、顎を支えた。
「君たちは優秀だ」
突然、校長は端的に述べる。
その言葉の意図を図りかね、私は思わず眉根を寄せた。
「A組からD組、それぞれトップで入学したのが君たち四名だ。他の生徒との差も比べ物にならない。これだけ優秀な人材を育てられるのは教育者冥利に尽きる」
「ありがとうございます」
この場にそぐわない明るいトーンではきはきと礼を言ったのは、柔らかい金髪をハーフツインにしている女子生徒である。
それにしても、自分がA組トップ入学だとは驚いた。
てっきり叱責を食らうものだと構えていたが、どうやら用件は違うようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「そこでだ。君たちには来月から現場での調査にあたってもらう」
「来月……!?」
「何、案ずるな。どの道現場での授業は行われる。少し早まるだけだ」
考えるより先に声を上げてしまったが、無理もないと言って欲しい。
自分たちはいくら優秀といえども入学したばかりの一年生だ。それを来月から現場派遣など――
「お言葉ですが、自分たちでは力不足かと。足手まといになるだけです」
眼鏡をかけた、いかにも頭の硬そうな彼が言う。
これに関しては大賛成である。私の心の内を代弁してくれたようで、非常に心強い。
「そんなことはない。最近、どうにも逃げ腰の現場担当が多くてな。今年は豊作だ。君たちほど優秀なのは稀だよ」
それだけ期待されているということだろうか。
ただの生徒を買い被りすぎているのではないだろうか。
しかし、勘違いしてはいけない。
これは何も、お願いではない。「命令」だ。
きっとそれは、横に並んでいる三人も分かっているのだろう。だからこそ、強くは言えない。
「お褒めに預かり大変光栄です。必ずお役に立ちます」
「うむ、頼んだ」
ちょっと首席くん! 何勝手なこと言ってくれちゃってんのよ!
がんを飛ばすも向こうは全く気付く様子がない。
「ああ、それと。君たちにはバディを組んでもらう」
「バディ……ですか」
「そうだ。さすがに一名ずつの派遣は心許ないだろう。二名ずつ分けて投入する」
冗談やめてよ、この中の三人から選べっていうの!?
全員変人なんですけど! まだろくに話したことないの二人もいるけど、絶対絶対変人なんですけど!
結局損するのは常識人の私なのね、と一人落ち込んでいると、
「ちょうどいい。君と君、仲良さそうじゃないか。組みなさい」
「へ!?」
指で示されたのは明らかに私と隣の首席野郎で、相手が校長だということも忘れて首を全力で振った。
「いえいえいえとんでもない! これっぽっちも仲良くないです! むしろ悪いくらいで……!」
「何をそんなに慌てることがある。どっちみち全員と組むことになるんだ、最初の組み合わせなんぞどうでもいい」
「全員と!?」
宙を見つめ、しばし固まった。
いけない。現実逃避に走るところだった。
「それぞれ全員と組んで、相性のいい組み合わせを見つけるといい。話は以上だ、頼んだぞ」
無情にもそう告げた彼は、もう用は済んだとばかりに再び椅子に背を預ける。
三人はすたすたと歩き出して扉へ向かうものだから、私は我に返ってその後を追った。
「なーんか、面白いことになったよねー。そう思わない?」
「面白いことがあるか。これは任務だぞ」
「んもー硬いんだから!」
前方でそんな会話を繰り広げる、名前も知らない二人。
じっと見ていたからか、女の子の方がこちらに気付いてひらひらと手を振る。
「これからみんなで仲良くしなきゃだし、ちゃんと顔合わせしよっか! わたし、C組の猫八黄名子。きなこって呼んでね!」
ぱっちり二重にぷっくり唇。
にこ、と笑った瞬間に八重歯が覗いた。仮に彼女が探偵以外で職に就くとしたらアイドルに違いない。
「B組の蛇草緑也だ。よろしく頼む」
簡潔に自己紹介をして軽く頭を下げた彼。
眼鏡の奥の鋭い眼光に、思わず息を呑んだ。
しかし鋭いだけじゃない。なんて綺麗な色だろう。
その深い緑が色んな角度から光を取り込んで輝いているようにも見えた。
「俺はD組の万年青ひばり。よろしくな」
「あっ、噂の首席くんね! よろしく〜」
愛嬌のある美少女に肩をたたかれ、彼は明らかに上機嫌である。
鼻の下伸びてるわよ、と口に出さなかったのは皆の視線が自分に集中していたからだ。
「あ、私はA組の紫呉あげはです。ええと、好きな食べ物はラーメンかな!」
そう言い切ったが誰からも反応がなく、趣味とかも添えた方が良かっただろうかと不安になる。
しかしその必要はなかった。
「お前っ……ラーメンって……」
「ちょっと万年青くん、笑ったら失礼だよ!」
「いやおっさんかよ……」
肩を震わせ笑いを堪える彼に、きなこが気休め程度の注意を促す。
蛇草くんは相変わらず感情の読めない表情だ。
「何よ! ラーメンの何が悪いのよ、美味しいじゃない! ついでに言うとね、私は豚骨が好きなのよ!」
「いや聞いてねえよ」
全く、失礼なのはどっちだか。
人のことを注意する割には、そっちだって私の豚骨ラーメンにイチャモンつけてんじゃないの。
すっかり不貞腐れた私の肩に、「まあまあ」と手が乗る。
「だーいじょぶだって、ラーメンに心を捧げた女の子でもいいって男がいるかもしれないし。な、蛇草!」
「こちらに話を振るな」
「どうする紫呉、蛇草も無理だってよ」
「あんたねええええ!」
何で蛇草くんに振られてんのよ私は!
泥沼化した言い合いが一段落したあと、きなこは切り出した。
「それにしてもバディかあ。やっぱり最初は校長先生が言った通り、あの組み合わせでいいのかな?」
「遅かれ早かれ全員と組むのなら順序に意味はない。それでいいだろ」
「じゃあ蛇草くんはわたしとだね! 仲良くしよっ」
「善処する」
何だか勝手に話が進んでいるが、最初に組むことになるのはどうやらヤツのようだ。
まあ確かに仕方ない。こうなった以上、組むのは時間の問題であって。
「じゃ、紫呉と俺ってわけか。よろしくな」
「ヨロシク」
「おいいつまで怒ってんだよ。こら、こっち見ろビビってんのか」
つーんと横を向いて腕を組む。
これじゃ小学生の喧嘩じゃないのよ。分かってるけど腹立つんだもんこいつ……!
「おーい、紫呉」
いつの間に回り込んだのか。私の顔を覗き込んで声をかけてくる彼に、「あんたね」と口を開いた時だった。
「あんたって誰?」
「は……?」
「紫呉、まだ一回も俺のこと名前で呼んでないだろ。もしかして覚えてない?」
そういうわけじゃないけど。でも、なんとなく歯痒い。
それに彼の名前を覚えていないのは、半分正解だ。
綺麗なサファイヤ色の瞳に私が映る。
不思議そうに首を傾げた彼は口を閉じ、そこからは心地の良い高い鳴き声は聞こえない。
『あれ、こっちは行き止まりだけど?』
あの出会いは幸か不幸か。
それでも私は確かにこの目で見た、その鳥が舞うのを。
「――ひばり」
「え、」
「よろしくね」
仕方ない。流れに身を任せるのも、時には必要だと。
自身にそう言い聞かせ、私は目の前の彼に右手を差し出した。
それをしばし呆けた様子で見ていた彼は、やがてしっかり握り、
「おう! よろしく、あげは!」
私の前で初めて心底嬉しそうな笑顔を見せた。