相容れない
現場に到着してまず最初に案内されたのは、犯人が侵入したとされている一室だった。
窓ガラスが割られ、恐らく防犯装置も機能したのだろう。
これだけ大胆に侵入したのなら何か証拠が残っていそうなものだが。
私たちは二人ずつに分かれて現場員に着いていくよう指示を受けた。
一番穏便に済むのはひばりと行くことだが、当然そうもいかない。警察と探偵一人ずつセットで行動するのが定石だろう。
「兎束さん、行こっか!」
半ば強引に彼女の腕を引いて、私は男性陣に背を向けた。
許せひばり! だって迂闊に目合わせようもんなら殺される勢いなんだもん、あの男!
「あ、えっ、紫呉さんっ」
私と後ろの二人を交互に見やり困惑気味の彼女だったが、やがて観念したように真っ直ぐ歩き出した。
私たち二人に任されたのはいわゆる記録係で、メモを取ったり写真を撮ったりしながら同行するのが主である。
大人たちが黙々と調べる様子をメモに書き記しながら、私はつと視線を上げた。
聞いた話によると、犯人は侵入こそしたものの、高価な金品を奪って逃走したわけではない。
それどころか、何も盗まれていなかったという。
こんなに大胆に侵入しておいて、それなりのリスクも被ったのに一体なぜか。
しかし金銭被害がなかったとはいえ、不法侵入には変わりない。
それに加えて各所で同じ事件が多発していることから、野放しにしておけないと組織が動き出したのだ。
「気味が悪いな。愉快犯なのかね」
「さあな、知りたくもない」
肩をすくめて会話を繰り広げる現場員だったが、金庫を調べる段になって手を止めた。
店主の許可を取るから、と待てを食らった私たちは部屋に取り残される。
正直ほぼ初対面の相手と二人きりは気まずいのだが、私は少しでも打ち解けるべく口を開いた。
「あの、兎束さん」
「は、はい」
まさか話しかけられるとは思っていなかったのか、彼女の体が大きく跳ねる。
気弱そうに下げられた眉尻に、小動物みたいだなという感想を抱いた。
「鹿取くんって、普段からあんな感じなのかな?」
ひばりのためにも、勿論自分のためにも相手を知っておこう。
今のところ彼女の方としか意思疎通は出来なさそうだ。
「ええと、ううん、そんなことはないんだけど……確かにあんまりお喋りな人ではないかな」
「そ、そっか」
そんなことは見れば分かるのだが、下手な相槌を打って気を悪くされてはたまったものじゃない。
どうやら続きがあるらしく、思案顔で視線を彷徨わせる彼女をじっと待つことにした。
「でも、すごく優しいよ。なんていうか、分かりにくいけどいつもフォローしてくれるの」
「そうなんだぁ……」
優しい? あれが? めちゃくちゃ目の敵にされてたけど?
もしかすると身内には優しいのかもしれない、と思い直してとりあえず頷いておく。
著しく人見知りを発動させているだけの可能性もまだ捨てられない。
今後仲良くやっていけるビジョンは到底思い描けないが。
まあでも、蛇草くんだって最初は取っ付きにくかった。
会話を重ねて今は可愛らしいとすら思えるようになったのだから、慣れたものだ。
「同じようにいくかしらねえ……」
いかないだろうな、と自問自答し、ため息をついた。
「お友達になれました?」
その日の仕事から解放され、息苦しさに我慢できなかった私は、ひばりを誘って近場のファストフード店に入った。
彼の方も珍しく少し疲れた顔つきで私の提案に頷いたのを見る限り、芳しい結果は期待できないだろう。
「さっぱりだめだな。まあ私語してる暇はないにしても、あからさまに避けられてる。全身から拒否されてるよ」
「あー、やっぱり?」
言いつつポテトを口に放り込む。
適度な塩気が今の体に丁度いい。もう一つ摘んで私は視線を落とした。
「潔癖なのかなー。いかにも生真面目って感じするし」
「俺が不真面目みたいな言い方やめろよ」
「別にひばりだけとは言ってないわよ、私にも敵意剥き出しだったし。第一印象悪かったのかな」
一言目から馴れ馴れしく話しかけたのが駄目だったか。
いや、でもそれが原因でこんなに嫌われるだろうか。
首を捻る私に、ひばりは眉をひそめた。
「いや、違うな。あれは俺らというよりも、探偵を嫌ってるんだろ」
「え?」
「典型的な探偵嫌い最右翼だな、あれ。警察内部にはちらほらいるけど」
ますます首の角度が曲がった私に、彼は諦めた様子で説明を始める。
「警察が探偵のことをよく思ってないっていうのは知ってるよな?」
「まあ、ぼちぼち」
「勿論全員とは言い切れないけど、探偵組織が邪魔だって思ってるやつが警察には一定数存在する。仕事的に上辺は穏便に済ませる人もいるけど、あれは多分根っから相容れないタイプだ」
そういう意味では確かに潔癖かもな、と彼は付け足した。
つまり鹿取くんは、探偵そのものに強い嫌悪感を抱いているということだ。
警察至上主義、それ以外のものは不要だと言わんばかりの。
「そんなんどうしようもないじゃん。そもそもを否定されたんじゃさぁ」
「ああそうだ。だから俺らも割り切って対応するしかないだろうな」
割り切っても何も、と私は不貞腐れる。
相手は会話はおろか目も合わせないし、そこまで徹底的にされるとこちらだって不愉快だ。
警察と探偵が仲良しじゃないのは勝手にすればいい。
いがみ合ってようが、喧嘩しようが、そんなのはどうだっていい。
だがそれとこれとは別ではないか。
私たちを「探偵」という括りで見てしかいない人間に、これからどう足掻いたって視界には入れてもらえないだろう。
私たちは探偵である前に、一人の人間であるにも関わらず。
「納得いかない。私たちがあんたに何したってーのよ」
「正論だけど、そうもいかない理由があるんだろ。きっと、向こうにも」
苦笑したひばりに、何も言い返せなかった。
情けをかけるのか。嫌われている人間にも。
ひばりのそういう所は、私の持ち合わせていない部分だ。
拒絶されたら優しくできない。私には到底真似できそうになかった。
「なんか、ひばりがいて良かったな」
何の気なしに呟いた。
本当に思っていたことだ。嘘じゃないし、別段隠すことでもない。
しかしひばりは目の前で固まって、こちらを凝視する。
「え、な、何だよ急に」
その様子が新鮮で、もう少し見たくなった。
「まあ何だかんだで優しいし? 世話焼きだから、フォローもしてくれるし。ひばりと一緒じゃなかったら私、とっくに死んでるわよ」
いつもからかわれるのは私だし、慌てふためくのも自分の役割だ。
今日くらい立場が逆転しても文句は言われまい。
しかし予想に反して、彼は言い返してこなかった。
慌てる様子もないし、顔は伏せていてよく見えない。
つまんないな、と背もたれに寄りかかった時だった。
「……ずるい」
呟いて、腕で顔を覆いながら視線だけこちらに向けてくる。
思わず息を呑んだ。
その目は少し潤んでいて、隠れていない耳が赤く染まっている。
もしかしなくてもこいつ、
「え、ちょっと何泣いてんの!? 嘘でしょあんたそんな泣き上戸だった!?」
「うるっさいわ! 人が精神すり減ってる時を付け狙ったかのように褒め殺しやがって!」
「何で私のせいみたいになってんの、褒めたのに! めっちゃ褒めたのに!」
「お前のせいだよふざけんなうちの相棒は最高だな!」
「うるせ――――! どさくさに紛れてアルコールでも入れてんの!?」
思わぬ逆襲を食らって、こっちが羞恥で赤くなる。
傍から見ればバカップルの痴話喧嘩だ。
やっぱりひばりも疲れてんのね。
いくら愛想が良くても、彼は彼なりに苦労していたようだ。
恥をかき切ってタカが外れたのか、ひばりは目の端を赤らめたままで嬉しそうに笑う。
「誰とも組みたくない、あげはとがいい」
「あんたね……!」
「照れてんの?」
当たり前でしょうよ!
満足気にテーブルに顎を乗せ、下から私を覗き込んでくるひばりを睨む。
「……私だってひばりとが一番いいけど、頑張らなきゃ」
絞り出した声は存外小さくて、それでも彼はふやけたような笑顔で「そうだな」と返した。
一番恐れていたことが起こった。
「えっと、よろしく」
返事は毛頭期待していなかったが、全力で顔を逸らされた。
そうまでされると腹が立つというか、闘争心に火がついてしまう。
「私、紫呉あげは。よろしくね」
めげずにもう一度声をかけると、今度は睨めつけられる。
話しかけるなと訴えられているのは分かったが、口に出さなければ伝わらないも同義だ。そういう体でいくことにする。
彼と一緒にいるのは、ただ単に運が悪かっただけだ。
現場周辺の調査ということで、道を歩きながら隣で不機嫌モード全開の鹿取くんに頭を抱える。
仕方なく諦め、手帳とボールペンを取り出した。
とそこではたと気付く。
「あ、兎束さんに借りたままだった」
ボールペンのインクが先日切れてしまい、兎束さんに借りたのを忘れていた。
今日はもう会うタイミングないかな、と思考を巡らせていた私に、突然隣から声がかかる。
「預かる」
振り向くと、鹿取くんが右手を出していた。
この人喋れたんだっけ。最早そのレベルまで達していたので、随分久しぶりに聞いた声に呆気にとられていた。
「あ、ああごめん、ありがとう」
恐る恐るその手にボールペンを差し出し、礼を述べる。
何だろう。分からない。なぜ口を聞いてくれたのかすこぶる疑問だ。
しかも代わりに返してくれるという親切心ときた。
どういった風の吹き回しだ、と若干怯えたが、やり取りが終わると再び沈黙が落ちる。
――もしかしたら。試してみるか?
私は一つ思い当たり、意を決して口を開く。
「この間、兎束さんが鹿取くんのこと褒めてたよ。いつもフォローしてくれるって」
一か八か。私の言葉に、彼は視線を動かした。
「優しい人だって、言ってた」
「……そうか」
喋った――――――!
完全なる勝利に、今すぐ舞い踊りたいのをぐっと堪える。
分かった。きっと彼の弱点は兎束さんだ。
鹿取くんは彼女のことを憎からず思っているに違いない。
なるほどそういうことか、と一人頷いてしたり顔である。
ちょっと卑怯だが、会話を引き出すネタにはなるだろう。
「兎束さんが言ってたんだけど、私たちともう少し仲良くなって欲しいなあ〜って……」
内心冷や汗ものだ。
鹿取くんは私を見つめた後、険しい顔に戻ってそっぽを向いた。
ちょっと焦りすぎたかもしれない。
「ごめん、調子に乗った! これは言ってなかった! 嘘ついた! いや嘘じゃないけど、うーんと嘘なんだけど、なんというか」
「兎束を侮辱したら殺す」
「ごめん違う違う違う本当に違うから! 待って! 話聞いて! お願いします!」
本当に殺されかねない目付きだったので、身振り手振りをもって否定する。
兎束さんを利用したという罪悪感と、鹿取くんの鋭い眼光に誤魔化しがきかなかった。
彼の雰囲気がさながら取り調べだ。
カツ丼を差し出すほど情があるとは思えないが、と失礼な憶測をしたところで。
「私で良ければ協力するよ!」
乱れた思考の中、慌てて言い募る。
しかしこれがいけなかった。
「余計なお世話だ、無駄口を聞くなッ!」
彼が持っていたクリアファイルで思い切り頭を引っぱたかれ、冗談抜きに涙が出た。
そして恐らく、これが私の何かを切れさせた。
「痛ってーじゃないのよこの恩知らず!」
怒った。もう怒った。
大体、悪いのはそっちじゃない。私は何もしてないのに無視して怒鳴って。
「こっちが下手に出りゃいい気になって……あんたみたいなやつ、こっちから願い下げだわ!」
相手の眼前に指を差し、感情のまま吐き捨てる。
荒ぶる呼吸と心拍数を落ち着けるために、脳に意識を向けたのがいけない。
数秒経てば分かる事だった。自分がどれだけ浅はかだったか。
「君たち? これ、遊びじゃないからね?」
前方を歩いていた先輩が振り返る。
笑顔と言われる部類に入る表情をしているが、私には分かった。
これ、めっちゃキレてるわ。
「反省文、A4用紙何枚がいい? 俺優しいから三枚で許してあげてもいいけど」
目が。目が笑ってない。
最早こちらに選択権など存在するはずもなく、私と鹿取くんは初めて意見を合わせた。
「三枚でお願いします」