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その運命、ダウト。  作者: 月山 未来
Mission1―協力せよ
12/41

軋む

 


 車内の空気はひたすらに重く、それでも何かを口走る気には到底なれなかった。

 今の私に必要なのは頭を冷やすことであり、それに努めるべくただ流れていく景色を無感情に眺めた。


 隣で運転し続ける彼が一体今何を考えているのか、何を思っているのか。

 それを知る術はないし知る権利もない。

 顔は見ていないが何となくいつもとは雰囲気が違うような気もした。


 信号待ちで停止して、ハンドルを握る彼の指先が何度も苛立たし気に叩きつけられているのを見た瞬間、私は我慢できずに「ごめん」と零した。


 隣からの返答はない。

 怒っているだろうか、と少し弱気になった自分を誤魔化すように拳を握る。



「ごめん。軽率だった。蛇草くんまでわざわざ一緒に行くことにさせてごめん。本当に」



 言ってから物凄く後悔した。

 今の自分では、何を言っても子供じみた上っ面の弁明にしか聞こえない。


 反省はしている。後悔もしている。

 だけど、ただ誰かの帰りを待っているだけの自分はきっとあまりにも情けないと思ったから。


 蛇草くんは口を開かない。

 ああ怒らせたんだ、と俯いた時、彼がため息をついた。



「紫呉は何も分かっていない」



 それだけ言って、変わった信号にアクセルを踏む。


 続きはなかった。

 これ以上何を話しかけても泥沼化しそうだったので黙り込んでいると、彼は再び言葉を紡ぎ出す。



「バディは二人で協力して行動を共にするからバディなんだ。そうでないなら何もわざわざ他人同士が組む必要なんてない。無駄に意思疎通という手段を踏むだけだ。今の紫呉は俺にとってバディでも何でもない」



 それは初めて彼が「感情」を露わにした瞬間だった。

 声で分かる。彼は怒っていない。呆れてもいない。

 ただ、――悲しんでいる。


 何よりもその事実が痛かった。

 でもそうさせのは私だ。先に彼を切ったのは、他でもない私だ。


 そんなつもりなんてなかった。

 そんなのは犯罪を犯した罪人と同じ言い草で、私はあの時決定的に間違えたのだ。

 自分本位な行動で彼を突き放して、心のシャッターを閉めた。



「ああ、軽率だよ。そう思う。だけどこの案件に携わった紫呉が行くことは、何か情報を落とせることになる。利があるから上だって頷いたんだ。ちゃんと段階を踏めば誰も軽率だなんて言わない」



 何がバディだ。何がよろしくだ。

 一番覚悟がなくて常識もなくて甘ったれなのは私じゃないか。


 仲良くなりたいなんて言っておいて、私は誰も受けつけていなかった。

 どこかでずっと、一人の方がいいと思っていたんだ。みんなはとうに割り切っていたのに。


 一番薄情なのは自分じゃないか。



「万年青は紫呉を叱らないだろうから、俺が代わりに叱る。一人で勝手に行動するな。上への確認をすっぽかすな。一時の感情に身を任せるな。ホウレンソウは組織の基本だ」



 蛇草くんはとても優しい人だった。

 多分本当は腸が煮えくり返るほど怒っているわけじゃないし、こんな面倒なことを言わずに終わる選択肢だってあったろう。

 でも彼は言った。心配されている。それくらいは分かった。



「うん。……うん、」



 ちゃんと返事をしたかった。

 それなのに喉の奥から変な声が漏れそうで、必死に堪えた。肩が勝手にわなないて、頬を伝った水滴が手の甲に落ちる。


 彼はごめんとは言わなかった。

 ここで泣くべきじゃないのを理解していても我慢できない。それがバレたくない私の気持ちを分かってくれているようで有難かった。



「今ここにいるのが蛇草くんで良かった」



 落ち着いてからようやっとそう返す。

 見当違いかもしれない。でも本心だからどうしても伝えたくて、ありがとうでは薄っぺらい気がした。


 彼はそれには答えず、「もうすぐ着くぞ」とだけ返した。





 車を降りてから少し歩いた。

 両側に木々が生い茂る道を進むにつれて、辺りは暗くなっていく。


 日はもうだいぶ前に落ちていて、かなり危険だ。

 今のところ一本道なので迷うことはないだろうが、念のため目印になりそうなものを探しておく。



「物騒だな。罠にかかりにいっている気分だ」


「まさしくそれね……」



 蛇草くんの言葉に頷き、懐中電灯を左右に振る。

 替えの電池をちゃんと持ってきたか不安になり荷物を確認し、それを見つけて胸を撫で下ろした。



「おーい! あげは! 蛇草!」



 後方から自分たちを呼ぶ声が聞こえて、二人そろって振り返る。

 手を振りながら走ってくるひばりと、その後ろにいるのはきなこだ。なぜ、と問う前に隣の彼が口を開いた。



「俺が連絡した。来いとは言わなかったが、それはまあ無理な話だろうな」


「もうほんと、何から何まですいません……」


「万年青も紫呉とこの案件を担当していたからな。情報共有した方がいいと思っただけだ」



 それでもやはり、人数が多いに越したことはない。

 知った顔がいると安心するというものだ。


 お疲れ、と軽く労い合いながら合流し、ひばりに顔を覗き込まれる。



「な、何?」


「なんか目赤い。泣いた?」



 他の二人に聞こえないように配慮したつもりか、彼は控えめに声を出した。

 きなこには馬鹿にされそうなので確かにバレたくはないが、蛇草くんに至っては今更だ。


 急に恥ずかしくなって、ふるふると首を振った。

 やっと落ち着いたのにそんな風に気遣われると、なんだかいたたまれない。



「そっか」



 ひばりは特に言及することもなくすぐに離れた。

 それに安堵して息を吐き、みんなにならって歩き出す。


 しばらく進んだところで、急に道が開けた。

 住所的にはここら辺のはずだが、それらしい建物は見当たらない。



「こっちじゃないのか? でも他に道なんてなかったよな」



 ひばりが言いつつ周りを見渡す。

 するときなこが「あっ」と甲高い声を漏らした。



「奥になんかある! 多分あれじゃない?」



 彼女が指さした先を目で追うと、確かに木材のようなものが見える。

 近付くにつれてそれは家の様相を呈しているのが分かった。



「間違いない、あれだ。行こう!」



 ログハウスのようなものだろうか。

 走りながら上方を観察し、視線を戻した時だった。


 地面に座り込み、ぴくりとも動かない人影が見えた。

 こちらに背を向けているので顔は確認できない。



「大丈夫ですか!?」



 駆け寄って様子を窺う。

 恐らく応援要請を受けてここへ来たと思われる現場員二名。

 両者とも疲弊し切った表情に、光のない瞳を持ち合わせていた。



「怪我は? 無事ですか?」


「あ、ああ……」


「何かあったんですか?」



 私が矢継ぎ早に質問すると、彼らは揃って俯く。

 ただならぬ雰囲気に、気を引き締めた。



「もう四人も中に行ったんだ。誰も戻ってこない」


「無線は? 繋がりませんか?」


「だめだ。恐らく向こうのがイカれてる」



 まさか、山口さんたちも――

 そこまで考えて悪寒がした。その先は知りたくない。


 それは災難でしたね、と前置きしたきなこは問う。



「そのことは事務所へ報告したんですよね?」


「ああ。でも応援を寄越してくるだけで状況は変わらない。あんた達が何人目だか」



 実際に体験しなければ分からないだろう。

 当たり前だ。起こるはずのないことが今ここで起きているのだから。



「もう警察に任せた方がいいんじゃねえのか。このままじゃみんな食われちまう」


「馬鹿言え。警察がこんなの取り合うわけないだろ」



 食われちまう、という表現に場の空気が凍りつく。

 確かに、これでは人が家に吸い込まれ食べられているのと同義か。


 私は自分の装備を確認し、懐中電灯をしっかり片手に握って言った。



「私は応援要請でここに来ました。ですからここは調査する必要があります。私は行きます」


「あげは」


「勿論一人は危険なのでもう一人着いてきて欲しいです。全員が中に入るのは避けたいので」



 ひばりが途中でたしなめるように声をかけたが、私は最後まできちんと告げた。


 ここに来たからにはそのつもりだ。最初から腹なんて括っている。

 そして、もう一人で無闇に突っ込むような真似もしない。そう決めていた。



「――俺も行く。蛇草、猫八、外で待機しててくれ」



 ひばりが耐えかねたように吐き捨て、自らの懐中電灯をつけた。

 その様子に、傍観していた先輩たちが我に返ったように言い募る。



「正気か? 俺たちの話ちゃんと聞いてたろ?」


「正気ですし、本気です。俺とこっちの紫呉は以前にも似たような案件に携わったことがあります。ですから少しはお役に立てるかと」



 ひばりは恐らくもう誰が何も言っても引かない。

 彼の表情は今までに見たことがないくらい強ばっていた。


 しゃがんで靴紐を結んでいると、上から何かを被せられた。

 驚いて見上げるときなこの顔があって、彼女は私の肩にそれを羽織らせながら口を尖らせる。



「ほんと、引くほど肝据わってるわ。仕方ないから今回は万年青くん譲ってあげる」



 羽織らせてくれたのは、彼女のケープだった。

 山奥に加えて夜ということもあり、確かに少し肌寒い。



「え、これ……いいの? 外の方が絶対寒いよ」


「馬鹿ね、お守りみたいなもんよ。それに一枚多く着てた方が安全でしょ、何があるか分かんないんだから」


「きなこ……」



 彼女なりの励ましに、少しだけ気が楽になった。

 心なしか体の内側から温まるような心地がする。


 立ち上がった私に、ひばりは真っ直ぐ視線を向けた。



「あげは、いいか。絶対に俺より先に行くなよ。それと、」


「一人で勝手に動くな、でしょ。分かってるわよ」


「ならいいけど」



 肩をすくめた彼は、「俺の側から離れるなよ」とこの場面でなければ意味合いが怪しくなる言葉を言ってのけた。



「万年青、紫呉、突入します!」



 振り返って待機組に親指を立て、安心させるかのように笑ってみせる。


 扉を開けると中は真っ暗だ。

 懐中電灯を改めて握り直し、頼むから途中で切れたりしないでよ、と祈る。

 替えの電池は持ってきたが、取り替える暇が惜しい。


 ひばりが先に足を踏み入れ、私もそれに続いた。



「う、」



 思わず口元を覆った。

 中に入った途端、異臭が襲ってくる。木材の匂いも微かにしたが、それに勝る程の不快な臭い。


 何だろう。ちょっと酸っぱい気もする。

 無機物からこんな臭いはしないだろう。


 だとしたら、と思考を巡らせて血の気が引く。

 考えたくはないが、最悪の事態を想定しなければならないかもしれない。



「ん」



 ひばりが奥の扉を懐中電灯で示した。

 ここの空気を吸いたくないので、お互いなるべく言葉を交わさずコミュニケーションをとるしかない。


 あそこに行こうってことだろう。

 私は頷いて、彼の後ろをついて歩く。


 その扉の前でしばらく黙っていたが、物音は聞こえない。

 ひばりが耳を当てて頷き、ゆっくりそこを開ける。



「階段?」



 思わずそう零した私に、ひばりは視線だけで同調する。

 部屋だと思っていたが、二階へ繋がる階段が隠れていた。


 肺に入ってくる空気が酷く不快で、顔をしかめる。

 迂闊に声を出すと体内が腐ってしまうのではないか、と物騒なことが脳裏をよぎった。


 それにしても、こんな急な階段は祖母の家くらいでしか見たことがない。いや、それよりも急かもしれない。


 上の方を照らしても、光が闇に飲み込まれるだけだ。

 諦めて二人で上っていくことにした。


 一段目に足をかけた瞬間、ギ、と僅かに軋む。

 この建物自体古いのかもしれないが、先行きが不安だ。


 ひばりが二段、三段と足を進めた時、彼が足をかけていた踏面が突然崩れて割れた。



「うわっ」



 持ち前の瞬発力で床に着地した彼だが、それを見て私は首を振る。



「他のルートを探すしかない。これじゃ上れないわ」



 そこまで言ってからはたと気付く。

 もしかして私だったら行けるかしら、とそっと体重をかけるようにして足をかけてみた。


 行ける。ひばりの体重じゃ上までもつか分からないが、私だったら行ける。



「私、上れるみたい」


「おい最速で約束破ってんじゃねえぞ。一人で行くなんて許さないからな」



 ピシャリと言い放たれるが、私だってそれで折れるほど柔軟ではない。



「一人で行くなんて言ってないわよ。階段を上れるのは私だけなんだから、ひばりは他のルートから二階に上がればいいじゃない」


「薄情な……ってそういうことじゃなくて。離れて行動するのがよろしくないって言ってんだっつーの」


「じゃあチラッと覗いて戻って来る。それでいい?」



 ひばりはかなり渋ったが、「ったく意固地だな」と頭をかいて、



「ただし、俺が声をかけたらそこで戻って来い。絶対だ」


「分かったから」



 咳き込みながら返事をして、再び口を塞ぐ。

 いつもの調子で喋っていたらたまったもんじゃない。


 私は一段ずつ慎重に足をかけ、音を立てないように上っていく。

 かなり今更だが、もし誰かいた場合はこっそり観察して帰って来るのが望ましい。


 神経を足先に集中させ、息を詰めながら進んだ。


 だいぶ上っただろうか。

 振り返ってひばりの姿を確認すると、先程よりも小さく見える。


 一体どこまで行けばいいんだ、と次の段に足をかけた瞬間。

 恐らく油断した。かなり大きい音が響いて、踏面が軋んだ。


 マズい!

 一気に汗をかいて、重心を安定させるべく姿勢を落とす。

 何とか持ち堪えたようだ。



「……何だァ? 誰かいんのか?」



 安心する間もなく、今度は背筋が凍った。

 引いたはずの汗が復活する。


 誰かいる。もっと上に、誰かが。


 完全に思考も体もフリーズした。

 足裏が貼り付けられたかのように動かない。


 恐らく二階にいるのだろう。

 ぎ、ぎ、と木目を軋ませる音が断続的に耳に入ってくる。


 危険だ。間違いない。

 残った理性でそう判断し、私は階段を下りることにした。


 しかし私は多分、焦っていた。

 無遠慮に踏み出した一歩が、踏面を貫いた。



「ひっ……!」



 地に着きたいはずの足は宙を掻き、何かに捕まろうにも暗くて視界がおぼつかない。



「あげは!」



 数多の雑音の中、ひばりの声だけがやけに鮮明に聞こえた気がした。


 痛いという感覚を脳が受け止めて、顔を上げる。

 かろうじて無事だったのはひばりが庇ってくれたからだった。



「ごめ……っ、大丈夫!?」


「何とか。お前は怪我ないか?」


「うん、ありがとう……」



 しかし心配し合っている場合ではなかった。

 恐れていた事態は勿論、やって来る。



「誰だァ、俺の縄張りを荒らすやつは?」



 暗闇の向こう。私たちの存在を認識した「相手」に、最早誤魔化す手段はなかった。

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