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その運命、ダウト。  作者: 月山 未来
Mission1―協力せよ
11/41

あらぬこと

 


 どれくらい走っただろうか。

 駅の近くにこじんまりとした公園を見つけ、私はとりあえずそこに駆け込んだ。


 ベンチにかなえさんを座らせ、自販機で水を買ってから彼女に渡す。



「乱暴な真似をして申し訳ありませんでした。どうぞ」



 おずおずとペットボトルを掴み、彼女は強ばった体を少しだけ落ち着かせたようだった。

 その隣に腰掛け、私は様子を窺いながら口を開く。



「先程も言った通り、私は探偵の見習いです。永田太一さんから冨塚かなえさんと復縁をしたいという依頼を受け、あなたの行動をここ一週間、観察させて頂いていました」



 淡々と事務的にそう述べると、彼女は弾かれたように顔を上げた。

 仕方のないことだ。誰だって勝手に監視されていたと知れば不愉快になる。


 しかしこちらも依頼人の要望は聞かなければならないし、そこに関して謝る義理はない。



「復縁?」



 彼女の声色からは、理解出来ない、といったニュアンスがしっかりと読み取れた。



「はい。永田さんはあなたと交際関係にあったと思い込んでいたようですね。そして何かをきっかけに破局に至ったと」


「そんな、」


「あなたのお話を聞かせてもらって私にも分かりました。これは永田さんの一方的な思い込みです。あの様子だと恐らくあなたの後をつけていたんでしょう」



 でなければあの場所に居合わせることなど有り得ない。

 そしてこれは憶測だが、彼は日常的にストーカー行為を行っている可能性が高い。


 勘違いや思い込みの範囲でおさまっているのがまだ救いか。

 妄想や虚言癖の辺りまでいくと、恐らく自分たちの手には負えなかっただろう。



「私が、いけなかったんだわ」



 唐突にそう呟いた彼女に、私は眉をひそめる。



「私が彼の気持ちにちゃんと気が付いて、もっと早く向き合っていればこんなことには……」


「かなえさん」



 精神がやられている。

 ストーカー被害や痴漢行為にあった女性は、自分のせいだと自らを責め立てることも少なくないという。



「同情してはいけません。あなたは被害者です。あなたが望めば法に訴えることもできるんですよ」


「でも彼は私を好いてくれていたのに」


「失礼ですが、あれは好意ではありません! 自己本位で身勝手な押し付けです! もっともらしい理由をつけて卑劣な行為に至った男を許してはいけませんよ!」



 ここで女性が弱っては共倒れだ。

 彼女には自身の自由と正当性を訴える権利がある。


 私が語気を荒らげて諭すと、かなえさんは俯いた。

 きっと優しい人なのだろう。同情心が強くて、お人好しで。


 このまま二人を引き離すこともできるが、それは双方にとってわだかまりを残してしまうのかもしれない。



「あなたが望むのならば、永田さんとお話する機会を設けます。ですが絶対に情けをかけてはいけません。彼に好意がないのなら、思わせぶりな態度をとってはいけません」



 そこまで付け足すと、彼女はゆっくり私の顔に視線を向ける。

 言わずもがなか。彼女は話す気だ。


 軽く息を吐いて蛇草くんに連絡をとろうとした時、ちょうど無線機から彼の声が流れてきた。



「紫呉、聞こえるか。今どこにいる」


「駅のそばの公園にいるわ」


「依頼人は彼女と話がしたいと言っている。先程よりだいぶ落ち着いているからもう暴れることはないが、話せるまで動かないの一点張りだ」


「分かった。彼女も話したいって言ってる」


「了解した。そっちに向かう」



 それから程なくして二人がやってきた。

 永田さんの顔は憔悴しきっていて、彼の中でも何かと戦ったのだろうと思われる。


 少なくとも手はあげなさそうだと判断し、私はそっとかなえさんの隣を立った。



「永田くん……」


「かなえ――いや、冨塚さん……だよな」



 自嘲気味にそうこぼした彼は、それきり黙り込んでしまった。

 脳内で必死に言葉を探しているに違いない。



「私、結婚するの」



 先陣を切ったのはかなえさんだった。

 彼女の声は少し震えていて、だがその場にいる全員に聞こえるには十分だった。



「彼ね、とてもいい人よ。優しくておおらかで」


「そうか……」


「でも私、毎日永田くんの言葉に救われてたの」



 意外な告白に、永田さんは勿論、私も思わず彼女を見つめる。



「私は生まれてからずっと、レールの上を歩く人生だったから。自由に世界を見つめられるあなたが、少し羨ましかった」


「……そんなことは、」


「毎日素敵な詩をありがとう。メール、一通も消してない。今でもたまに読み返すの」



 うわあああ、と永田さんが膝から崩れ落ちて泣き叫んだ。



「すまない――すまない、すまない! 俺はもっと、君に伝えなきゃいけなかったんだ……!」



 夕陽が彼の背中を照らす。

 かなえさんはその様子をしばらく呆然と眺め、それから少し儚い笑顔で言った。



「さようなら」



 深く頭を下げ、そのまま私の方へ歩み寄る。

 終わったんだ。これで全て。


 私は静かに頷いて、彼女を駅まで送った。

 あの時カフェで交わした親しげな会話はもうそこにはなかった。



「あの」



 別れ際、かなえさんは私を呼び止めて問う。



「私とのお話は、退屈だったでしょうか」



 目的は不純だった。

 本当は読書はそこまで好きじゃない。まともに恋愛なんてしたことない。

 嘘で固められた「一人のお客」、そのはずだった。


 でも彼女と交わした言葉は、時間は、きっと嘘なんかじゃなかった。

 あの時確かに私は気持ちが弾んだり、楽しかったり、そんな心地がしたのだから。



「いいえ。とても有意義でした」



 そう微笑み返すと、彼女はどこか満足したように「そうですか」と頬を緩め、ホームの階段を降りていった。





 ようやっと蛇草くんと合流した頃には、すっかり日が暮れていた。

 お互い労い合い、その足で事務所へ向かう。



「蛇草くんが止めに入ってくれて良かった。私じゃ抑えられなかったもの」


「あの男、紫呉が店に入る前から俺たちの付近にいて様子を窺っていた。今までも何となく視線は感じていたんだが、奴だったようだな」



 彼はやはり気付いていたらしい。

 今回は蛇草くんがいたから良かったが、自分一人だったらと思うとぞっとする。

 もう少し気配に聡くならなくては。



「気付いてたなら言ってくれても良かったのに」


「紫呉の懸念を増やすことはできない。それにもうあれは手遅れだ。こうなるのがオチだった」


「全部計算通りってわけか、やられた」



 何だか彼の掌で転がされていたような気になり、思わず口を尖らせた。



「いや……そんな大層なものじゃない。どうすれば紫呉が動きやすいか、それを考えるので正直精一杯だった」



 それすらも謙遜に聞こえてしまい、さすがにひねくれてるなと自己嫌悪に陥る。

 蛇草くんは淡々と話し続けた。



「まあ、これで万事解決、豚のケツだな」


「豚のケツ……?」



 思わず復唱してしまうほどには驚いた。

 私の視線を厭わずに平然といつも通り歩く彼に、何だかこっちが拍子抜けしてしまう。


 少し前にも思ったが、彼はどこか抜けているというか、いや天然なのだろうか?

 とにかく物凄く真面目で頭が切れるかと思えば、急にワードセンスがお茶目になったり、やはり掴みどころがない。


 そんなことを考えながら黙ってしばらく足を動かしていると、蛇草くんが唐突に言った。



「万年青の言っていた通りだな」


「え?」


「あげはは真っ直ぐで勇気があってとても強い。だけどたまに自分のことはどうでも良くなるから、見ていてハラハラする、と」



 だが見ていないとそれはそれで不安だ、となんてことないように付け足し、彼は口を閉じる。


 ひばりがそんなことを言っていたなんて。

 たった一回きりの任務で何様よ。そう言ってやりたい気持ちもあるが、そこまで真剣に見ていてくれたのかと思うと照れくさい。


 いや、そんなことよりも。



「いま蛇草くん、私のことあげはって言った!」


「それは万年青の言葉を借りただけだ」


「へへ〜〜照れなくたっていいのよ、ろくやく〜ん」



 脇腹をつつくと、片手で払われた。

 なーんだつまんないの。まだまだ冗談は通じないらしい。


 だいぶ彼との会話のペースを掴み、それなりに言葉を交わしたところで事務所に着いた。

 外はすっかり暗い。



「紫呉と蛇草、只今任務完了して戻りました!」



 ドアを開けて元気よく報告すると、「ああ、お疲れ」と労われる。

 部屋の中を見回すが、事務所長以外には誰もいない。



「先輩方はまだ戻ってないんですか?」



 二人と別れたのはちょうど昼時だ。

 せめて挨拶くらいはと思ったが、いつ戻るか分からないのなら待っていても仕方ない。



「戻ってないな。現場員から二人が到着したっていう連絡も受けていないんだよ。今ちょうど色々調べていたんだ」



 彼は眉尻を下げて肩をすくめる。

 それを聞いて、自分の中で急速に熱が奪われていくのが分かった。


 何かまた、あらぬことが起きている。



「こちらからの無線に返事はあったんですか?」


「いや、ない。無線機の調子が悪いのかと最初は思ったんだが」



 だめだ。落ち着け。冷静に考えろ。

 また突っ走ってどうする。何かいい案はないか。


 しかし考えども考えども、いい答えは浮かばなかった。



「二人は勿論ですが、現場員にも何かあったとしか思えません。現場はどこなんですか?」



 重ねた問いに、彼は山奥の住所を口にする。

 刹那、私はドアを開けてその場から飛び出した。



「紫呉!!」



 蛇草くんが私の名を呼んだ。

 しかし構っている余裕はない。頭に血が上り、息が荒くなった。



「紫呉、待て! 紫呉!」



 事務所を出てからもしばらく後ろから追いかけてくる声に、一度も振り向かず走った。



「頼むから、待ってくれ!」



 勢いよく肩を掴まれ、後ろに引っ張られる。

 物理的に足を止められて、振り返りざまに私は叫んだ。



「分かってるわよ自分でもめちゃくちゃだって! でも行かなきゃいけないの! また誰かが、みんながいなくなるんだよ!」


「分かったから、一回落ち着け!」


「落ち着けないわよこんなの!」


「俺も行くから!」



 噛み付くように言って肩を揺さぶられる。

 それに少しだけ冷静さを取り戻し、沈黙が落ちた。


 蛇草くんは私の腕を取ると、事務所の方に向かって歩き出す。



「嘘つき! やっぱり連れ戻すんでしょ!」


「だから俺も行くって言ってるだろう!」



 言い返そうとした時、彼は事務所の前に停めてある車を一瞥し、



「乗れ」



 端的にそう述べた。



「乗れって言ったって……」


「いいから早く」



 急かされて渋々助手席に乗り込むと、彼は反対側に回って運転席に身を預けた。

 全く状況理解の追いつかない私に、「シートベルト忘れるなよ」と蛇草くんがエンジンをかける。


 その瞬間、脳が正常に働き出した。



「まさか蛇草くんが運転するの!?」


「他に誰がいる」


「いや流石に無茶よ着く前に死ぬって!」



 シンプルに身の安全を訴えると、彼は気分を害したのか息を吐いた。



「心配しなくても、無免許運転なんてしない。出すぞ」



 隣でハンドルを握る様子からするに、確かに無免許には見えない。

 ということは高校卒業前から準備をして免許を取ったのだろうか。優秀な彼なら十分有り得る。


 現場は確かに交通の便が悪く、自動車で向かうのが一番早いだろう。

 彼の判断は正確で冷静だ。



「紫呉、蛇草、二名。緊急応援要請により現場に向かいます」



 蛇草くんが無線機に向かって声を入れる。

 そんなこと勝手に言って大丈夫だろうか、と今更ながらに弱気になっていると、



「事務所長に許可も取った。心配ない」



 私の顔に一瞬視線を寄越して彼が言う。


 そうだ、まともに走って私が彼に適うわけないのだ。

 蛇草くんはあの短い時間で事務所長に頭を下げてくれたに違いない。



「……うん。ありがとう」



 声が力んだのは、自分の不甲斐なさに呆れたからだ。

 フロントガラスを睨みつける。そうでもしないと、情けなくて泣いてしまいそうだった。

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