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第八話「入学式の朝1」

「好きにしろ、ただ鶯谷家の恥なる様な振る舞いはするな」


家を出た時…父言われた言葉だ。


あの時、辰馬には、アイツに挨拶なんて不用、と言ったが、実はあの日、こっそり父と電話をしたのだ。


「…御父様?」


「お前か、珍しい」

父は蝶華の事を名前で呼ばない。

人前でも、二人の時も。


「はい、言われた通り、これからマンションKAWARINOに移ります」


「ん、そうか、で?」


「…で、とは?」


「用はそれだけか?」


「いえ、それと…挨拶をと…」


「せんでいい、用がそれだけなら切るぞ」


「あ、あともう1つ……辰馬を連れていきますよ?…」


「好きにしろ、ただ鶯谷家の恥になる様な振る舞いはするな」

ここで電話が切れた。

電波切れかと思う程、突然に切れた。

本当に父娘か、と思う位、味気無い会話だった。


結局、挨拶は出来ぬままだ。

ーーーーー


日は変わり、卯月の朝。

「…むにゃ」

蝶華は目を覚ます。


時計の針は6時を指す、まだまだ遅刻では無い、念のために電波時計も確認するも、此方も同じく6時を示している。


今日から、蝶華は高校生となる。

だが蝶華は、内心穏やかでは無い。


「お嬢様!」

何時もなら、布団から身体を起こすとすぐに飛んでくる(そして蝶華に殴られる)のだが、今日珍しく数分遅れた。


「申し訳ありません、お嬢様…」


「いいわよ、どうせ何時ものアレでしょ?」

「はい…」

『何時ものアレ』とは、この時季になると来るプレゼント…というより貢ぎ物だ。

決して頼んでいる訳では無い、今日みたいに蝶華が進学したり、誕生日の日にとかに、必ずと言っていい程の頻度で来るのだ。


添えて有る手紙には、「高校入学、おめでとうございます」「進学おめでとうございます」「おめでとうございます」「おめでとうございます」…


聞こえのいい、蝶華の進学を祝う言葉が沢山添えられているが、蝶華には分かる。


全て上部だけだ。


此の沢山の紙切れの中に、一枚たりとも『善意』なんて物も、『祝う』気持ちも、何一つ無い。


全て、ただの媚売りだ。


大財閥の一人娘で有る蝶華の御機嫌を取れば、自分の会社の株も上がる…

とにかく、どいつもこいつも、長いものに巻かれたいのだ。


この紙切れからは、そんな汚ならしい『欲』しか見えて来ない。


…そんな物、蝶華は全く欲しい何て思わない。

毎年毎回、来る度に送り返してる。

しかし、それでもしつこく、毎年毎回送り付けられる。まるで呪いだ。

最近、蝶華そう思う様になってしまった。


辰馬はその処理に追われたのだ。

玄関前に届けられ、山の様に積み上げられる貢ぎ物を、鸚鵡返しの如く、送り返す作業に。


「申し訳有りません…」

再度謝罪の言葉を述べる辰馬。


「だからいいわよ、それより何時ものアレ、やってくれない? 」


「かしこまりました、お嬢様」

深々と頭を下げる。


何時ものアレ、とは、蝶華の髪を櫛で梳く、解かす事である。

これは蝶華が、鶯谷家本家に居た頃から、毎朝辰馬にやって貰っていた事だ。


「では失礼します」

辰馬が合図の言葉を掛けると。


「ええ、やってちょうだい」

と、鏡の前に有る椅子にふんぞりかえる蝶華は答えた。


スッ、と、辰馬は蝶華の美しい黒髪を、優しく、丁寧に櫛で解かす。


「んっ……」

蝶華は大きな瞳を閉じ、気持ち良さそうに表情を和らげる。

普段のツンとしている蝶華からは、あまり考えられ無い顔だ。蝶華はコレが好きなので有る。


しかし、一応、蝶華の面子の為にも反論を入れておくが、辰馬に気を許している訳では無い(他の人間よりかは許している所が有るが)


目を閉じている所為で、自分がこんな無防備な顔を晒している事に気付いていないだけで有る。


「お嬢様、痛くは有りませんか?」

髪を梳く手を止める事無く、辰馬は蝶華に訊ねる。


「んん…無いわぁ…」

この語尾…どうやら御満悦の様で。


辰馬は口には出さなかったが、心の中でそう感じた。


「でわ、お痒い所は有りませんか?」

続けて辰馬が訊く。


「大丈夫…よぉ……ちょっとくすぐったいけど…いいわぁ…っ」

相当気に入っている様だ。


ドドドド…、不意に何か物音が、蝶華の耳に聞こえてきた。

心無しか、ジョジョに音が近づいてくる。


バンッ!蝶華の部屋の扉が勢い良く開く。


「ちょっと!何かきゃワいー女の子の喘ぎ声が聞こえたわよっ!?聞き捨てならないわね、何が有ったのよっ?」

そう言って飛んで来たのは蒼伊だった。

顔を真っ赤にし、少しばかり鼻血も出ている。ハァハァと息が荒いのは、走ってきた所為では無い気がする。


「な、何よ行きなり!?」

当然、蝶華驚く。

逆に辰馬は無表情…いや、正確には目は少し変わっていた。

若干目を細め、蒼伊に恨み骨髄といった視線を浴びせる。

折角のお楽しみにの時間を邪魔されたのだ。辰馬からすれば、当然の反応だろう。


無論、蒼伊はそれには気付いだが、さらりと無視する。

それどころでは無いのだ。


「蝶華ちゃん!大丈夫?司之宮に何かヤな事されたの!?…」

鼻にティッシュを突っ込みながら、蒼伊は叫ぶ。


「…いちいち卑猥な表現ね」

まったくだ。


「そー言わないでよー蝶華ちゃん」

猫撫で声で蝶華に弁解する蒼伊。


誰がどう見ても、わざとらしい甘えた声と仕草だが、蝶華には(わざととも思わず)可愛らしく見えた様で。


「むぅ…」

と、何も言い返せ無くなってしまった。

蝶華は、可愛い物に弱いのだ。


「で、実際ナニやってたのよ?変態執事」

いつの間にか、名前では無く妙な渾名を付けられてしまった辰馬。


「はい、お嬢様のお(ぐし)を解いておりました」

辰馬は気にも止めず、何時も通りの笑顔で答えた。


「あらいいわねー、私にもヤらしてよ」

と蒼伊。


「……」

もういちいちツッコミを入れるのは馬鹿なのだと、蝶華は悟った。


「お嬢様?」

どうします?と言った表情で、辰馬が訊ねる。


「…いいわよ」

内心、本心では無かったが、イヤだと言って引き下がる相手でも無いだろう。


「どうぞ」

辰馬が蒼伊に梳を渡す。


「ありがと、さぁて蝶華ちゃんっ!」

待ってましたと言わんばかりの反応だ。

ぺろり、と舌を出し、両手をワキワキと動かす、獲物を狙う獣の様…と言うか変態の身構えだ。


「う…うん?」

蝶華それに気圧されてか、少し縮こまってしまった。まるで蛇に睨まれた蛙だ。

殺気とは言わないが、有る意味狂気じみた気配が、蒼伊から漂うのだから無理も無い。


「ま・ず・わ!手梳からやりましょうかね〜司之宮に大分解いてもらったらしいけど…とりあえず♪」

楽しそうだ。


「じゃ、ヤるわよ〜」

蒼伊は、蝶華の髪に、優しく指を入れる。

すー、すー、と丁寧に梳く。


「んっ…」

辰馬程では無いとはいえ、なかなか上手い。悔しいが、気持ち良いものだ。


「ハァハァ…蝶華ちゃんの髪、やっぱりいい匂いする…えへへ…」

前言撤回、蒼伊の小声が聞こえた瞬間、蝶華は心の中で思った。


ーーーーー

「はぁ…」

と、溜息をする蝶華。

朝からあんな事されれば無理も無いか。

今蝶華が居るのはラウンジ。朝食を取る為で有る。

既にパジャマからは着替えており、制服姿だ。


「おーうどうした?蝶華」

不意に後ろから男の声が。


「秋村…」

夜良秋村、蝶華の幼馴染み(秋村がそう言っているだけだが)である。

何時も通りのだらしない上下ジャージにサンダル、頭はボサボサと言った、およそこのマンションに住む者としては、あまり似合わないと言うか、相応しくないと言った格好だ。

「何か元気ねーな、何か有ったんか?」

頭をポリポリと掻きながら、気怠そうに訊ねる秋村。


人に質問する態度じゃ無い。


そう喉まで出掛かったが、敢えて言わないことにした。昔からの事だ。

「まぁ、俺の態度がワリー事は分かってるよ」


「ぶっ?!」

蝶華は驚いて吹き出しそうになった。


(な、何で分かるのよ?心が読めるのか!?)と心の中で蝶華は考える。


「ん?あ、いやまぁ…読める訳じゃねーけど」

と秋村。


「っ〜〜〜!…」

顔を真っ赤にし、身体をプルプルと振動させて、蝶華は机に突っ伏して悶えた。


完全に読まれている…


「…じゃあ何で分かるの?」

机に顔を伏せたまま、蝶華は秋村に問い掛けた。


「いや、何でって…口で言ってんじゃ無いの?」

と秋村。


「……」

蝶華は顔を上げられずにいた。

前にも何度か辰馬との会話で、「私の心が読めるのか?」と思う時が結構有った、辰馬に指摘される事もしばしば、自分でもうっかり出てしまった、と気付く事もたまに有った。

それでも…自覚が無かった。


心の声が全部口から出ていた事に!


そして今自覚した。


「お嬢様、今日の朝食はいかがなさいます−−」

そんな会話をしていると、辰馬が戻っていた。蝶華に向けて掛けられた言葉が、途中で途切れた。

机に顔を伏せ、項垂れている蝶華を見て、辰馬は顔を真っ青にして、絶叫した。


「お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

普段の落ち着きの有る辰馬からは想像出来ない取り乱し方だ。

大声で蝶華の元へ駆け寄り、蝶華の身体を起こす。


「お嬢様!?どうされたんですか!?お嬢様ぁぁぁぁ!」

周章狼狽、まさにこの言葉に相応しい慌てっぷりだ。

だが心配は要らない、ただの過保護だ。


「おいおい、えーと…司之宮さんだっけ?そんな慌てなくても…」

辰馬の言動に、秋村も驚きを隠せず、一先ず落ち着かせようとする。


「貴方ですか?…」

と辰馬。


「は?」

訳の分からない問い掛けに、疑問の声を上げる秋村。


「貴方が…お嬢様に、何かしたのですか?」その声はもう取り乱してはいなかった、しかし代わりに、若干の怒りを含んでいた。

眼孔も鋭くなり、完全に秋村を睨み付けていた。

本気で怒っている。

何時ものふざけた、変態の雰囲気は一切無かった。


「…いや、別に何もしてないけど」

普通の人間なら気圧される様な気だが、秋村は全く動じない。

度胸が有ると言うか、肝が座っていると言うか。


「……」

「……」

お互いが睨み合う様な状態が、暫く続いた。 が、それもすぐに終わった。


「うう…たつまぁ……グズッ」

蝶華のすすり泣き声が聞こえたからだ。


「お嬢様!大丈夫ですか?何処か痛いのですか?…」

先程と同じ様に、取り乱し始めた辰馬。


「ヒック…別にそんなんじゃないわよ…ただ…ただ…」


「ただ?」

蝶華の言葉に取り合う辰馬。


「ぐずっ…全部…出てたのね」


「は?」

先程の、秋村と同じ様な反応をした辰馬。


「…私の心の声、全部漏れていたのね…」


「え?…はぁ…」

分からない、まだ蝶華の言っている意味が、泣いている理由が、辰馬には分からない。


「今まで全部周りの人達に丸聞こえだったなんて…恥ずかしいわよぉ〜!!」

うわぁーん。

と、大声で泣いてしまう蝶華。


「……」

辰馬はこの時、何も言わなかったが何となく、蝶華の泣いている理由が、分かった気がした。

辰馬は秋村の方へと振り向くと、頭を下げた、自分の勘違いと気付いた様だ。


秋村も内心、安心した。





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