落日 2話
「ほんとうに……あなたはかわいい。大好きですよ、ガルバ」
と、御身様がおっしゃったのは何時だったか。
「うっとうしいからまとわりつかないでください。あなたなんか嫌いです」
と、御身様がおっしゃったのは何時であったか……
「あなただけですよ、誠実に私に接してくれるのは……あなたが共に生きていてくれてるから私は光の道を歩めるのです」
「あなたはすぐに嘘をつく。それが私の為の嘘であっても……不快なのです。子供扱いするのはやめてください。私と共に生きたいのなら、ありのままの真実を私に見せてください」
* * * * * *
マンガラ叔父御が捕縛された。
叔父や従兄弟等も数多く縄についた。
ラジャラ王朝への謀反嫌疑ではない。
貨幣偽造疑惑だ。オレの親族全てが偽貨幣に関わったと疑われている。
何故そんなことになったのか、さっぱりわからない。そんなチャチな犯罪、叔父御達がするはずない。
オレの忍術の師であった従兄弟も引っ立てられていった。彼の持ち物は全て押収され、同じ屋敷にいたオレの部屋は隅々まで暴かれた。針の一本も見逃さぬほど完璧に。
マンガラ叔父御も従兄弟も御身様の護衛であった者らも、皆、屋敷から連れて行かれた。
残った忍者はオレだけだ。
御身様の『影』となった時、いざという時の為にマンガラ叔父御より託されたものがあった。
だが、それは、今はこの世のどこにも存在していない。
オレの頭の中には、封印された記憶がある。御身様が受け継ぐべき莫大な富が眠る地の地図、宝物庫への百にも渡るさまざまな罠の解除法、鍵の製造法。その全てをオレは知っている。
知っているのだが、呪で記憶を封じられている為、今は思い出せない。
その記憶を解く方法は、マンガラ叔父御と御身様とお母上様だけがご存じだ。どなたかから解呪いただくか、オレが十五となった日に、その記憶は甦る事となっている。
「古代王朝の莫大な遺産が欲しいのでしょう」
茶を口にしながら、御身様がおっしゃる。
「不正な手段で得た富として押収するか、偽貨幣同様に偽の黄金宝石として扱いラジャラ王朝の宝物庫にでもしまっておくつもりなのでしょう」
「なんでそんな……」
「ラジャラ王朝は私という存在が目障りなのです。国を動かせるほどの莫大な財産を持つ、王位継承権のある神童……そんな者がいては国はやすまりません。私が成人する前に、私を殺すか無力化したいのですよ。今までも、父上の官位を奪ったり、難癖つけて両親の財を没収したりえげつないことをしてきましたからね」
身内のおもだった男達が捕まったというのに、オレは今日も今日とて御身様と同じテーブルにつき茶の相伴に預かっていた。
この度の捕縛劇で、オレはほぼ捨て置かれている。
十にもならぬ子供ということも、むろんあるが。
オレは『忍者』として見られていないのだ。
『影』となった日から、オレは一日の大半を忍術修行に費やし、毎日二時間だけ御身様の『影』として働くことになったのだが……
まったく『影』らしいことはしてきていない。御身様のご希望で、同じテーブルについて同じものをいただくか、演劇・音楽・絵画の鑑賞におつきあいするだけ……
御身様曰く『主人の好みを把握させる為の学習』だそうだ。オレは、目にしたことすらない高級料理や外国料理や珍味とされる変わった食べ物を食べ、一流の芸術というものに触れた。
はたから見れば、オレは忍ではなく、おいしいものを食べさせてもらい、芸術を鑑賞させてもらっている、御身様お気に入りの『話し相手』だ。だから、国に拘束されずにすんでいるわけだが……
オレはオレ用に用意された西国風の焼き菓子を口に運んだ。
不安でたまらなくって、モノの味がよくわからない。頭から切り離し、舌だけは何とか働かせたかったが無駄だった。口の中でとろけてゆく、口どけの良さぐらいしかわからない。
「叔父御達はどうなってしまうのでしょうか?」
「拷問死か獄死でしょう。少なくとも、マンガラは生きては戻れぬでしょうね」
「え……?」
「ラジャラ王朝の真の狙いは、私の力を削ぐ事です。何としても、マンガラから古代王朝のお宝の在り処を白状させようとしているでしょう」
「叔父御は拷問になど屈しません。魔法や自白剤への対抗策も完璧でしょう。御身様の財産を、決して他の者に渡しはしませんよ」
「ええ、だから『生きては戻れない』のですよ、彼は」
御身様が深いため息をつかれる。
「それに……逮捕者の中で遺産の在り処を知っているのは、マンガラだけです。他の者は白状したくても出来ないというのに。……このままでは逮捕者は全員……」
御身様がまっすぐにオレを見つめる。せつなそうなお顔だ。
「あなた、前に言いましたよね? 自分の望みは私の願いを叶える事だって」
「はい、そうです」
「あなたの記憶の封印を解いてもいいですか?」
「はい、御身様のお望みとあらば」
「あなたが古代王朝の遺産の在り処を思い出してくれれば……マンガラ達を救えるでしょう」
救う?
「ラジャラ王朝に遺産の譲渡を約束し、彼等の助命を乞います」
何を……
おっしゃっておられるのだろう御身様は?
オレは首を傾げた。
「叔父御達の助命嘆願など必要ありません」
御身様が顔をしかめられる。
「御身様の財を守って死ぬのです。皆、喜んで死ぬでしょう」
「無駄死にです」
御身様が吐き捨てるようにおっしゃる。
「私には古代王朝を復古する意志はないんです。過去の遺産もいりません。私が何の価値も見出していないものの為にマンガラ達を犠牲にしたくはありません」
なるほどと、オレは頷いた。
「わかりました。御身様がご必要とされぬのでしたら、財はそのまま次代様にお渡しします」
「ガルバ……」
「御身様でなくとも良いのです。この地の王となる御意志をお持ちの方が現われた時に、我等がお預かりしてきた財をお渡しできれば」
「なぜ……わかってくれないのですか」
御身様が悲しそうにオレを見つめる。
お美しい顔が曇るのは、オレもつらい。
けれども、御身様のお望みがオレには理解できない。
なぜ叔父御達の為に、何百年もオレ達一族が守り続けてきた財を捨てようとなさるのだろう?
忍など、主人を庇って死ぬ為にいるのに。
「……私に彼等を見殺しにしろと?」
「捕まったのは叔父御達の責です。御身様が気に病まれる理由がわかりません」
「……あなたの記憶をむりやり甦らせることもできるのですよ」
きつい眼差しで、御身様がオレを睨む。
「子供のあなたは魔法に対抗する術を知らないでしょ? 口を閉ざしても、無駄です。魔法にはあなたの頭の中をあらいざらい暴く方法もあるのですよ。あなたの心など私が本気になれば」
「ならば、死にます」
御身様が大きく目を見開いて、オレを見つめる。
「大丈夫です、御身様。叔父御に抜かりはないでしょう。オレが死した場合、別の方法で財宝の隠し場所を知らせる術も用意してあるはずです。御身様が必要とされる時があれば、必ずお手元に」
「自害など許しません!」
御身様が両手でテーブルを叩いて立ち上がられる。
驚いた。
御身様が声を荒げるなんて……初めてではないか……?
「ガルバ、あなたは私の影です! 私にとって大切なただ一人の……。あなたの死など私は望んでいない! 自ら命を絶つなど絶対に許しません!」
「わかりました、お言葉通りにいたします」
オレはテーブルを離れ、床に平伏した。その方が良いと思ったからだ。
「オレの存在が御身様のご負担とならぬ限り、決して自ら命を絶たぬと約束いたします」
「それはつまり……自分が私の負担となっていると判断したら、自害するということですね」
「はい。主人の為に働けぬ忍など忍ではありません。御身様の重荷となるぐらいならば死にます」
オレが床に頭をつけている間、御身様は無言でたたずんでおられた。視線を感じたから、ずっとオレを見ておられたのではないかと思う。
かなりな時が流れてから御身様は静かにおっしゃった。
「……父上と母上のお顔を見て来ます。あなたは、今日はもう下がってください」
ご両親とよく話し合われた上で御身様は……
その日のうちにラジャラ王朝国王宛に父上の名で手紙を送られた。
妻一族の忍者の助命を願い、第一子がインディラ教への入信を望んでいるという手紙だ……。
御身様はご出家の意志をお伝えになったのだ。
* * * * * *
御身様は、聡明なだけではなくたいそうおやさしい御子だった。
暗殺者に狙われ、飲食すらままならぬ日々。お二人用に届く食事には、必ずといっていいほど毒が混入されていた。
しかし、代わりとなる飲食物を持ち込もうにも王宮付き忍者どもが、出入の度にサティー様付き忍者の身体検査をしおる。飲食物の持ち込みは一切認めぬ姿勢だ。
忍者丸などの非常食を体内に隠し持ち、鳥寄せで呼び寄せた鳥を狩り、庭園の植物を集め、後宮より水や食料を盗み……
それでも足りず、忍の技で表面だけは清めた不浄なものを差し出したのだが……
お二人のご健康を保つにはほど遠い量のものしかお運びできなかった。
であるのに、御身様は泣き言を一切おっしゃらなかった。常に渇き飢えておられたであろうに……。わしに必ずねぎらいの言葉をかけてくださり、わしの用意したものは何であれ口に運んでくださった。
ご立派じゃ。
そればかりか、サティー様がお心弱くなられた時に『悪い事ばかりではありません。母上とたくさんお話ができ、母上と同じ寝台で休めるのです。母上と同じ時を共に過ごせて僕は幸せです』などとお慰めになった事もあって……。あの時は、ほんに目頭が熱くなった。
このようなお優しい御子様が、何故きらびやかな後宮で痩せ衰えゆかねばならぬのだ……
体をぬぐう水すらなく、皮膚病を患い続けねばならぬのだ……
第二夫人を、その一族を、彼等におもねる全ての愚昧なる輩を、サティー様を顧みぬ国王を、わしは憎んだ。
お二人が弱りゆく姿をただ見ているだけなど耐えられぬ……。
お二人を後宮から連れ出したい。
さらってでも、ここではない何処かへお連れしたかった。
しかし、わしやわしの配下の忍だけでは無理じゃ。王宮づき忍者や精鋭の兵士達、その全てを敵に回してはお二人を護り通せぬ。一か八かの賭けで、お二人を危険に晒すわけにはいかぬ。
それに逃げて……その後どうする?
国王の許可なく後宮を離れれば……謀反の意志ありと、逆賊として追われかねない。
王宮を離れるには正当な理由をもって、正式な手続きを踏む必要があるのだ。
何度となく、サティー様は国王陛下に手紙を送られている。病気療養を理由に保養地に下がりたい、御身様をインディラ寺院で学問修行をさせたい等々……母子で後宮より離れるご許可をいただこうとしておられた。しかし、その手紙は侍従長ら第二夫人の手のものによって握りつぶされ、国王のもとへは届いていない。
恥を忍び外部にも助けを求めてもいる。ウッダルプル寺院副僧正のジャガナート様はわしに配下の忍を貸してくださり、国王にサティー様の現状を知らせようとしてくださっている。だが、王宮ばかりか寺院からも妨害を受けておるようで、国王との会見はおろか手紙すら届かぬようじゃ。ウッダルプル寺院の現僧正は第二夫人の身内。ジャガナート様は目の上のコブが邪魔で動けぬ、まずはそちらを潰すとおっしゃっていたが……
勇者ランツ様と大魔術師カルヴェル様にも助けを求めた。
かつてランツ様は、大魔王討伐の旅の折、インディラ王宮で大暴れをした。
事の発端は、ランツ様が国王(御身様には祖父にあたる先代国王)とまともに口もきこうとしなかったこと。それを不敬と咎め『勇者にあるまじきふるまい』と騒ぎ立てた輩を、ランツ様は『勇者の剣』を振るって黙らせたのだ。あの時はランツ様が(壁をぶちぬき柱を斬り天井に大穴をあけと)王宮を破壊するそばからカルヴェル様が修復魔法をかけられた。人死にこそでなかったものの貴族や軍人に多数の怪我人が出たゆえ、あのお二人の評判はインディラ王宮では芳しくないが……
破天荒なお二人ならば、この深刻な状況も打ち破ってくださるかもしれぬ。そう願い、エウロペのお二人には何度となく手紙を送った。ひとづてに差出人の名前を変えて出してもらったこともあった。だが、わしの手紙がお二人のもとへ届いているかは定かではなかった。王宮付き忍者も第二夫人一族の配下の者どもも、わしの手紙は何としても潰そうとやっきになっておるし……
魔術師協会に頼もうにも、カルヴェル様が協会に属していない為、伝言は断られた。
「ランツ様はなぜおじい様と話さなかったのだ?」
お母上様と共に床についておられる御身様が、わしに問われる。
「おじい様が失礼なことをおっしゃって、ランツ様を怒らせてしまったのか?」
薄いカーテン越しに、寝台の上に座る御身様のお姿が見える。娯楽に乏しい生活の中で御身様はよくわしの話をねだった。勇者一行がどのような冒険をし、どのように厳しい状況を切り抜け生き抜いたのかに興味津々だった。
「いいえ。先代国王は礼儀正しく勇者をお迎えになっていました。しかし、ランツ様は共感能力者でございましたゆえ」
「うむ。前に聞いた。他人の心がわかる方なのであったな」
「はい。ランツ様は初対面でその方のひとなりが、ほぼおわかりになります。相手が表面上は礼儀正しくしていても、内で何を考えているかランツ様は感じ取ってしまうのです。不快、悪意、敵意、蔑視、残忍さ、小心な性などを」
「そうか」
御身様は少し残念そうにおっしゃった。
「ランツ様は、おじい様のお人なりを不快と思われたのか」
そう。御身様を恐れ、御身様の力を削ごうともくろんだ小心者じゃ。あやつのせいで、わしの身内は不当に逮捕され、その大半が獄死し、御身様のお慈悲で救われた者らも二度と忍として働けぬ体となっていた。
現国王はあの親よりはマシかと思ったが……クズの血が濃いようだ。第一夫人のサティー様を軽んじ、世継ぎの王子の御身様を顧みぬのだから。
御身様がしゅんとなさっておられるので、わしは当たり障りのない説明をした。
「先代国王は内心ランツ様をいけ好かぬと思われたのでしょうな。しかし、個人的な感情を押し殺して、表面上は勇者を歓迎したのです。国王の義務は果たしたとも言えましょう」
「うむ。国王たる者、好悪の感情で物事を進めてはいけないものな」
「はい。なれど、ランツ様は共感能力者。先代国王の内心と言動が一致していない事が、手にとるようにわかってしまったのです」
「なるほど。それゆえランツ様は口を閉ざしてしまったのか……。たしかに、嘘はよくないな。どのような場面であれ、人と人との間に偽りがあってはならない。真心をもって人と接していれば、いつかはわかりあえると僕は信じている」
真心をもって人と接していれば、いつかはわかりあえる……か。
そうであればよかった。
世の中が御身様の信じている通りの世界であれば……
「ガルバ……願いがある」
「何なりと、御身様」
「おまえだけは嘘をつかないでおくれ」
「耳に心地よいことばかり口にし僕を褒め称えていた者達は、皆、僕と母上のもとから去って行った」
御身様……
「人間は弱い。欲にまみれ、権力に屈し、いともたやすく正義を捨ててしまう。しかし、そうでない人間もいる。おまえ達がそうだ。王宮中が敵にまわっているというのに、おまえ達は僕と母上に仕えてくれている。忠義の部下だ。おまえ達がいるから僕は絶望せず生きてこられた。人の誠意を信じる気持ちを持ち続けられた」
それは……
「おまえの口から嘘偽りは聞きたくない。常に真実を口にして欲しい」
しかし……
「恐れながら、まったく嘘をつかないのは無理だと思いますよ、殿下」
と、言ったのはわしの横に控えていた者……
「俺の父は馬鹿正直でクソ真面目な男ですが、任務上しょっちゅう嘘をつきますし、殿下やお母上様、俺達部下を庇う為、これからも嘘をつき続けると思います。忍者は生き延びるために何でもするんです。作戦上、敵をだます事もあります」
わしの長男アシダ……十四となったばかりのひよっこ忍者だ。だが、年が近い為か御身様はわしの次にアシダを目にかけてくださっており、その言葉に耳を傾けてくださる。
「アシダ、おまえの言葉はもっともだ。生き延びる為には時には嘘も必要であろう」
そこで御身様は何かを考え込まれるように間をおき、こうおっしゃった。
「言い直そう。ガルバ、僕が求めた時は、僕に常に真実を伝えて欲しい」
薄いカーテン越しに、御身様がまっすぐにわしを見つめておられる。
「今、僕と母上が置かれている状況がたいへん厳しい事は、僕にもわかっている。おまえがさまざまな手段を用い、僕等を救おうとしている事も察している。それが現在、残念なことにあまり芳しくないことも理解できている」
「御身様……」
「全てを話せと言っているのではない。僕等が事情を知らぬ方がおまえがうまく動ける事もあろう。だが、僕が知りたいと思った事は、話せぬ場合を除き真実を伝えて欲しい」
「………」
「今はまだ無力な子供だが、僕は王となる運命にある。ただ守られているだけのひ弱な存在であってはならぬと思う。どのような運命も受け入れ、乗り越えてこそ王となる資格があるのではないか?」
わしは平伏し、承知の意思を伝えた。
その約束を、自分は破るであろうと思いながら……
 




