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女勇者セレス――迷走する世界の中で  作者: 松宮星
過ぎ去りし日々と未来
6/25

風花 3話

 ジャポネに着いたオレは馬を買った。


 急ぎ旅をしなければいけなくなったからだ。


 シャングハイでジャポネ通の旅人に聞いたのだ。霊山フジへの案内人は、春から秋までしか仕事をしないのだそうだ。

 考えれば当然だ。凍える雪の中、樹海を抜けたいなんて酔狂な客がいるはずがない。案内人だって嫌だろう。ただでさえ樹海は危険なのに、寒さが重なったら凍死の危険まで増える。対策用の装備も増えてしまうはずだ。



 霊山の近くの村に向かうまで、オレは気が気でなかった。

 方向感覚を狂わす暗く深い樹海を、案内人無しで越えるなんて、不可能だ。むろん、アジャンさんは別だけど……。オレにもそこそこ霊的な力があるけど、アジャンさんのような自分の進むべき道がわかるなんて能力、オレにはない。



 夜はジャポネ式の宿屋に泊まった。

 東国風の寝巻きを着て、畳部屋で、布団に入るといろんな事を思い出してしまう。

 セレス様はジャポネ式の枕がお嫌いだった。

 結った髪を崩さないように、ジャポネ人は頭ではなく首に硬い枕を当てて眠る。

 使うと頭が痛くなるのよと苦笑を浮かべて、ジャポネ式枕をよけて、畳んだ衣服を枕代わりにしてセレス様は眠った。

 でも、枕なんていつも眠って数分までしか使ってなかった。

 ジャポネでは、夜のセレス様はひどい暴れん坊だった……

 いろんな事を思い出しすぎて、頭に血がのぼって……

 いけないなあと思いながら、布団の中でゴソゴソしてしまった。



 あの頃、オレ、ガキで本当に良かったと思う。

 今のオレじゃ……セレス様と同じ部屋で眠るなんて無理だ。警護なんて絶対できない。



 暗闇の中、天井を見上げてるうち、思い出した。

 そういえば、夜のお話もジャポネから始まったのだ。

 セレス様は歴代勇者様と従者様達の物語をオレに聞かせてくださった。ご先祖様の活躍を話せるのが、嬉しくって嬉しくってたまらないって感じだった。

 二代目勇者一行の話もジャポネで伺ったのだ。

 シャダム様とゲラスゴーラグン様がユーリア様のことで激しく意見を戦わせ死ぬまで対立したと聞いた時、悲しくなった。

 その頃は、真実など知らなかったけど……

 共に戦い助け合った仲間が死ぬまで敵対し分かり合えなかったなんて、悲しすぎると思った。

 セレス様やアジャンさんやナーダ様と敵対するのも嫌だったし、お三人が敵対する姿も絶対、見たくないと思った。

 ずっと、皆、仲間で笑い合っていたいと思った……



 しんと静まり返った部屋に聞こえるのは、オレの息だけ。

 夜の闇の中、オレは一人だった……




「聞けませんな」

 囲炉裏端に座る、髭面の男性達。五人いる。その中の一番年配の男――案内人の胴元が渋い顔でこう言った。

「もう十一月も終わりです。我等の仕事はお山が冬支度を整える前までと、昔から掟で決まっております」

「掟ですか……?」

 胴元は頷く。着物の上に獣の皮のチョッキをまとった、猟師みたいな格好をしている。彼等は半猟半農で霊山のそばに暮らし、求めがあれば案内人の仕事を副業でこなしているのだそうだ。小さな村には粗末な家々が並び、暮らし向きが決して豊かではない事がわかる。案内の報酬は彼等にとって結構な収入になっていることだろう。しかし……

「冬は我等は樹海にすら入りません。冬には龍神様が霊山をお散歩なさる。人はお山に近づいてはならぬのです」

 それは違う……

 オレは知っている。

 龍が教えてくれたのだ。

 龍神湖に眠る龍は決して目覚める事はない。そして決して眠る事なく、水底で半睡しているのだ。

 龍が半睡し続ける限り、この国ジャポネは緑豊かな豊穣の国となる。けれども、龍が真に目覚め、龍神湖より離れる時、この国は水中に沈む運命にあるのだ。

 龍が動けばジャポネは滅びるのだ。散歩するなどありえない。

 しかし、ニ百年以上も道案内人をつとめてきた一族に、あなた方が守っている掟は何の実もないものですと教えても無意味だ。龍と共感して得た知識では、証拠にならない。間違いを指摘したところで、相手の機嫌を損ねるだけ。道案内などしてもらえないだろう。

「あなたが『龍の爪』の今世の所有者である事も、尊きリンチェン様のご子孫である事も重々、承知しております。龍神様にお爪をお返しにいらしたのだというご事情も、よくわかりました。しかし、我々はもう龍神様のお怒りを買いたくはないのです。どうか春までお待ちください。春になればお社までご案内いたします」

 春というのは早くて三月半ばの事なのだそうだ。がっくりと力が抜けた。

 意地を張らず、カルヴェル様にお願いして龍神湖に運んでもらえば良かったのかもしれない。そうすれば八月に左手用の『龍の爪』をお返しできたのに。来年春まで龍をお待たせしてしまうなんて、申し訳ない。

「××、×××、××××リンチェン××××××。××××××××××××××、×××××××××××××××××××××××××××××××?」

 五人の中で一番若い男が何かを言った。が、ジャポネ語なので、オレにはさっぱりわからなかった。五人はしばらくジャポネ語で何かを言い合っていた。若い男を周囲の男達が責めているようだったが、次第に一人二人と口を閉ざしていった。若い男に説得されたようだ。

 最後には胴元も、むすっとした顔で口を閉ざした。

 若い男……と言っても、この男達の中ではで、髭を生やしているので何歳ぐらいかわからないけれど……は、オレに向かって共通語でこう言った。

「おまえ、リンチェン、シソン。右、ツメ、おまえのもの。左、ツメ、リュウのもの。返す、リュウ、よろこぶ。リュウ、オコる、ない。俺、思う。俺、案内。明日、朝、行く、良い? 返事」 

「おねがいします!」

 オレが頭を下げると、若い男も頷きを返した。ジャポネは共通語の浸透が遅れている地域で、ジャポネ語しか話せない人も多い。この人は、単語の羅列でも話せるのだから、ありがたい。

 オレは自分に掌を向け、簡潔に聞いた。

「オレは、シャオロン。あなたは?」

 後半は掌を相手側に向けて聞いた。髭ばかり目立つけど、目は大きい。二十にもなっていないかも。若い男は愛想のない顔で答えた。

「アキフサ」



 アキフサの案内で翌日、オレは案内人の家を離れ、樹海に入った。馬は胴元の家に預けた。

 旅立つ前、案内人の胴元が共通語を話せないアキフサの代わりに、樹海を進む上での注意点をいくつか伝えた。

「樹海では獣除けの香を衣服に焚きこめ、野営時には火にくべます。薄荷をもとにした少々刺激の強い匂いがしますが、無害ですので、匂いにお慣れください」

「わかりました」

「これからの季節、餌が足りず、獣達は飢えます。樹海の中での狩りはお慎みください。ただでさえ少ない餌を、本来そこにいない者が奪ってはいけません」

「承知しました」


「それと、これは必ず守っていただきたいのですが……」

 胴元はチラリとアキフサを見つめた。

「災厄に見舞われましたら、あなたがたは表道を通ってはなりません。来た道とは違う道を通って、この村以外の地へ行き、そして二度とこの村に来ないでいただきたい」

「え?」

「後日、文にてご連絡いただければ、馬は人づてにお返しいたします。ですが、決してあなたもアキフサも村には戻らず、村人と接触しませんよう願います」

「……どういうことですか?」

 案内人の胴元は、暗い顔で答えた。

「我々フジの案内人の一族は、龍神様の恩寵を失った一族と言われています。遠い昔、我等は龍神様のお怒りを買いました。二度と龍神様のお心にかなわぬ事をすまいと我等は誓っております。アキフサは禁を破ってでもお爪を龍神様にお返しすることこそが龍神様へのご奉公とかたくなに信じておりますゆえ、こたびの旅立ちを許しましたが……あなた方が龍神様のお怒りに触れて穢れた時は、それはあなた方の罪、我等にその罪を及ぼさないでいただきたい」


「あちらでなにか災いがあったら、ここに戻って来てはいけないのですか? オレだけでなく、この村のアキフサまで?」

 胴元は頷いた。

「アキフサは穢れたら帰らぬ覚悟です。それゆえ、あなたを龍神湖にご案内する事を許したのです」

 びっくりした。

 冬に霊山に向かうのが、そんなたいへんな事とはオレは知らなかった。

 そんなだいそれた事とは知らず願いました、ご迷惑はおかけしたくない、春まで待ちますと言うと、胴元はアキフサとしばらく話し、苦笑を浮かべてオレに言った。

「『借りたものをすぐに返すのが、人間の礼儀だ。おまえが行きたくないのなら、その爪を持って、俺が一人で龍神湖へ返しに行く』と言っています。こいつは頑固な奴で……。言い出したら聞きません。アキフサに対し悪いとお思いでしたら、もしもの時はアキフサを見捨てず下男にでもお雇いください」

 オレは恐縮しながら、もしもの時は責任をもってお預かりますと答えた。

「ありがたい。これで安堵して見送れます。どうかアキフサを……私の末の弟をよろしくお願いします」



 山のような荷物を背負うアキフサの後を、オレはついて歩いた。

 樹海には、日の光がほとんど差し込んでこない。奇妙な形にねじれた木が絡み合い、天を覆っているからだ。足元がぐちゃぐちゃにぬかるんでいて歩きづらかったが、アキフサはひょいひょいと軽々と進んでゆく。重い荷物をまったく苦にせず。


 前に来た時は寝る前に蚊帳を張ったが、アキフサは簡単な天幕のようなものを張った。火を起こし、香を焚く。竹筒にいれてきた水と持って来たオニギリで食事をする。わかりやすい共通語でゆっくりと話しかけてみた。が、アキフサは無視して黙々と食事をしていた。

 アキフサは長い箸で火の中から熱を帯びた小石を取り出し袋に包んで、自分の分を作り、オレに渡す分までを作った。身振りで懐に入れろというアキフサにオレは頷きを返した。懐炉だ。ケルティで同じようなモノの取り扱い方を、ジライさんから教わったから知っている。

「ありがとう」

 アキフサは何も言わず、さっさと天幕に入った。

 懐炉を抱いて、寝袋に入り体をくっつけあうと、暖かかった。


 アキフサはいつもムスッとした顔をしていてしゃべらない。嫌われているのだろうか? 言葉が通じないから話すのが面倒なだけと思いたいが。

 オレのせいでこの人は故郷の村に二度と帰れなくなるかもしれないのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、謝るのは間違っている、この人の好意を無にしてしまう。

 だから、感謝の気持ちだけを伝える事にした。

「案内、ありがとう、ございます。感謝 してます」

 わかりやすいように単語を区切って伝えた。アキフサから返事はなかった。が、構わなかった。

「おやすみなさい。明日も、お願い、します」



 三日後、樹海を抜け、野原に出た。

 常緑の多年草のみが残る野原が遠くまで続き……

 北に霊山が天へとそびえ、その山裾の東には日の光にきらめく大きな湖が見えた。深い蒼の湖――龍神湖だ。

 目がどうしても湖へと向いてしまう。

 帰って来たのだ……

 オレの胸はたまらなく熱くなった。

 心が妙に浮き立っている……

 これはオレの感情なのだろうか? それとも……?

 オレの横でアキフサが湖へと合掌していた。

 そういえば、ナーダ様もやっていた。

 人よりも神に近きもの、神獣である龍。そのすまう湖を称えて。

 オレもアキフサに倣って、湖へと手を合わせた。



 それから、オレ達は山裾の社を目指したのだけれども……



 歩いているうちに、ゾクゾクッと悪寒が走り……

 次第に体が重くなり、頭が猛烈に痛くなり、気が遠くなってゆき……



 何か大きな光を見た気がした……

 目もくらむまばゆい光を……



 で、気がついた時には、オレは寝袋の中にいた。



 天幕の中だ。

 辺りが薄暗い。

 寝袋から出ると、すぐそばに旅の間ずっと背負っていた革袋があったのでそれを手に、外に出た。

 焚き火の前のアキフサが振り返った。

 西からの夕日にアキフサの顔が赤く染まる。

「シャオロン」

 アキフサが笑う。笑った顔は初めて見た。いつも不機嫌そうな顔で、自分の仕事を黙々とこなしていたから。

 場所は……野原の外れのようだ。遠くに霊山と湖が、すぐそばに樹海の入口へとつながる丈の低い木の林が見える。

「水」

 オレはアキフサの横に座り、竹筒を受け取って喉を潤した。


 オレは倒れたのだろうか……?

 それとも、前みたいにトリップ状態になってしまったのだろうか?

 あの時、オレは龍と交信し、それからアジャンさんの体を借りた古えの神主さんと闘ったんだ。古えの神主さんは、格闘の達人だった。あれほど強い人は……父さんかナーダ様ぐらいしか知らない。

 ひと心地ついてから、オレは革袋の口を開けてみた。

 袋に固定されてしまわれている、鋭く光る五本の銀の爪と黒い小手。二つあったはずのモノが片方ない。

 左手用『龍の爪』が無くなっている。


「カンヌシさま、きた」

「え?」

 アキフサはオレを指差した。

「カンヌシさま、左、ツメ、まんぞく。おまえ、まぞく、ツメ、コロす、した。まぞく、きえる、リュウ、よろこぶ、した。ありがとう、シャオロン、うけとる、左、ツメ」

 アキフサはずっとオレを指差し続ける。

「ありがとう、まぞく、コロす。ミギ、ツメ、持つ、つづける、ゆるす。おまえ、こども、まご、ずっと」

 アキフサが何を言おうとしているのか、だいたいわかった。

 多分……オレの体に古えの神主さんが憑依したのだろう。古えの神主さんは左の『龍の爪』を受け取り、リンチェン様の子孫であるオレの一族にこれからも右の爪を託すとおっしゃったのだろう。



 汝、魔を憎み、龍と共鳴し、戦えるか?

 汝、我が爪を己が爪とし、魔族を切り裂けるか?



 龍の思念が心に甦る。右爪をもって邪悪と戦い続けよと……龍も古えの神主さんも望んでいるのだ。



 左の爪はどこへ行ったのだろう……?

 社に納められたのか……

 神主さんの魔法で異次元へいったのか……

 龍のもとへ返ったのか……



 自分の左手を右手で握った。

 この手が『龍の爪』を装備する事は、もう二度とないのだ。

 そう思うと、とても寂しかった。

 父さんや兄さん達を魔の呪縛から解放したのは、左側の爪だったのだ……



 肝心な時に意識がなかったのが残念だ。どんな風に爪は消えたのだろう。

 アキフサに聞こうにも、どう尋ねたら良いのかわからなかった。簡単な単語だけで事情を聞くのには無理がある。 

 どうしようかと首を傾げているとオレが口を開くよりも前に、アキフサが言った。

「シャオロン、聞け」

 命令だ。しかし、言葉とは逆に、アキフサは急に地面にしゃがみ土下座した。

「ありがとう、シャオロン、わざわい、ない。おまえ、ありがとう、俺、みんな」

「え?」

「おまえ、センセイ」

「え?」

「俺、つれてけ」

「え?」

 アキフサは顔をあげ、まっすぐにオレを見つめた。

「俺、デシ。一生、おまえ、センセイ、行く、いっしょ」



「あなた様こそ、我が一族の救い主です」

 案内人の胴元は囲炉裏端で、オレに深々と頭を下げた。オレの後ろにいるアキフサも同じように頭を下げている。

 弟子になると言ってアキフサはきかない。だが、オレはジャポネ語を話せないし、アキフサはシャイナ語はもちろん共通語すらほとんど話せない。何故、弟子になりたいのかさっぱりわからないまま、樹海を抜け、アキフサの一族の村に戻ってきたのだ。


 共通語が話せる案内人の胴元は、アキフサから事情を聞くと、オレに対し平身低頭をした。

「我々フジの案内人の一族は、その昔、龍神湖そばの社の神主職を務めておりました。龍神様はご先祖様を愛され、一族は富貴を約束されていました。常に富と共にあり、土地は豊かで、子宝にも恵まれました。しかし、インディラ信仰が広まった時代、世が龍信仰を忘れてゆくにつれ、我々の先祖は愚かにも龍信仰を失っていきました。五百年前には社の神主を選ぶ事すらやめてしまったといわれています。その後、一族は没落の一途を辿り、そして今のありさまです。二百年以上も前から、我々は痩せた土地に暮らす、貧民となっています」

 胴元はぴったりと額を床につけるように、頭を下げている。 

「贖罪の為に、毎年、我々はフジを訪れてきました。しかし、龍神様の尊いお姿を見ることも、神のお声を聞く事もありませんでした。贖罪は二百年以上、続けてきましたが、今まで何のしるしもなかったのです。ところが、」

 胴元は顔をあげた。

「アキフサが言うには、古代の神主様が……我々のご先祖様が、あなたに降りられたのだとか!」

 えっと……

「ええ……記憶にはありませんが、アキフサがそう言っていました」

「めでたい!」

 胴元の髭だらけの顔が破顔する。

「我等は神主様からお言葉をいただきました。龍信仰を失った愚を土下座して詫びたアキフサに、古代の神主様は我等には神主の資格はないが、『龍の爪』の所有者と共に生きれば道は開けるとおっしゃいました。栄光を取り戻せる道をお教えくださったのです」

「え? そうなんですか?」

「正確には『龍ノ器ニアラズ。龍ノ声を聞ケヌ者ヨ、龍ト共にアリタクバ爪ト共ニ生キヨ』っとおっしゃったとか」


 古代ジャポネ語なんて、さっぱりわからない。

 龍が人間世界の富貴に関わりがあるとはオレには思えないんだけれども……

 でも、アキフサが『龍の爪』の所有者と運命を共にしなければいけないと思い込んでいる事はわかった。

 龍の許しを得る為に。


「今世の英雄シャオロン様、そういったわけなのです。アキフサの望みは我等一族の願い。すみませぬが、アキフサを一緒につれてってくれませんか?」

「でも……」

「シャイナ語どころか共通語すらろくに話せませんが、決して馬鹿ではありません。格闘はまったくの素人ですが、お山歩きで鍛えられた健脚です。けっこう素早いし腕力もあり丈夫です。どんな修行にも耐えます。どうか弟子にしてやって下さい」


 オレは期待に鼻を膨らませている胴元と、ずっと頭を下げているアキフサを順番に見つめた。

 オレの弟子になる事が本当に贖罪になるのだろうか?

 いや、たとえ、それが本当だとしても……

 弟子は取れない。

「それはできません。オレは、まだ修行中の身なんです。弟子なんか取れませんよ」

「なら、下男で構いません。あなたの側に置いてくださるのでしたら、もう何でも。どうかお願いします」

 胴元は又、頭を深く下げた。

「後生です、どうか……」


 困った。

 己の進むべき道も決まっていないのに、弟子を取るなんてできない。かといって、下男に迎えるのも間違っている気がする。


「……三年待ってもらえませんか?」

 オレは二人を見渡した。

「オレはまだ『龍の爪』にふさわしくない未熟な人間です。時間をください。もう少し成長してから、あなたの弟のアキフサを弟子に迎えたい。オレ、ここにしばらくとどまってアキフサに拳法の基本の型を教えます。三年の間にオレは修行を積みますから、アキフサもオレの教えに従って肉体の鍛錬を続け共通語とシャイナ語を勉強しておいてください」




「三年待って、か」

 オレが話し終えると、リューハンはケラケラと笑った。焦らし女のセリフみたいだな、と。

 オレがジャポネに行っている間、リューハンはシャングハイの道場を転々としていたのだそうだ。今はフォユェン師の道場に身を寄せているのだとか。軽妙な見せ技と多彩な蹴り技で対戦者を翻弄し確実に攻撃を叩きこむ、実戦的かつ優美でスピーディな拳法を学んでいる。


 シャングハイの街で再会したオレ達は、オレの宿にある食堂で夕食をとっていた。

「三年経ったら、アキフサって奴を迎えに行くのか?」

「ええ。オレが弟子を取るなんて、おこがましいですが……彼が格闘家となる手助けはしたいです」


 龍神湖で一体何があったのかは、共通語が話せないアキフサに代わり、フジの案内人の胴元が教えてくれた。

 オレの体に憑依した古えの神主さんは、左手用の『龍の爪』を装備し舞を舞った。大地をしっかり踏みしめた美しい所作の舞だったとか。龍への奉納舞だが、踊ったのは格闘の達人の神主さんなら、演武のようなものだったのではないかとオレは思う。その踊りにアキフサがみとれている間に、『龍の爪』の輪郭は次第に薄れゆき、最後には空に飲まれ消えてしまったのだそうだ。左手用の『龍の爪』はオレが手がけた魔族達の数に満足し、龍のもとに返ったのだろう。神主さんもオレから離れ、アキフサは意識を失ったオレを介抱してくれていたのだ。

 アキフサはあの舞を踊りたいのだ。『龍の爪』の所持者と共にあれば、あの踊りを舞うにふさわしい人間になれる……その時が一族が龍から許される時なのだ……彼はそう信じている。

 憑依されていた間の記憶がオレには無いと知っても、アキフサの決意は変わらなかった。オレと共にあればあの舞の境地に達せられる、絶対、舞えるようになるのだと目を輝かせるアキフサを見ると、できるかぎりオレも手伝ってあげたくなる。神主さんが舞ったという舞、オレも見てみたい。


「で、定住か? アキフサと故郷の村で修行するのか?」

 リューハンの問いに、オレは首を傾げた。

「まだ決めてませんが、三年経ったら、そうしようかと思ってます」

 オレは正直に答えた。

「指導するのなら、できる限りきちんとしてあげたいですから。それに、三年しかないと腹をくくった方が、きっとオレ必死に学べると思います。いろんな技を真剣に学んできます」


「武者修行、どっち方面を回るんだ?」

「まずはペリシャに向かいます。と言っても、武者修行じゃないですよ。ご恩のある御方に、従者の旅のご報告に伺うんです。その後は、インディラでしばらく修行をし、それから徐々に故郷を目指しいろんな道場を訪ねて旅をしようかと思っています」

「そうか。じゃ、西方面だな」

 リューハンはニッと笑った。

「じゃあ、俺、シャングハイを中心に東で修行するわ。あんたが習わない流派は、俺が代わりに勉強しとく。又いろいろ教え合い、習い合おうぜ」

「え?」

「三年経ってあんたが故郷に帰る時、俺も一緒に行く。あんたの拳法道場に入門する」

「本気……ですか?」

 リューハンは頷いた。

「弟子入りするって、前から言ってるじゃないか」

「道場なんてないですよ、オレの村、みんな焼けてしまいましたから」

「じゃ、建てるのを手伝う。あんたとアキフサと道場も住む所も一緒に建てるさ。放浪していろんな流派と触れ合うのも修行だが、気の合う奴等と切磋琢磨するのも修行さ」

「そうですね」


「なあ、シャオロン」

 急に真面目な顔となって、リューハンは言う。

「これだけは譲れないんだが……」

 相手の真剣な顔にひきこまれ、オレも表情をひきしめる。

「何でしょう?」

 リューハンはズズイと顔を近づけて来る。

「一番弟子は俺だからな」

「え?」

「俺のが先に弟子入り志願したんだ。アキフサを一番弟子にしたら、許さないからな」

「………」

 真面目な顔で何を言うかと思えば……

 オレはおかしくなって、声をたてて笑った。


 変な話だ。

 まだ自分の拳の道も見えていないのに……

 道場もないのに……

 入門許可すらオレからは与えてないのに……

 オレにはもう未来の弟子が二人もいるのだ。

『さすがね、シャオロン!』

 セレス様ならきっとそう言ってくださるだろう。

 リューハン達と村に帰り……

 家や道場を建て、新しい村を作るのだ。

 新しい拳の道を極めていくのだ。


「その日を迎えるまでに俺も準備を進めておくよ。自給自足ができるようになるまで、当分持ち出しばかりになるだろうしなあ。ニ〜三年分の食い扶持稼ぎとか、まあ、いろいろやっとく。あんたもしっかり、やることやっとけよ」           

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