落日 4話
御身様にお会いする度に嬉しくなる。
御身様は、すこやかに、どんどん大きくなっている。
ずっと心配だったのだ。体の基礎がつくられる時期に、御身様はろくな食事ができなかった。年よりもニ才ぐらい幼く見えるほど、小さく痩せておられたのだ。
それが……
今では、チビなわしなど御身様の前では子供のようだ。御身様はたいそう筋骨逞しい、大男とおなりだ。
僧侶様方の治癒魔法のおかげなのだろう。幼少時の不利はなかったことになり、御身様は正しく成長なさったのだ。
わしは月に一度、御身様との面談を許されている。総本山から指定された時間・場所でじゃが。
今日は武闘僧の鍛錬場の近くの森の中で、御身様とお会いしている。
御身様は信仰においても学問におても魔法においても芸術の面においてもたいへん優秀な御子じゃ。今はインディラ教団一の武闘僧を目指して、格闘に励んでおられる。
「ムジャと申します。以後、お見知りおきを」
わしが連れてきた忍に対し、御身様が優しい声をおかけになる。
「ナーダです。会うのは初めてですが、あなたの話はガルバから聞いています。ムンバディーの少年盗賊団の頭目だったのでしょう? 幼い子やハンデのある子も等しく抱えていた親分肌の頭目だったそうですね」
お恥ずかしいとムジャが恐縮して髪を掻く。
今日の御身様はご機嫌うるわしいようだ。
良かった。
顔合わせという名目で、ムジャを連れてきて正解だった。
わしと御身様が二人っきりだったならば、この前のことで御身様はネチネチと嫌味をおっしゃったに違いないゆえ。
たしかに、大僧正様や副僧正様それに侍僧の方々もおられたあの場で、わしが泣いたのはまずかった。
じゃが……
たまらなく嬉しくて興奮してしまったのだ。
御身様のお声が変わっていて……
その一つ前の面談の時、御身様のお声は枯れたようになっていた。大人の声へと変わる時期にきていたのだ。
それが……
一ヶ月ぶりにお会いしたら……
耳に心地よく響く低い声になっていたのだ。
『ガルバ』
もはや生きて二度とお会いできぬであろう方と……
そっくりなお声になっていて……
名を呼ばれただけで心が震えた。
頬を涙が伝わっていった。
『どうしたのです、ガルバ、突然泣き出して? 何処か痛めたのですか?』
総本山にあがってから、御身様は自らを『僕』ではなく『私』と言うようになり、誰に対しても(わしにすら)丁寧な口調で話すようになった。
話し方まで、よう似ていた……。
御身様そのものだった……
『御身様が大人になられたのが嬉しくてたまらぬのです』
感涙し続けるわしを、御身様はずっとほっそりとした目で睨んでいた。子供扱いをされるのがお嫌いゆえ。まぁ、大僧正様がわしの情の深さを褒めてくださったゆえ、あの場では御身様は何もおっしゃらなかったが。
あの日は、わしのせいでろくな話ができなかった。御身様がウッダルプル支部に赴かれるのは来月に迫っておる。今日はきちんと警護の打ち合わせをせねば。
* * * * * *
御身様はお美しく、賢く、とても優秀な御方だ。
年配の僧侶様方も、御身様のさわやかな弁舌の前には言葉を無くす。御身様は寺院での決め事など意にもかけず、お心のままにお暮らしだ。
御身様は入信の折、大僧正様とお話をされて、髪をそらせぬ事や俺という部下を抱える事を条件つきで認めていただいた。大僧正様のご許可を貰い続ける為に、御身様は難しいご勉学をして命題をこなさねばならぬようだったが、御身様ならばたやすいことだろう。
御身様ご出家にあわせ、俺は寺院付き忍者の教育機関に預けられた。俺が御身様の影である事は伏せていたが、大僧正様の口利きで外部からやってきた俺をやっかむ者も少なくなく、あまり居心地のいい場所ではなかった。が、些事は気にせず学べる事は全て学びとろうと頑張った。御身様の『影』として、優秀な忍になる為に。
十五となり教育機関を離れてからは、総本山の俗人用の房にすまわせてもらっている。総本山の忍者の仕事を手伝うことを条件に、お借りしているのだ。
御身様は時々、俺の房においでになる。御身様は移動魔法というものを会得されており、総本山の最奥からオレの房へと一瞬で移動できるのだそうだ。
俺とたわいもない話をされてお帰りになる事もあれば、俺を連れて外へお出かけになる事もあった。
御身様はお酒と賭け事と色遊びが大好きだった。全て僧侶には禁忌だったが、教義として堕落とみなされる行為をしても神のお怒りを受ける事なぞなかった。御身様は凡人とは違う。何をなさってもよいのだ。素晴らしき御方ゆえ。
その日、御身様は俺の房で愚痴をこぼさしていた。御身様の周囲におる高僧の方々は、さして能力もなく信仰心にも欠けるくせに、形ばかりを気にするのだそうだ。有髪で外へよく遊びに行く御身様を、不信心と責めるのだとか。
「ほんに不信心ならば、僧侶魔法が使えなくなるのにございましょう? 御身様は魔法においても他をよせつけぬ実力にございます。御身様の信仰心はインディラ神も大僧正様もご存じにございます。わかるべき方がわかっていてくださるのですから、それでよいではないですか。小物の声などお聞き流しなさいませ」
「あなたは、どう思ってるのです?」
「宗教のことはよくわかりません。でも、御身様のことならばわかります。御身様は何事においてもこの世で一番です。信仰心においても、そうだと思います」
御身様が楽しそうに笑う。
「ほんとうに……あなたはかわいい。大好きですよ、ガルバ」
少しご機嫌が直った御身様が伸びをし、俺の寝台の上に横たわる。入信してから(剃らぬ代わりに)伸ばしている黒髪が、寝台の上に広がった。御身様はそこらの女よりずっとずっとお美しい。僧衣をお召しでなければ、天女が俺の寝台で寝ていると錯覚してしまいそうだ。
俺の房に、家具は備え付けのものしかない。寝台と粗末な机と椅子が一脚のみ。椅子は背がいびつなので、寝台を長椅子代わりにしていただくようにしている。
「あなたの匂いがしますね……」
寝台に寝そべった御身様がおっしゃったので、俺は慌てた。忍者にふさわしいよう、体臭が濃くならぬように飲食にも気をつけているのだが……
「申し訳ございません。もっとマメに洗濯いたします」
「責めているのではありませんよ。ただあなたの匂いがするなぁと……そう思っただけです」
はあ……
御身様は撫でるように俺の布団を触れ、枕元に置いておいた俺の手帳を手にとった。
「あ! それは……」
止める間もなく、御身様が手帳を開いてしまう。
御身様にご覧になっていただくモノでもないのだが……。
ページをめくる度に、ら御身様の眉が少しづつ険しくなってゆく……。
「何ですか、これは?」
上体を起こした御身様が、床に跪く俺に帳面を見せつける。
「日付に店の名前に女性の名前……店は娼館ですよね? 十ページにもわたるこの記録……しかも、全ての女性の後には×印……何なんです、これは?」
御身様が不快そうに俺をご覧になる。
「あなたの武勇の記録ですか?」
へ?
「ずいぶんたくさんの女性と仲良くしているのですね。しかし、×印とは……。楽しい時を共に過ごした相手に失礼ではありませんか?」
「誤解です、御身様」
俺は慌てて手を振った。
「それは御身様のご成果の記録にございます」
「え?」
「最後のページをご覧ください。まだ○も×もつけていないページです。今月のことにございますから、店の名も女の名もご記憶にございましょう?」
御身様は最後のページをご覧になって眉をひそめる。
「私が総本山を脱走して遊びに行った娼館ですね……。女性の名前は覚えてませんが……」
「御身様が買われた女達です」
「……この手帳、見たところ×しかないみたいですけれど、何の印です?」
「さようにございます。残念ながら×しかないのです」
俺はため息をついた。
「御身様のお種のついた女は今のところ一人も……」
「は?」
「御身様のお手がついた女のその後は、このガルバぬかりなく調べております。情報屋から情報を買い、小金を握らせ周囲の者から話を聞き、その前の月のものの日から計算し、妊娠の可能性のある女には監視もつけたのです。が、残念ながら、どの女も不作で……。御身様のお種がついたならば身請けして、身二つになるまで面倒をみてやろうと思っておるのですが」
古代王朝の遺産は、今、俺の管理下にある。御身様の為ならば、そこから金を使っても問題ない。何十人でも何百人でも御身様の御子(の可能性のある子・妊娠時期が合致し且つ成長後に御身様のお子とわかる身体的特徴がでねば正式なお子様とは認められぬが)を養育できるであろうに。
御身様は変な顔で俺を見つめられた。
「……あなたが私の情事の場も見ていたのは知っていましたが……」
「陰から護衛をつとめていただけにございます」
「私が女性を孕ませればいいと思って、覗いていたわけですね」
「むろん、期待しておりました」
御身様が、嘲るように俺を見つめる。
「案外つまらない男だったのですね、あなた」
「はあ……申し訳ございません」
「そんなに、四十三代様が欲しいのですか?」
「それはもちろん!」
俺は大きく頷いた。
「御身様の血を引く御子が四十三代様になられれば、それはもう最高にございます。なれど、まだご実家のご両親様はご健在にございますし、このまえ妹姫もお生まれです。御身様の御子が必ずしも四十三代様になるとは限りませぬ」
「……そうですね」
「四十三代様になられるかどうかなど、今はさして問題としておりません。花街のおなごは孕んだとわかると、たいていすぐに流してしまいます。御身様の血を引くおかわいらしい命が、闇に消えるなど我慢できませぬ。この世に生まれていただかねば……」
「……四十三代になれない子でも、生まれて欲しいですか?」
「当然です。俺の大事な御身様の御子ならば、大切に見守りお世話したい」
「私の子ゆえ愛しい……と?」
「はい」
御身様の表情が多少、和らぐ。今ので少しご機嫌が直ったようだ。まだ、すっかりではないが。
「ねえ、ガルバ……私、知っていたんですよ、最初から」
御身様が寝台を離れ、床に跪く俺のもとへとゆっくりと歩み寄ってくる。
「女性を抱く私をあなたが物陰から見ていた事を……」
俺のすぐそばで立ち止まり、御身様の右手が俺の顎をとらえられる。
「あなたの目を感じる度に、私は興奮しました」
「はあ……」
「あなたが見てくれていると思ったから、激しく燃え上がったのです……あなたは、どうでした?」
「どうとは?」
「感じませんでしたか?」
「感じる?」
何を?
御身様はクスッと小さく笑い、身をかがめてお顔を近づけてきた。
「私に興奮しなかったかと聞いているのです」
興奮?
御身様に?
そんな恐れ多い!
「そんな無礼なことはしてません!」
顔がカーッと熱くなった。
「俺は忍者です! 護衛をするお方が何をなさろうがどんなお姿だろうが感情は絡めません! 有事にはすぐに動けるよう控えていただけです!」
「まったく、もう……あなたは……」
御身様の綺麗なお顔がどんどん近づいて来る。
体が強張った……
「嫌になるぐらい鈍いんだから……」
御身様の息が俺にかかる。
「誘ってるのに……全然、気づいてくれないし……」
御身様は微笑む。
「初めて会った時から、私はあなたが好きなのに……」
「それは、俺も……」
「同じですか?」
からかうように笑い、御身様が唇を俺のものに重ねてきた。
頭が真っ白となった。
「ずっと、こうしたかったんです……許してください」
少し寂しそうに笑ってから、さっきより深く御身様は俺の口を吸った。
頭がガンガン鳴った。
何が起きているのか、さっぱりわからない。
ただ目を見開いて御身様を見つめるだけだ。
御身様の手が触れてくる。ざわりとした感覚が全身を駆け抜ける。
「あなたが欲しい……ガルバ……私のものになってください」
「俺はずっと……御身様のものです」
御身様に触れられると体中が熱くなる。頭もボーッとしてくる。だが、お伝えすべきことはお伝えしなければ……
「ですから……お気兼ねなく、この体をお使いください。未熟者ではありますが、御身様のご命令とあらばどのような役目も果たします」
御身様の動きが止まる。
俺の体の上に覆いかぶさったまま、御身様が俺をジッと見つめる。
「……私の為なら望まぬ奉公もしてくれるというわけですか……?」
「いえ。房中術はあまり得意ではありませぬゆえ、きちんとお伝えしておくべきかと思いまして……。つまらぬ男ではありますが、それでも、よろしければ……」
「よろしくありません」
御身様は俺からツンと顔をそむけて、立ち上がった。
「……気が削がれました」
「……俺のせいですか?」
俺をキッ! と、見つめ、御身様が冷たい声でおっしゃる。
「いいえ、悪いのは私です。あなたは忍として私に仕えているんですよね。そういう約束でしたものね、よぉぉぉく覚えていたのに、くだらぬ願望を抱いた私が悪いのです。あなたはまったく悪くありません」
あああああああ、怒っておられる。これは完全にご機嫌斜めの時のお声だ。
「むしゃくしゃするから花街へ行ってきます」
「ならば、お供を……」
「駄目です」
御身様の顔に酷薄な笑みが浮かぶ。
「あなたは今日は留守番です。私、変装して娼館に行ってあなたには絶対バレないよう種をまいてきます。ニ~三人、買って来ましょうかね」
そんな……
金袋をお渡ししながら、俺は最後のお願いをしてみた。
「お戻りになってから、どの店の誰を買ったかを教えていただくことは……」
「絶対に教えてあげません!」
珍しく語気を強めて、子供のように舌を出してから、御身様がお姿を消す。移動魔法で何処かへ行ってしまったのだ。
俺は御身様の消えた宙を見つめて、大きくため息をついた。
* * * * * *
優秀な武闘僧となった御身様を教え導ける方など、もはや総本山にはいない。
来月から御身様はウッダルプル寺院支部で過ごされる。教団一の武闘僧ジャガナート僧正様のお教えを乞う為だ。
それにあたり、わしら御身様の忍は、初めて御身様護衛の任を務める事となった。
ウッダルプル寺院支部は王宮の近くにある。
奸婦一族は未だに御身様のお命を狙っておるやもしれぬのだ、我等一丸となって虫一匹御身様に近づけさせぬ覚悟で護衛を務めねば。
わしが育てた忍達の、初にして、重要な、主人の為の仕事だ。
あの日……
入信の為、総本山に登られた御身様は大僧正様へのご挨拶を終えてから、俗人用の宿房で待っていたわしの元へお姿を見せてくださった。
髪を剃り、僧侶の衣をまとったその姿を目にした時は……息が詰まって涙が流れた。
貴き王子であった御身様はもうこの世の何処にもいない……お守りできなかった自分が許せなかった。
『喜べ、ガルバ。大僧正様はおまえを部下にしてよいとおっしゃった。僕の部下と名乗るのは禁じるが、僕の為に生き僕の為に働く事を許す。連絡手段も後ほど僧侶様からご指示があるだろう。一月に一度は会えるぞ。面談の場をもうけてくださるそうだ』
『ありがたき幸せ』
『主人として、おまえに命令を与える』
わしはかしこまり、御身様の前に平伏した。
『おまえ、母上の遺産の管理していると言ったな? ご先祖様からずっと受け継いできた莫大な富があると』
『はい、お預かりしております』
『その遺産の一部を使うことは可能か?』
『はい』
『ならば、新たにつくってほしいものがある』
『かしこまりました、何なりと』
『忍者軍団をつくってほしい』
『忍者軍団……?』
『うん』
御身様が微笑む。
『有事には僕の手足となって働ける忍者軍団だ。どのような組織にしてもいい。人選もおまえに任せる。おまえの働きよいように忍者軍団をつくり、おまえはその組織の忍者頭となっておくれ』
ほんに……おやさしい御方だ。
御身様はそんなものなど必要としておられぬだろうに……
忍者軍団を……わしの為に与えようとお考えになったのだ。
アシダも妻も部下も全て失ったわしの寂しさをまぎらわす為……
御身様に会うこともままならず、忍らしい役目もなくなるであろうわしの為に……仕事を与えてくださったのだ。
『承知いたしました。御身様のご期待にそえるよう、すぐにも優秀な忍者組織をつくりましょう』
と、お約束したのだが……
わしの忍者軍団が機能し始めたのは先日のこと。
十年近くかかってしまった。
その不手際を何度もわしは御身様にお詫びしたのだが、
『あなたの『すぐにも』なんて言葉、最初っから信じてませんでしたよ。あなたは『嘘つき』ですものねぇ。まぁ、私が俗世に用がある事など滅多にありませんから、働き時はどうせ先です。あなたが納得いく形で、じっくりと部下を育てあげてください』
と、その都度御身様は笑顔でおっしゃった。月に一度の面談の度にどのような現状かをお尋ねになるし、こうしてはどうかと組織についてのご助言までくださっている。
御身様は、わしの忍者軍団を気に入ってくださっているのだ。
わしは……
ムンバディーでムジャ達浮浪児盗賊団を拾い上げたのを皮切りに、各地で人買いから子供を買ったり、浮浪児を家へ連れ帰りして、子供を集めて忍者教育を施したのだ。
ズブの素人の子供の面倒をみて、一から忍者修行をつけ、それで忍者軍団をつくろうというのだ。時間がかかって当たり前……
即戦力となる忍者を雇うはずが……ムンバディーでムジャらを目にしたせいで、予定が狂ってしまったのだ。
ムジャ達は、家族に捨てられ、或いは親を見限り、子供同士身を寄せ合って暮らしていた。痩せ細り薄汚れた彼等は、大人どもに憎悪の目を向けながら、子供同士互いに庇い合っていた。
ムジャの仲間の一人がわしの財布を盗もうとしたのが、きっかけだった。わしが軽々とその小僧を捕まえると、まあ、次から次にわくわわくわ、子供達がわしへと襲いかかってきたのだ。
仲間を取り戻そうと挑んでくる子供達を相手にしているうちに……せつなくなった。
子供達は自らが傷つくことを恐れていなかった。大切な仲間を取り返そうと、勝てぬ勝負と知りながら挑んできたのだ……ただ必死に……
まったく似ておらぬのに……
子供達が御身様に見えた。
愛するお母上様を守ろうと必死だった御身様に……。
捨て置けぬと思った。
だから、子供達のボスであったムジャと話をした。
このまま街で犯罪者として暮らしていても未来はない。いずれ縄につくだけだ。だが、正道に戻ろうにも親もなく学もなければ無理であろう……今までの生活を捨て、わしと共に生きてみないか? わしは、わしの主人の為に働く忍を探している、おまえ達が忍となり修行をつむのなら住む所も食べるものも与えようと、そうわしは提案した。
それに対し、ムジャは否と答えた。仲間の中にはハンデのある者もいる、盲目の者も、片足の者も、知恵遅れの者も……そうでなくとも、忍術修行などに向かぬ者もいる。全員を連れて行ってくれるのなら話にのってもいい、だが、忍者向けの人間だけならば御免だ。望む者を伴うのは構わないが、リーダーである自分はここに残る、と。
何とけなげで、いじらしい……
そうと聞いて……完全にわしの理性のタガは外れた。
全員を引き受けると答えたのだ。
忍者に向かぬ子供には必ず養子先や徒弟先を見つけてやると約束して。
ムジャの盗賊団の三分の一が、忍者修行より脱落した。十三人の子供の落ち着き先を見つける為に、インディラ寺院やら知り合いを頼って頭を下げまくるはめとなったが……後悔はない。ムジャらを部下として迎えられてほんによかったと思っている。
じゃが……ムジャの馬鹿めが……
御身様が高貴なご身分に関わらず会話をしやすい相手だと思い、調子にのって話題をふるからこうなるのだ。
ムジャが助けを求めるように何度となくわしに視線を送ってきたが、無視した。というか、わしとてどうにもできん。もう護衛の打ち合わせは終わった。話題の変えようがない。
既に御身様は……三十分以上、大僧正様について滔々と語られている。
どのようなお教えを受けてきたか、どのように接していただいてきたか、大僧正様のご趣味は何だ、日課は何だ、口癖は何だ、何時に起きて何時に眠るのか……話はどんどんどうでもいい方向に転がっている。
大僧正様の素晴らしさを話せる相手ができて嬉しくてたまらないのだ。わしにはもう語り飽きておられるゆえ。
大僧正様がご立派な御方である事は否定せぬ。寺院の決め事になど拘らぬ真の慈悲の道を心得た方だと、昔、御身様も褒めておられた。
しかし……御身様が思うておるような善人とはわしには思えぬ。もっと得体の知れぬ……人離れした存在なのだ。お人の良い御身様にはそれがわかっておらぬのだ。
後宮で傷ついた御身様を癒してくださったのはあの御方だ。その点においては、深く感謝しておる。御身様がすこやかに大きゅうなれたのは大僧正様のおかげ。
しかし、あの御方に深く傾倒してゆく御身様には、不安を感じずにはいられなかった。
あの御方は、御身様の味方というわけではない。あの方は万人を愛されている。サティー様を殺し御身様を辱めた奸婦一族すら大僧正様は愛しておられるだろう。
御身様の為には戦ってくださるまい。
いずれ、わしは、御身様の為に第二夫人とその一族を葬る。その時、大僧正様がどう動かれるかが読めず、不安だ。邪魔はされぬとは思いたいが……。
御身様は還俗などしないとよくおっしゃる。しかし、わしにはわかっている。御身様の本当の願いは『良き王となる』事。大僧正候補というお立場上、今は本音をのみこまれておるだけ。
御身様こそがこの国を統べるべき、真の国王。
御身様がインディラ国王に即位できる道筋を、わしがつくっておいてさしあげねば……。
人の気配の接近。
わしとムジャが懐に手を入れ武器を構える。
同じ方向を見ていた御身様が、わしらを制するように手をあげられた。
「後ほど、ここで会う約束をしている者です。待ちきれずに早めに来てしまったのでしょう」
忍と同じくらい周囲の気が読めるとは……
御身様は相当強くなられたようだ。
しかし……
「打ち合わせもすんだし、今日はここまでにしましょうか。出立の三日前にまた総本山に来てください」
「承知いたしました」
深々と頭を下げるわしらに頷きを返し、御身様が立ち上がり気配の主の元へと歩いて行く。
そっと後を追い物陰から見れば……予想通りの光景があった。見たくもないものが目に入ってくる。
待ち合わせの相手は御身様より若い、顔立ちの整った僧侶だった。その男を腕に抱き、御身様が相手と唇を合わせていた。
ムジャが肩をすくめる。
主人の趣味にとやかく言う気はないという態度だ。
わしとて、そうは思うのだが……
もったいないと思うてしまう。
御身様はお若いのだ。
若い肉体をもてあまされているのだ。
女のいない総本山では、男色に走るのは仕方ない事なのかもしれないが……
御身様のように外で女を抱いてくださればよいのに……
御身様の子種が男の体に無駄に注がれてしまうのが、わしは残念でならなかった。