嘘つきと白百合
これは、あまりにも純粋な「白」と、全てを知り尽くした「黒」が出会う物語。
伯爵令嬢リリアーナは、世間という名の檻の外で何が起こっているのか知らなかった。彼女の世界は完璧に区切られ、悪意とは無縁だった。
一方、記憶をなくした青年アレンは、世界の全てを知っていた。なぜなら彼は、一度死んで、この世界に転生してきた男だからだ。彼の口から紡がれる言葉は、全て計算された「嘘」。
世間知らずの箱入り娘を、嘘つきの転生者が騙す。──これは、欺瞞から始まり、やがて真実の光を見つけるまでの、小さな御伽噺である。
伯爵令嬢リリアーナは、堅牢な塀に囲まれた屋敷の中で、まるでガラス細工のように大切に育てられた。彼女にとって世界とは、美しい庭園と、厳格だが優しい両親、そして忠実な侍女たちが全てだった。外の世界の「悪意」や「混沌」は、書物の中にだけ存在するお伽話だと思っていた。
そんな彼女の世界に、突然転がり込んできたのが、記憶喪失の青年アレンだった。
「申し訳ありません、お嬢様。屋敷の裏門で倒れているところを保護しました」
使用人がそう報告した時、リリアーナは初めて「外の世界の人間」と対面した。青白い顔をし、泥に汚れた衣服をまとったアレンは、警戒心に満ちた目で彼女を見上げていた。
リリアーナは彼のことがすぐに気に入った。彼女にとって初めて出会う「未知」だったからだ。アレンは聡明で、時折、この世界の常識とはかけ離れた不思議な知識を披露した。それはまるで、彼が全く別の場所から来たかのようだった。
「その花は、こちらの世界では薬草として知られていますが、私の故郷では『愛の告白』を意味するんですよ」
彼の言葉はいつも詩的で、リリアーナの心を掴んだ。彼女は無邪気に彼を信じ、彼が語る「故郷」の話に夢中になった。
しかし、アレンの正体は、別の世界から転生してきた男だった。彼は前世の記憶を頼りに、この世界の知識をひけらかし、純粋な箱入り娘を騙していたのだ。彼の目的は、伯爵家の信頼を得て、いずれは地位と財産を手に入れることだった。
「お嬢様は、まるで世間知らずの白百合のようだ」
アレンは心の中で嘲笑していた。全てが計画通りに進んでいた。リリアーナは彼に恋をし始めていたし、両親もアレンの勤勉さと礼儀正しさを評価し始めていた。
転機が訪れたのは、とある夜会の日だった。リリアーナは屋敷を抜け出し、アレンを連れて街へ行きたいと無謀な提案をした。
「本当の世界を見せてほしいの、アレン」
彼の嘘が暴かれるかもしれないという恐怖と、純粋な彼女の願いとの間でアレンは揺れた。結局、彼は変装してリリアーナを連れ出した。
雑踏、喧騒、人々の貪欲な目、そして貧困。リリアーナは初めて見る「現実」に圧倒された。 そして、彼女の隣を歩くアレンの顔が、屋敷にいる時とは違う、冷たい表情になっていることに気づいた。
「アレン、あなたは……本当に故郷を愛しているの?」
リリアーナの問いかけに、アレンは言葉を詰まらせた。
その時、一人の物乞いの少女が彼らの前に現れた。少女は震える声でパンを求めた。リリアーナはすぐに財布から金貨を取り出そうとしたが、アレンはそれを止めた。
「お嬢様、この街の人間は皆、嘘つきです。彼らに情けをかける必要はありません」
その言葉は、まるで氷のように冷たかった。リリアーナは衝撃を受けた。彼女が知る優しくて詩的なアレンは、どこにもいなかった。目の前にいるのは、世の中の全てを cynicalに見下す、見知らぬ男だった。
「あなたも、嘘つきなのね」
リリアーナの言葉に、アレンは何も言い返せなかった。彼の心臓が激しく脈打つ。初めて、彼の嘘が、純粋な魂を持つこの娘を深く傷つけたのだと理解した。
彼は計画を放棄し、全てを打ち明ける決意をした。自分が転生者であること、最初から彼女を利用するつもりだったこと。
街の明かりが二人の影を長く伸ばす中、嘘つきの男は、世間知らずの箱入り娘に、初めて本当の言葉を紡ぎ始めた。それが彼にとっての、本当の「転生」の始まりだったのかもしれない。




