新たな毒作りに魅力されて
モルガナは数十年ぶりに、三時間以上の睡眠をした。目覚めた時、体がとても軽く感じたし、今まで以上に毒作りのレシピが頭の中で次から次へと湧いてくる。
「睡眠とは、こんなに素晴らしいものだったのね」
ベッドから起き上がり、スカルディアにドレスを着せてもらいながら感慨に耽っていた。
ドレスを着終えると、見計らったようにナクシールが扉をノックしてきた。スカルディアに応対させると、毒作りの道具を持ってきたと言うではないか!
モルガナは待ちきれず、早く部屋に入れるよう促した。
大釜に魔法の炎用の竈、乳鉢に乳棒、毒の反応を見るための銀の棒、秤に羽根ペンに羊皮紙に水晶瓶……。
「あぁ! なんて素晴らしいのかしら! これで毒作りができますわ!」
睡眠不足を解消したモルガナの機嫌は最高潮だった。
しかし毒作りに最も必要なものが欠けていた。
「あぁ! 毒作りの為の材料がありませんわ! どうしましょう!」
モルガナが持っている材料は、昨晩グリンプから貰った足だけ。これでは到底毒作りなどできない。
「モルガナ様、朝食のお時間です」
仕事に忠実なメイド、スカルディアは顎をカタカタ鳴らせながら言った。
「そうね。先に朝食をいただきましょう。材料については旦那様に聞いてみるのもいいでしょう」
そしてモルガナは食堂に向かった。
そこには既に魔王が座っていた。尻尾をビタビタしていないから、今の所は機嫌は悪くないのだろう。
「旦那様、おはようございます。私初めて睡眠の大切さを知りましたわ。毒作りのレシピが頭の中でひしめいて溢れそうですの」
モルガナが機嫌よく話しかけるが、魔王ガルヴォルドは尻尾を振ると床に振り下ろした。一気に機嫌が悪くなったらしい。
そんなガルヴォルドを気にせず、モルガナは今日の予定を口にした。
「旦那様、毒作りの道具は揃いましたが、肝心の材料がございませんの。ですから今日は魔界で毒作りの材料集めをしようと考えておりますわ」
ガルヴォルドの尻尾がゆらゆらと揺れている。
「お前はバカなのか? お前なんぞがこの城から一歩でも外に出てみろ、魔獣の餌になるのが関の山だ」
「あら、それは困りますわ。ですが魔界の材料にも、非常に興味がございますの。あぁ、困りましたわ」
二人の遣り取りを黙って聞いていたナクシールは、ガルヴォルドに進言する。
「魔王様、モルガナ様の護衛も兼ねて一緒に散歩でもしたら如何でしょうか?」
ガルヴォルドの尻尾がこれまでにないほどビタンッ! と床に叩きつけられる。床板が抉れて粉々になっている。
「何故この俺がコイツのお守りをせねばならんのだ。お前が付いていけばいいだろうが」
「生憎、私は城の仕事で手一杯でございますので。魔王様も散歩をなされば気分もお変わりになられるかと」
モルガナは二人の会話を聞いていて、ふと疑問に思った。
「魔界にはもう旦那様に歯向かう方はおられないのでしょう? なのに、何故私一人では危ないと仰るのです?」
「魔界に来た時に、お前は死にかけていたのを忘れたのか」
「あぁ! あの不思議な植物の事ですか。あの植物も採取したいですわね」
「バカかお前は。魔界の知識のないお前が出歩いたところでさっき言ったように魔獣の餌になるか植物の餌になるか、もしくは隠れている魔族の餌になるかのどれかしかないわ」
「餌ですか。皆様相当お腹を好かせておられるのですね」
「そういう問題ではない!」
ビターンッ! と派手に尻尾をガルヴォルドは叩きつけた。
ナクシールが再び割って入る。
「魔王様、人間界に返す前に死んでしまったら意味がございません。どうか、御同行されて下さい」
結局ガルヴォルドはモルガナの護衛という名のお守りを押し付けられたのだった。
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朝食を済ませ、モルガナは材料集めに最適なドレスを着せるようスカルディアに言った。優秀なスカルディアは見目が良く動きやすいドレスを選んで着せた。
髪も邪魔にならないように、美しく結い上げ帽子を被せた。
モルガナは蛇皮の手袋に麻袋にバスケット、ナイフと水晶瓶をいくつか持って、準備万端で階下に降りていった。
ガルヴォルドは既に玄関ホールに立っていた。彼の周りの床が粉砕されているところを見れば、相当機嫌が悪いらしい。だがモルガナはガルヴォルドの機嫌を気にすることもなく、「それでは参りましょう」と言って意気揚々と玄関から出ていった。ガルヴォルドは溜息をついてから、遅れてモルガナの後を追った。
「魔界とは、かくも不思議に満ち溢れた場所でございますわね旦那様」
モルガナは嘆き蔦をナイフで切りながら言った。蔦は悲鳴を上げていてとても煩い。
ここは魔界の森の中、ここに来るまでに魔王ガルヴォルドは何度もモルガナを助ける羽目になった。
赤喉ハイエナが笑い声の様な遠吠えで群れを呼び、モルガナとガルヴォルドを取り囲んだが、魔王が腕を一振りしただけで体が皆バラバラに切り刻まれ事なきを得たり、轟牛が突然現れ突進してきたところを、ガルヴォルドが一蹴りして遥か遠くに蹴り飛ばしたり、砂背虫がモルガナの足元に現れてあわや地面に取り込まれる寸前でガルヴォルドが羽根を広げて助けたり、影馳鳥に攫われそうになったところをガルヴォルドが影馳鳥の両羽根を切り刻んで落下してきたモルガナを受け止めたりと、森に来るまでにこれでもかとモルガナは何度も危機に陥ってはガルヴォルドに助けられてきた。
「この蔓もそうですわ。マンドラゴに似ていながら根っこではなく、蔦というところが大きな違いですわ」
「御託はいい、とっとと採取を終えろ。俺はお前を助けるのにうんざりしている」
嘆き蔓をバスケットに入れると、いまだキーキー鳴いている。
「嫌ですわ旦那様。材料集めは始まったばかりですわよ? 色んな場所を案内して下さいな」
「俺はお前の案内係ではない!」
「ですが、旦那様は大層魔界にお詳しいとお見受けいたしましたわ。私は魔界に関しては何分無知だと、先程嫌というほど味わいました。旦那様の様な素晴らしい知識をお持ちの方に、是非とも様々な場所を案内して頂きたいですわ」
モルガナは素直な感想を言った。ガルヴォルドは何の裏もなく“素晴らしい”と言われたことなど無かった。
彼は生まれてこの方、一度も褒められたことなどなかった。
ガルヴォルドは尻尾を揺らしながら、モルガナを見つめた。
不思議な女である。魔族の中でも異様な見た目をしている自分を見ても動じず、当たり前のように接してくる。
どれだけ怒りをぶつけても、モルガナは静かに受け止めるだけ。彼女が怒った所を見たことがなかった。
恐らく、彼女は本当に裏表のない人間なのだろう。思ったこと、感じたことを子供よりも素直に口に出す性分。
「その蔦が巻きついている灰樹の樹液は味や匂いを完全に消す事ができる」
「まぁ! 素晴らしいですわね。毒だと気付かれない貴重な樹液ですわ」
モルガナはせっせと木にナイフで切り込みを入れ、出てきた黒い樹液を小瓶に詰めた。
「あちらの赤黒い苔も何か効果がありまして?」
「あれは血苔だ。粉末にすると止血不可能の効果が出る」
「素晴らしい! 旦那様は本当に博識でおられますわ! 付いてきて頂いたのは正解でしたわね」
モルガナは早速血苔の採取に取り掛かる。
そうして森の中にある様々な効果のある材料をあらかた採取し終えると、モルガナは機嫌よく森を出て行く。背後を守るように歩くガルヴォルドを気にかけた様子もなく。
「旦那様のお陰で沢山の材料が手に入りましたわ。城に帰って早速毒作りをいたしませんと」
バスケットと麻袋の重みでふらつきながらモルガナは言う。
ガルヴォルドは見かねてバスケットと麻袋をモルガナの手から奪い取ると、空いている方の腕でモルガナを抱えあげると翼を広げて、城へと飛び立った。
「私も旦那様の様な素敵な羽根が欲しいですわ。そうすれば行きたい所に安全に行けますのに」
「空にも魔獣はいる。さっきの影馳鳥を忘れたのかお前は」
「あら、そうでしたわね。やはり旦那様にこうして抱きかかえて頂くのが一番安全ということですわね」
ガルヴォルドの傷一つない胸に手を置いて、モルガナは微笑んだ。ガルヴォルドは仕方ないといった感じである。
「まだ採取できる場所はある。沼地や洞窟などな。だが今日はここまでだ」
「沼地に洞窟……魅力的な響きですわね。旦那様、明日も是非共に参りましょうね」
ガルヴォルドは溜息をつきつつ、何も返さなかった。
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城に帰ってきたモルガナはガルヴォルドに礼を言い、バスケットと麻袋を持って喜び勇んで階段を登っていった。
玄関ホールに残されたガルヴォルドはただそんなモルガナを見送っただけであった。
そこへナクシールが現れた。
「魔王様、お散歩は如何でしたか? おぉ、素晴らしい。ちゃんとドアノッカーの問に答えて入ってこられたのですね。これで修理の手間が省けました」
「……ナクシール、お前は誰かに褒められたことはあるか」
「突然何のことですか?」
「いいから答えろ」
「ふむ、記憶の限りありませんね。私が魔王様にどれだけ献身的に尽くしても、貴方様は一度たりとも私を褒めたことなどありませんからね」
少しの嫌味を混ぜて言い返すと、ガルヴォルドは鼻で笑う。
「ところでモルガナ様は如何でしたか? 材料集めは捗りましたか?」
「あいつは魔獣を引きつける才能でもあるのかもしれん。行く先々で尽く魔獣に襲われたぞ」
「ですが無事にお戻りになられたという事は、魔王様がモルガナ様をお守りになられたという事なのですね」
「人間界に返す前にを死なれたら困るだけだ」
ガルヴォルドはそれ以上は何も語らず、自室へと向かったのだった。
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「屍花を少々、摩り下ろした血苔をほんの少し、影根の輪切りを二、三個……後は慎重にかき混ぜるだけ」
モルガナは採取してきた材料で、早速新たな毒作りをしていた。その目は輝いており、人間界とは違う毒作りに胸を高鳴らせていた。
「さぁ、できましたわ」
大匙ですくい上げ、銀の棒を浸すと途端に砂のようにサラサラと粉末状になった。
「あぁ、素晴らしいですわ! この様な反応を見せる毒は人間界にはありませんでしたもの」
水晶瓶に毒を詰め蓋を閉めると、小さな紙片に毒の名前と効能を書くと、それを棚に置いた。モルガナが最も興奮する瞬間である。
「さぁ、次はどんな毒を作りましょうか。作りたい毒が多すぎて頭がおかしくなりそうだわ!」
ふふっ、とモルガナは笑って羊皮紙に新たな毒のレシピを書き綴っていく。
明日は沼地に行って、新たな材料を手に入れることができると考えただけで、モルガナは恍惚とした笑みを浮かべるのだった。