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魔界のフルコース


 

 

「まぁ! そうでございましたの? ならば早く仰って下さればよかったのに」


「魔王が目の前にいながら随分と余裕だな貴様」


「貴様などと仰らず、モルガナとお呼び下さいませ、旦那様」


 フラフラと玄関ホールを彷徨い歩きながらモルガナは言う。


「俺は結婚などするつもりはない! 今すぐ人間界へ帰れ!」


 玄関ホールの窓全てが魔王の咆哮一つで粉々に粉砕された。

 あまりの大声にモルガナは耳を傷つけられたが、驚く様子も気にした様子もない。


「凄まじい大声ですわね旦那様」


 ガルヴォルドは吐き捨てるように言う。


「貴様の“旦那様”になった覚えなどない! 今すぐ去れ!」


 モルガナは耳に手を当てガルヴォルドの声を聞こうとしたが、傷つけられた鼓膜では何も聞こえない。


「なんですの旦那様! もう少し大きなお声で言って下さいまし!」


 ガルヴォルドは指を鳴らすと、モルガナの傷ついた鼓膜を修復した。

 そして怒りを抑えながら言った。


「俺に妻などいらん。今すぐ人間界へ帰れ」


「まぁ! そんな酷いことを仰るなんて。このまま何もせずに帰るなど、我が一族の恥ですわ!」


 モルガナは懐から短剣を取り出すと、何の躊躇いもなく己の胸へと突き立てた。

 倒れゆくモルガナをガルヴォルトとナクシールが唖然と見ている。


「ちっ! 何してんだお前は!」


 ガルヴォルドが倒れたモルガナの体を抱え起こす。


「あぁ、なんと平凡な死に方でしょう。これでは母に怒られてしまいますわ」


 口からゴボゴボと血を吐きながら、モルガナは己の凡庸な死に方を嘆いていた。


「お前は一体何がしたいんだ?」


「魔王、ガルヴォルド……の妻に、な……」


 モルガナの命の灯火が消えた。


「ナクシール! 百五十二年前、一体人間界の王とどんな約束をしたんだ!」


「えー……たしか、三千二百歳という、適齢期を遥かに過ぎても独り身の貴方様を心配して、人間の女を妻にすることの約束を取り付けた記憶がございます」


「誰がそんな事を頼んだ」


「頼まれてはおりません。ですがこのまま放っておいたら、貴方様は死ぬまで独り身のままでいそうなので、私は心配して行動を起こしました」


「百五十二年もかかって、やってきた女がこのイカれた女だというのか?」


「頭は少々おかしいですが、この魔界に来て瘴気を浴びても吸い込んでも平気でいたのは、恐らくその御方だけでしょう。貴重な御方を亡くしてしまいました」


 わざとらしくハンカチで涙を拭うナクシールに、魔王ガルヴォルドは大きな溜息をつく。


「魔界には貴方様が気にいる女がいませんでした。魔界中を探したにも関わらず。天界は論外です。となれば人間界しかございませんでした」


 ガルヴォルドは腕の中で息絶えたモルガナの胸に刺さる短剣を引き抜いた。血しぶきが迸る。ガルヴォルドは指先を噛むと、滲んで溢れてきた血を嫌々モルガナに分け与えた。


 モルガナが大きく息を吸って蘇る。


 しばしの間、モルガナはガルヴォルドを見つめていた。


「ガルヴォルド様ご存知ですか? 死ぬと私の魂は地獄から追い返されてしまい、煉獄に放置されてしまいましたわ。失礼極まりない処遇でしたわ」


「死んだ魂がたらい回しにされたなど、聞いたこともないぞ」


 呆れ返るガルヴォルドに、しかしモルガナは堪えた様子もなく再び短剣をガルヴォルドの手から取り戻そうとした。


「せっかく蘇らせてやったのに、お前は恩を仇で返すつもりか」


「私は生き返りたいとは、一言も言っておりませんわ」


 それはそうなのであるが、この厄介な女の死体を玄関ホールに放置するのもガルヴォルドは嫌だった。


「人間界へ帰れ」


「嫌ですわ。嫁ぎ先から突き返されるなど、ドラクス家の家名に傷がつきますもの」


 ガルヴォルドは深く深く溜息をついた。


「知っております旦那様? 溜息をつくと幸せが逃げていくそうですわ」


「俺は今不幸だから溜息をついたんだ」


 モルガナは「あら!」と嬉しそうに胸に手を置いた。


「私は幸せよりも不幸の方が幸せですわ、旦那様」


「お前と話していると気が変になりそうだ」


 ガルヴォルドはモルガナを立たせた。


「ナクシール! この女を適当な部屋に案内しろ。人間界が引き取りにくる間までのその場しのぎだ」


「分かりました。それではモルガナ様、私に付いてきてくださいませ」


 モルガナは死ぬのに飽きてきていたので、丁度いいと思い素直に従った。

 魔王の城はどこもかしこも暗くてひんやりと冷たい。モルガナにとっては最適な環境でもあった。


「では、こちらの部屋が今日からモルガナ様のお部屋になります」


 案内された部屋は廊下と同じく、黒一色で染め上げられていた。モルガナはこの城のセンスの良さに感嘆した。

 しかし、モルガナは唯一の不満があった。


「あなた、毒作りのための道具が何一つ揃っておりませんわ。どういうことですの?」


 ナクシールは冷静に言った。


「残念ながら、この城に毒作りの道具はございません」


「なんてことなの! 毒作りの道具がないなんて! そんな所でどうやって生活をしろと?」


「落ち着いてくださいませモルガナ様。明日には道具が揃うように手配しておきますので」


 恐慌状態に陥っていたモルガナは途端に笑顔になった。


「まぁ! それは良き報せですわね。では明日まで待つといたしますわ」


 モルガナは部屋のソファーに腰掛ける。そこで何かを忘れている気がして考え込む。


「まぁ、そうよ、思い出したわ。メイドがいないわ」


「メイドでしたら、この部屋にずっと待機しております」


「あら、貴方まだいらしたの。名前は何だったかしら」


「ナクシールでございます」


 ナクシールは怒りもせず淡々と答える。こんなことで怒っていては、魔王の側近など務まるはずがないのだ。


「ナクシール、それでメイドはどこに?」


「我が城のメイドは少々、内気でございまして。モルガナ様が必要としたときに必ずや姿を表しますので御安心を」


「あら、そうなの? 魔界はメイドも変わっているのね」


 変わっているのは貴方様の方ですと喉元まで出かかったが、仕事のできる側近ナクシールはぐっと言葉を飲み込んだ。


「それではお食事がご用意できましたら、またお伺いいたします」


 それでは失礼しますと、ナクシールは部屋の扉を閉めて出ていった。

 モルガナは夕食の間までの時間を持て余していた。いつもなら毒作りをしているところが、それができないのだ。モルガナは人生で初めて「退屈」を体験していた。

 その時ふと、思いつく。


「ディナー用のドレスに着替えなくてはなりませんわね」


 いつもなら寡黙でモルガナの思考を読んでいるかのように、淡々と仕事を遂行するメイドがいるため、メイドがいない状態に違和感を覚えていた。


 いないものは仕方ない。ナクシールもモルガナが必要としたときに現れると言っていた。その内部屋に来るだろうと、モルガナはクローゼットを開けた。


 そこに何故かメイド服を着た骸骨がいた。


「あら、まぁ。こんな所で貴方は何をしているの?」


 骸骨はしばしの沈黙の後、静かにクローゼットから出てきた。そして淑女の礼をした後、消え入りそうな声で言った。


「わたくしの名前はスカルディアと申します。今日からモルガナ様のお世話をさせていただきます。御入り用がありましたら、何なりとお申し付けくださいませ」


「貴方はクローゼットの中に住んでいるの?」


「いいえ、わたくし狭く閉じられた空間が落ち着くので……」


「あら、そうなの。ところでディナー用のドレスを探しているのだけれど」


「何かお好みなどございますか?」


「黒いドレスなら何でもいいわ」


「かしこまりました」


 スカルディアは再びクローゼットに近付くと、中から数着のドレスを出してきた。

 ベッドの上に広げると、モルガナは感嘆の溜息をついた。


「まぁ、どれも素晴らしいわ。この真ん中のドレスなんてどうかしら? この刺繍で描かれているのは何の花ですの?」


「それは魔界にだけ咲く毒花です」


「まぁ! 素晴らしいわ! 是非このドレスにいたしましょう」


「畏まりました」


 スカルディアはモルガナのドレスを脱がせると、新しいドレスに着替えさせる。運動をせず不健康な生活を送るモルガナの痩せた体にドレスはフィットしなかったが、スカルディアが脇の縫い目に指を滑らせると、糸が解かれ布地がモルガナのサイズにあわせて勝手に裁断されていく。そして布地同士が合わさり、宙に浮いたままだった糸が布地の間を這っていく。

 ぴたりとモルガナの体のラインに合ったドレスに、モルガナはまたもや感嘆する。


「まぁ! 何て便利な魔法なのかしら。素晴らしいわスカルディア」


「恐れ多いお言葉、痛み入ります」


 ドレスを着たら、後は宝飾品を身に着け化粧をして髪を整えるだけだ。

 スカルディアは骨の指を器用に動かし、モルガナを着飾らせていく。

 目の下のクマも化粧で隠され、適当に結い上げていた髪も美しくまとめ上げられる。モルガナは鏡に映る自分が自分でないような錯覚に陥る。


「まぁ、まぁ! こうすると、まるでお母様のようですわね。お母様はいつでもお美しい方ですもの」


 その時、部屋のドアがノックされた。

 メイドが骨を鳴らしながらドアに向かった。


「……はい、分かりました」


 ドアを開けて誰かと話をしている。大方ナクシール辺りだろう。

 そしてそれは当たっていた。


「ディナーの用意ができたとの事です」


「分かったわ、それでは食堂まで案内してちょうだい」


 スカルディアは黙って頭を下げると、ドアを開けてモルガナの先を行く。

 こんなにも広い城なのに、人の気配が全くしない。魔王は人嫌いなのかとモルガナは考えた。


「こちらでございます」


 案内された食堂は大きくて立派だった。艷やかに磨きぬかれた床に黒大理石のテーブル。銀食器が規律正しく並べられている。

 魔王は腕を組んで既に座っていた。

 モルガナは魔王の右側の席に案内された。


「ご機嫌よう旦那様。先程ぶりですわね」


「お前の旦那様ではないと、何度言えば分かるんだ」


 不機嫌そうに尻尾を一振りすれば、折角の美しい床も一瞬で粉々になる。


「旦那様は感情が分かりやすいお方ですわね。機嫌が悪いと、直ぐにその立派な尻尾をビタビタとお振りになられますから」


「誰のせいで機嫌が悪いと思ってる」


「まぁ、私だとでも申したいのですか? 旦那様のお気に召す妻になろうと必死ですのに」


「嘘をつくな。お前の頭にあるのは毒作りだけだろうが。ナクシールに聞いたぞ」


「毒作りは私にとって人生そのものですの。私が私である根幹をなすものこそが、毒作りなのです。旦那様にもそういうことが一つはお有りでしょう?」


「ない」


 即答だった。モルガナは同情を込めた瞳で魔王を見た。


「まぁ、それは何と悲しき事でしょう。旦那様は何をよすがに生きておられるのですか?」


「俺によすがなどいらん。ただ強ければそれでいい」


「ですが旦那様は魔王であらせられますわ。もうこの世界で向かうところ敵なしなのでは? そんな世界で強くあり続ける理由が果たして有りましょうか?」


 ああ言えばこう言うモルガナに、魔王は苛々していた。

 強さこそ全てのこの世界で、よすがなど必要としたことなど魔王には一度も無かった。強ければ生き延び、弱ければ死ぬ、ただそれだけのこと。


「あぁ、だからでしょうか。この世界に来た時も、このお城も何者かの気配がしなかったのは、旦那様が全て滅ぼしてしまったのですか?」


「全てではない。弱いやつは俺の目の届かん所で身を寄せ合って生きているだけの虫けらだ」


「あら、まぁ! 虫けらにも価値はございますわ旦那様。毒作りにおいて虫は貴重な材料となり得ますわ。この世界で旦那様が虫けらとお思いの方々にも、きっと何か素晴らしい使い道があるかもしれませんわね」


 魔王の苛立ちは頂点に達した。


「食事はまだか!」


 ダンッ! とテーブルを叩くと、黒大理石にヒビが入る。

 それに応えるように、食堂に青白い物体が揺らめきながら入って来た。

 その物体は足がなく、炎のようにゆらゆらとした形をしてい、胴体は寸胴で頭はツルリと丸かった。

 目は赤く点滅していて鼻も耳も口もない。蝶ネクタイだけが付いていた。


「これはこれは魔王さ〜ま! お久しゅうございま〜す。給仕を担当させて頂いておりますグリンプで〜す。覚えておられま〜したか?」


 独特な喋り方と姿形にモルガナは瞳を輝かせた。


「下らんお喋りなどいらん。早く食事を持ってこい」


「は〜い。それではす〜ぐにお持ち致しま〜す」


 グリンプは入って来た時と同様、ゆらゆら揺れながら出ていった。


「まぁ! ご覧になりまして旦那様? アレはゴーストの類でしょうか?」


「どうでもいい」


 その時、ポンッ! と音を立ててグリンプが現れた。


「前菜は〜! 血晶茸(けっしょうだけ)と毒草の前菜盛りでございま〜す」


 皿には赤黒い茸、紫色の毒草、青白い苔が彩りよく配置されている。


「まぁ! 毒草ですの? 素晴らしいですわね。どのようなお味なのかしら?」


 モルガナはワクワクしながら口に運んだ。

 血晶茸は外がカリッとしていて、中はじゅわっと鉄分の強い血の味を思わせる金属的な風味が広がり、茸らしい土の香りと深い旨味があるが、後味にほんのりと焦げた砂糖のような苦甘さが残る。それを毒草のピリリと痺れる刺激がコーティングする。


「中々、濃厚で刺激的な味ですわね」


 モルガナが血晶茸を上品に切り分けながら口に運ぶ。一方、魔王はフォークでザクザクと無造作に口に放り込んでいた。


 またグリンプが食堂にゆらゆら揺れながら入って来て、食べ終わった皿を運んでいく。


「ねぇ、旦那様。グリンプの体の一部を分けて頂くことは可能かしら? 是非毒の材料にしたいのです」


「本人に聞け」


 すると、またポンッ! とグリンプが皿を持って現れた。


「黒殻甲虫の香草焼きでございま〜す」


 鶏卵ほどの大きさの黒殻甲虫は巨大な丸虫のようで、漆黒だが光の角度によっては紫や群青に輝いている。割れた殻の隙間からは香草の香りと共に黒い蒸気が吹き出している。

 殻はパリッと砕ける軽快さで、中身は白くぷりっとした身である。

 味は海老の甘みとレバーのコクを混ぜ合わせた様な複雑な味である。


 二人が食べ終わると、また揺れながらグリンプが現れ、皿を持って行く。そして前触れなくポンッ! と現れるのだ。


「奈落骨の煮込みスープにございま〜す」


 見た目は血のように禍々しく、黒い油が浮いている。モルガナは一口飲むと、舌と喉が焼けるような刺激を感じた。

 そして少しすると体の芯からボカボカと温かくなってくる。


「まぁ、これは冬にぴったりなスープですわね」


 魔王を見ると、スプーンなど使わず皿を直接持って豪快に飲み干している。


「あら旦那様。カトラリーの使い方をご存知無いのですか? 後で私がお教え致しましょうか?」


 モルガナの親切心も魔王には通じない。


「いらん」


 魔王は飲み干したスープの皿をテーブルに放り投げた。


 するとまたもやグリンプがゆらゆら現れて皿を回収すると、来た時と同じようにゆらゆら揺れながら食堂から出ていくのに、食事を持ってくるときだけは唐突にポンッ! と音を立てて現れるのだ。


「地獄猪の丸焼き毒果実の詰め物でございま〜す」


 巨大な猪が豪快に丸ごとローストされたものが出てきた。

 皮目は漆黒に近い濃い焦げ茶色で、表面の脂はまだ炎で弾けており、金属の光沢の様に鈍く輝いている。巨大な牙はそのままで威圧感を放っている。

 グリンプがナイフで切れ目を入れると、赤黒い肉汁が迸り、皿を通り越して床に落ちる寸前まで汚す豪快さにモルガナも目を丸くする。

 切り目から開かれた腹の中には、どす黒い紫色の毒果実がとろりと煮崩れ、黒薔薇の花弁と混ざり合って艶やかですらある。

 湯気が立ち上るたび、甘美でありながらどこか危険な香りが漂う。

 皿に取り分けられた肉をモルガナは優雅に口に運ぶ。地獄猪は通常の猪よりも肉の締りが良く、濃厚な旨味を持っていた。

 牛肉の赤身の様に力強く、獣特有の野性的な香りがする。

 脂はねっとりと濃厚だが、毒果実の酸味が脂を切ってくれる。そして黒薔薇の花弁の仄かな苦味と香りが余韻を引き締めてくれた。

 

 魔王は手掴みで肉を次々と頬張っていく。頑強な地獄猪の牙でさえ、魔王は手で引きちぎると、バリバリと音を立てて噛み砕いていく。尻尾を見れば、バシバシと忙しなく床を叩いている。相当お気に召したようだ。


 魔王が地獄猪が乗っていた皿の肉汁さえ全て飲み干すと、下品にもゲップをして皿をまた放り投げた。

 グリンプはテーブルに溢れた肉汁をナプキンで綺麗に拭き取ると、皿を持ってゆらゆら食堂を出ていく。


「旦那様にはカトラリーの使い方を、是非覚えて頂かなければなりませんわね」


 モルガナの珍しい嫌味にも、魔王は動じなかった。


 グリンプがポンッ! と現れるのにも慣れてきたモルガナは、次は何が出てくるのか楽しみにしていた。


「焦土根の丸焼きでございま〜す」


 見た目は炭化したゴツゴツとした木の根の様なそれにナイフを入れると、内側は鮮やかなオレンジと深い赤紫が地層のように折り重なっている。

 モルガナは薄く切り分けて口に入れると、外側はスモーキーで苦味があり、内側は甘みと仄かな酸味があり絶妙なコントラストが舌を喜ばせてくれる。

 魔王はこれまた手掴みで齧り付いている。

 

 グリンプが皿を下げると、食堂を出ていく。そしてポンッ! である。


「毒百合の蜜漬けでございま〜す」


 百合の花弁は純白で艷やかであり、蜜に漬けられたことで透明感が増し、光に反射してほんのりと赤黒い煌めきを発している。

 上品に盛り付けられたそれは美しくも禍々しい。

 そっと口に運べば、花弁は柔らかく蜜でしっとりとした舌触りで、甘みが前面に出るが、後からピリピリと舌に刺激的な痺れが走る。

 

 そしてラストのポンッ! と共に供されたのは、「魔血酒でございま〜す」であった。


 グラスに注がれたそれは真紅から漆黒に近い赤で、光に透かすと濃密なルビーの様に輝いている。

 表面にはわずかに泡が立ち、妖しく揺れる赤い光沢がある。

 味は鉄血の香りが舌に残り、葡萄酒の甘みと酸味が魔血と混ざり合い、後味に仄かな苦味と刺激があった。


 全てを食べ終えると、モルガナは上品にナプキンで口を拭った。そしてグリンプに言った。


「素敵なお料理の数々でしたわ。ところで、あなたの体の一部を頂きたいのだけれど、よろしいかしら?」


 グリンプはグラスを持ったまま大きく揺れた。


「残念なが〜ら私は食べられませ〜ん奥方様」

 

「いいえ、あなたを食べたいのではないのよ。あなたの体の一部を使って毒を作りたいの」


「お〜お! そうでしたか〜。では私の脚を少しお分け致しましょ〜う」


 そう言って、グリンプは片手で自分の炎の様に揺らめく足(?)を引きちぎると、モルガナに渡した。


「まぁ! ありがとうグリンプ、だったかしら?」


「名前を覚えて頂〜き誠にありがとうございま〜す」


 そう言うとグリンプはゆらゆらしながら食堂を出ていった。

 グリンプから貰った足はゼリーの様な触感なのに、力を入れるとスッと指をすり抜けて落ちていく。何とも奇妙な感覚だったが、モルガナは嬉しそうに足を持っていた。


「もう寝ろ。明日毒作りの道具が届くんだろ。やる事がないなら大人しく寝ていろ」


「そう言われましても、私こんなに早く寝た事はありませんわ。眠れるでしょうか?」


 魔王はチッと舌打ちする。


「後でナクシールによく眠れる薬草酒を持って行かせる。それを飲んでとっとと寝ろ」


「まぁ、旦那様は親切な御方ですわね。結婚式が待ち遠しいですわ」


「結婚などせん! お前は大人しく人間界に帰れ!」


「何故そこまで結婚を嫌がるのです旦那様」


「俺は独りが好きだからだ」


「三千二百年も独りで飽きませんこと?」


「前魔王を倒して、その後魔王の座を狙う輩を相手にしてたから飽きる暇なんぞなかったわ」


 モルガナはこの偏屈で頑固なガルヴォルドに己に似た何かを感じた。


「私も毒作りを三千二百年し続けろと言われたら、喜んでいたしますわ。旦那様と私は似ているのかもしれせんわね」


「お前と似ているところなど一つもないわ」


 ガルヴォルドは憤慨しながら食堂を出ていった。

 モルガナも席を立つと、食堂を出た。

 しかしこの城は広大で迷路のようになっている。モルガナは自分がどこに行けばいいのかすら分からなかった。


「あら、そういえばスカルディアを呼べば良いのだったかしら。スカルディア! スカルディア!」


 モルガナがよぶと、どこからともなくスカルディアがモルガナの背後に現れた。


「まぁ! 本当にあなたは私が必要とすれば現れてくれるのね。ありがたいわ」


「畏れ多いお言葉でございますモルガナ様」


 スカルディアは腰を曲げた。カタカタと音が鳴る。


「ではスカルディア、私の寝室まで案内してちょうだい」


「畏まりました」


 スカルディアに導かれ、モルガナは寝室へと辿り着いた。


 スカルディアに化粧を落としてもらい、寝間着に着替えさせられ、モルガナはナクシールの来訪を待つ。

 しばらくしてナクシールはガルヴォルドの言う通り、薬草酒を持って現れた。


 スカルディアはそれを受け取り、モルガナに飲ませた。

 モルガナはなんの迷いもなく飲み干すと、そのままベッドに入った。


 今日は中々刺激的な一日だったと思いながら、モルガナは眠りについた。



 +++



「あの女は一体何者だ? 魔界の食べ物を口にしても死ぬどころかふらつきもしなかったぞ」


「特殊な体質をしておられるのでしょう。それ故に貴方様へ嫁ぐのに最適だと送り出されたのでしょう」


「人間のやることは魔族よりも汚い」


「力が全ての魔族とは違い、人間は智謀知略を巡らせるのが好きですからね」


「あの女も憐れな女だ。俺なんかの嫁にされそうになるなんてな」


「魔王様、本当にモルガナ様を人間界に突き返すおつもりで?」


「当たり前だ。こんな何もない場所に閉じ込めたところで、気が触れるのに数年も掛からんだろう」


「既に気が触れておられるようにも見えますが」


「あれより酷くなってみろ、手に負えんぞ。そうなったら殺すしかない」


「モルガナ様でしたら、喜んで死ぬでしょうな。昼間の様子からすると」


「煉獄に放置された魂など前代未聞だ」


「私はその様な方だからこそ、貴方様にお似合いの奥方になられると思っているのですがねぇ」


「黙れ、ナクシール」


 こうして魔王と側近の夜は更けていく。


 

 

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