年
バーを出たジャスティスは、そのまま銀行へ向かった。
表向きは閉まっているはずの地下の夜間窓口。だが裏口から入れば、慣れた職員が黙ってカウンターに立っている。
分厚い封筒を取り出す。現金に小切手。
小切手は即座に現金化し、複数の口座に分けて振り込む。
口座の名義はすべて偽名とペーパーカンパニー。
桁が動く画面を見届けても、彼の表情は変わらなかった。
銀行を出ると、駅前のコインロッカーに向かう。
A-134。
開けると中には本革でできた古びた包み。
中身を確認し、そのままコートに収める。
次に向かったのは、深夜営業のスーパーだった。
買い物かごに肉、魚、野菜を手際よく放り込む。
周囲の客がちらりと見るが、彼は気にもしない。
――そしてマンションへ。
表は高級タワーマンション。
エントランスに入る前にスマホを取り出し、自宅近辺の監視カメラの映像をチェック。
部屋の前、廊下、エレベーターホール。
すべて死角なく確認する。
パスワードを入力し、オートロックを解錠。
エントランスに入り、真っ直ぐエレベーターの「上」を押す。
だが自分は階段へ向かい、陰に身を潜める。
――ゴウン、と音を立ててエレベーターが降りてくる。
やがて扉が開く。中には誰もいない。
しばらくして扉が閉まり、再び上昇。
ランプが示す階数は19階で止まった。
それを見ている影があった。
その瞬間、誰かが階段を駆け上がる足音。
男が階段に駆け込もうとした時――。
「……!」
視界が揺れた。
覚えているのは、顔面に走った衝撃だけ。
次に目を覚ました時、男はマンション裏手のゴミ集積所に転がっていた。
懐の拳銃を確かめる――弾が、すべて抜かれている。
冷や汗が背を伝った。
一方その頃、ジャスティスはすでにマンションを離れていた。
口笛で"丘を越え行こうよ”を吹きながら。
裏通りを抜け、隣接するラブホテルの非常階段を音もなく上る。
最上階にあるプレハブの小屋。そこが、彼の本当の“住処”だった。
鍵を開けると、中は小ぎれいに整っている。
まずはホルスター、隠しベルトを外し、持っていた武器を次々と机に置いていく。
サバイバルナイフ、マチェット、拳銃と、いくつものマガジン、小型ランチャー、手りゅう弾。
年季は入っていそうだが、いずれもよく手入れをされていた。
机の上に無造作に置かれていくたび、何かから解放されていくようだとジャスティスは思った。
ジャスティスはそれらに視線を落とすことなく、ただ肩を回す。
ため息にも似た息をひとつ吐き、背を向けた。
「……最近重くなったな」
淡々と呟く声には、感情はなかった。
それは戦利品でも誇りでもなく、ただの“負債”のようだった。
だが同時に――。
街を歩く時も、依頼を受ける時も、眠る時さえも。
彼はいつでもこの武器を携え、生き残るための準備を欠かさない。
机に並んだ光景は、彼が“常に戦場にいる”ことを物語っていた。
そして武器を外す事により、彼は普通の人間へと戻っていくのだ。
彼は武器に背を向け、エプロンをかけて台所に立つ。
まるでそれが、日常に戻る唯一の儀式であるかのように。
部屋に入るとまず音楽を流す。ジャズの低い旋律が漂う。
そしてエプロンをかけ、スーパーで買った食材を台所に並べる。
手を綺麗に洗う。
包丁がリズムよくまな板を叩き、鍋の音が加わる。
料理の手際はプロそのものだ。
「……ちょっと作りすぎたな」
独りごちて、鍋を下ろす。
出来上がった料理の一部を容器に詰め、一階下の非常口から顔を出す。
そこにはラブホテルの清掃員の女性たち。
「お姉さんたち! 作りすぎちゃったから 食べて~」
「いつもありがとうね」
「タッパーはドアの横に置いといて」
笑顔と共に差し入れを受け取る彼女たち。
ジャスティスはにこりとして頷き、再び小屋へ戻った。
テーブルに料理を並べ、一人で食事を始める。
酒を一口。
その手元には、バーで受け取った依頼内容の書類――少女の写真。
黒髪の少女の顔を見た瞬間、胸の奥に古傷のような疼きが走った。
(…………)
スマホを取り出し、病院に設置されたライブカメラのアプリを起動する。
だが――。
「……パスワードは……」
入力画面に何度も弾かれる。
しばらく使っていなかったせいで、パスワードを求められた。思い出せない。
舌打ちしながら、引き出しや本棚、古いノートをめくる。
ようやく一枚の紙切れを見つける。”エマ”と走り書きがある。
その下に8桁の英数字。
画面に打ち込み、Enterを押す。
――映像が開いた。
薄暗い病室。
ベッドに横たわる小さな体。
点滴のチューブが腕に伸び、機械の緑色の光が淡く瞬いている。
ピッ……ピッ……。
規則正しい心電図の音が、部屋いっぱいに響く。
15年。
眠り続ける娘の顔は、時間に置き去りにされたままだった。
子どものままの手。小さな胸の上下。
世界が進んでも、彼女だけが取り残されている。
(お父さんずいぶん歳取っちゃったよ…)
娘は静かに眠っていた。
目を閉じ、呼吸も浅く、表情は穏やか。
画面越しに見つめながら娘に語り掛ける。
「父さん、今回の仕事が済んだら、この仕事辞めようとおもうんだ。エマはどう思う?」
画面越しの娘の安らかな表情は変わらない。
小さな声が、部屋の中で吸い込まれていった。
彼はスマホを机に置き、再び依頼の資料に目を戻す。
児童養護施設、黒髪の少女。
(この子も、何か…あるんだろうよ…)
ジャスティスはため息をついた。