86羽目:水の記憶の鱗片
今日の話の中に一部自然災害を想起させるシーンがあります。
石碑から、小さなアルカナの木が芽吹いていた。
みぃを見るとうちの考えをわかっているかのように、静かに頷く。
実を割ってすぐに会話できるように【森の導きティー】をインベントリから取り出して飲む。みぃも同じように視界の隅で飲み干していた。セレナさんはエルフなのもあるけど、多分飲まなくても大丈夫な気がする。
「そいつは一体……」
木から実をもぎ取り、種だけを取り出しているのを見ていたセレナさんは疑問が消えない、といった表情をしている。
「大丈夫だよ。……先に謝っておくね。教会でスキル使ってごめん。【シールドチャージ】!」
「はァ?!」
バキッと音を立てて核が割れると、中からまばゆい光があふれ出した。
―― 『契約者、ルーイとみぃを確認。記憶の封印、解除を開始します』
青い魔法陣から水が渦潮のように舞い、中から小さな存在が現れる。聖女様のような服装に身を包み、羽には波のような模様が浮かんでいる。表情は相変わらず光って見えないけど、水の精霊だとわかる。
「導かれし者たち、よくぞここまでたどり着きました。私は水の妖精アクレア=リュミナス、水の記憶を守る者です。世界から悲しみの記憶を封じました。えっ……セレナ……?」
小川を流れるようなサラサラとした透明な声。
やっぱり、みぃの予想通りだった。振り返ると、セレナさんはよろめくように、こちらに向かってきていた。彼女の唇が震えて、かすかに声が零れた。
「あ、くれ、あ、様……? 今まで、ここに……? いや、それよりも悲しみを封じたって……」
「セレナ……記憶が徐々に戻ってきて聞きたいことは山ほどあるでしょうけど、今は少し待ってほしいわ。導かれし者たちと一緒に見てほしいものがあるの」
「あ、あぁ……すまねェ……」
困惑の表情を浮かべ続けるセレナさんだが、素直に頷いた。
「あの日、世界から悲しみの記憶を何故封じたのかを――」
アクレアさんが両腕を広げると、大量の水がどこからともなく溢れだして部屋が飲み込まれた。咄嗟に体が反応し、腕で顔を隠す。全身が水の中にとぷん――と浸かったような感覚に陥ったが、呼吸ができる。恐る恐る目を開けてみると腕が優しいコバルトブルーの光に包まれていた。みぃとセレナさんを見ると体中同じように発光していた。
深海のように暗いが、不思議と明るくて怖くない。そして——水が、揺れた。
赤黒い炎が、街を舐めるように広がっている。
逃げ惑う人々。
崩れ落ちる家屋。
そこに映った光景が、胸を締め付けた。
膝をつく者。
目を伏せる者。
その胸元から、黒い靄のようなものが滲み出していく。
『苦しい……もう嫌だ……誰も助けてくれない世界が憎い……ウッ……グゥゥ』
『自分勝手なことばかり言いやがって……みんな滅んでしまえばいい……ハッ、ガァァ!』
闇は突然襲ったわけじゃない。
人々の心の隙間から、静かに、染み込んでいった。
『【ヒール】!』
すると、白い光が体を包みこみ、黒いモヤは結晶となって摘み取られていった。修道女たちが人々を手当している間に他の住民を探しに行く二人の影。
『聖女様……ママとパパを助けて……お願い……いい子にするから……』
崩れた家屋の隙間で、動かない両親を抱きしめる子供――。
息が詰まる。
誰も助けてくれず、泣いていた自分と重なる。焦げ臭いはずなのに、暗い押し入れの匂いが、なぜかうちの鼻をかすめた。
「……っ」
違う、これはクエスト。ゲームの演出だから。大丈夫。
そう言い聞かせても、手のひらがじんわり汗ばむような感じがした。アバターだから汗をかくことなんてないのに。すると、みぃがうちの手をそっと握りしめてくれた。冷えかけていた心が少し温度を取り戻す。でも、彼女を見たら、心の奥からすべての感情が溢れだしてしまう気がして、手を握り返すのが精一杯だった。
……うちは大丈夫。
『ごめんなさい……命を生き返らせることはできないの……せめて、魂が迷わないように祈りを。悲しみの雫よ、いま希望の星へ還れ』
アクレアさんが亡骸に祈りを捧げると二つの光が空へと消えていった。
セレナさんは悔しそうに唇を噛みしめ、泣き崩れる子供の肩に、そっと手を添えている。街を埋め尽くす黒い炎の中、必死に生きている住民を洞窟に誘導する二人。
五本の柱に守られるように人々が集まっていた。だが、その目には、まだ光がない。
『みなさん、ここは結界が張られているので安全です。表が落ち着くまで休んでください。【聖域】』
アクレアさんが祈りをあげると広間は白いオーラに包まれ、人々の傷を癒した。みんなの目にも温かさが戻り、安堵したように息をついた。
『この祈りが癒せるのは、傷までです。悲しみを癒すものではありません。涙が紡いだ祈りは道となり、願いは再び息づくのです。だから……どうか、皆さん自身の力を信じてください』
『あぁ……聖女様さえいれば、あのお力があれば……苦しみから救われる』
『聖女様……ありがとう、ありがとう……戦が終わればこの苦しみからも救ってくださる』
アクレアさんは優しく微笑んでいるが、みんなを安心させるためのハリボテのようにも見える。救ってくれる。そんな他力本願の言葉に少しだけうちの心がざわついた。
『アクレア様……話があるンだ』
石碑が置かれている広間にセレナさんとアクレアさんが立っている。
『アクレア様にすべてを押し付けてる奴らも気にくわねェけど、あの黒い影はなンなんだよ!』
『冥王の呪い……人の心に潜む闇よ。悲しみや苦しみに漬け込んで、人を操るもの。そして、|《メレティス海》《私》の力を使って、感情さえ奪い、支配しようとしている』
『なんだよそれ……何で罪もねェ人が傷つかなきゃいけねェんだよ……どうして、失わないといけねェんだ……こんな争いなんて最初からなければ誰も苦しむことなんてねェのに……!』
アクレアさんのその眼差しは、まるで全ての苦しみを抱きしめようとしているみたいに深く、優しく――寂しそうだった。
『争いがなければ……そう、私も思うわ。だけど、争いがなくても、己と向き合わない限り悲しみや苦しみは消えない。誰かのせいにしている限り、本当の傷は癒せない。でもね――どんな気持ちも願いに変えることはできるの。涙は、未来を照らす光になるのよ。だから、私は人々のために祈った』
その言葉が、幼い頃の自分の問いと重なった瞬間、視界が滲んだ。
助けてくれる人なんていなかった。
すべてを否定されたあの家が苦しかった。
小さな世界を少し恨んだ。
でも、希望の光に救われた。
『そして精霊王に託された使命を果たす時がきたの。私はここで世界を守るため、悲しみの記憶と共に力を封印する。だから、あとのことは頼んだわよ、聖女セレナ……』
『はぁ? 記憶? 封印ってなンだよ! 聖女様はアクレア様だろうが!』
『私は摘み取るだけだった……向き合う時間を与えなかった。セレナ、あなたはとても優しい子よ。誰よりも人の感情に敏感で相手を想いやれる人。相手が立ち上がるまで待ち続けられる人。だから……あなたの祈りは人を救うことができる。人々のミレアノヴァにあなたがなるのよ』
『ふざけンな! あたいはまだ学びたいこと、教えてもらいたいことが山ほどあンだよ! いつも勝手に決めつけやがって! なんでアクレア様が犠牲になンなきゃいけねーんだよ! どうして! あたいの周りにいる優しい人達ばかり辛い想いをしなきゃなンねェんだよ!』
胸が上下し、息が荒い。涙がこぼれそうになるのを必死にこらえながら、彼女は叫んだ。それを見て、アクレアさんは少しだけ寂しそうに、優しく微笑んだ。大切な人を愛おしむ、別れの顔。
『犠牲なんかじゃない。この世界の未来と希望のためよ。大丈夫、私を忘れてもあなたの周りには助けてくれる人がたくさんいるわ。あなたは自分で背負おうとするから、それだけが心配よ……これからはもっと人を頼って生きなさいね?』
『忘れるってなンだよ?! あたいがアクレア様のこと忘れるわけねェだろうが! 心配するなら消えるみてェなこと言うなよ……』
すると、唸るような音が洞窟内に響き渡り、二人の目線が入口の方を睨んだ。いつのまにか、足元には黒い水が流れ込んできていた。
『クソッ……あいつらここまで……』
『扉を閉じて住民を守りなさい。私がここで食い止めるわ』
『でも、アクレア様が! 聖女様がいなくなったら、誰が心の支えになるンだよ……!』
『しっかりなさい。今からあなたが聖女よ。己と人々の苦しみも、悲しみも受け止めてなお、祈り続けるのよ。自信を持ちなさい、あなたが居たから……あなたと出会ったから……私は私で居られたのよ。早く行きなさい【聖なる光】』
スキルを放ちセレナさんを突き飛ばす。アクレアさんは希望の部屋の扉を閉じ、扉の結晶を外した。
『グッ……アクレア様ッッ!! 開かねェ! クソッ!』
入口から何百もの黒い影と水が蠢いて迫ってくる。アクレアさんは結晶をぎゅっと握りしめ、前だけを見つめていた。
『王に悲しみの涙ではなく、いつか嬉しい涙の導きとなれって言われたけど……私ね、すべてを委ねられるのが本当は怖かったの……だから、摘み取った。こんなの聖女なんて言えないわよね……でも、あなたは人を信用する大切さを教えてくれたのよ。立ち上がれる強さを見せてくれたの。ありがとう、セッちゃん――私の希望の星』
その言葉が足元の水面に溶けた瞬間、周囲の光景が一変した。
『私はあなたのように人々の強さを信じるわ。涙が紡いだ祈りは道となり、願いは再び息づく。我らはその悲しみを忘れず、恵みに感謝し、明日を照らす希望と共に歩まんことを——Mirea Novᚨ』
水面いっぱいに美しい波紋が広がり、声にならない祈りが音もなく満ちていく。
ロウガさん達が、ずっと祈っていた言葉が脳裏をよぎる。
この祈りは、人々の繋がりという恵みに感謝するものだったんだ。
黒い影を覆うように、海がせり上がる。
青く、優しい大津波が世界をゆっくりと飲み込んでいく。
その日、悲しみの記憶と聖女アクレアが世界からいなくなった。
映像が溶けるように消え、アクレアさんが静かに口を開く。
「……これがあの日の水の記憶よ」
世界は、悲しみや痛みを乗り越えたわけじゃない。 今はただ、蓋をされているだけだ。
うちも消したいと思ったことはたくさんあった。
だけどそれは、今の自分を作り上げた一部でもある。
みぃ――そして、希望をくれた人たちに恩返ししたい。……祈りは向き合うための、道標なんだ。
アクレアさんは結晶を手渡してきた。
「この鍵は、祈りを乗り越えた証。けれど……まだひとつ足りない。闇に眠る記憶を、あなたたちが呼び覚ますのです。新月の日、始源の森――その影に沈む領域にて。この結晶が、次なる記憶への光となるでしょう」
彼女は静かに微笑み、視線を遠くへ向ける。
画面に淡い光が広がり、クエストウィンドウがピコンと音を立てて更新された。
《クエスト:七つの封樹と精霊王の記憶【5/7】》 《目的:闇の眠る場所へ向かえ》
[読者の皆様]
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