82羽目:第三の部屋 祈りの涙
最後の扉には、静かな海を裂くようにして空へと昇る一筋の涙が刻まれていた。その涙は波を生み、波は光を反射しながら空へと広がっていく。まるで、深海の底から祈りが天へ届く瞬間を切り取ったような構図だ。空には鳥が舞い、波間には両手を胸元で組み、目を閉じて祈る人影が彫られている。
うちは空へ昇る涙の窪みにそっと結晶をはめ込む。『カチッ』という音が響き、扉が優しく奥に開いた。あれ……この扉だけ押して開くんだね。盾を構えながら中に入ると、潮の香りがふわりと鼻を掠める。
ドア付近の踊り場には、腰くらいの高さのパネルが五台横並びになっていて、上には鏡が設置されていた。その内の一台には木みたいな記号が映っている。段を降りた先の床は夜の水面のように揺らめいており、スポットライトのように照らされている部屋の中央には、ストーンヘンジを思わせる五本の巨大な石柱が、円を描くように立ち並んでいた。
「水浸しだ……。満潮だからじゃないよね?」
「うん……おそらく、この部屋のギミックだと思うわ」
話していると、波が打ち寄せるように目の前の通路が一度沈み、数秒後に再び姿を現した。天井から降り注ぐ光で中央から奥の壁際に行くにつれて徐々に明るくなっているが、部屋が広いから入口付近はやや薄暗い。もう少し明るくならないかなぁ。しかも、水中で戦うとかだったら、かなり動きづらそうだ……。まぁ、考えても仕方ないし、明るい方をまず見てみるかね。
「みぃ、あの石柱を見に行ってみようよ」
二人でゆっくりと水をかき分けながら近づいていく。奥に行くほど水深が増すようで、階段を下りた時は水位が足首までしかなかったが、中央に近づく頃には膝下まで水に浸かっていた。壁際はおそらく数メートルの深さはあるんじゃないかな。
円柱状に削られた石柱には、それぞれ五つの記号が刻まれていた。木に枝が生えたようなものや、アルファベットに似た形……なのかな? どっかで見たことあるような、ないような……。悩んでいるとみぃがぼそりと呟く。
「パネルと同じ……ᚠ。それにᚢ、ᚦ、ᚨ、ᚱ?」
「みぃがなんか呪文唱えてる。これ何かの文字?」
「ゲルマンルーンよ。北欧神話系のゲームとか、神々に捧げる祈りの文字としてよく出てくるの」
「あー! 見たことあると思ったら、大学の時に見せてくれたバイキングのゲームにあったやつだ! じゃ、この柱ってそれぞれ祈りが刻まれてるんだね。どういう意味があるんだろう?」
特に深く考えず、うちは手前にあったNの石柱に触れた。その瞬間、文字に赤い光が走り、不正解というかのように足元から水が噴き上がった。
「えぇ!?」
「キャッ!」
大波に押し流され、気づけば入口のパネルまで戻されていた。冷たい! しょっぱい! いきなり海水風呂は聞いてないよ! 濡れてる感じはするのに、服が水で張り付いてないのが不思議。
「びっくりしたわ……。失敗すると押し戻される仕掛けね。もう一度確認に行きましょ」
みぃは柱を見つめて真っすぐ前に進んでいくのを、慌てて追いかける。
……あれ? 記号が変わってた……それに、さっきは真ん中のパネルに映ってたよね?
疑問に思いながら、もう一度慎重に水をかき分けて、中央へ歩いていく。みぃと一緒にすべての柱を再度近くで確認する。
「ねぇ、この記号って鏡と関係あるのかな? さっき、この模様に変わってたよね、映ってたパネルも変わってたけど」
「え、見てなかったわ……。検証してみましょ」
先ほど入口付近でみた、Fのようなマークの石柱にみぃがそっと手を触れると、文字が緑色に光り出す。その直後、足元の水位がわずかに増した気がしたが、視界の隅に赤い数字が浮かび上がり、そちらに気を取られる。
カウントが始まった瞬間、水面がドクンと心臓みたいに脈打った。
《潮の回廊発動:20s》
「「え?」」
お互いに顔を見合わせると、みぃの頭上にも同じカウントダウンが表示されている。訳も分からずポカンとしていると、カウントがゼロになり、水が噴き上がって入口へ押し戻されてしまった。鼻に水とかも入らなくて苦しくはないんだけど、何度も薄暗い地点に戻されると、ちょっとゲンナリしちゃうなぁ。
「……分かったわ。鏡の記号を順番に押していくタイムアタックね。失敗するとパネルがシャッフルされるみたい」
「おぉ、さすがみぃ!」
パネルが入口にあるから、役割分担しないとこの部屋はクリアできない。それでこのクエストは二名以上必要だったのね。
「じゃあ、みぃが鏡の記号を読み上げて、うちが柱タッチでどう?」
「それはいいけど……ルーイ、記号の名前は覚えたの?」
「鳥の名前なら瞬時に覚えられるよね!」
「覚えてないってことね……」
うちが胸を張って言うと、みぃは盛大にため息をついた。でも、アルファベットに似てる部分もあるし、まずは挑戦することに。一番手前の柱にうちがスタンバイしてAGIに反転してからみぃに手を振って合図する。
「フェフ! 木みたいなやつよ! えっ」
「木! これ!」
バシャバシャと水を蹴とばしながら柱に触れると、記号が白く光輝いた。壁際の水位が少し下がったように見えた。そして、視界にまた二十の赤い数字。何かみぃが声をあげたけど、どうしたんだろ?
「あ、アンスズ! Fよ!」
みぃの声が動揺しているが、今は水をかき分け、ダッシュして石柱へ手を伸ばす。てか、こっちはどんどん水が増えるから走りにくい! 残り十五秒。水が膝上まで来てる。刻まれた文字に触れるたび、部屋の水位バランスが変わっていく。
「次、Nみたいなやつよ!」
残り十秒。水が腰まで迫り、冷たさが肌を刺す。うあー! 冷たい!
「スリザス! えっと、P!」
みぃの指示が少しずつ遅れていき、四つ目の記号に触れる前にタイムアップ。
また視界がひっくり返り、身体ごと入り口まで押し流される。何かウォータースライダーみたいでちょっと楽しくなってきたけど、寒い。鳥肌は立ってないが、プールで芯まで冷え切ったかのように、肺の奥に冷たい空気が溜まっている感じがする。
「ぷへ。惜しかったー! って、水は元に戻らないのね」
「結構厄介なギミックね。パネルも始まるとフラッシュカードみたいになってたわ……指示するほうは記憶力も試されるし、ちゃんと作戦練らないと難しいかも」
うわ、記号の名前がちゃんとわかった上で覚えないといけないのか。さっきは中央の柱ばかり確認していたから、開始していきなり暗記しろってなったら動揺もする。それなのに、うちにもわかるように、言い換えたみぃの冷静さはやっぱすごいなぁ。
次、失敗したら潜水コースになりそう。潜っちゃうと声が聴こえなくなるからなぁ。ここはみぃと念入りに記号の名前をすり合わせして、ラストチャレンジといこう。入口から見て、並びは十二時の方向から時計回りに 木、N、P、F、R。最初の記号は見えているし、最後は余ったやつだから、三つだけみぃに教えてもらえばいい。柱の水位は変わっていないので、腰まで水に浸っている状態でスタートだ。
「【反転 AGI】!」
スキルを唱えて「R」の柱に触れるとカウントダウンが脈打ち、水も増えた。
《潮の回廊発動:30s》
「F!」
さっきよりも水が増えているから、カウントダウンの時間も増えていた。それでも、急いで移動して柱に触れる。残り二十五秒。水がお腹まで迫っていた。
相変わらず、冷たい……! けど、焦らずに水の抵抗をなるべく受けないカニ歩きだ!
「次、木!」
残り十五秒。水が胸まで迫っている。ぐっ、横歩きも難しくなってきたぞ。
「N!」
残り八秒。ヤバイ、肩まで水が来た……!
もう、泳いだ方が早い!
ラストは隣の──P!
息が止まりそうになるほど冷たい水の中に潜って、柱を両足で思いっきり蹴った。ペンギンの様に体を細めて、なるべく水の抵抗を受けないように、右腕だけを限界まで前に伸ばす。
――届け!
ゼロになる寸前、指先が石柱に触れた。
《潮の回廊が解除されました》
「ぷはっ! やったぁぁ! おっとっと……ん?」
入口のみぃに向かってガッツポーズを見せると、『ガコン』と大きな石がぶつかったような音がした。海が息を吸い込むみたいに、一気に水が引いていく。水で満たされていた部屋に床が現れ、中央の円環が淡く光りだす。五柱の床、水で隠れていた部分には文字が刻まれていて、その中心に青い結晶がはめ込まれていた。
「また結晶。それに、『その涙はやがて波となり、光を映す導きへと変わる』か……。もう全部の扉は開いたのに君はどこの扉の鍵なのかねぇ」
背後からかけ寄ってくる足音に耳を傾けながら、足元に埋め込まれていた結晶を見つめる。とりあえず、寒いから早くこの感覚終わってほしい……。ゲームだから五分もすれば乾くけど、この冷え切った感じに運営の本気度を垣間見た気がする。両腕で体を摩りながら、そんなことを考えていたら、みぃの温かい気配が肩に当たった。
次回は23日に更新します。
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