♯3 異世界の日常
森を抜けると、視界が一気に開けた。
鬱蒼とした木々の影の中から抜け出すと、そこには広がる草原と、遠くに点在する建物の姿があった。村だ。 石造りの家々が並び、屋根の隙間から煙がゆるやかに立ち上っている。露店では果物や布が並べられ、人々が道端で談笑していた。その光景はどこか懐かしく、しかし見慣れたものとは微妙に違う空気をまとっている。
「とりあえず、ここで一息つけますね。村まであと少しですよ」 アヤは足を止め、軽く振り返りながらそう言った。 僕は周囲を見渡す。風が吹き抜ける感覚は、森の中とは違っていた。
「……本当に普通に人が暮らしているんだね」 「ええ。でも、あなたにとっては『普通』じゃないですよね?」 僕の足元を見る。服装は変わらないはずなのに、何かが違う。いや、違うのは服ではない。この世界の空気、そのものが、僕の知っている世界と違う気がした。
僕の記憶は確かにある。 23歳、留年した大学生。講義をサボった日、コンビニのアイスが値上がりしたことに文句を言った日、そういう細かい日常は思い出せる。 なのに――僕はこの異世界に立っている。 「僕は、ここに来る前……何をしていたんだろう。」 最後の記憶がぼんやりとしている。掴もうとしても、霧のように消えてしまう。
「そういえば、アヤ……この世界の人は普通、突然違う場所で目を覚ましたりするのか?」 「いいえ。そんなこと、普通は起こりませんね」 彼女の答えに、僕は少し息を詰めた。 それなら、僕はこの世界にとって異質な存在だということになる。 村までの道すがら、僕はアヤに何度も質問を重ねた。彼女は時折苦笑しながら、それでも淡々と答えを返してくる。 彼女にとっては、この世界が「あたりまえ」だ。 僕にとっては、すべてが未知のものだった。
村の入り口に近づくにつれ、家々の輪郭がはっきりしてきた。露店には果物やパンが並び、行き交う人々の笑い声が聞こえる。 その雰囲気は、どこかで見たことがあるようでいて、細かいところが違っていた。例えば、水場に集まった人々が、手をかざすだけで水を汲んでいる。道具を使っているのではなく、この世界ならではの仕組みがあるらしい。 僕は無意識に空を見上げた。雲の色が、わずかに違う気がする。風の流れが、妙に整いすぎている。
「この世界では、あなたの知る文明と似ている部分もありますよ」 アヤは僕の視線を感じ取ったのか、さらりと言った。 「君は……冒険者なんだよな?」 「ええ。特別な仕事があるわけじゃないですけどね」 僕はアヤの剣に視線を向ける。彼女はそれを当たり前のように携えているが、僕にとっては非日常的すぎる光景だった。
「何か目的とかは……?」 「生きていくことが目的ですよ」 あまりにも簡潔な言葉だった。その答えを理解しようとするけど、どこか違和感が残る。 僕は周囲の様子をじっくり観察しながら、ゆっくりと歩みを進めた。