♯1 森の目覚め
最後に聞こえたのは、金属がきしむ音と、遠くで誰かが叫ぶ声――。
それが、僕の記憶の終わり。
目を覚ますと、柔らかな草の上に横たわっていた。湿った土の匂いが鼻を刺し、わずかに冷たい風が頬を撫でる。視界には青空が広がり、耳には緑に生い茂った木々の葉が風にそよぐ音が届いてくる。
「……ここは……どこだ?」
声に出すと、驚くほど穏やかに響いた。まだ寝ぼけているせいか、それとも周囲があまりにも静かすぎるせいか――。目に映る景色は現実感を欠いているように見える。
体を起こすと、手足が以前より軽やかで、どこか違和感があった。指を動かし、手のひらをじっと見つめる。自分の体なのに、まるで借り物の体にいるみたいだ。
周囲を見渡すと、大きな木々が頭上に広がり、枝葉の隙間から陽光が柔らかに差し込んでいる。虫の羽音がやけに近く聞こえ、その存在感がやたら鮮明だ。緑に囲まれた森の風景は一見穏やかに見えたが、何かが違う。空気がどこか張り詰めている――そんな感じがする。
そんなとき、不意に声が響いた。
「こんにちは、大丈夫ですか?」
その一言は、まるで風に乗るように穏やかだった。振り向くと、黒髪を揺らしながら一人の少女がこちらに近づいてきた。
「生きているみたいですね。ここで倒れているのを見たときはびっくりしました」
微笑みながら話す彼女の声は優しく、緊張した心が少しだけ緩んだ気がした。
「えっと、どこ……なんですか?ここは」
僕のぎこちない問いに、少女は静かに目を細めた。
「ここは“迷いの森”と言います。でも、ご心配なく。そんなに危ない場所ではないですよ」
彼女はそう言うと、軽くうなずきながら自己紹介を始めた。
「私はアヤと言います。この辺りを少し調べていて……あなたを見つけたんです」
その穏やかな口調にどこか救いを感じながら、僕はアヤに感謝を述べた。彼女は軽く笑みを浮かべて、「こちらこそ。そういう事情ならここから早く離れた方が良さそうですね」と続けた。
アヤに促され、森の中を歩き始める。彼女は時折周囲に目を向けながら、ゆっくりと足を進める。僕の頭の中は疑問だらけだったが、彼女の落ち着いた雰囲気に安心感を覚えつつ、森の中を進むうちにふと視線を地面に落とした。
そこには奇妙な模様のようなものが刻まれていた。それは螺旋のようでありながら、直線や点も混じっており、単なる自然にできた模様には見えない。模様の中には古代の文字を思わせる線があった。だがその形は崩れており、読み取ることはできない。まるで何かが無理にそれを壊したような――そんな不自然さが漂っていた。
「これ……何なんですか?」
思わず尋ねると、アヤは模様を見つめながら口を開いた。
「ああ、それですね。この辺りでたまに見かけるんですけど……。」
彼女は少し考え込むように眉を寄せた後、ふと表情を緩めた。
「ただ、迷いの森以外では見たことがありませんね。もしかしたら、他の場所にもあるかもしれませんけど……」
他の場所にも似た模様があるのだろうか。それとも、この森だけのものなのか――。その模様はどこか現実の記憶と重なっているような気がしてならなかった。
その時――背後の草むらがガサガサと揺れた音が響いた。
アヤは慎重に剣に手をかけ、鋭い目で草むらを見据えた。
「大丈夫です。少し様子を見てみますから、後ろにいてくださいね。」
自分より年下であろうアヤが剣を構える姿を見て、この世界は、自分が知っている世界ではない――根拠はないが、その模様と森の静けさが妙に心に引っかかった。
何かが欠けているような、その空白がゆっくりと形をなしている気がした。