カンテラ蘇生
〈蛇口より水直かに飲む春の水 涙次〉
【ⅰ】
安保さんが中野區に引つ越してきた。流石の勝子さんも、「淋しの【魔】」の一件で、中板橋の安保邸は氣持ちが惡い、との事で、町會の役員など全ての團體を辞めての引つ越し。彼女としては思ひ切りのゐる事だつたらうが、このところ夫婦仲を是正したくもあつて、安保さんの提案を呑んで、新中野・鍋屋横丁裏に、新しく居を構へる事に同意した。
新居は、賑はひを見せる横丁の近隣と云ふ事もあり、派手好みの勝子さんも氣に入つたやうだ。引つ越してきて直ぐ、町會に顔を出し、また役員に就かんと忙しい。
安保さんはテオに、約束の通り「ロボテオ2號」を納品し、テオは「兄サン」と彼を敬愛する「2號」を可愛がつた。「2號、2號」とロボテオを呼び、ご満悦である。由香梨などは、彼らのハネムーン(?)ぶりを羨ましがり、「安保のをぢさん、由香梨にも『ロボ由香梨』造つてよ」とおねだり。悦美に、「テオちやんはお仕事の手助けに『ロボテオ』造つて貰つたのよ。遊び友だちぢやないんだから」と窘められたぐらゐだ。
【ⅱ】
ところが... 引つ越し後間もなくして、勝子さんはカンテラ事務所に行かねばならなかつた。「宅の亭主が、消えてしまつたのです」-勝氣な勝子さんも、これには參つたらしい。カンテラ「【魔】に怨まれてゐる安保さんだからなあ... まあ誘拐されたと見ていゝ」こいつは大事とテオ、それから心友のじろさんも色めきたつた。
テオは、すぐさま「PCテオ」に当たり、「はぐれ【魔】が誘拐」のデータを取つた。だうやら、「愉快【魔】」と云ふのが、怪しい。人を拐帯して、魔界に連れ去るのが得意な、【魔】らしい。安保さんはそいつに誘拐されてしまつた...
カンテラ一味と関係が密な安保さん、その身に何か累が及ぶ事は以前から心配されてゐた。安保さんの上司・株式会社貝原製作所・會長にしてオーナーの、貝原文嗣も氣が氣でないやうで、「もしも安保くんの身に危険が差し迫るやうな事があるなら- カンテラさん、貴方を恨みますぞ」と云つてきた。
【ⅲ】
そして、それから程なくして、「愉快【魔】」は姿を現はした。「グリコ・森永事件」の「かい人二十一面相」にそつくりな、キツネ目の男である。尤も、それは彼の魔術による變装なのかも知れない。
カンテラ「『愉快【魔】』よ、身代金は払ふ。安保さんの身の安全だけは約束してくれ」【魔】「我ら魔界の者に、カネなど意味はない。貴様の命が『身代金替はり』だ。カンテラよ、安保の命を取るか、自分の命を取るか、決断せよ。あゝ愉快、愉快」
ハナからカンテラ狙ひで、安保さんを拉致つたのだ。カンテラ「宜しい。俺の命はくれてやる。その暁には、安保さんをこの世に返す事が、条件だ」
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈歌萌ゆるその日その日の人丸忌 涙次〉
【ⅳ】
じろさん「カンさん、あんた安保くんの為に、自分の命を擲げ出すつもりなのか?」悦美「駄目よ駄目駄目、カンテラさん死んぢやイヤ」悦美はカンテラの躰に抱きついた。
カンテラ「なに、俺の命の一つや二つ、くれてやるさ。その後の事は、じろさん、あんたに任せた」だうやらカンテラには秘策があつての事。ごによごによとじろさんに耳打ちしてゐる。
翌朝、折からの春の冷たい雨の中、白装束のカンテラは、自らの差し料、傳・鉄燦で咽喉を突き、自死した。
【ⅴ】
【魔】「莫迦めが。お人好しにも程があるわ。本当に死によつた。まあ約束だし、奴がゐない一味など怖くはない。安保の身は返してやる」ぼん、つと音がして、安保さんがこの世に帰つてきた。勝子「あなた... カンテラさんが!」「だうかしたのか!?」
【魔】「こいつあ愉快千万。俺様が、『はぐれ【魔】』の王となる日が來たやうだ。誠に以て、愉快、愉快」
じろさん、カンテラの亡骸から、肉片を一つ、切り取つた。その肉片を、カンテラ外殻に入れると... 一日目、頭が、二日目、胴体が、三日目、手足が、炎に揺らめき、なんと蘇生したではないか!(大體、鞍田文造が初めにカンテラを造つた魔術を踏襲してゐる。)「これが俺の2番目の躰だ! 南無Flame out!!」呪文と共に、カンテラ蘇生完了、である。
【ⅵ】
その後、奢り髙ぶる「愉快【魔】」が、カンテラの元の躰から首を斬つて、某テレビ局に出現した。「こいつを世間に見せびらかし、カンテラ自死の事實を、世に知らしめてやる。あゝ、愉快愉快」
ところが、テレビ局のロビーでは、そのカンテラ本人が待ち受けてゐるではないか!「む、たばかつたな、カンテラよ!」「お人好しはどつちだ、莫迦めが! しええええええいつ!!」「愉快【魔】」胴体と首を分断されて、絶命。
事の次第を知つた(テオが手配して、レポーターをスタンバらせたのである)テレビ局側が、カンテラに突撃インタヴュー。「なに、このカンテラ一燈齋の辞書に、不可能と云ふ言葉は、ない」これが、事務所の宣伝効果を狙つての、テオの策だつたのは、云ふまでもない。そしてその効果絶大だつた事、作者が付け足す迄もない。
【ⅶ】
貝原會長は、カンテラに非禮の「詫び料」として、一千萬(圓)のカネを積んだ。じろさん「こいつは俺たち一味への、安保くんの身代金なのさ」
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〈身の代を命で払ふ者もあり愚かなる者早とちりせむ 平手みき〉
カンテラ蘇生術のお話でした。お仕舞ひ。アデュー!!