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1. 二人の聖女




「──ぅ、」


 ぴちゃんと、どこか遠くで音がする。頬に冷たく固い感触を受けて目が覚めた。


「生き、てる?」


 ぼんやりと靄がかった頭で、直前の記憶を振り返る。

 たしか妹を助けようとして、入れ替わる形でトラックの前に飛び出したはずだ。にも関わらず、身じろぎをしてみてもどこも痛まない。それどころか、少なくとも目に入る範囲にはかすり傷一つ、服の汚れ一つすらもないような。


「美月は、」


 あの子はどうなった?

 妹の無事を確認しようと腕に力を込め起き上がり、周囲を見回したところで。実豊はようやく、己が倒れていたのが道路の上などではなく──どこか清廉な空気の漂う、巨大な洞窟のような場所であることに気が付いた。


「は? なん、どこだよ、ここ……」


 しんと静まり返った中、またどこからか雫が落ちるような水音が響き渡り、この空間の広さを伝えてくる。

 見上げた先はごつごつとしたドーム状の岩壁に覆われていて、ところどころが淡い青色の光を放っていた。よくよく注視すると、岩壁に点々と生えた水晶のようなものが内側から発光し、それが明かりの役割を担って、あたり一帯をぼんやりと照らしているのがわかる。

 幻想的で現実離れした光景に、まるでファンタジーの世界みたいだと、間の抜けた感想が実豊の頭をよぎった。


 上向けていた首を下げ、足元に目を遣る。

 地面も同じく剥き出しの岩肌ではあるが、壁面に比べればいくらかなだらかで、踏みしめやすい。

 少し視線を動かしたところで、白い線で描かれた落書きのようなものが目に入った。アルファベットの筆記体に似た、つまり絵というより文字らしいその落書きは、俯瞰して見ればどうもそれ自体が大きな弧や直線を構成しているようだ。

 靴底で擦れば、その部分が掠れて線の一部が破綻した。小学生のころ、学校の校庭に消石灰で引いたラインが思い出される。


「魔法陣みたい……って、さっきから思考が現実逃避しまくってるな」


 どうやら思いの外混乱しているらしいと、顔を抑えて深く息を吐く。ひとまず、状況を整理しなくてはならない。

 一度落ち着こう。そう自分に言い聞かせようとした実豊の視界の片隅に、『何か』が引っかかり。数メートル先の暗がりにじっと目を凝らして、その冷たく硬い地面に転がる──否、横たわる人影を見つけた。


 それは、少女だった。


「ッ、美月!?」


 か細い手足を投げ出し、長い髪を散らす糸の切れた人形のような姿に、ざっと全身の血の気が引く。思わず足をもつれさせながら駆け寄って、膝をつきぐったりとした身体を抱き起こした。


「──じゃ、ない」


 しかしその少女は、冷静になって見てみると、妹とはまったくの別人だった。青白い顔には生気がなく、その胸が微かに上下していなければ、死人と言われたほうが自然に感じられるほどで。


「気絶……いや、眠ってるだけ、か」


 死人じみてはいるが、本当に死んでいるわけではないことを確認し、一応の安堵に胸を撫で下ろす。死体なんてこれまでの人生で馴染みはないし、見ず知らずの人間とはいえ、単純に恐ろしい。

 最低限の安否だけは確かめたところで、いつまでも腕に抱いているわけにもいかないため、上着を脱いで丸めた簡易的な枕を少女の頭の下に敷き、地面に寝かせる。


「誰なんだこの子、何で俺ら二人だけでこんなとこに……? つーか美月はどこだよ、クソッ」


 どう考えても異常な事態の中で、世界で唯一血の繋がった肉親である、最愛の妹の姿が見えない現状に気が逸り舌を打つ。

 悪い夢なら醒めて欲しい、そう思った瞬間。地響きのような音と共に、薄暗い空間に一条の光が差し込んだ。

 つい先程まで、そこにはたしかに、ただの岩壁が広がっていただけのはずだった。

 しかし今、まるで最初からそこにあったのだと言わんばかりに現れた──大きく重厚な鉄扉が、実豊の目の前でゆっくりと二つに割れていく。


「見ろ、あそこに人影が!」

「おおなんと、あれこそが我らの……」


 眩しさに目を細め、顔を背けた実豊の耳に飛び込んできた、複数の人間の歓喜に昂ったような声。座り込む実豊を指差し近付いてくるその声は、けれども次第に、戸惑いを孕み始めた。

 実豊を──そして、その傍らで眠る少女を見て。


「いや待て、おかしいぞ」

「どういうことだ? 聖女様が二人だと……!?」

「そうだ、勇者様はどこに、」

「馬鹿な、召喚は成功したのではなかったのか!!?」


 口々に疑問を叫び出した声の主、修道士ような衣装を身に纏った男たちのただならぬ様子に。実豊は立ち上がれもしないまま、ただ掌と踵で地面を掻き、後ずさるしかない。

 意味がわからない。これはドッキリか、フラッシュモブってやつなのか?

 夢のような出来事が立て続けに起こり過ぎて、もはや理解が追いつかなかった。しかし、困惑する実豊と倒れた少女を置き去りに、男たちは慌てた様子でなにかを議論している。

 うるさい、ふざけるな、いい加減にしてくれ。もういっそ、なりふり構わず叫び出したい気分になり、拳を強く握り込む。


「──皆の者、静まりなさい」


 けれどもそんな衝動を、そっと宥めるように。その静かな一言は、揺るぎない厳粛さを宿して、あたりに響き渡った。声の主である男が、颯爽とした足取りで近付いてくる。

 実豊は呆然と、己の喉が下手くそに空気を詰まらせる音を聞いた。


(──CG?)


 白磁のように滑らかな肌と、小造りの顔にスッと通った鼻梁。細められた翡翠の瞳は理知的に輝き、薄い唇には穏やかな笑み。

 背は高いのだろうが、プラチナブロンドの長髪を緩く束ねて肩に流し、ゆったりとした修道士風の服に身を包む姿は、どこか中性的な魅力を放っている。

 驚愕のあまり息を呑むどころか、呼吸すら忘れ言葉もなく固まる実豊の目の前にやってきた、その麗人は──なんとも自然な動作で己の胸に片手を当てながら、まるで御伽噺の騎士か王子のごとく、跪いて見せた。


「御前をお騒がせし、大変失礼致しました」

「ぁ……あなたは、一体……」


 透き通った瞳に真っ直ぐ見据えられ、無意識のうちに背筋が伸びる。唇を震わせたのは、普段から使い慣れた女性的なそれとも違う、不恰好に上擦った声で。


「私はこのノーリア王国にて宮廷魔導士長を務める、エズラド・イル・アドラーと申します。以後、どうぞお見知りおきを」


 実豊の問いかけに、現実離れした造形をした男──エズラドは恭しく、そしてどこか喜色を滲ませて応えた。


「ノーリア? ま、魔導?」

「聖女様が困惑なされるのも無理からぬこと。ですが、ご安心を。我々は決して、貴方様に危害を加える存在ではございません」


 そんな言葉を信じられる根拠など、どこにもない。しかし裏に潜むものなどかけらも窺えない、純粋に光輝く笑顔を向けられてしまえば、実豊はただ小さく頷くほかなく。それを受け、エズラドは安堵したように、


「詳しくご説明させていただきたく存じますが、このような場所ではお心も休まらぬことでしょう。まずは別室へ。ご案内致します」


 と、片手を差し出してきた。


「意識を失われている聖女様は、ひとまず貴賓室へお運びしなさい。くれぐれも丁重に扱うように」

「畏まりました」


 エズラドの指示を受けた数人が、何かぶつぶつと呪文のようなものを唱えた瞬間。

 倒れていた少女の身体は淡い光を纏ってふわりと舞い上がり、まるで見えないベッドにでも横たわっているかのように、宙に浮いたまま扉の外へと運ばれて行った。


「は──、」


 人が、浮いた。

 目の前で起こったその現象は、ここへ来て一番の衝撃を実豊に齎した。糸で吊られているわけでも、突風が吹き上げているわけでもない。

 重力という絶対の物理法則をいとも容易く捻じ伏せて、科学では説明がつかない、奇跡としか言いようがない現象を実現させる。

 それは、きっと。


「ま、魔法……?」


 茫然とする実豊の手を、何事もなかったような顔をしたエズラドが引く。


「さぁ、それでは我々も参りましょう」


 これはドッキリか、フラッシュモブか。それとも、バーチャルリアリティの類だろうか。


(誰か、冗談だと言ってくれ)


 だって、そうでなければ。目の前で起きていることが、すべて紛れもなく本物なのだとするならば。


(ここは、)


 ここは──ファンタジーの世界だ。




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