「もしも婚約破棄の会場でテロリストが乗り込んできたら」
「私は、貴様との婚約を破棄する!」
ーーキマッた。かんっぺきにキマッた。今オレは会場イチ輝いている。
冗談抜きで、彼はそう思っていた。
会場はゴミのように雑然としている。対峙している、今や「元」婚約者のマーガレットと、顔もわからぬモブたち。マーガレットはパチリと扇子を閉じた。
「殿下、今なんと?」
「ハッ!聞こえなければ婚約破棄はあり得ないとでも思っているのか!愚か者が!貴様はやはりバカな女だな!」
胸をそらす。今までの鬱憤がぷつぷつと、水面に上がってきた泡のように弾けて消える、無上の快楽。
「お前はオレに捨てられたのだ!嘆き悲しみオレの足元にすがりついてみるか?ハハ!いくらやったところで無駄だがな!会場を見てみるがいい!お前には誰一人、味方などいない!」
ゆえに王子が正しい、というのは飛躍した考えであるが、自分に酔っている彼はそもそも気にしない。
「なんなら、呼び寄せてみたらどうだ!お前のような悪役令嬢に味方してくれる奴がいればの話だが!『悪役令嬢を救う会』なんてものがこの世に存在するとでもーー」
爆音が会場に響いた。
火焔と白煙の中、軍靴を響かせて会場に突入してきた黒づくめの男たちは、一列からさっと横に広がり、その場にいる貴族たちに銃を向けた。修羅場に慣れていない貴族たちは、呆然とし、慌てて床に這いつくばり、悲鳴を上げてしゃがみこむ。
「は?」
一瞬。そう一瞬である。
王子の真っ赤なマントが翻り、元通り彼の服を包み込んだ時には包囲されていた。あまりのことに、理解が追い付かない。
先頭に立っていた男が口許の布をぐいと下ろして、何事か叫んだ。
「は?」
「『貴様がこの国の王子だな』と言っていますが」
マーガレットが、パチリと扇子を畳みながら言う。少女を認めた先頭の男が、背筋を正すと一礼した。
そして、また自分の理解できない言葉で話し始める。
こともあろうにマーガレットは理解できているらしく、しかも流暢に返している。彼のプライドはいたく傷つけられた。
「おい貴様ら、オレにもわかる言葉で、せめてーー」
言い終えるより速く、銃が火を吹いた。飛び出した鉛玉は王子の足首を貫通して床に焦げ痕を残す。
「アだぁァァッ!?」
痛みに悶え、床を転げる。そんな彼をマスク越しでもわかる軽蔑の眼差しと共に蹴りつけて、改めて銃口を向ける。
「な、な、な……なんなんだッ!貴様らッ」
「……『悪役令嬢を救う会』とのことですが」
マーガレットは淡々と、機械的に男たちの言葉を訳した。
『我々は身分差に囚われず、真の強者の元に仕える戦士である。令嬢マーガレットに対する無礼の数々は、近隣諸国でさえ類を見ないほどだ。我々は堕落した王家に天誅を下し正しき世のために彼女を奉る』
これはもう、革命としか言いようがない。王子は傷口を押さえつつ、ヌメヌメとする自分の血に生理的な嫌悪を覚えた。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いーー!
何より、みっともない。
それでも、下半身の筋肉が勝手に弛緩していく。下着が、ズボンが濡れていくのがわかった。
『是非我々と共に。あなたをしかるべき地位に押し上げ、どんな者でも黙らせて見せましょう』
マーガレットに話しかける男たち。彼らの敬意は全て、王子ではなく彼に婚約破棄された少女へと向けられていた。憤怒。全身の血が逆流したような熱さが身体中を駆け巡る。
「お……いっ!わかっているだろうな!そいつらにちょっとでも媚を売るような真似をしたなら、お前は国賊で、売国奴で、この国に二度といられるはずもないってのを……!」
マーガレットが振り返った。その眼光に射抜かれただけで、彼は凍りついた。
マーガレットが動いた。薬室に弾を送り込み、撃鉄を戻す。そのままマガジンを抜き取った銃を、王子の方へ投げる。
「なんだ、これ……」
「ご安心ください殿下。死ぬのは一瞬です」
「貴様ッ……!よりにもよって、死ねというのか!このオレに向かって……!」
「とんでもありません、殿下。殿下は無事に、無能としてお過ごしください。そうでなければ、殿下に対して余計な情を抱かずにいられますので……」
マーガレットは、男たちに向き直る。
『あなたたちが私をそのように評価してくださるとは、大変光栄に思います。ですが私はこの国を愛しております。王室に忠義を誓った身です。主君を裏切ることが、どうしてできましょう』
『それがとんだ暗君、暴君であったとしてもですか。貴方は、王族が死ねと言えばそれに従うのですか?』
『命令は、私の可能な限りで従うつもりですわ』
『では、従わなかったとしたら……?』
『私はこの国を愛しております』
マーガレットは、にこりと微笑んだ。
『ですが、国を愛するためにその国にい続けなければならない、ということはないでしょう。郷里への愛と忠義は、為政者に対しては、必ずしも合致しません』
『……その言葉に少しだけ安心しました』
ただ、と男が顔をわずかに曇らせる。
『私としても、このまま帰るわけにはいかないものでして』
「承知しています」
マーガレットは、どこからかまったく同じリボルバーを取り出した。弾倉を埋めて、元に戻す。その一丁を差し出したとき、黒づくめの男は全てを察したらしかった。
『恐れ入ります。……おい、合図をしろ!』
異質な空気が広がるなか、対峙するマーガレットと男の前で、コインを取り出す。勢いよく弾かれたそれが、回転しながら地面へと落ちていく。
大きく飛んだマーガレットは、テーブルを倒して遮蔽部を作った。彼女が立ち上がろうとするより速く、銃弾が突き去り、遮蔽物ごとマーガレットを追いたてる。この期に及んで彼女にすがりつこうとしてきた王子を蹴り飛ばしながら、ほとんど床を這いつくばらんばかりに、テーブルからテーブルへと距離をとる。
しかし、何が起こっているかわからない王子にしてみれば、ドキューンズキューンと銃声がしたら、男が腕を押さえながら彼女の前に現れた。それが全てだった。
かつてないほど、王子の胸は高鳴っていた。今までの、色褪せたうるさいだけの婚約者が今、いつになく生き生きと躍動感をもって戦っている。その新鮮さ、乱暴ではあるが王子を死なせないように振る舞うその姿。
胸が、キュンとなる。これが恋なのだろうか?
戦乙女の勇ましさに、胸が高鳴るのを押さえきれない。
マーガレットが一瞬顔をあげた。銃声が響くより早く身を屈め、束ねた髪が今銃弾によってぶち抜かれる。彼女は低く姿勢を保ったまま、テーブルの影から転がり出た。親指で撃鉄を起こして、間髪入れずに引き金を引く。弾丸の軌道はぶれることなくシャンデリアを射抜き、真下にいた男にガラスの雨を降らせた。
髪をなびかせ、ドレスを翻しながら、マーガレットが銃を構える。
ばきゅんばきゅん、バキバキ。ズガンドッカングシャ。
たたらを踏みながら、男が後ずさる。ガラスが頬を切っていた。男は満足げに笑っていた。さっきまで握っていた銃は弾き飛ばされ、床を転がっていた。
「お見事です」
男が初めて、この国の言葉で話した。外国人とは思えないほど訛りのない、きれいな発音だった。
「あなたの意志を尊重し、我々は撤収します。御用の際はいつでも我々にお声かけください。敵が王家であろうと神の尖兵であろうと、我々は貴方に尽くし、戦うことを誓います」
「ありがとう」
「待て!何を勝手に......!」
言い終えるより早く、男たちが煙幕を張っていた。影から影へ消えた男たちは、呆然とした貴族たちだけを残していった。
「まっ、待て!マーガレット!」
我に帰った王子が、会場を去ろうとする少女に声をかけた。泡を飛ばしながら、シミのあるズボンをそのままに叫ぶ。
「先の戦いは実に見事だった!どうだ、今ならオレの婚約者という立場に戻してやってもいい!あの男たちを二度と我が王国に入れぬためにも!マーガレット、悪い条件じゃないだろう!ちんけなプライドもその銃と共に手放して、素直に......!」
無表情で、マーガレットは銃をぶっぱなした。弾丸が天井に突き刺さる。しかし何より、轟いた銃声に、王子は再び粗相をした。
「お断りします、殿下」
マーガレットは会場を後にした。誰も、彼女を引き留めることができなかった。