第六膳 休まらない
「ふぅ、流石に夜は冷えるな」
食後。部屋の風呂を高梨さんに貸して、俺は近場の銭湯に足を運んでいた。
「いやぁ、姉さんの滞在用の服があって本当に助かった……」
我が家には一人の姉がいる。大学生になって、俺の高校入学とともに家を出て行ってしまったが、ごくごくたまに俺のマンションに顔を出しに来る。アポがないため恐ろしい。
そんな姉が我が家に滞在するための服があるので、勝手にそれを貸した。流石に俺の服を貸すのはハードルが高いし、何より高梨さんが嫌だろう。
「さてと、銭湯なんて来るの初めてだな」
俺は、夜風で冷えた身体を手早く温めて、銭湯を出た。前に入っていたお爺さんのせいで、お湯は死ぬほど熱かった。
◆
家に帰ると、ソファーの上でクジラのクッションを抱えて座っている少女がいた。
ちょうどお風呂上がりなのか、うっすらと湯気が立ち上っており、上気した頬は少し色気をも感じさせ、ついドキッとしてしまった。
こんなのをずっと見ていたら、心臓がもたん。
すると、ちょうど彼女も俺の帰宅に気付いてくれた。
「あ、篠宮さん。お帰りなさい」
「おう……ただいま」
クラスの女子にお帰りを言われる日が来るとは夢にも思わなかったが、中々悪くないものである。むしろ、俺を赤面させるには十分すぎた。
照れを隠すように、俺は持っていた袋から二つの瓶を取り出した。
「銭湯行くついでに牛乳買ってきた。高梨さんも飲むか?」
「良いんですか? ならおひとつ頂きます」
「普通のとコーヒー牛乳、どっちが良い?」
「じゃあ普通の方をお願いします」
「あいよ」
普通の白い牛乳が入った瓶を手渡し、各々瓶に口をつける。
「ふぅ、やっぱ風呂上がりの牛乳はうまいな」
「そうですね。久しぶりにこんな飲み方しましたけど、とても気持ちがいいです」
そういう彼女の口元には白い髭が出来ていて、指摘すると恥ずかしそうに拭き取っていた。
「もう、篠宮さんだって出来てますよ? ひげ」
「え? うそ!?」
慌ててティッシュを取って口元を拭き取るも、
「ふふふ、冗談ですよ」
「騙したな……!?」
まさかそんな冗談を言われるとは。どうやら俺は、彼女を侮っていたようだ。
何だかおかしくって、二人して笑っていた。口の中が甘く感じるのは、コーヒー牛乳に入った砂糖のせいか、あるいは。
◆
「さて、寝る場所についてなんだが」
牛乳は飲み干して、キャップはそれぞれ記念に持っておくことにした。
そして、残る最後の問題、寝床について切り出した。
「ベッドと来客用の敷布団、どっちが良い?」
「敷布団で大丈夫です」
とのことなので、リビングの机やらなんやらを一旦退かして、そこに来客用(主に姉)の布団を敷く。
「んじゃここで寝てくれ。エアコンとかは好きに調整してくれて構わないから」
「はい。あの、何から何まで本当にありがとうございます。このご恩はいつかお返しします」
「はは、別に気にすんな。困った時はお互い様だからな」
「それでもです。ありがとうございます」
「本当律儀だよなぁ。じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
高梨さんに挨拶をして、俺は自室へ入った。
「ふぅ」
俺は自分のベッドに横たわる。まさか女子におやすみの挨拶を言われる日が来るとは……。
「やっぱり、昔の俺に言っても信じてもらえなそうだよなー」
高校に入学してからはや一か月。料理をおすそ分けするだけに留まらず、まさか自分の家に泊めることになるとは。偶然とはいえ、家での時間をこんなにも楽しく過ごせたのはいつぶりだろうか。
「本当に、夢でも見てる気分だ」
それが夢じゃないのは、頬をつねらずとも分かる。だってこんなにも心臓が早鐘を打っているから。
こんな夢があってたまるか。
「あー、くそ。またほっぺた熱くなってきた。もう寝よ」
俺は布団を深く被り、静かに意識を手放した。