第四膳 風邪を治して
「風邪引いた……」
「いつも健康体の梓人が珍しい」
なんと、俺は風邪を引いてしまったらしい。思い返しても、俺の食生活に何一つ問題はない。ならば原因は一つ。
「昨日のアレのせいだ……」
どうやら夜風に当たりすぎたらしい。昨日ぼんやり景色を眺めてたら、いつの間にか身体を冷やしてしまっていたようだ。我ながらアホである。
気付いたら高梨さんも居なかったし、本当にボーッとしていたらしい。
「ま、とりあえず保健室行ってこいよ。送ってくから」
「そういう時だけ優しさを見せるな。ギャップで酔う」
「俺は俺に酔ってるからな……じゃなくて本当に熱っついなお前!? 冗談言う前に早よ行くぞ」
「……助かる」
蓮の肩を借りて教室を出る。その間際にチラリと視線をやると、生徒たちの隙間から覗く琥珀の瞳と目があった。
どこか不安げに揺れる琥珀色に見送られ、重い足取りで保健室へ向かった。
◆
「38度5分。これは早退した方が良さそうね」
「そうですか」
長年ここで勤めていると言う保健教論の告げた数字は、微熱と言うには高く、高熱というには足りない。
要は普通の風邪だ。
「早退する時は、言ってくれれば荷物取ってきてやるからな。安心して休めよ」
「ありがとう蓮」
「礼言う暇あったら寝とけよ」
そう言って蓮は保健室を出ていった。その背中に合掌。肩を貸してくれた友人に感謝である。
「しばらく休んで、一人で歩けそうなら早退しましょうか」
「はい。そうします」
昨日までとは違う意味で熱を持った身体を休めるため、俺はゆっくりと瞼を落とした。
◆
結局早退することになった俺は、家に帰って横になっていた。
スポドリ、冷感シート、作り置きのお粥など、自らに施せる準備は既に施している。
友人に、異常とまで言われた俺の“もしものとき対策”は伊達じゃない。一人暮らしだからな。自分でなんとかしなければ。防災バッグ? 2個あるよ。
帰って寝て、ある程度体調も回復してきた頃。突然、我が家のインターホンが鳴らされた。
「ん? 誰だ?」
宅配を頼んだ覚えはないが……さて。
一応ドアの覗き穴から見ると、ガラス越しでも色褪せない、金糸の如き茶髪が見えた。なるほど、高梨さんか。
ドアを開ける。
「あ、篠宮さん。こんにちは。体調いかがですか?」
「今まで寝てたお陰で順調に回復してる。んで、何か用か?」
「先生からプリントを届けてくれ、と」
「おぉ、サンキュ。助かる」
高梨さんからプリントの束を受け取る。中身はほとんど授業プリントのようだ。後でやることが増えたな。
「あと、これを」
「スポドリ?」
「はい。体調が悪い時は水分を摂らなきゃいけませんから。せめてものお見舞いです」
「そうか。ありがとう」
高梨さんが俺のために買ってきてくれたのだと思うとちょっと嬉しくて、ついにニヤけてしまいそうになる。だが、俺はここで不審者になる訳にはいかない。
「あとこれ、昨日いただいた煮物のタッパー、お返しします。本当に美味しかったです」
「おう。そう言ってくれると作り手冥利に尽きるな」
あまり自分の料理を人に食べてもらう機会が無かったので、自分の作った物を美味しいと言ってくれるのはテンション上がる。その言葉だけでご飯3杯はいけるかもしれない。
「あ、あともう一つ」
「まだ何かあるのか?」
「これを。今日の分の授業ノートです。ぜひお役立てください」
「マジで!? これはありがてぇ」
「ふふ」
授業ノート。後で蓮に頼んで見せてもらおうと思っていたのだが、まさか高梨さんから貸してもらえるとは。ありがたや。
「では私はこれで。お大事に」
「あぁ。色々ありがとう」
冷感シートつけっぱなしで応答していたことに今更気付き、恥ずかしさを誤魔化すように、俺は貰ったスポドリに口をつけた。
そして二時間後にタイマーをセットし、再びベッドで横になるのだった。
◆
翌朝。俺はいつもより早く家を出て、自室の前で待機していた。高梨さんに、昨日借りたノートを返すためである。
学校で話しかけるのは難易度高いし、かと言って返すのが遅れると高梨さんが困るだろうし。
待つこと数分、隣の部屋の扉が開く音がした。
「お、来た」
「あれ? 篠宮さん。早いですね」
予想外の客人に目を丸くした高梨さんは、自室に鍵を締め、トテトテとこちらにやってきた。
「おはようございます。体調は戻りましたか?」
「おう。お陰様でな。それで、これ。ノートありがとう。めっちゃ助かった」
「私のノートが役に立ったのなら幸いです」
言い忘れていたが、高梨さんは超がつくほどの秀才である。
彼女の取り巻きの一人が、天使様は中学の頃毎回学年一位だった、みたいな事を言っていた覚えがある。
そんな彼女のノートだ。見やすくないはずもなく、端から端まで整っており、とても参考になった。
そのことを彼女に伝えると、少し照れてはにかんだ。破壊力抜群の笑顔に、俺は「お、おう……」と返すので精一杯だった。
「そういえば篠宮さんは部活とか入って無いんですか?」
「ん? あぁ。中学ん時はバドミントンやってたけど、この学校バド部ないし。一人暮らし始めたから正直入る余裕がない」
「それもそうですね」
学校へ行く道を並んで歩く。女子と一緒に登校とは、俺も偉くなったものである。
「高梨さんはいつもこの時間に?」
「はい。ちょっと寄り道をするので……」
「寄り道?」
「……お恥ずかしいことに、この身体は代謝がとても良いらしくて、すぐにお腹が空いちゃうんです……」
直後、くぅ〜と可愛らしい音がなり、彼女は羞恥で頬を染めた。
「……コンビニ、寄らせてください」
「ははは、もちろん」
「わ、笑わないでください!」
もう、と言って不機嫌そうに頬をふくらませている。かわいい。
外で待っていると、肉まんを持ってホクホク顔の高梨さんが出てきた。
「ラッキーです。作り立てだったみたいですよ」
「おぉー、良かったな」
ちょっぴり熱かったのか、はふはふしながら肉まんをついばむ高梨さん。小鳥か。
「そうだ、篠宮さんにも半分あげちゃいます」
「え、いいよいいよ。高梨さんが買った肉まんでしょ?」
「ご飯は、一人で食べるより一緒に食べた方が美味しいんです。私の肉まんを美味しくするために、一緒に食べてください」
「なんじゃそりゃ。なら貰うよ」
「ふふ。はい、どうぞ」
「ん」
割ってもらった肉まんを口に放り込む。
「熱っつ!?」
「わわ、出来たてだって言いましたよね……?」
半分譲ってもらった肉まんは、なんだかいつもより美味しかった。
熱かったけど。