第三膳 筑前煮
それから天使様と関わることもなく、平穏な一週間を過ごしていたある日。
「あ、篠宮さん」
近所のスーパーに夕飯の買い出しに来ていると、天──じゃなくて高梨さんとばったり。
「あ、高梨さん」
「篠宮さんも夕飯の買い出しに?」
「あ、うん。米が切れそうだったから……って高梨さん、それは?」
俺が指差したのは彼女の持つ買い物カゴ。中身はプラスチックパックに入ったお惣菜類と、パックの白米だった。
「今日の夜ご飯に、と」
「……もしかして毎日それだったり?」
「……はい」
「料理は?」
「……できません」
「なるほど」
毎日それでは栄養が偏る上に金もかかってしまう。華の女子高生がそれではちょっとまずいのではなかろうか。
「あー、お節介かも知れないが、後でおすそ分けしてもいいか?」
「え、いや、そんな、ご迷惑をおかけする訳には……」
「流石にそんな偏った食生活じゃ厳しいだろ? これで見逃して体調崩されたらこっちも目覚めが悪い」
「う、じゃ、じゃあ、お願いしても……良いですか?」
「おう。こっちから頼んだからな」
高梨さんと一度別れ、それぞれ必要なものを購入して別々に帰宅した。
家に帰ると早速、エプロンを身につけながらキッチンに立つ。
「さて、何を作るか」
高梨さんの買い物カゴに入っていたのは確か、ポテトサラダに鶏の唐揚げ、それとパック白米。
野菜が少し足りないかな。
ならば、根菜多めの煮物ぐらいがちょうどいいだろう。
「なら筑前煮だな」
というわけで料理開始だ。
「よっしゃ、まずは鶏肉を……と」
まず鍋にごま油を引いて、鶏もも肉を中火で炒める。
肉が白っぽくなってきたところでレンコンやごぼう、干ししいたけにニンジンを加えて再び炒める。
今度は1cm幅にカットして湯通ししたこんにゃくを突っ込む。ついでに里芋も突っ込んでおく。
「よし、油も馴染んできたところで……」
だし汁やらみりんやら砂糖やらの混合調味料を加え、落とし蓋をして弱火で10分ほど煮る。
「よし、火が通ってきたな」
そしたら蓋を外してアクを取り、しょうゆを加える。そして強火でかき混ぜながら煮詰めていく。
煮汁がなくなってきたら火を弱めながら絹さやを投入。かき混ぜて完成である。
我ながら良い出来だ。染み込ませただしの匂いが食欲を刺激してくる。
「よし、出来た。あとはこれを……」
タッパーを取り出し、今作った筑前煮を詰める。気持ち野菜多めで。
「……渡しに行くか」
俺は部屋を出て隣の部屋のインターホンを鳴らす。
すぐにパタパタと急ぎ足の足音が聞こえ、ドアが開いた。
「はい、これ」
「これは……煮物ですか?」
「おう。さっき作った筑前煮だ。一応、作り過ぎたからおすそ分け、って事で」
「わぁ、すごく美味しそうな匂いがします。ありがたくいただきます」
「あぁ。体調崩さないように気をつけてくれよ」
「はい。これを貰ったからには元気でいる他ありません!」
「じゃ、俺はこれで」
「あ、ちょっと待ってください! お礼がまだ……」
と言って財布を取り出した高梨さん。俺はこれ見よがしにため息をついて言った。
「お礼はどうするんだったか?」
「あ、えと、ありがとうございます!」
「ははは、そうそう。こちらこそ貰ってくれてありがとう。じゃあな」
「はい。では」
扉が閉まる音を聞きながら俺は自分の部屋に戻る。
そしてまた玄関に座り込む。
「あぁ〜、もう。高梨さんと話してるとなんか調子が狂う。いつもの俺じゃ無いというか」
まぁいい。この違和感の正体はいずれ分かるだろう。
「……俺も飯食うか」
他の料理と共に食卓に並べるも、つい高梨さんのことを意識してしまう。
どこか気恥ずかしくて煮物を掻き込んでいたら、れんこんが喉に詰まった。
◆
その夜。高梨さんのことを考えていたお陰で、風呂で軽くのぼせてしまった俺は、湯涼みにベランダで風に当たっていた。
「なーんか、現実味のない話だよなぁ」
まさか隣に天──高梨さんが住んでいて、その上、手料理を渡すことになるなんて。以前までを振り返れば、ありえなかったことだ。きっと、昔の自分に話しても、きっと信じてくれないだろう。
「奇遇ですね、私もそう思っていたところです」
「た、高梨さん!?」
「はい、高梨です」
全く気付かなかった。どうやら高梨さんもベランダに出ていたようだ。お風呂上がりなのだろうか、桃色に染まる頬は、その無垢な容姿にどこか色気すら感じさせる。
更に、天使の寝間着姿は俺にとっていささか攻撃力が高い。つい視線の逃げ道を探して景色を眺めた。
「あの、先ほど頂いた煮物、とても美味しかったです」
「……おう。美味かったんなら何よりだ」
「タッパーは洗って明日お返しします」
「分かった」
「……」
「……」
……気まずい。
元々親しい間柄と言うわけでも無いし、手料理を渡すという変な関わり方をしてしまっているから尚更。
何か話題はないかと一人百面相をしていると、彼女の方が口を開いた。
「篠宮さんは、私の裏面を知って、幻滅しないんですね」
「え?」
「いえ、私がお腹空いて倒れたりとか、授業中でもお腹空かしていたりとか、料理できないだとか。篠宮さんには恥ずかしい面ばかり見せているな、と」
言われてみればそうだ。学校で皆に好かれている完璧超人な天使様はここに居なくて、俺の知る彼女は、いつも腹ペコな高梨鈴音だ。
「……幻滅も何も、俺が知ってるのは学校での天使みたいな振る舞いじゃなくて、優しいけどお礼が下手で、いつも腹空かしてる方の高梨さんだ。こっちの方が人間味があっていい」
言ってから思ったが、俺は何を言ってるんだ!? そう何回しか関わってないのにとか偉そうに語ってキモくないか!?
「……そうですか。嬉しいです」
「へ?」
それから高梨さんは一言も発すことなく、ただ口元を緩めて夜の街を眺めていた。
風呂でのぼせた身体が再び熱くなるのを感じながら、しばらく夜風に当たっていた。