「俺、実は女なんだ」しようと思ってたら「俺、実は女なんだ」されて、「俺、実は女なんだ」するタイミング完全に逃した。
今でも、あのシーンを見返すことがある。
主人公の頼りになる親友であり、悪友であり、一番の理解者であるキャラクターが、待ち合わせ場所に彼女に出来る精一杯のおめかしをして現れ、恥ずかしそうにスカートの端をつまみながらーー。
「俺、実は女なんだ」
と、告白するシーン。
小さい頃に見ていたアニメ、『ラブニチュード8.0』で私の一番お気に入りなシーンだ。
「大人も子供も楽しめる」がコンセプトのアニメで、普段は食事中はニュースしか見せてくれない両親が毎週金曜だけはラブニチュードを見せてくれた物だから、私は必然そのアニメが大好きになったし、その後の趣味趣向、人格形成に大きな影響を与えられたことは間違いない。
「うん、よし。我ながら今日もカッコいい」
こうやって、男の格好をして学校に行くくらいには。
勘違いしないで欲しいのは、私は決して、高校生にもなって二次元のキャラクターのモノマネをしてるイタい奴では無いということだ。
いや、客観的に見たらそうなんだけど。
こんな格好をしてるのは、私なりのロジックがあるのだ。
まず第一に、単純にこの格好が似合うということ。
自慢じゃないけど、私は手足が長く、背が高いモデル体型で、パンツルックが映える背格好をしている。顔も中性的で中々整っていると自負しているがーー胸がない。それはもう、圧倒的にない。これは遺伝の問題だから仕方ない。
したがって、服の好みは小さい頃からゆるふわ系よりモード系。中学、高校と私服登校可の私立の一貫だったので、脳死でジーパンとワイシャツをヘビロテしてたら、いつの間にかスカートを履けなくなってしまったのである。だっていつもの感じであぐらかいたらパンツ見えるんだもん。私に見せびらかす趣味はないのだ。
友達はよく、男子中学生ファッションと言って揶揄って来るが、決してオシャレな服を持ってないとか、組み合わせ考えるのが怠いとか、そういうわけでは決してない。
誰がなんと言おうと、ワイシャツにジーパンはモード系である。
第二に、この格好をすることによって、私は俗世のカーストなるものから逸脱した存在になれるということ。
私服で登校可なうちの学校は、別に自分の金で買ったわけじゃないのにブランドものの服でマウントを取って来る思考40代おばさん系女子や、授業中ふとした瞬間に見ると鼻くそほじってそうな自称サバサバ系女子、自分をマントヒヒかなんかと勘違いしている厚化粧女子など、魑魅魍魎が跋扈する魔界である。
しかしこの格好をすることによって、私は「みんなの憧れの王子様(はぁと)」という治外法権を得て、動物園から一歩引いた立場で後方ラスボス面(人間とは......なんて愚かな生き物なんだ)することが可能となるのだ!
ハッハア! 私は君たちチンパンとは違うのだよ!
なお、限られたリソース(女子)を奪っているとの理由により、基本的に男子には敵対される模様。
別にいいもんね! 私には湊きゅんがいるから!
そう、そしてそれが三つ目の理由。
「おはよう、湊君。今日はいい天気だね」
「おはようございまッス! 先輩!」
この私の人生のメインヒーロー、湊くんに最高のタイミングで「俺、実は女なんだ」をかますためである!!
前言撤回! あのアニメのやつやりたい!!
みんなだって、カメハメ波打てたら打つでしょ? 腕がゴムゴム出来たらピストルするでしょ? 誰だってそうする。私もそうする。
ーーなら、「俺、実は女なんだ」も出来たらするよね?
ふははははっ! 今ここに、完璧なロジックが完成してしまった! 何人たりとも私を論破することはできない!
「僕の所は今日テスト返ってくるけど、湊君は?」
ちなみに、私は学校では僕っ娘である。
王子様だからね。俺様じゃなくて、演劇部っぽい方の。
「オレん所も現国と生物が今日ですね。先輩に教えてもらったんで、どっちもバッチリ自信ありますよ!」
「ふふっ、そうかい?」
「はい!」
あー、ワンコ系後輩男子可愛いんじゃあ。
円な瞳はいつもキラキラと輝いていて、上目遣いで一心にこちらを見つめる瞳は、私の母性本能的な何かをギュンギュンに刺激して止まない。
それだけじゃない。
なんていうか......彼は、他の男子とは違って清潔なのだ。
色素の薄い髪の毛は毎朝櫛を通しているのか寝癖なんて見た事のないサラッサラの直毛だし、服も襟のところまできっちりアイロンがけされていてシワがない。
肌も真っ白のツヤツヤもちもちだし、顔も女の子みたいに整ってて可愛い。ちょっとショタっぽい所が良いのだ。
筋肉むきむきの脳筋ゴリラより、華奢なショタ! それが私の性癖!
うふふ、お姉さんが色々教えて、あ♡げ♡る♡
ーーまあ、経験ないんですけど。
湊君の魅力はそれだけじゃない。
「先輩、マジで教えるの上手いですもんね!」
彼は、女の人をエッチな目で見たりしないのだ。
今だって、女の私だって二度見するレベルの巨乳さんがめっちゃ短いスカートで自転車漕いでたのに(黒だった。よって痴女。ギルティ)、少しも視線を動かす事なく、私の瞳に向けて固定されていた。
男の子がその性欲を全く表に出さないことは結構難しい事だとなんとなく分かる。それなのに、湊君は私といる時は必ず、私の目を見て話してくれるのだ。
男だと思っている、私のことを。
人と目を合わせて喋ることができる人は意外と少ない。
「先輩も男なんですねえ」
「いやっ、今のは違くてーー」
むしろ私の方が見てたの気づかれてた!
だってすっごいおっきかったんだもん! くそ......私だって、私のお母さんとおばあちゃんとおばさんと天国のひいおばあちゃんの誰か一人でもおっぱいがあったらそれを受け継いでいたかも知れないのに! メンデルの法則が仕事しすぎている!
「先輩も、その、興味あるんですか?」
「え?」
「その、女の人とお付き合いしたりとか......そういうの、です」
か、かわええええええ!!
その恥ずかしげな上目遣い! めっちゃかわええよ!
いっけない。ポーカーフェイス。ポーカーフェイス。
「うーん......告白されたりは偶に有るけど、まだそういうのは分からないかなあ」
と、恋を知らない王子様ムーブで誤魔化して行く。
前述の通り、私は女の子にモテる。マジでモテる。
特に、高校からの外部生は湊君含めて私が女だって知らない人たちばかりだから、そういう人たちから見れば、私はまさにモノホンの王子様。顔も名前も知らない女子に呼び出される頻度は、月に一度や二度じゃない。
私が作り上げた王子様の評判は、もはや真実すら覆い隠してしまう規模になっているのだ。
でもま、告白は全部お断りしてるんだけどね。だって私、女の子には興味ないし。普通に。
「湊君と遊んでる方が楽しいよ」
付き合うならやっぱり、男の子だよね!
湊君に「実は女の子でした」する→湊君色々意識する→湊君告白して来る→付き合う!→やったー!!
なんかこう、いい感じにフラグが立ったタイミングでバラすまで、この絶妙な距離感を維持したい。
それに、こうやって地道に仲を深めれば深めるほど、「実は女の子でした」した時に与える衝撃は大きくなる......はず! そう! 言うなればこれは熟成期間!
ーー断じてフラれたらどうしようとか、嘘ついてると思われたらどうしようとかでビビってるわけではない!
「本当、先輩はズルいよ。そういうこと、サラッと言っちゃうんだから。でも、もっとズルいのは............」
「なんて?」
反射的に聞き返してしまったものの、残念ながら私は難聴系主人公でもなんでもない。こちらに聞かせる気のない小さな声でも、断片的に聞き取れてはいた。
ズルい? どういう意味だろう。
「ーーあのっ! 先輩っ!」
わっ。びっくりした。
「ん? なに?」
「今日の放課後、時間いいですか?」
「いいけど、なんで?」
いつも明るい湊君にしては珍しく、緊張した声色。
「先輩に、お伝えしたい......いえ、お伝えしなければならないことが、あります」
「え、今じゃダメなの?」
「はい。心の準備をしたいので」
「うーん? よくわからないけど、いいよ」
実はテストの点数悪かったとかかな?
まさか告白......は、ないか。流石に。今の私に告白したら、湊君はホモってことになるもんね。
......でももしそうだったら、どうしよう。
その場合、湊君は男の子が好きってことになるから、私が実は女だったって知ったら、フラれるんだろうか。それとも、男女関係なく、私だから......やめよ。
これで違ったら、すごく恥ずかしいし。
後のことは後で考えよう。
「じゃ、また放課後にね」
「はい!」
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
放課後。湊君に呼び出された場所は、普段から私がよく呼び出される裏庭の銀杏の木の下だ。なんでも、ここで告白した男女は絶対付き合えるという伝説があるとか......うん。少なくとも私だけで二桁はフってるから、嘘だね。
「よりにもよって、ここかあ」
これは本当に告白されるんじゃあなかろうか。
事ここに至って、現実逃避はしていられない。
ーーもし告白されたら、私はどうするんだろう。
受けるのか。それとも断るのか。
想像してみたら、なんとなくだけど、受ける......気がする。だって私は、湊君のことが好きだ。先輩として、真摯に私を慕ってくれる湊君が、一途に私と目を合わせて話してくれる湊君が、私のくだらない話を楽しそうに聞いてくれる湊君が、大好きだ。
でも、そうやって湊君に慕われてる自分は、偽りの自分で......本当の私とは、一人称すら違う。
それでは果たして、湊君は「私」を慕ってくれていると言えるのだろうか。
湊君は女の子に慕われる王子様な「僕」は好きでも、服なんかほとんど持ってなくて化粧下地とファンデーションの違いすら分からない「私」を受け入れてくれるとはーー。
「......先輩」
そんなことを考えているうちに、湊君が来てしまった。
「すみません。お待たせしてしまって」
「いや、今来た所だよ。それで、伝えたいことって、なにかな?」
まだ思考はまとまらない。
どうする。私は、どうしたい? よく直感に従えとは言うけど、脊髄なんかの言いなりになるくらいなら、悩んで悩んで悩みまくって、眠れない方がまだマシだ。ちゃんと考えて答えを出さないと。
ーー私は、どうするべきだ?
深く思考に没頭しているからか、時の流れすらゆっくり流れているように感じる。
顔には出さず、けど頭の中ではギュンギュンに回している私の前で、湊君はーー。
ゆっくりと、深く、頭を下げた。
「先輩、ごめんなさい」
............ん?
「え?」
思わず王子様も忘れて間抜け面を晒してしまう私の前で、湊君は頭を下げ続けている。
ーーあれ? 私、フラれた? まだ告白もしてないのに?
「今までずっと、騙してました。オレ、実はーー」
大混乱な私を置いて、湊君は一息に言い切った。
「オレ実は女なんです!」
..................。
..................。
..................?
「は?」
なにそれ、アニメの話?
「オレ、小さい頃からおかしくて。女の子らしくしなさい、とか、女の子なんだから、とか言われる度に、なんで私、女の子なんだろうって......。それで試しに自分のこと「オレ」って呼んでみたら、しっくり来て」
え? え?
「それで。ああ、オレ、本当は男なんだって。身体は女だけど、心は男なんだって」
え、これ、マジなやつ?
「中学の時とか、制服を着るのが本当に苦痛で、それで私服で良いこの学校に来て、一人暮らしすることになったから、親にも止められないで、堂々と「オレ」になれて......それで、先輩に出会ってーー」
ちょ、ちょっと待って。一回止まって。
じゃないとーー。
「好きになりました」
受け止めきれないよ。
「おかしいですよね。心は男なのに、男の先輩に惹かれるなんて。最初は混乱したし、やっぱり私の体が正しくて、頭だけがおかしいのかな、って、苦しくなることもあったんですけど、それ以上に先輩を騙してるのが苦しくて............でもある日、気づいたんです」
気づいたら、湊君は泣いていた。
私は正直、ついていけてなくて、感情の温度差に鳥肌が立って、せめてこれが現実であることは受け入れようと、強く強く腕をつねっていた。
「先輩に「可愛い」って言われるのは、嫌じゃないって」
やめてよ。今そんなに綺麗な笑顔しないでよ。
............打ち明けられた秘密が大きすぎて、重すぎて、薄れて見えるよ。
「他の人に言われるのは凄く苦痛だった。でも、先輩からなら我慢できた......いや、嬉しかった。だからオレ、きっと、先輩の前ではちゃんとした「女の子」でいれる気がするんです。お願いします。先輩」
そこまで一気に言い切ると、湊君は再び頭を下げてーー。
「ワタシと、付き合ってください」
「えっ、と......その............」
「無理ですよね」
「えっ?」
すぐに、上げてしまった。
「嫌ですよね。気持ち悪いですよね。こんなオナベ」
「いや。ちょっと、ちょっと待ってーー」
「しかもワタシは、先輩のこと騙してたわけですし」
湊君は、こんなに泣いてるのに、こんなに苦しそうなのにーー何一つ、私には返させてくれない。
「聞いてくれて、ありがとうございました。これからも、出来れば先輩後輩の関係でーー」
一つも受け止めさせないまま、勝手に終わらせようとしている。
「先輩、後輩の関係を。先輩後輩の関係も。先輩後輩の関係だけはーーうっ」
ーーッッ!?
「待って!」
口元を押さえながら走り去る湊君を、慌てて追いかける。
はっきり言って、湊君の体格は走るのに向いてない。男子と比べても早い方の私からすればーーあ、女の子なんだっけ。
まあとにかく、簡単に追いつかる。
「放して! 放してください!」
「まあ待ちなよ。一回落ち着いて」
「同情ならやめてください! 先輩に気持ち悪いって思われたら、ワタシはーー」
「いや、気持ち悪いとか、嫌だとか、それ以前の感情だよ。正直、意味がわからないよ」
逃げられないよう、押さえつけた。今まで意識してなかったけど、言われてみると、湊君の体は男の子特有の角張った感じがないように思えた。
これがカラーバス効果というやつか。
まあいいや。取り敢えず、情報を整理しよう。
「えっと、まず湊君は、体は女の子なんだよね?」
「............はい」
「でも、心は男の子」
「はい」
「で、男の僕のことが好き」
「はい」
「なるほどね」
良かった。取り敢えず要件は告白ではあった。
恥ずかしい勘違いでは無かった訳だ。
「じゃあ、取り敢えず、付き合ってみる?」
だから私は、提案する。
「ーーえっ?」
「受けるよ、告白。付き合おう」
「............嘘をつかないでください」
「いや、別に嘘じゃないよ」
「どうしてーーだってワタシは、男だけど、女で」
「まあ、そこら辺はまだ受け止められてないけどさ」
あくまでも、軽い感じで。
「そういうのも全部含めて、合わなかったら別れれば良いじゃん」
ほら、周りが熱くなってると温度差感じて逆に冷静になっちゃうやつ、あるよね。
私も湊君も色々悩んでたけど、高校生の恋愛なんて、大人から見ればきっと経験の一つでしかない。
取り敢えずはそれで、いいんじゃないかな。
それに、私は断じてショタコンではないけど、私は断じてショタコンじゃないけど、湊君の外見はもろにストライクだ。
「どうかな?」
ーーよろしくお願いします。
私は難聴系主人公ではない。蚊の鳴くような声だったけど、確かにそう聞こえた。
「こちらこそ、よろしく。湊君」
泣きながらお手洗いに駆けていく湊君をぼんやりと見つめながら、思う。そう言えば、トイレ行ってる所見たこと無かったな。
あとーー。
「「俺実は女だったんだ」するタイミング、完ッ全ッに逃したーー!!」
いや無理だ。あの重い告白の後で、
『ちなみに私も女だよ。でも心は男とかなくて、ただのファッションと遊び心だよ。びっくりした?』
なんて言える奴がいたら、そいつはもう勇者とかじゃなくただのハイパーマキシマム空気の読めない奴だ。ぶん殴られても文句は言えないだろう。刺されたら流石に文句は言うけど、大人しく死にはする。
「どうしよう。どうしよう。どうしよう」
「俺実は女だったんだ」するつもりだったのに、「俺実は女だったんだ」されて、完全にカミングアウトのタイミングを逃してしまった。
こうなったらもう、墓場まで持っていくしか......。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
『今週末デートしませんか?』
私と湊君......ちゃん? やっぱり君かな。が付き合い始めてから3日が過ぎた。
前みたいな先輩後輩という明確な線が引いてあった時とは違う、お互いに測り合うような微妙な距離感で、私たちは私たちなりの恋人関係を模索していた。
「『いいよ』っと。デートかぁ。楽しみだなあ」
デート。女の子と二人で出かけたことはあるけど、男の子......じゃないんだった。友達以外の、あー、恋人......までは行ってない気がするんだよなあ。付き合ってはいるけど。
まあとにかく、そう言う関係の人と二人っきりでお出かけするのは何気に初めてだ。
デートって何するんだろう。ラブニチュードでは確か遊園地に行ってたんだっけ。あの観覧車のシーンは良かったなあ。いつもとは違うヒロインの私服に意識しちゃってる主人公が............あ。
ーーや、やばっ!?
「服、どうしよう!?」
慌ててクローゼットを開け、箪笥をひっくり返す。
ワイシャツ。ジーパン。ワイシャツ。ジーパン。ジャージ。ジャージ。ジャージ。パジャマ。
「こ、この女、終わってやがる......」
改めて客観的に見ると、私ってやばいな。
買わなくちゃ買わなくちゃとは思ってるんだけど、服って結構高いし、いざ試着してみるとなんか気恥ずかしいしで、結局ワイシャツかジーパンを買い足してローテーションの在庫が増えるだけで終わるオチ。
同じような服こんなに買い集めてどうするつもりなんだ、私は。店でも開くのか?
「そ、そうだ! 確かピアノの発表会で着た一張羅のワンピースがあったはず!」
ノースリーブの、花柄で、結構可愛いやつ。
あれなら......。確かここに............あった!
「ーーって、着れるわけねえ!」
女だってバレちゃう! てかそもそもこれ、7歳の時のやつだし! 単純に丈が合わねえ!
か、かくなる上は......仕方ない。
「おにいちゃーん! ふくかしてー!」
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
デート当日。
「少し、早く来過ぎちゃったかな......」
駅前の定番の待ち合わせスポット、奇怪な形の時計前で、私は湊君を待っていた。
時間は30分前。髪の毛のセットとかやるために気合い入れて早起きしたけど......結果的に早く来過ぎちゃったな。
時計前は待ち合わせのカップルやよく分かんないけどスマホいじってる人が屯していて、慣れない格好もあってか少々居心地が悪い。
なんとなくスマホをいじるポーズを取ってはいるけど、特にやることもないし。これで後30分かあ。まあでも、遅れるよりはマシかな。
「え、やばい。めっちゃイケメン」
「おにーさん、おひとりですかあ?」
逆ナンしてる奴とかいるし。本当にいるんだね。漫画上の存在かと思ってたわ。
別世界に放り込まれたような気分だ。
一応、格好はちゃんとして来たつもりなんだけど。
長きに渡る「男子中学生の呪い」を脱した今日の私のコーディネートは、黒のチノパンに白シャツ、グレーのカーディガン。私なりに頑張ってお洒落を演出したつもりなんだけど、これを貸してくれたお兄ちゃんは「量産型の大学生で草ww」なんて言っていた。草に草を生やすな。あと鏡見ろ。
嫌だな。周りの人にも「量産型じゃん」とか、「初デートで無理してるんだろうなー」とか思われてたらどうしよう......流石にないか。
「おにーさーん!」
「きこえてますー?」
さっきからうるさいな。相手にされてないんだから、さっさと諦めれば良いのに。
私は気になってスマホをいじっていた顔を上げーー目が合った。
「あ、やっとこっちみてくれたー。おにーさん、おひとりですかー?」
「カノジョとかいますー?」
わ、わたし!?
「あ、いや。今待ち合わせしてて......」
「えー」
「だれだれー?」
「湊君っていうおーー」
とこじゃないんだった。
えーっと。えーっと。
「ーーれの彼女? です」
「先輩!」
あ、湊君。
「ちっ、女連れかよ」
「てか彼女ってこれ? 思ってたのと違う。釣り合ってないんじゃね?」
いや豹変!
さっきまでの頭の悪そうな間伸びした喋り方から一転、流れるように毒を吐いて来る女の子たちから颯爽と私を引き剥がすと、湊君は一言ーー。
「釣り合ってなくても、離す気はありませんから」
ーーとぅ、トゥンク。
「行きますよ、先輩」
「は、ハイ!」
やばい。めっちゃ声裏返った。恥ずかしい。
顔、真っ赤になっちゃってるかも......。
そんな私の手を力強く握って、ズンズンと人混みを抜けていく湊君。後ろから見る姿は初めて見る女の子らしい格好で、白いブラウスに淡いモスグリーンのフレアスカートと、外見はまるでお嬢様。
なのに、中身はこんなに格好良くて......。
ーーって!
「ぎゃ、逆ゥ!」
私は叫んだ。
だって、これ逆だ。おかしい。明らかに見た目と配役が一致していない。
「どうしたんですか?」
「いやっ、だって............」
普通あれじゃん!
女の子の方が量産型のヤンキーに絡まれてて、イケメン王子様が「俺の女に手を出すな(キリッ)」的なサムシングかます場面じゃん! トゥンク......じゃねえよ! 私が助けられてどうすんだ!
ーーいや、本来それが正しいんだけど!!
悶々とする私の手を引っ張って、湊君はずんずんと進んでいく。
おおよそ「駅前」と呼ばれる圏内を抜け、人通りも少なくなって来たところで、ようやく湊君の歩みが緩やかになって......止まった。
「先輩。今日のワタシ、どうですか?」
表通りから一本離れた小さな公園を背景に、くるっと振り返りこちらを見つめる湊君。
ふぁさっ、と色素の薄い髪が広がった。
「髪、伸びてる......?」
「エクステって奴です。どうせなら本気で女の子やってみたくて。変、でしたか?」
そんなわけない。
「ううん、可愛いよ」
「......ふふっ、なら良かったです」
はにかんだようにセミロングの毛先をいじりながら、スカートの裾を伸ばすように抑える。
それはまるで、恋愛ゲームの一枚絵のような光景だった。
『湊』という女の子の魅力が全て詰まったワンフレーム。今の光景を記録に残せなかったことが、宝くじの一等をドブに捨てるより勿体無いことのように思えて、私はせめてもの抵抗で網膜に強く焼き付けた。
いつも男の子の格好をしている湊君が、私の気を惹くためだけにこんなにお洒落をしてくれたという愉悦と、学校の他の誰も知らない湊君を、私だけが知っている優越感。
そんな湊君を騙している、罪悪感。
いつか東京の美術館でミケ・ランジェロの彫刻を見た時のように、いや、あるいはその時以上に、私の心は強く揺さぶられていた。
そしてーーそれは、唐突に訪れた。
「湊君、僕............」
私の意志に反して、私の口が勝手に動く。
それは、中年の親戚が「お姉さんって呼んでね(はぁと)」と親しげに呼びかけて来た時、「いやおばさんじゃん」と反射的に突っ込んでしまうような。
はたまた、「おかしいな。私の娘のはずなのに、なんでこんなに女子力が欠如してるんだろう」とわざとらしく呟く母親に、頭の中で念仏のように唱えていた「うるせえくそばばあ!」が思わず出て来てしまうような、そんな、良くない一言を漏らしてしまう予感。
どうやら、強い衝撃を受けたせいで、心と体が分離してしまったみたいだ。心は小学生のパレットみたいにぐちゃぐちゃにかき回されて、私にも、私が次に何と言葉を続けるのかが分からなくなってしまっていた。
走馬灯のように思考は薄く引き伸ばされているのに、私は口を閉じることも、両手で塞ぐこともできずに......ただ、次に続く言葉が私と湊君の関係を揺るがすものでないことを祈るだけーー。
「僕............君のことが、好きだ」
ほっ......。いや、これはこれで恥ずいけど!
「ーーッッ!? 嬉しいです、先輩!」」
まあ、湊君も喜んでくれてるし、良かった。
びっくりした。てっきり、自分が「女」であることを白状してしまうのではないかと思った。
罪悪感がなんだ。「私」じゃないことがなんだ。
私を騙していることが苦しくて、真実を告白した湊君。
でも私は、例えこの苦しみが永遠に続くとしても、それで湊君と一緒にいられるなら......決してバレないように、隠し通す。
「デート、楽しもうね」
「はい! 先輩!」
王子なめんな。第三高校のガールズハンターの異名は伊達じゃないぞ。
私は湊君の左手と、私の右手を絡ませた。
初デート、楽しむぞぉ!
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
一日も終盤。
少し早いけど夕食に......ということで入ったカフェの中で、私はお花摘みに行った湊君を待っていた。
ちなみに、女の子が「トイレに行く」ことの隠語として使うことのある「お花摘みに行く」だけど、それの男性バージョンは「雉を撃ちに行く」らしい。何かで見た覚えがあるんだけど、何で見たかは忘れた。
閑話休題。
「お待たせしました」
「あ、うん」
白いレースのハンカチで手を拭いながら戻って来た湊君が、対面の席に腰掛ける。
スカートを撫で付けながら座るその動作は普通に清楚な女の子といった感じで、とても男のフリをして高校生活を送っている人には見えない。
今日一緒に過ごして分かったけど、湊君は案外、女の子をやるのが上手い。
少なくとも私はティッシュは持っているがハンカチは持ってないし、スカートで椅子に座ったら5回に1回はパンツ丸出しになることは間違いない。ティッシュだけは持っているのも、鼻をかむ用とかじゃなく、以前外で鼻血出したのが強烈なトラウマとなって脳に刻みつけられているからだ。
............私、実は男子なのでは? もうなんかそんな気がして来た。
「すみません、食べるの遅くて」
「ああ、いや。大丈夫だよ。気にしないでゆっくり食べて」
しまった。気を使わせちゃった。
ランチは同時に食べ終わるくらいに調整したんだけど、ちょっとそこまで頭が回ってなかった。
「食べてるとこを見るの、好きだから」
慌ててフォローを付け足す。が、
「......やっぱり、他の女の子とも行きますよね」
や、やらかした!
今の私の言葉は「(湊君の)食べてるとこを見るの、好きだから」と「(女の子の)食べてるとこを見るの、好きだから(湊君のも好きだよ)」という、二つの意味で取ることが出来てしまう。
湊君は、後者で解釈したのだろう。
「いやーー」
反射的に否定の言葉を入れようとしたはずが、その後がつかえて止まってしまう。
だって友達とは普通にファミレス行ったりするし、それは湊君も知っていることだ。ただでさえでかい秘密を抱えているのに、これ以上嘘を重ねるのは心情的にも嫌だったし、それが直ぐにバレる嘘なら尚更だ。
結局私は、微妙に気まずい空気を誤魔化すようにジンジャエールのストローを吸った。
「あのっ! でも今日、すっごい楽しかったです! それに、すっごくすっごく幸せでした! ワタシ、先輩に告白して良かったです!」
「そ、そうかい? それなら良かった」
気を遣われてる! めっちゃ気を遣われてるよ、私! デート中に他の女のこと匂わせて空気気まずくして、そのフォローを後輩にしてもらうって、ちょっとこの一連の流れの私、ダメダメすぎない? 王子様ムーブどこ行った?
と、とにかく一回話題を変えよう。
世界最古のトイレはメソポタミアで発見されたーーって、こんなの需要ないよ! えっと、えっと......あ、そういえば。
「今日って何時ごろ解散?」
何気なく口にした後、大きく目を見開いて体を硬直させる湊君を見て、私はこの愚かな口を今すぐにでも縫い付けてやりたい衝動に駆られた。
「ワタシといるのは......嫌でしたか?」
そ、そうなりますよねえ。
「いや、違う! そんなわけない!」
は、早く弁解しなさいと!
「えっと、他の女の子は結構門限とかあるから、そこは湊君に合わせようかなって......」
いや、だから、デート中に他の女の話すんな! 常識だろうが! 馬鹿か、私は! 少しは学べ!
しかし湊君は、私の勢い任せの弁解に怒るどころか、何故だか照れたような空気で......。
「ああ、なるほど。えっと......」
少し考えるように眉を寄せた後、躊躇って、私の目を伺うように確認して、頰を赤く染めて逸らして、半開きにした唇をモニョモニョと動かす。
みんなの理想とする王子様なら、ここで湊君の言わんとすることを察して、自分から提案するくらいはしないとなんだろうけど、生憎こちらは先程の通りの恋愛ド初心者。気持ちを正直に伝える以外の手札は持たない。
「僕は出来るならずっと一緒にいたいけど、そういうわけにも行かないだろう?」
「............本当ですか?」
「え?」
「ずっと一緒にいたい、って、本当ですか?」
こちらを射抜くような眼差し。
どうして恋人の、しかも朝告白したばかりの私に対してわざわざそこを確認するかは分からないし、見極めんとする視線は真剣すぎて怖いくらいだ。
でも、男だろうが女だろうが、男のフリをしてる女だろうが、ここの選択肢が一つしかないことくらいはわかる。
ーーすなわち、YESだ。
「もちろんだよ」
意識して作った完璧な笑顔で、この解答だけに限れば、100%近くの点数を叩き出せた自信がある。
しかしそんな私の会心の笑みの効果は不明で、湊君は顔を真っ赤に染め上げてプイと横を向いてしまった。
時々流し目を送ってこちらを確認して来るのは、一体どういう意味なんだろう。きっと、本来なら、ここは私が察してあげなくちゃいけない場面なのだろう。私が男だったら、分かったのかな。
それは少し......悔しいかもしれない。
「ワタシも、ずっと一緒にいたいです」
くるくる、くるくる、フォークで音もなくパスタを巻き取る。くるくる、くるくる。それが照れ隠しの動作であることは疑いもない。
しかし、今更ーー今更とは言うほど私たちは恋人として長いわけではないが。その程度でここまで照れるものなのだろうか。先輩後輩としての私たちは、学年という線越しではあったけど、もっと直接的にお互いの気持ちを言葉にしていた気がする。
「ーー出来れば、最後まで」
パクッ。
巻き取ったパスタが、湊君の口に消える。
目をつぶって、味わうように、あるいは恥ずかしさに耐えるように咀嚼する湊君と、それをぼけっと見つめる私。
さっきの言葉をつなげて再生するとーー。
『私もずっと一緒にいたいです。できれば最後まで』
湊君はもう、耳の先まで真っ赤っかで、そんな表情だからか、油でてらりと光った唇も、眉根を寄せた表情も、どこか婀娜っぽい。
ーー最後って、どこ?
私からすれば少し曖昧な表現に思えたそこを問いただすべきか迷っている間に、湊君の喉が小さく動く。
こくり、と綺麗な喉筋を伝い、一番上のボタンを開けた真っ白な首元に降りていく。
目を開けた湊君は熱に浮かされたような潤んだ目をしていて、
「せんぱい......」
切なそうに私を呼ぶその声を聞いて、ようやく、私は湊君の覚悟を理解した。
鈍感系か、私は。
いやでも、これは。仕方ないでしょ。だって普通、初めてのデートで手を繋いで、その後にキス。その後に......じゃん! え、そうだよね? 私が遅れてるだけ? でも前、友達が読んでた雑誌かなんかで、女子の六割は高校のうちに初体験を済ませてるなんて記事を見た気がする! あれって、サンプリングバイアスじゃないの!?
馬鹿らしいと笑う私をみんなが微笑ましいものを見る目で見ていたのは、虚勢じゃなかったかもしれないってこと!? え? え?
あ、でも。そもそも私、無理じゃん。
「ちょ、ちょっと一回タイム」
早足でテーブルの間を縫って、通路に出る。
私が一人だったら絶対に来ないようなカフェに来るような連中は大抵男連れで(私も同じようなもんだけど)中には対面に椅子があるのにわざわざ同じソファーに腰掛けて食べさせ合いっこなんてしているカップルもいる。いや、そもそも場違いなのは私で、ここに来るような客としてはあの態度が正しいのかも。
隣を駆け抜ける時、無性に気になった。
あの人たちも、この後、セックスするのかな。
「いや、『も』ってなんだよ! 『も』って!」
赤くなってしまってそうな頰を右手でキツく抑えて、トイレに向かう。
でも、さっきのアレって、つまりそういうことだよね? 『最後まで』って、きっと、湊君なりのサインなんだよね? 多分。いや、これで間違えてたらだいぶ恥ずかしいけど。悶死じゃ済まないけど。
くっそ! 今なら世の童貞の気持ちも少しは分かるかもしれない!
間違いないのは、あの言葉が内包する意味がキスだろうがセックスだろうが、はたまた単に家で健全なお泊り会をするだけだろうが、相当な覚悟を持った言葉には違いない。
ーーならば私も、その覚悟には応えなければならない。
「よし」
私は一度頷いて気合を入れると、足を踏み入れた。
ーー女人禁制の地、男子トイレへ。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「............よし、誰もいない」
トイレの中だけでなく、個室の中の気配とドアロックの色までしっかり確認した後、私は男子トイレに体を滑り込ませた。
一瞬、
『女性が男子トイレに入るのも立派な犯罪です』
という赤文字のテロップが頭の片隅をよぎったが、気にせずに突っ切る。
ーー何故なら、今の私は男子だから!
私が湊君と一日のデートをするに当たって、どうしても一つ問題があった。それは......デート中、どっちのトイレに入る? ということ。
普通に考えれば、女子トイレの一択だ。なんせ私は、男の格好はしていても中身は女。男子トイレに入るなんて、心情的にも法律的にもあり得ない。
しかしーーそれでもし、女子トイレから出る所を湊君に見られたら?
当然、女だとバレてしまうだろう。
当初の予定では、それはもう仕方ない事と割り切って、そもそもトイレに行く回数を減らしたり、湊君と時間をずらしてトイレに行く作戦だった。
でも、それは絶対じゃない。
もし湊君が私を呼びに来たら。私のことを外で待っていようと思ったら。突然の尿意に襲われたら。トイレの中に忘れ物をして、取りに戻ってきたら......。
ずっと迷っていた。どこまで男のふりをするか。いつまで隠し通すのか。
湊君は、「男」の私のことを本気で好きでいてくれている。私の勘違いでなければ、体を預けても良いと考えるくらいに。
そんな湊君に私が出来ることなんて、せめてその嘘がバレないよう、私たちの関係が終わらないよう、出来ることは全てやることくらいしかないじゃないか。
「完全に惚れてるな、私」
そりゃあもちろん、女だってバレても湊君が変わらずに好きでいてくれる可能性だってある。私だって、それを信じたい。
でもそれと同時に、どんな小さなリスクでも排除したいくらい、そのためならこんな馬鹿なことをしてしまうくらい、私は湊君のことが好きなのだ。好きになってしまったのだ。
ーーだって、初めての恋人だよ? 加減なんて分かんないよ。
入る前はあれだけ迷ったけど、入って仕舞えばこんなもの。中はあの立ってする男子用のトイレが一つと、個室だけ。
個室には鍵もついてるし、この中なら、上から覗かれでもしない限り、女だとバレることもないだろう。
「さてと......」
人が入ってこないうちに、さっさと済ませちゃおっと。一応、してる最中に男の人が入ってきて音を聞かれたら嫌なので、水を流しておく。ついでに、誰かが触った紙で股を拭くのも嫌だったので、トイレットペーパーを一周分捨てた。
うーん、環境保護団体の人に怒られそう。家で朝顔育ててる分でなんとかチャラにしてもらえないだろうか。
「............ふっ、ん」
一日分の澱みを垂れ流しながらぼけっと壁を見つめていると、自分って、結構大物な気がしてきた。ただトイレしてるだけなのに。
でも、男子トイレでトイレしたことある女子なんて、うちの学年で一体何人いるだろうか。間違いなく経験済みの女の子より少ないだろう。
なんだろう、この達成感というか、謎の優越感というか、そんな感じの感情は。もしかしてこれが、露出魔の心理......? 私は、危ない扉を開きかけて......いや、まあやらないですけど。
改めて水も流したし、あとはもう、手を洗って出ていくだけ。これならまあ、今後のデートもなんとかなりそうかな。
ーーそんな油断が良くなかったのだろうか。
個室のドアを開けた瞬間、バタン! と、大きな音を立てて、トイレのドアが勢い良く開く。
「ひゃっ!?」
「え、な、なに?」
人! 人入ってきたんですけど! しかも男!
いや、そりゃ男子トイレだから人も男も入ってくるけど! ととと、とにかく、早く出ないと!
「すみませっ!」
慌てて外に出て......やらかしたことに気づく。
ーー今の、完全に怪しい人の反応だ!
やばい。男子トイレに入ってる変態女だと思われたかな? ていうか、手洗ってない! 個室から出てきたし、もしかしたら爆弾設置したと思われたかもしれない! 誤解なのに!
いや、誤解じゃないけど!
どうしよう。どうしよう。通報されるかもしれない。通報されたらどうしよう。
「みっ、湊君。早く出よう!」
「えっ、どうしたんですか、先輩。そんなに慌てて」
「いいから! 早く出よう!」
私がトイレに行っている間に食べ終わったらしく、スマホをいじっていた湊君の腕を掴もうとして......慌ててその手を引っ込めた。
そうだ。私、手洗ってない。
「はやく! はやく!」
仕方ないのでその場で足踏みしながら動作で急かす。とにかく、一刻も早くこの場を離れたい。
「いやまあいいですけど、一体何事ですか?」
「いいからいいから! ほら行くよ! さあ!」
「いや先輩、もう少し落ち着いて......ってお会計!」
そうだった!
危ない。変態の罪は逃れても、食い逃げで逮捕されるところだった。慌てて伝票を取りに戻る。
「あ、先輩。私も出します」
「いいから!」
シャトルラン109回の実力で往復し、レジに伝票を叩きつける。
「五千三百二十円になります」
たけえ!
「これで!」
小銭をごそごそやる時間も勿体無いので、さっさと万札を出した。お釣り......いや流石に四千円近い金額は惜しい! 出ていけない!
「お返しになります」
「はい」
お札を財布にねじ込み、小銭を集めるが......こういう時に限ってうまく掴めないのなんなん!? こっちは男子トイレ入った罪とかいうくそしょうもない罪で人生破壊されそうなんだが!?
私は友達に何度言われても頑なに拒否し続けていたキャッシュレス決済を導入することを、今この瞬間決意した。
「ありがとうございましたー」
「ご馳走様でした!」
叫ぶように言い返し、店を出る。
「よし、行くよ!」
「は、はぁ。えっと......どこに?」
ここではない、どこかに!
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「先輩! 先輩ってば!」
肩を掴まれ止められる。
振り返れば、肩で息をする湊君。膝に手をついて、顔はとても苦しそうに歪められていた。
「はぁ、はぁ......一体、どこまで行くつもりなんですか、もう......はぁ、本当、勘弁してください」
「あ......」
冷静になった。
冷静になったというのは、即ち、今までの私は冷静じゃなかったということで、そのことを客観的に分析できる程度には冷静になった。
「いや、ごめん。本当にごめんね」
何をやってるんだ、私は。
慣れない格好の湊君をこんなに走らせて......。
「えっと、どっか休めるところ......」
辺りを見回して......ようやく気づく。
「ここ、どこ?」
新しかったり、外装が剥げてたり、ビルのような建物の合間合間に、ピンクの外装の特徴的な建物が混じる。綺麗な女の人達が微笑みかけてくる看板に、半分消えかけたネオン。近くの壁には、『宿泊いくら、休憩〇〇分〇〇円』ーーって、ラブホ街じゃねーか!?
ていうか私、さっきなんて言った!?
休める所、とか言わなかった!? そんなん絶対誤解されるじゃん!
「あ、や! 違くて! そういう意味じゃなくてね! ベンチある公園とかあれば、そこに行こうと思って......」
「いや、あの、先輩がそういう意味で言ったわけじゃないっていうのは、何となく分かりますけど」
息を整えて顔を上げた湊君は、どことなくジトっとした目つきをしていた。
「そんな一生懸命否定しますか? ワタシ達、付き合いたてとはいえ、カップルですよね?」
「うっ......」
「ワタシって、そんなに魅力ないですか?」
「そ、そんなことない!」
問題は、私の方にあって......。
そう続けたいけどできない私は、ぎゅっと唇を噛んで俯く。
「男の人って、もっとがっついてくるもんだと思ってたんですけどねえ......」
顎に手を当てて考え込む湊君。
やがてひとつ頷くと、真剣な顔で私の手を握った。
......あ、ちょ、手洗ってなーー。
「先輩、キスしませんか?」
「へあっ!?」
な、なんだって!?
い、いや聞こえてたけど! キス!? キスって、それ即ち、口と口をくっつける、アレのこと!?
「い、今ここで!?」
思いっきし街中ですけど!?
「嫌ですか?」
「い、嫌ではないけど......そういうのはもう少し落ち着いた所でしたいというか、ここぞという場面での思い出にしたいというか......」
だってここ、雰囲気もへったくれもないよ? 隣キャバクラじゃん。ファーストキスが私立おっぱい学園の前でいいの? もう少しこだわりたくない?
「ていうことは、キスすること自体は嫌じゃないんですね」
「そりゃあ、まあ......」
付き合ってからはまだ数日だけど、湊君のことはそれ以前からずっと好きだったのだ。女の子だって言われて初めは戸惑ったけど、今の所特に不便は無いし、思ったより抵抗なく受け入れることもできた。
恋愛対象は男の子だったから、私はレズではないと思う。けど、湊君のことは好きだ。これからも恋人でいたいし、キスだってしたい。
だけど、私立おっぱい学園前は嫌だ。
「先輩、なんか変な所で拘りますね」
「いやそこ結構大事よ!?」
「ワタシの性別のことは、あんなにあっさり受け入れてくれたのに?」
「それは、まぁ......。湊君のこと、ずっと好きだったし」
「え!?」
目を見開いて、驚きの表情をする湊君。
「え? ん? えええ? ずっと好きだった!?」
そ、そんなに驚く事?
「それってニュアンス的に、ワタシが告白する前から、ワタシのことが好きだったってことですか?」
「うん............いやまあ、気になってた程度だけど」
改まって聞かれるとなんかちょっとだけ恥ずかしいから、後半部分を補足しておく。
ていうか普通、気になってもないのに女の子と付き合うなんて無理でしょ。私が今まで何人からの告白を袖にして来たと思ってるんだ。湊君一筋なんだぞ、私は......まあ、告白して来たのなんて殆ど女の子だったけどさ。
そんな私を見て、首を捻る湊君。
「あの、失礼なことをお聞きしますが......先輩って、同性愛者だったんですか?」
「え? なんで? 普通に異性愛者のつもりだけど」
............あ、でもそうか。
今の私は『実は女だった』湊君と付き合ってるわけだから、カテゴリは同性愛者になる......の、か?
客観的に見るとそうなんだろうけど、なんか、あんまり実感湧かないなあ。女優さんとか見ても、綺麗だなあとは思うけど、別に欲情とかはしないし。
ーーまあ、湊君が特別なんだよ。
そう口を開こうとしかけて、首を捻る。
「ん? んんん? んんんんんん?」
あれ? 私、トチった?
「確認なんですけど、先輩って、男性ですよね?」
「....................................あ、うん」
おい! なんだ今の間は!?
鱗滝さんにビンタされんぞ!?
「ま、まあ......先輩が男か女かなんて、些細な問題ですよね。先輩は先輩です」
「ほ、ほんーー」
しゅばっーー!!
喜色の声を上げそうになった口を慌てて抑える。その言わざること、まさにハヤテの如し。
しかし、湊君から見れば、その動作がもう怪しかったに違いない。
「........................」
「........................」
や、やったか? やっちゃダメな方な意味で。
「ーーあはは! あははははは!」
え? み、湊君?
「あははははは! あはははははははは!」
「あ......あは、あはははは、あはは」
え、何この時間。
思わず合わせて愛想笑いしてるけど......なに? ななにこれ? この反応はバレたってこと?
え? マジでどういうこと?
「はぁーあ、でも良かったです。先輩が男の人で」
「あ、うん」
「もし......もし。先輩が女の子だったら......」
良かった。バレてない......の、か?
一先ずの安堵から思わずため息をついた所に、
「ーーッッ!?」
鼻先が触れ合う距離に、湊君の顔があった。
「もし先輩が女の子だったら、私ーーきっと、メチャクチャにしちゃいます」
その顔は、私の前ではいつも清廉だった湊君が見せたとのない、壮絶な笑顔で。
「ひ、ひえっ」
「あんなことやこんなこと、しちゃうんだろうなぁ」
「あ、いや、あのーー」
「............なーんて、冗談ですよ」
えっ?
「じょーだんです。じょーだん。驚きました?」
じょ、冗談?
「あのみんなの王子様の先輩が女の子なんて、あるわけないですもんねー」
「み、湊君?」
「先輩が隠し事なんて、するわけありませんよねー」
「あのっ! 湊君!」
笑った顔のまま、振り返る湊君。
その無理矢理に繋がれた手を指差して、私は聞いた。
「どこに行くつもり......です、か?」
だって、このまま真っ直ぐ行ったら、ホテルに......。
「あるわけないですけど......一応、確かめようと思いまして」
「え?」
「だから、先輩についてるのかいないのか、お互い裸になれば、スッキリするでしょう?」
え!?
「ええええええ!?」
それってーー。
いやもうそういうことじゃん!
「ちょ、ちょっと! それは流石にいきなりすぎるというか! まだ心の準備が出来てないというか!」
「大丈夫です。ちょっと触って、確認できたら今日はお開きにしますから」
いやそんなの絶対嘘じゃん!
必死になって抵抗するも、湊君は止まってくれなくて......。周りに人がいないわけじゃないから、あんまり騒ぐのも恥ずかしくて。
「観念しましょうね、先輩」
私は黙って、ひきづられるしか無かった。
こんな時に頭の中に浮かんだのは、何故かあのアニメのシーン。
『俺、実は女なんだ!』
もう絶対、出来そうにないじゃん......。
このままだと、スッポンポンにされて、
ーーあ、女だったんですね。
みたいな、インパクトの欠片も無いカミングアウトになってしまう。そして、そのタイムリミットは刻一刻と近づいていて......私には止められそうにはなかった。
「例え先輩が女の人だとしても......愛してますよ、先輩」
「いまそれいうー?」
「ふふっ。オレ、意外と卑怯な所もあったりして」
まあ、最終的には男と女で落ち着きそうだし、これでよかったの......かな?
贅沢は言いません。このいかにも出オチなタイトルから二万文字まで話を膨らませた私を褒めて、崇め奉って、撫でて、賞賛して、讃えて、讃頌して、感服して、脱帽して、持て囃して、そやして、おだてて、評価を入れて、感想を下さい。ただそれだけ。