第145話 彼方の微笑み
まるで春のそよ風の様な軽い吐息が聞こえた
「美味しいですわ、ネイサン様」
「それは良かったです、久々でしたので少々自信がありませんでしたが‥‥ マデリン嬢のお陰で自信を取り戻しましたよ」
「御世辞等では無く本当に美味しいですわ」
「お茶菓子もどうぞ、自画自賛ではありますが中々上手に出来ました、とは言え干しイチジクは買い求めた物ですが」
「マシュマロですわね、私の好物‥‥ ありがとうございますネイサン様」
作って良かったな‥‥
マデリン嬢は美味しそうにマシュマロを摘まんで食べて居る。
かなり作ったからな。
お土産用に包んであるのも帰りに忘れず渡さなければ。
これだけニコニコと笑い、美味しそうに食べて居るのを見ると本当に作って良かった。
昔もこうやって食べてたなぁ、確かに成長したが、食べる姿は昔のままだ。
執務室の中は穏やかな雰囲気であり、心地好さすらある。
ジョディは扉側に立ち、俺達を見守って居る。
座って一緒にお茶をと言ったが、
『御厚意には感謝致しますが、護衛ですので遠慮致します』と言いドアの横に立ちお仕事継続中だ。
この辺りも昔と変わらない、ジョディは昔から生真面目な女だ。
ドアと窓は開けっ放しにしてある。
開かれた扉、これは何時もの事だが、今日はマデリン嬢と一緒に居るので少々風が冷たくなったとしても閉める事は出来ない。
嫁入り前の若いお嬢さんが居るのだから必要な事だし、誤解を招く様な事は出来ないし、してはいけない。
「ネイサン様、改めましてになりますが、お久しぶりです、お逢いしとう御座いました」
「四年振りですね、去年は入れ違いになりましたから‥‥」
「ええ、私その件ではネイサン様に異議申し立て致しますわ、ですが事情が事情です、致し方ないと言うのも分かっていますの、ですが‥‥ いえ、これは私の我が儘です、少し拗ねてしまいましたの」
「申し訳御座いません、手紙にも書きましたが、そして言い訳にしかなりませんが、私達官吏の派閥争いの総決算で色々と振り回されてしまいました、手紙を出すと言う事すら忘れ、思い至らない程に色々とありましたので‥‥ 本当に申し訳御座いません」
「ネイサン様、先程申しましたがこれは私の我が儘であり、子供の様に拗ねて居るだけの事です、私の至ら無さ故の事‥‥ 私こそ申し訳御座いません、ネイサン様のお心を煩わせて致しました事、心よりお詫びます、そして申し訳御座いません」
「久々にお会い致しましたのにお互い謝ってばかりですね」
「ええ本当に、折角久々にお逢い致しましたのに‥‥」
お互い顔を見合せると何故か可笑しくなった。
どちらとも無く笑い、暫く笑うと、この話はもう終わりにしようと言う話しになった。
うん、出だしは和やかな雰囲気だ。
「ネイサン様、その‥‥」
「どうされました?」
言いにくそうだな、気を引き締めないと。
「その‥‥ マシュマロを炙りたいのですが‥‥ 串を頂きたいのです、それと申し訳ありませんが火を出して頂きたいのです‥‥」
何じゃそりゃだよ‥‥
そう来たか、気合いを入れ直したのになぁ‥‥
マデリン嬢はマシュマロを炙って食べるのが昔から大好きだったからな、うん、ちゃんと串も用意してるし、火は魔法で出せる。
「マデリン嬢、串は用意しています、火も魔法で出しますのでお使い下さい」
「ありがとうございますネイサン様、嬉しいですわ、このまま食べても美味しいですが、炙りますと美味しさが増します、私はこれが大好きです」
うーん‥‥
マデリン嬢のこの顔を見ると、本当この辺りは全く変わって居ない、とても良い笑顔だ。
「マデリン嬢、食べきれない程、沢山作りましたからお土産に持って帰って下さいね、それとジョディ、ジョディにも渡すから後で食べてくれ」
「ネイサン様ありがとうございます、心遣い痛み入ります、今は仕事中故、先程は断りましたが、帰りましたら頂きます」
「マデリン嬢、ジョディの生真面目さは変わりませんね」
「ええ、であればこそ私も日々安全に暮らしていけます、ですがたまにはジョディには、もう少し肩の力を抜いて過ごして欲しいと思っておりますが‥‥」
「中々に難しいですね、本人に変わろうと言う気がなければ‥‥ それにジョディの生真面目さは得難い資質でもあります、とは言え確かにもう少し肩の力を抜いてと言う意見には賛成です、しかしジョディがだらけて居る姿も私は想像出来ません」
「そうですわね、人は中々変わる事が出来ないと言うのは私も思います、変わろうと言う意志が無い限りは‥‥ 人に言われたからと言って変わる様であればその程度の事ですものね」
意味深な言葉ではあるな、穿った見方をすれば、私は決して変わらない、私の気持ちは決して変わる事は無いと言う意思表示であるとも聞こえる、だがそれはお互い様か‥‥
変わらぬ想い、俺の周りには何とその様な人間が多い事か‥‥
決して届かない、遥か彼方の物。
思い出にする事も出来ず、思い出を作り続けて行く事も出来ない。
追憶の中でのみ存在する相手。
手に入れる事が出来たのはブライアンだけか‥‥
マデリン嬢の相手、俺はこの世に存在する。
手の届く所に居る。
羨ましいと思う、想う相手が手の届く場所に居る事が、目の前に居る事が、想いを相手に伝える事が出来ると言うのが。
例えその想いが相手に伝わら無いとしてもだ。
「所でネイサン様、私の営んでおります商会、年々売上が上がっており、今年も金貨1000枚の純益を越えそうです、これは去年よりも早く、又、年々売り上げが上がって来ております、ネイサン様から使用を許可されたアマネのお陰でもあります、改めてお礼申し上げます」
「いえいえ、マデリン嬢の努力と才覚による物ですよ、私はほんの少しお手伝いしただけです」
「ですがその一押しが、助力が無ければ間違いなくここ迄にはならなかったでしょう、特にアマネブランドは今の私の商会の最初の切っ掛けにして力の根元です、あれは様々な物を私にもたらしてくれました、金銭だけでなく、人との繋がり、そして確固たる地位、アマネが無ければここ迄は決して辿り着けなかったでしょう」
「マデリン嬢の役に立ったのなら何よりですよ、それに私も収益からきっちり頂いていますからね、お互いにとって利があるのです、なれば契約としても成功です、このまま行きたい物ですね」
うん、商売人として契約を交わし、お互いにとって利がある。
ならばそれで良いじゃないか、少なくとも俺はそれ以上望まないが‥‥
そうは行かないよな‥‥
マデリン嬢の商売が成功し、アマネの名がバハラ近隣に響き渡れば響き渡る程、その名が轟く程に、俺の中の想いはマデリン嬢に向く事は無い。
だがその理由は決してマデリン嬢には分からんだろうな。
俺の前世に関わる事であるし、その名は俺にとってとても大切で意味のある名前であるのだから‥‥
ふと、奴の顔が思い浮かんだ。
アイツは微笑む事は余り無かった。
どちらかと言えば微笑むより笑って居る事が多い奴だった。
たまに微笑む事も合ったが、微笑みよりも笑顔の印象がある。
だがだからこそだ、たまの微笑みは時により印象深かったし、より印象に残って居る。
『ば~か お前は本当に‥‥』
二度と見る事の叶わぬ彼方の微笑みだ。
代わりに今は違う微笑みがある。
ため息が出そうになった、だが寸での所でぐっと力を入れた。
ため息何か吐いたらマデリン嬢を不快に、いや、不安にさせてしまう。
それはそれ、これはこれだ。
マデリン嬢にはその件は関係無い、今日この日を楽しみにして、やっとここに来て俺に会えたんだ。
その気持ちを受け入れる、受け入れ無いは別にしても、マデリン嬢のその幸せ気分をわざわざ台無しにするのは違う。
とは言え結果的にそうなる可能性大な訳だが‥‥
しかしこの様な事を言うと他人は、俺はどれだけ自意識過剰何だって思われるだろうな。
だがマデリン嬢の俺に対する気持ちは本物だし、嘘偽りの無い事実だからな。
マデリン嬢の俺に対する想いは昔からだ、もしこれが俺の勘違いなら、俺はこの世界の全てをもう二度と信じる事が出来ないだろう。
そしてマデリン嬢にその様な事を言えば深く悲しませる事になる。
そう考えれば前世の物語の耳が遠い系の主人公や、鈍感系の主人公達は相手をどれだけ傷付け、そして悲しませて居たんだろうな?
例え物語であってもその辺りを気にする俺は、物語を深く楽しむ事が出来ない、スレて、斜に構えた人間と言うのだろうな。
現実と物語は違うんだから、その様な事はいちいち気にせず楽しめば良いんだ。
そうだな、今を楽しもう。
折角マデリン嬢と久々に会ったのだ。
核心的な話しになるまでせめて楽しもう。
終わりがどうなるかまだ分からん、だが彼方でも、追憶の中でも無い、微笑むマデリン嬢と今のこの瞬間を二人で過ごそう。
話す事は幾らでもあるんだからな